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オペラ「天鼓」詞

能「天鼓」による

序 ものがたりはいつも(合唱)

はるか はるか
むかし
それとも 昨日

はるか はるか
遠く
それとも ここで

物語はいつも
空に
海に
山に
森に
畑に
田に
里に
まちに
星に
光に
風に
音の調(しらべ)に

物語はいつも
いつも
いつも
いつも

1.ものがたりの始まり(語り)

都のはずれに、王伯と王母という名の仲のよい夫婦が暮らしていました。
ある夜王母は、天から太鼓が降りてきて自分のおなかに宿る夢を見ました。やがてひとりの男の子が生まれました。不思議なことに、生まれた子どものすぐそばには、夢で見たと同じ太鼓がいつの間にか置いてありました。
王伯と王母は生まれた子どもに天鼓という名前をつけて、大切に育てました。天鼓はすくすくと成長して、太鼓が大好きな男の子になりました。天鼓が打ち鳴らす不思議な太鼓は、この世のものとは思われない美しい音いろを響かせました。
太鼓の噂は、時の帝(みかど)の耳にも届いて、帝は太鼓を宮中に差し出すようにお命じになりました。けれども天鼓は命令を聞かずに、太鼓を抱いて深い山の中に隠れてしまいました。帝は大層お怒りになり、追手を放って大がかりな山狩りをなさいました。
捕えられて天鼓は太鼓を取り上げられると、命令に背いた罪で死刑になってしまいました。
天鼓の骸(むくろ)は、呂水(ろすい)という名の川に運ばれて、川底に沈められました。

2.鳴らない太鼓(合唱)

いやー はっ
はっ はっ いやー

天(あま)の太鼓は大宮の
雲龍閣に据え置かれ

帝のご命令

帝につかえる太鼓打ちが
こころをこめて打つ

天の太鼓は鳴らなかった

天の太鼓は鳴らなかった

帝のご命令

国一番の太鼓打ちが
工夫をこらして打つ

天の太鼓は鳴らなかった

天の太鼓は鳴らなかった

帝のご命令

若さあふれる太鼓打ちが
力まかせに打つ

天の太鼓は鳴らなかった

天の太鼓は鳴らなかった

いやー はっ
はっ はっ いやー

3.帝のお召し(語り)

雲竜閣という名前の宮中にある建物に置かれたまま、誰が叩いても鳴らすことが出来ない太鼓。
帝はお考えになりました。
「天の太鼓が鳴らないのは、持ち主の天鼓との別れを悲しんでいるからに違いない。天鼓の父親の王伯が打てば、太鼓は鳴ってくれるかも知れない。王伯を大宮に連れて参れ」

4.朝(合唱)

東の空 白々と
あたらしい一日
水を汲み 火をおこし 湯を沸す

朝もやのように
はかない
はかない
はかない この世

炎のように
ゆらめく
ゆらめく
ゆらめく こころ

季節はめぐり
やがて秋
わが子の面影は
明けやらぬ
西の空の彼方

天鼓
天鼓
天鼓よ 天鼓
涙は夕べに枕を濡らし
朝には衣の袖を濡らす

5.勅使の迎え(王伯と勅使の問答、合唱)

王伯  誰にて渡り候ふぞ

勅使  帝のご命令を伝えに来た

王伯  何事にて御座候ふぞ

勅使  天鼓の太鼓は
持ち主との別れを悲んで
いくら打っても鳴ろうとしない
父親のお前が打てば
音を響かせるかも知れない
ただちに大宮(おおみや)に参上して
雲竜閣の楼上にある太鼓を打て

王伯  宣旨畏つて承り候
勅命にだに鳴らぬ鼓の
老人が参りて打ちたればとて
何しに声の出づべきぞ
いやいやこれも心得たり
勅命を背きし者の父なれば
重ねて失はれんためにてぞあるらん
よし それも力なし
我が子の為に失はれんは
それこそ老の望なれ
あら歎くまじややがて参り候ふべし

たとえ罪に問われても
わが子の形見のあの太鼓
ひと目この目で見られるならば
年老いたこの身には
何よりものこの世の慰め

6.大宮(合唱)

日の暮れて
都大路に導かれ
見上げれば
大宮の屋根
黒々と

石の階段を
百階のぼり
朱色の門を
八門くぐり

庭の獅子岩(ししいわ)いかめしく
木蓮の花 かぐわしく
蓮池の橋をわたり
大宮の奥
雲竜閣へと

7.王伯が太鼓を打つ(王伯、合唱+ソロ)

王伯  さては辞すとも叶ふまじ
勅に応じて打つ鼓の
声もし出でばそれこそは
我が子の形見とゆふ月の

子を失いし老いの身のあわれ
地を走る獣も
空飛ぶ鳥も
親子の情けにかわりはない
まして人に生まれたこの身には
この世の命のある限り
悲しみ 嘆きは 果てもなく

時こそいま
涙を衣の袖でぬぐい
王伯よ 打て
打てよ 打て
太鼓を打て

天(あま)の太鼓を打ち鳴らせ

王伯  げにげにこれは大君の
忝しや勅命の
老の時も移るなり
急いで鼓打たうよ

空の月は 天鼓の微笑み
清い光は 天鼓の励まし

王伯 雲龍閣の光さす

一足(あし) 一足
玉の階段

王伯  玉の床に

薄氷(うすごおり)
踏むような
震えるからだ
おののくこころ

太鼓に向かい
王伯は打つ
思いをこめて
太鼓を打つ

8.天の太鼓(合唱+ソロ)

よーい よーい
はっ はっ

こころ澄みわたる
太鼓の響き

時を忘れ
ところを忘れ

年老いた父の打つ

いやあ よーい

いとしいわが子の
形見の太鼓

よーい よーい
はっ

子を思う親のこころねに
打てばこたえる太鼓の音(ね)

いやあ

ひと打ち ふた打ち
音色は天からは降り注ぎ

はっ

ひと息 ふた息
音色は地から沸き出(いず)る

はっ はっ よーい

いやあ よーい

9.帝の涙(王伯と語り)

大宮の奥深く雲竜閣の楼上に、誰が打っても音を出さなかった天の太鼓が鳴り響きました。亡くなったわが子を思い太鼓を打つ王泊のこころが、天まで届いたのに違いありません。
太鼓の音いろのあまりの美しさに、帝は思わず涙を流されました。そして怒りに任せて幼い天鼓を死刑にした、ご自分のむごい行いをこころから反省なさいました。
帝は王泊にたくさんのご褒美の宝をお渡しになり、七夕の夜、呂水のほとりで盛大な音楽のお祭を催して、天鼓の菩提を弔い慰めようと約束なさいました。

王伯 あら有難や候
さらば老人は私宅に帰り候ふべし

10.道(王母のアリア)

静かな時が流れていく
悲しみの道をひとり歩む
この旅はどこまで
この旅はいつまで

奪われたわが子
失われたお前
面影は遥か 西の空の彼方
誘うように
逃げるように
ひと足 歩めば
ひと足 遠く
ふた足 歩めば
ふた足 遠く

「人の親のこころは闇にはあらねども
子を思う道にまどいぬるかな」

真夜中に乳を飲む
腕の中のお前の微笑み
立ち上がり 足ふみしめて
両手差し出すお前の微笑み
春を告げる野に遊び
花の名たずねるお前の微笑み
夏の日差しのまぶしさを
目を細め見上げるお前の微笑み
秋の落ち葉 その赤さを
驚き伝えるお前の微笑み
年越し祝う門口に
太鼓 打ち鳴らすお前の微笑み

「人の親のこころは闇にはあらねども
子を思う道にまどいぬるかな」

西のはて この道の終わり
わたしを待つ わが子
声もなく 涙もなく
ふたたび巡り逢える時を
待ち続ける お前

光のないその場所で
いまも微笑む わが子
わたしにはわかる
お前の微笑み
まぶたに焼きついた
お前の微笑み
狂おしく思う
引き裂かれ 奪われた
わが子の微笑み
その愛らしさ
そのやさしさ
その切なさ
そのいとおしさ

「人の親のこころは闇にはあらねども
子を思う道にまどいぬるかな」

いのちの炎 胸にともし
悲しみの道をひとり歩む
仮の宿を過ぎて
旅の終わりの場所まで
旅の終わりの日まで

11.川(合唱)

空には天の川
地には呂水の流れ
震えるこころ
水面が揺れる

空には天の川
地には呂水の流れ
川幅はひろく
川底はふかく

物語を乗せて
舟はゆく
櫂もなく 舵もなく
流れのままに

空には天の川
地には呂水の流れ
みなもとは遥か
ゆくては何処

12.管弦講(語り)

七夕の夜、帝は王泊との約束どおり、呂水のほとりに人びとを集め、管弦講を催されました。天鼓の菩提をねんごろに弔う法要のあと、盛大な音楽の宴が始まりました。

13.楽の宴(合唱)

涼風(すずかぜ)の吹き渡り
琴は泠々(りんりん)
笛は飄々
歌えや 歌え
呂水のほとり
こころのままに

夕月の照り映えて
水は滔々
波は悠々
踊れや 踊れ
呂水のほとり
夜ふけを忘れ

14.天鼓(天鼓+合唱)

天鼓 是は天鼓が亡霊なるが あら有難の御弔やな

あら有難の御弔やな
楽の音いろに誘われて
深い海から浮かび来れば
ここはゆかりの呂水のほとり
あれなる太鼓は わが太鼓

天鼓よ 天鼓
天鼓の霊よ
天鼓よ 天鼓
太鼓を打て
七夕の星空の下(もと)
喜びの音(ね)を響かせよ

古(いにしえ)からの言い伝え
楽人(がくじん)が奏で
舞人(まいびと)が舞う
月の宮の楽の宴(うたげ)のあるという

ときはいま
輝く銀河
呂水の川のほとり
打ち鳴らされる太鼓の音色

呂水の川面は
天の川(あのがわ)を映し
星々を浮かべ
天(てん)の流れに

天(あま)の太鼓 天の曲

天の楽人 天の舞人

天鼓 おもしろや時もげに

おもしろや 時もげに
風は柳の葉を揺らし
月は涼やかに松を照らす
夜の空は晴れ渡り
星々は降り注ぐ

水と戯れ 波を分け
袖翻して 舞い踊る

月に歌い 星に奏で
風の調べに 舞い踊る

時を忘れ
所を忘れ

天を忘れ
地を忘れ

銀河を忘れ
呂水を忘れ

歌い
奏で
舞(まい)踊る

15.夜明け(語り)

天鼓の太鼓、天鼓の舞。喜びにあふれた清らかな音楽の祭りは、いつまでも続くように思われました。
真夜中もとっくに過ぎて、東の空がうっすらと白みはじめる頃、それまで楽しそうに舞っていた天鼓が、もう一度太鼓に近づいて打ち鳴らすように見えました。
そしてそう見えたその瞬間、天鼓の姿はふっと消えて、あとには天鼓の太鼓だけが取り残されていました。
天鼓の太鼓はそのあと、もう一度鳴ったのでしょうか。
それは誰も知りません。

終曲   太鼓の音(合唱)

とんとんとん
あれはなに
とんとんとん
太鼓の音
空を見上げて
耳すます
天鼓が叩く
太鼓の音

とんとんとん
あれはなに
とんとんとん
太鼓の音
胸に手を当て
目を閉じる
天鼓が鳴らす
太鼓の音

とんとんとん
とんとんとん

とんとんとん
とんとんとん

太鼓の音はいつも
ものがたりはいつも

(2020年4月)



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