鬱っぽい院生が大学院から脱出するまでの6年間(抑うつとの出会い編)

まえおき

はじめまして、こんにちは。
 Twitter界隈で活動している鴨川を徘徊する魔女と申します。ながいので、カモハイと呼んでください。
 さて、さっそくですが、私は2020年3月で大学院博士後期課程を中途退学いたしました。この博士課程在学期間中は非常につらく、タイトルの通り、鬱様の症状をきたし、ついには体の調子が(つまり身体的に)破綻し、入院するに至りました。
 そのような状況に陥ってた過程と振り返りをおこなう記事です。
この記事について、色々、博士課程で病んでしまっている人に、わたしの経験を共有したいという気持ちと、かっこ悪いところをTwitterのように断片的ではなく説明含めて詳細に晒しまくるのもちょっときがひける。という二つの気持ちが鬩ぎ合っております。ですので、有料とすることにしました。
 あと、めっちゃ正直に言うと2020年3月現在、わたしはコロナショックで突然入ってたシフトがすべてなくなり、ほぼほぼ無職状態でで求職活動するにもお金がかかり財布が天に昇ってしまったというのも関係しています。どうでもいいですが、3月の月給は1.8万でしたw無事、死亡です。(無給は5月末まで続きました、現在も故あって再び薄給生活です)(※2021年現在、念願の専門分野での研究関連職に就くことができました)
 ところで、わたしをTwitterを通して認知頂いているかたには「アカハラ被害者」としての一面があることと思います。
 今回の記事にはアカハラの内容については、鬱っぽくなった原因の一つとして分析していく際に触れるだけで、アカハラそれ自体についてまとめたものでも、アカハラを告発するものでもありません。
あくまで、鬱っぽくなってゆく自分を回顧し、分析していく、というスタンスで本記事を書きますので、あしからずご承知おきくださいませ。
 また、できるだけ「どのような状況下で」「どのような症状が」「どの程度あり」「なぜそうなったのか」を考えるにあたり、詳述することに注力しているため、非常に長い文章になっております。
 そして、文章にしたからには「鬱病」っぽいなという人の何らかの参考になれば良いなという思いが強く、回顧と同時に、何かの一助になればという気持ちで書いています。

 そして、大変長らくお待たせいたしました。本文を執筆するにあたり、もはや記憶が曖昧な部分や思い出せるんだろうけど脳が拒否している辛いことを思い出すのに時間がかかりました。今はようやく自分を受け入れることができていますが、鬱状態というのは自分としては受け入れがたいものでした。同時に、よく鬱と診断されて安心もしました。結果として、本文はかなり感情に揺さぶられた雑い文章になりました。ちょっと変な感じに短いですが、よろしければお付き合いくださいませ。


本記事は以下の3部構成となっております。
1.抑うつとの出会い編
2.抑うつ闘争編
3.抑うつ回顧編
第二編の公開は未定です。反響の多さでたぶん書くスピードがめっちゃアップすると思います笑

*本記事は予告なく無料公開、自己引用することがあります。ご了承いただいた方のみ課金ください。
以下より本文となります。


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●本文における用語の設定について。
まず、なぜ私が「鬱」はなく、「鬱様の症状」と表現するかについて申し添えたい。
私は現在心療内科で睡眠導入剤を処方されているが、それはあくまで不眠の問題を解決するためのかかりつけであって、鬱と診断されたわけではなさそうである。というのも、休学の際に諸々の手続きでその際にかかっていた病院すべての診断書をうけたのだが、心療内科では「不眠症」「抑うつ状態」と書かれていた。抑うつ状態と鬱病との違いは専門の方にまかせるが、はっきりと「うつ病である」と診断されたわけではなく、なんかこれって世でいう鬱っぽい感じだな、という意味で私に現れた症状を鬱様と表現・定義している。
なお、このサイトで使われる用語は、医学的な用語を正しく使えているかどうかはわからない。ご助言をいただいた場合、随時訂正・加筆・修正を行っていく予定である。
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