博士課程中退して、個人事業主やったりフラフラした1年間の話


博士後期を中退しても生きていく道はある。
ただ、そう伝えたくてこの記事を書きました。誰かの参考になるとよいなと思います。
就活において、ごく当たり前のことも本文中には書いてはあるけど、私のように、学部卒から修士にかけて就活をまったくしたことのない人間が就活するには、いろいろな知識が必要でした。みんなが、学部で聞いた就活セミナーやSPI(これ自体もよく知らなかった)対策、就活マナーなど、何一つ知らないのです。。。。
そいうことも含めて、全部書いたと思っていただけますと幸いです。

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大学院を退学して~正社員なめてました~


わたしは、2020年春、大学院博士後期課程6年目で大学院を中退した。
中退したのは、アカハラと大学当局からのパワハラ(アカハラ相談したことが、指導教員に伝わっていた等)によってメンタルの調子と体調を崩して入院したまさに身も心もボロボロだったときだ。

当時、28歳。職歴はない。また、伝手もない。
父も母も兄もみんな教師だ。就職に関して頼れるあてはなかった。

唯一、当時地方で議員をしていた叔父に伝手がありそうだったが、それに頼ると、車でしか通勤できない場所で、外界から隔絶された職場しかなかった。私の性分では働けても続かないと判断し、その伝手はなかったことにした。

これまで、人が聞いてあきれるほどアルバイトだけはたくさんやってきた。主な事務ツール(Excel、ワード、パワポ、弥生会計、ワードプレス、ドリームウィーバーなど)も一通り使えるし、接客も電話対応もなんだってやってきたし、バイト先ではそれなりに評価されてきた。きっと就活はなんとかなるだろうと思っていた。

アルバイトを長くやっている人で正社員になっていた人をよくみかけた。そいうい道もありだろうと思ってたし、正直私より仕事してねぇと思った正社員はいくらでもいたので、正社員になることは、ある程度の仕事への貢献と信頼が認められたらなれるんじゃないかと思っていた。過去に、正社員にならないかと誘われたことさえあった。

そもそも周りを見渡してみれば、友人のほとんどが正社員で採用されていたし、派遣社員から正社員になろうかという友人もいた。
求人広告を覗けば、正社員募集はわんさかでていたし、派遣サイトをみても「正社員前提」職がこれでもかとあった。
お給料に違いはあれど、職はこの世にあふれている。

これだけバイトもしてきたから、社会での仕事をすることは何かできるだろう、そして学歴だけは西の雄、京都大学大学院修士卒(博士中退)なわけで、申し分なかろうと思ったのだ。

そこでまず、正当に就活をすることにした。
老後のことを考えたら厚生年金や社会保険対応の正社員が絶対によかった。親も「どこでもいいからとりあえず、正社員になれ」といった。

余談だが、困ったことがあった。就活サイトに登録しようと思ったとき、博士中退のわたしはまず「新卒」であるかどうかというところだ。新卒というにはトウが立ちすぎている。かといって、まとまった職歴があるわけでもなく、「既卒」とするのはどうかということだ。

いざ、就活へ。
直感として、就活には大雑把に5パターンある。
①大手就職サイトなどに登録し(担当がつくこともある)、ひたすら応募することと、②タウンワークやindeedなどの求人サイトからひたすら応募する方法、③ハローワーク求人に応募することである。④知人友人先輩など、伝手とコネを総動員する方法⑤起業し自らを雇う方法。である。

①多くの場合、大手求人サイトなどに企業が募集要項をだすには料金がいる。新人の応募にお金をかけられる規模の企業が集う。ここには正社員職の募集が多く、アルバイトや派遣職の募集は比較的すくない。福利厚生があって、社保完備の優良企業(すくなくとも募集要項上は )が集う。

②掲載料金が一部無料であるような、例えばindeedなどは、求人にお金をかけられない、個人経営の会社、スタートアップ企業、個人事務所(税理士や行政書士など)が多く掲載されている。

③そして、ハローワーク求人である。いわゆる職業安定所。国は勤労の義務を国民におわせているので、職のあっせんは公共事業なのである。ハローワーク求人は掲載料をとられず、企業側からするとハローワーク職員が本人と面談してくれたり、かなり企業にとってはお得な求人募集の場である。中小企業がおおい。

この①~③の中では、それぞれに①既卒②新卒③既卒という扱いであった。④と⑤は既卒新卒の区別は基本的にはない。
ただ、この場合、既卒という言葉にそれほどに意味はなく、「既卒に値する年齢」であるだけだった。既卒といえど、職歴はないので、結論からいうと既卒・新卒の区別は特に考える必要はなかった。

それぞれの求人に応募した感想を述べたい。
まず、私の希望求人要件はこうだ。
・勤務地:関西(奈良から2時間以内)
・業種未経験可
・職種未経験可、営業職を除く総合・一般問わずすべて。
・年収350~以上、ただし年収が低いほど勤務時間は短いようにする。
・業界:IT、製造、会計、環境事業系など幅広い業種
・休み:120日以上
・勤務時間:問わず。18時までならうれしい(本当は17時がいい)。
・残業:問わず。残業代くれるならなんでもいい。
・NG:立ち仕事の多いような職種:例えば飲食店や小売販売店
最も重視する項目:年収

①私はいくつかの転職サイトに応募した。これは応募者にそれぞれ担当者がいて、応募者からヒアリングした内容をもとに、応募者に最適な求人を提案してもらう方法だ。結論として、コロナがはじまった2020年初頭は就職市場に極北の風が吹いていた。いくつかの大手企業が大幅な人員削減をおこなったり、給与額が落ちた会社もあるという。

当時、転職サイトは、そのような人たちを多く受け入れていてめちゃくちゃ繁盛していた。しかし、私のような職歴なしには厳しいわけだ。つまり、職歴があってそれなりの企業につとめていた実績があって、コロナという自分の責任ではない範囲でクビになったという、求人会社には渡りに船の状況で、これらの人々がつぎつぎに条件のいい職場をかっさらっていった。
求人者もそのような人たちが多く応募してくるもので、企業にとっては、わたしのような職歴なしは門前払いだった。およそ150社くらい、クリックして応募した。応募すると、企業に履歴書や職務経歴書が送られる仕組みだ。レスポンスがあったのは1件。IT系の企業だった。2次面談まで進んで落ちた。

ちなみに、IT系の企業は未経験可の求人が多かったが、そのほとんどが30歳以下、33歳以下でなければ応募できなかった。如実に年齢の壁を感じた。

あるサイトのエージェントには「(職種の希望は)企画とかじゃなく、なんかどこか小さい会社の事務でもやってから求人サイトに登録したらどうですか」と言われた。事務職も小企業も小ばかにした全く失礼な発言には閉口した。それも、そのエージェントは50代で業界経験も長いらしかった。電話面談では、エージェントのプロフィールを2時間気かされて、自慢を聞いた最悪のはずれ籤となった。

また、その他の転職サイトも希望とは全然違う、たこ焼き屋さんとかラーメン屋さんをすすめられたりした。その転職サイトでは、エージェントに履歴書を提出すると、いい感じに訂正してくれて、案件に応募してくれたのだが、連絡が遅かった。1件落ちたら、そのあとは「おすすめ企業」に飲食をだしてくるようになった。
飲食は希望していなかった。わたしは足が悪いので、立ち仕事を長時間することができないとは伝えていたのだが。エージェント側もこっちもヤケクソになっている感はいなめない求人活動だった。
ちなみに、その求人でおススメされた全職種のなかでたこ焼き屋さんが一番提示されたお給料が多かった。たこ焼き屋さんは儲かるのかもしれない。
そして、どのエージェントにも「関西には仕事がない」と言われた。
そんなわけあるか!と思った。事実上のエージェントからの打ち切り宣告である。

②一般求人誌をはじめとした就職サイトからの応募は、①よりもレスポンスがよかった。中小企業を中心として、税理士、会計士事務所等の士業の事務職や補助職も多かった。
応募して返信が帰ってくる(採否問わず)確率が高く、応募してもロクに返信がないような求人は多くなかった。また、余談だが、現在はフルリモート案件などの掲載が多いようである。

③ハローワーク求人は、基本的にハローワークを通して就活をする。ハローワークで、職をある程度ピックアップしてもらえることもあるし(提示程度)、自分でハローワークのサイトに掲載されている求人情報に応募することもできる(ハローワークからの紹介状が必要になる)。
これで応募もした。最終的には紆余曲折を経てハローワークで就職できたが、これは1つ職についてその後のことである。後述する。

なぜ、就活がうまくいかなかったのか

こうした、一般の就活がうまういかなかった理由を考えたい。
まず、私についての条件的な問題だ。
1.年齢の壁
当時わたしは28歳で独身だった。28歳というと、結婚適齢期である。
企業側からするといつ結婚して(そして出産)してもおかしくない年齢である。
企業側からすると中途半端に職につき、そこそこ何も覚えないうちに産休などというリスクがあろう。

2.社会人経験のなさ
私は、まぎれもなく纏まった職歴がなかった。アルバイトでたくさんの仕事をこなしてきたのは上述の通りだが、1社に所属して、いわゆる「社会人経験」をしたことがなかった。
しかし、これには納得がいかない。アルバイトとして、懸命に仕事をこなしてきたし、社員と同等の仕事をしてきたことも多々あった。(社員もそれを認めたケースがあった)
これを社会人経験なしととらえられるのは納得がいかないのだが、就職市場ではそうなのだからまぁ仕方がなかった。

3.京都大学というオーバースペック
一見、高学歴は就職に有利に働くように思える。しかし、実はそうではない。
「扱いづらい」のだ。ある企業に就活に行った時の話だ。
「カモハイさん、弊社は小さい企業でカモハイさんのような立派な学歴の方がくるような場所ではない。弊社にとって申し分のない人材になろうとは思うが、弊社よりももっといい会社で活躍できる」と断られたことがある。
ちなみに、これが現職の会社の面接であった。(2つ職を経て現職)。現在の就職先はどちらかというと高卒の求人がおおい会社である。
その中で京大という学歴はなにかよくわからないめんどくさいものだったのだろう。

4.業界研究等の活動をしていなかった
私は、転職サイトや就職サイトで自分の条件にあった会社を片っ端から応募していった。
一方で、なぜその職種なのか、なぜその会社に就職したいのかなどは一切考えなかった。
同時に、キャリアイメージがまったくなかった。
当時は、なんでもいいから雇ってくれるとこを探していた。正直、正社員として雇ってくれるのなら、なんでもよかった。
別に嘘でも良かったから、適当なキャリアパスを考えてから応募するべきであったと感じる。
また、はじめは就職先が決まらずメンタルが悪くなっていったが(そんなに価値がないのかとか考えた)、100社に断られてから、ふっきれるというか、ヤケクソな気持ちになってきた。

職種を絞る

こうして、ひたすら応募ボタンクリック大作戦ではどうにもならぬことに薄々きがついてきた私は①のエージェントがつくような就職・転職サイトの利用をやめた。
次に着手したのが、②の一般求人誌への応募である。主に、Indeedを利用した。

ここで、次に私が考えたのは、職種を絞ることである。
職歴もなく、(金もなく)、経験もない。ならば、自らの手に職をつければよいのである。
ここでいう手に職というのは、もっぱら資格職のことである。
今から頑張っても取れる資格。しかもホワイトカラー関係(繰り返すが左足を2箇所手術していて完治しておらず、肉体労働は無理だった)。だとすると、士業がよかろうと思われた。

士業、士業、と考えてみる。
弁護士・・・今すぐ金銭に換算するのは無理。膨大な勉強時間がかかる、却下
公認会計士・・・そもそも資格を手に入れるのに実務経験がいる、却下
介護士・・・身体的に無理、却下
看護師・・・身体的に無理 、なるまでに時間を要する。却下
行政書士・・・・アリ。だが、行政書士単品での求人がすくない。(弁護士がその資格をもっていることもあり)、却下
税理士・・・これはすごくあり。未経験でのアルバイトや正社員の求人が非常に多く、会計計算はコロナ関係なく仕事が恒常的にある。

というわけで、税理士業界に的を絞った。
これが、大正解だった。
わずか3社目で職がきまった。3月のことである。
税理士業界は常に人手不足かつ、正社員の募集が多かった。
面白いことに、税理士業界の人手獲得のためか、社内福利厚生がユニークなところも多かった。
例えば、17時の定時をすぎたら会社の冷蔵庫から自由にビールが飲めたり、ビル付属のスポーツジムにタダで使えたり。
大手事務所はそのようなところがいくつかあった。
私は、これらの大手事務所には落ちたが、大阪のある税理士事務所に契約社員として採用された。

このときの税理士事務所は、かなり人手不足状態だったが、良い事務所のように感じた。
わたしの学歴もかってくれた。
ようやく、腰をおちつけて仕事ができると大喜びしたことを思い出す。

しかし、入社1ヶ月、一番若い正社員が罵詈雑言で税理士先生に怒られてるのを毎日きいて、私はドン引きしてしまった。
当時、アカハラの傷がまだまだ大出血状態だったので、完全にわたしはひいた。

税理士事務所というのは実は税理士が1人だけでもいい。他の実際に労働する人員は10人くらいいたりする。そのような人の多くが、税理士試験科目合格者だったり、記入だけするアルバイトだったりする。

逆に言うと、最終的に確認の必要なことは税理士ひとりの負担になる。
これは、税理士その人が大変な労働をすることになるのを意味する。
私の事務所はそれが顕著だった。1ヶ月、税理士先生は家に帰っていなかった。事務所で仮眠をとって、近くの銭湯で汗をながす。
ストレスは恒常的にたまり続け、その発散口のように一人の正社員を責めていたようにしかみえなかった。

私はたまたま?皆さんによくしてもらい優しく丁寧に指導されたが、毎日その正社員への罵倒を聞くのが本当に辛かった。
逃げなければ、と思った。
しかし、なんとか踏みとどまっていた。だが、最後の1手に、その税理士事務所が危ない橋を渡ることが(守秘事項なのでいえない)通知された。

もはや、あのつらい就活をもう一度することになっても、すぐに辞めたかった。
そして、ついにその税理士事務所をやめてしまった。6月のことである。

辞めたあと、ひとまず旧知のアルバイト派遣会社にお世話になり、年度末までの仕事をなんとか獲得した。
一方、詳しくは言えないが、その職もコロナ関係でできた職でいつなくなるやしれなかった。
期限は年度末までであった。

そして、個人事業主へ

そして、考えついたのは「もはや個人事業主になればいい」という考えである。
個人事業主は、いうまでもなく、会社から直接委託をうけて個人で仕事を請負う状態のことである。
わたしは、たった3ヶ月のなけなしの会計知識で、ある介護関係会社の経理兼雑用の業務委託をうけた。これはindeedで拾った職である。
検索サイトで「業務委託」と検索すればこの手の職はかなりある。これらから自分のスキルでできそうなことを一つずつすくい上げていく手法だ。
狙い所は、小企業や家内企業。人手がたりないが、常に雇っておくほど資金力はないところでスポット的に仕事を獲得していく。
これが、うまくいくとちょいちょい仕事がはいるようになってくる。
私は会計業務以外にもなんだってやった。中には業務委託で庭の植木の水やりまでやった。ちなみに庭というが、城みたいな家の庭である。
その他にはちょっとした画像編集やIT関係の設定などである。

なかなか、滑り出しは好調だったが、個人事業主はしんどいことが1つある。メリットでもデメリットでもあるが、「仕事をしているのは自分ひとりで、締切に間に合えばいつ仕事をしてもいい」という点である。つまり、他に仕事をとっても時間配分だけでも自分でできればいくらでも仕事をとってこれるし、将来的には自分のやりたいことだけやればいいのだ。
一方で、自分の能力全振りで仕事をとるので、だれも変わりがいないこと、また基本的には再委託(委託をうけた仕事を他の人にさらに委託する)することは禁じられているところがおおい。

まだ、体調が万全ではない私にとってはかなり厳しい状態にどんどん陥った。個人事業主になるにはその時は十分な体力がなかったのだ。

三度再開された就活

季節は冬の足音が聞こえ始める11月。
私は焦っていた。

私は、ひとまず、1度目の就活で足が遠かったハローワーク求人と成功体験のあるIndeed求人に的を絞ることにした。
ハローワーク求人は、わりとひどいものだった。
額面が17万/月など、給与待遇の低いところがあまりにも多すぎた。また、月20万円以上の額面給与をもとめて検索すると、その殆どが介護士と看護師、そして鳶職人といった感じであった。
前述の通り、体を酷使する仕事には到底つけない私であった。

indeed経由で断られたり、面接にいったり、落ちたりした。
その間、ハローワーク等の様々な媒体を見て懲りずに応募しまくった。

そんなとき、某大学での研究助手のしごとがハローワークにでていた。
通常、アカデミア関係の職はJrecというサイトに集約されている(余談だが、ここで大学関連職にも履歴書をだして全落ちしている)。
しかし、はぐれメタルのようにこの職はなぜだか、ハローワークにでていた。今も理由がいまいちわからない。
英語のテストやITの知識を募集要項で求められており、ダメ元で応募したところ、あれよあれよという間に職がきまった。
こうして、1年間なんとか暮らすことができたのであった。

余談だが、その後前に就活していて好感触で内定出すとまで言われたところに落とされて、さらになんか内部事情があり、私が大学就職後にヘッドハンティングをうけて現職についている。

就活中はアルバイトをずっとしていた。なお、このときの収入は今の2倍あったが、コロナ関係職でもういまはない。
IT関係の仕事で、依頼がくれば仕事をするが、待機の時間が多くその時間を何にあててもよかったため、わたしはひたすらその時間を就活にあてていたという状況である。


最後に、博士課程を中退してすべてが宙ぶらりんに感じながら社会からどんどん隔絶していくような気持ちだった当時を振り返ると、定職はいいものだなぁと思う。
また、就活はいくら「博士号」をもってなくても、中途退学でもぜったいに「自分にはこれが向いてる」という世界を諦めてはいけないと思った。

あまり、ひとの参考にならないかもしれないが、このようにして就活を行った。
誰かの参考になれば幸いである。


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