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ジョン・レノンの命日になると蘇る想い

今日12月9日はジョン・レノンの命日。公式には12月8日なので昨日が命日と報じられる。しかし彼が狙撃されたのはニューヨークの22時50分ごろ。なので日本時間では今日12月9日が命日だと私の心に強く刻まれている。

1980年12月9日のことはかなりはっきり覚えている。ジョンが狙撃された時刻は日本では12時50分。私は17歳の高校二年生で、昼休みに校内放送でRCサクセション特集が流れていた。もちろん私はジョンが狙撃されたことなど知る由もない。

放課後、私は東京の自由が丘の顔馴染みのGパン屋に寄り道すると、オーナーから、ジョン・レノンが殺されたらしいぞ、と聞かされた。当時17歳の私は、自分が大きな影響を受けている同時代人が死ぬという経験がほとんどなかったので、俄かに信じられなかった。

私は事実を確かめるために、当時ライター(もどき)をやっていた音楽雑誌ロッキング・オンの六本木にあった編集部に向かった。そこには社長兼編集長の渋谷陽一さんがいて、直ぐに「ジョン・レノンが殺された。路上で撃たれたらしい。今夜の俺の番組は追悼特集。今から選曲するからおまえもアイディアを出せ」と言われた。

当時渋谷陽一さんはNHK FMでサウンドストリートという番組を持っていて、その夜の番組のオンエアの中身を一緒に考えろというのだ。これから世の中に溢れるであろう数多の追悼番組の中で、俺たちにしか選べない、俺たちの想いを伝える選曲にするんだ、と。

私はすぐに、一曲目は「マザー」番組開始のMCは無しでいきなりイントロの鐘の音から始める。エンディングは「マイ・マザーズ・デッド」。と提案。渋谷さんは、それは湿っぽい、オープニングはパワフルなやつで行きたい、と言った。そして二人で流したい曲を挙げるだけ挙げ、絞り込む前に私は自宅に帰り、夜の放送は自宅で聴いた。

番組の冒頭は私の案の通りMCなし。いきなり始まったのはパワー・トゥ・ザ・ピープルだった。

ジョンが亡くなってから43年の今、なぜこんなことをここに書き留めようと思ったのかと言うと、ロッキング・オンの創刊編集長であり現在も代表取締役である渋谷陽一さんが病気療養のため入院と最近報じられたからだ。

私がロッキング・オンに出入りしていたのは高校~大学の頃。大学卒業とともに縁遠くなり、40年近く接点がなくなっていた。それでも10代後半にそこで体験した多くのことは私の中に強く根付いていて、言葉にしづらい価値観の大きなひとつが、このジョン・レノン追悼番組に詰まっていると今でも思う。

その番組の冒頭に渋谷さんが選んだパワー・トゥ・ザ・ピープル。その曲をもう30年以上お目にかかっていない闘病中の渋谷さんにとどけたい。あの時、この曲を冒頭に選んだその渋谷さんの想いは、今の世の中に対しても変わらぬメッセージでありつづけている。

渋谷さんが一日も早く健康を取り戻されんことを願います。

43年前のその番組は、今もYoutubeで聴ける。

1980年 渋谷陽一 サウンドストリート 「ジョン・レノン追悼」
https://youtu.be/qkXEqqgP534?si=WSxqAyz5Jn3S6IR-


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