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囲碁やめます

囲碁に挫折しそう・・・。
楽しさがわからない・・・。
そもそも、まだ6路盤でしか打ってないから、テレビの囲碁とか全くわからん・・・。
何のために囲碁始めたんだっけ、、

もう挫折する。
明日からもうやらないかも。

何で囲碁始めたの

おじいちゃんごめんね

子供の頃、おじいちゃんが囲碁してました。毎日囲碁盤の前に座って、「定石」やら「布石」やら書いてある本を片手にパチーンと打っていて、なんだかかっこいいな、と。
おじいちゃんは親戚の中でも頭がいいと評判の人で、高尚な趣味に見えたわけです。
おじいちゃんも孫に囲碁をやってほしかったみたいで、4人いる孫に子供向けの囲碁の漫画の本も買って読ませたりしたけど、結局誰もやらず・・・。
小学生のくらいの時、自分もちょっと読んだけど正直その頃はじっくり文字を読むのが苦手で(漫画といってもヒカルの碁みたいなやつじゃなくて、コマの中が長文で埋もれているような、どっちかというと挿絵多めの解説本)、まるで理解できなかった。
今思えば、あー、あの時教えてもらってればなあ、と。
きっとおじいちゃんも喜んだろうに、もうおじいちゃんは天国に。ごめんね、おじいちゃん・・・。

趙治勲先生にハマる!

5月くらいの日経新聞の「私の履歴書」が趙治勲先生で、これが面白いの何の。日経新聞の「私の履歴書」は正直つまんない人は超つまんなくて1・2回で読まないことが大体で(何とか銀行頭取とか官公庁の人とか、スミマセン)、最初は「囲碁の偉い人かー」くらいのどうせ読まないだろうなと思いながら読み始めたのに、一人称が「ボク」のところやすごい人なのに茶目っ気のある性格が文章から伝わってきて、連載が終わる頃にはすっかりファンに。
勢いで「趙治勲のお悩み天国」大人買い(笑)
9割くらい囲碁関係ないことが書いてある本なのに、あの本のおかげで囲碁界の有名人は大体頭に入った。で、読んでいるうちに囲碁をやってみようかなと思ったわけです。
いつか、趙治勲先生の一目シリーズを片手にパチーン、とやってみたいなと。
そこまで至らず辞めるわけだけど、、、(そもそも碁盤持ってないからオセロでやってるし)

深く考えられる人になりたい

いい大人になったのに、どうも感覚で色々決めちゃっているような気がする。
色々とウジウジ悩む、ということじゃなく、長期的な目標に対して広範囲に検討したり深く考えられる人になりたい、と日々思うことが多く。というか、1日のうち脳の自動運転で終わるような生活ばかりしていていいのかと。
そう言う時に、囲碁って色々と深く考える訓練になるのではと・・・。
そう考えて始めたわけです。
実際、やってみるとかなり広範囲に目を配らせていないと、気がついたら意外なところがアタリになっているし、何かを捨ててもっと大きなものを得る、という考え方は仕事にも役に立ちそうな気もする・・・・。
実際「勝った」と思ってたら、うっかり抜けがあって負けているという自分の弱点を知るきっかけとなる。
が、まだ6路すらできなくて挫折するという。

結構頑張ったけど、もうだめだ

「囲碁であそぼ」の崖がひどい

囲碁であそぼ、っていう日本棋院が出しているアプリがあり、最初は「吉原先生」って誰だ〜とか思いながらやってたけど(今はご著書を多数持ってます)、これがとってもいい。とんとん拍子にクリアして、ウッテガエシ(一番のお気に入り)やら、目を作るやら基本は身につけたのだが・・・。

道場で勝てない・・・_| ̄|○

35級の6路盤でお爺さん(百地丹波)にコテンパン(8回中7回負ける)にされて、正直上がれそうにない・・・もう6路は疲れたよパトラッシュ。早く9路にしてくれ・・・そしていつかテレビの囲碁を見て理解できるようにさせてくれ・・・。
六路はすぐに対決になるし、気がついたら囲まれてるし、激しすぎるし疲れるし、囲碁が嫌いになってきているのは9割方これが原因。
どんなに詰碁をやっても、対戦となると深く考えず焦って防戦一方。
修行も頑張ってるけどレベル3に8割くらいの確率で負ける。
でも勝って棋力が上がらないときっと九路にならない・・・行き詰まり。
最初の簡単だったのは何だったんだ・・・・。見えない崖を感じる。

じゃあもう「囲碁であそぼ」は忘れて、九路とか十二路とか行けば良いじゃないのって?確かにそうなんだけど・・・「囲碁であそぼ」が好きだから、日本棋院が作ってるからあのアプリで棋力を計りたい、とか色々な理由でどうにも踏み出せない。

詰碁が楽しい・・・と思っていたら、詰碁にも崖がある

詰碁は結構好きです。
今一番好きなのは、

そんなに難しくないし、対話形式だから1人でやっている感じしないし、絵も可愛いし楽しい。解説もわかりやすい。今の所、この本に関しては挫折していない。

詰碁に関しては、最初に日本棋院の

から始めて、「0から始める囲碁トレーニングの1〜4」と「基本がわかる囲碁トレーニング3」くらいまでは順調にやってきたけど、

「0から始める囲碁ドリル」の方は4後半のナカ手のあたりから(ナカ手の基本的な形は理解してるけどわからない)、「囲碁トレーニング3」は連結のあたりからわからない、わからない、わからない。
解説が短く3行しかないので、同じところで間違える。
「やさしい詰碁」(全然優しくない)と高尾先生の「やさしい囲碁トレーニング」も並行してやっているけど、レベル2くらいではてなマーク。

なぜそれが正解で、自分の考えた手がだめなのかわからない。
白がどうしてそこに置いたのかがわからない。

実際に石を並べてみて考えても白がどういうふうに置いてくるか(最善手)が分からないことが多くて、そこが難しくて詰む。詰碁だけに(苦笑)

一番凹んだのは、「くま詰碁」とかでもできないこと。初級ですよ。それでも3割は分からない、なぜだめなのか理由も出てこないからほんと詰む。詰碁だけに。

碁会所とか行く勇気ないし、一緒に碁をする人がないという人の未来

おじいちゃんもいないので、一緒に碁を打つ人はいません。
よく「上達するにはとにかく打つこと」と書いてありますが、まず無理だし。ネット対戦も六路しか分からないしできない(そもそも今ですらAI相手に心が折れているのに、実際の人間と対戦とか恐ろしい)。
どなたかのブログに「棋力が20級で碁会所に行ったら嫌な顔をされた」と書いてあったので、そんな思いしたくないし、ますます行かない。そもそも社交的なキャラでもないので、いきなり知らない人ばかりのところに入って行くのはハードルが高い。

それって、碁をやる意味なくね・・・。
きっと楽しさを知ることもないよね。
何のために囲碁やってるの、未来を考えた時また凹んだ。

というか、よく考えたら昔から対戦とか苦手だったじゃないか、自分。
剣道をやれば、稽古では上手い方なのに、大会に出ると初戦負け。
一時期流行った対戦ゲームも、攻撃とか守りとかしながら技出すとか無理だし勝てない。
勝負事に向いてないからだめだったのか。

囲碁の将来を憂う

まあ、自分のようなかじっただけの初心者に言われたくないでしょうけれど、「囲碁人口がやばい」とかいうのは、きっと同じような人がいるのではと。
田舎だからか、自分の家の周りには初心者向け囲碁講座すら無いわけですよ(子供向けならあるけど、対象は子供のみ)。
子供の学校にも、将棋部はあっても囲碁部はない。
初心者が気軽に入門できる場所がないと、やっぱり残念ながら衰退するんだと思う。趙治勲先生も書かれていたけれど、やっぱり囲碁っておじいちゃんから孫へと教わって伝わるものだと思う。しかし、残念ながらその機会を失してしまった大人はなかなか続きにくい。

囲碁の本も、結構崖があって、「超入門(ルールの説明)」の次は「初段を目指す」になっていることが多い。そして初段以降やら19路向けの本ばかり。
ルールはわかった、初段までは行かないけど、その間にも親切なものはないものか。
それでも今は昔よりは入り込みやすくなっているんだと思う。例えば、吉原由香里先生の本は本当にわかりやすい。他の本には具体的に書いてなかったけれど、この本の欠目の説明は一番わかりやすくて、格段に詰碁ができるようになった。

最近は、吉原先生のほか、上述の「まいにち詰碁」みたいにとっつきやすい本も増えてきたので、もう少し待てば状況も変わるかもしれないけれど。

ということで、長くなったけど、囲碁をやめようと思うけれど・・・。
やっぱり将碁友の会の「今日の詰碁」をやってからやめるか。

(という、ただの長大な独り言でした。ここまで読んでくださってありがとうございます。コメントが欲しくて書いているわけではないので、悪しからず)


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