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2か月の休職を終えて

社会人7年目にして人生初の適応障害(≒軽度のうつ病)を発症し、会社を休職することになった。

そして2か月間の休職を経て、明日から復職する。復職後に、この期間に行ったことを忘れないためにも、この2か月のことを文章に残しておこうと思う。


なぜ普通に生きることができないのか

ストレスを抱えやすい性質だった。

その最たる根拠が、体調不良での休職者率は恐らく年間で1~2%前後の職場環境で、パワハラや長時間労働などもない中で、自分はその100人の1人になり、休職した事実である。

その特性がゆえに、16歳の時から心理学に興味を持ち、大学では心理学を専攻し、社会に出ても人の心について学び、考え続けてきた。

それでも持続的に幸せに生きるというのは難しいもので、理想の会社に転職して、大好きな人と結婚して、大好きな京都に移住したのにも関わらず、メンタルダウンしてしまった。

それは転職が、結婚が、京都が要因では断じてなく、その3つによってストレスは減り、幸せな日々が増えたのにも関わらず、メンタルダウンしてしまったので、いよいよ環境でなく自分と向き合わざるを得なくなった形である。

なぜ普通に生きることができないのだろう。

その問いに答えを出すための2か月の旅が始まった。


休職中のこと

休職中は本当に様々な体験をした。

症状が落ち着いても、生き方、考え方を根本から変えないとまた再発してしまう。医者は症状を治すことができても、人生の舵取りを行うことはできない。

だから、自分の心と向き合い、これからの生き方を模索するために、色んな本を読み、1人旅をし、新婚旅行で北欧を旅(休職前に飛行機を予約していたため)し、コーチングを受け、キャリアブレイク合宿に参加し、色んなイベントに参加し、色んな人と出会ったりした。

2か月間で深く対話した(30分以上話した)休職経験者の数は20人を超え、多様な生き方、経験に触れながら、2か月間を過ごした。

その過程で、時に絶望し、心を痛めながらも、感情のデータを多く集めたことで、何とか社会復帰後も前向きに働ける考え方を、体得することができた。


「感情を受け止めよう」は難しい

メンタルダウンした原因を探ると、感情の抑圧に起因していた。

SOSを出しても「頭」に聞き入れられないとすれば、「心」は次の手段に打って出ます。「心」は一心同体の同盟者である「身体」に協力を要請し、何らかの身体症状を出現させることで「頭」に危機的状況にあることを知らせようとするのです。

「うつ」の効用 生まれ直しの哲学 (幻冬舎新書) | 泉谷 閑示

具体的には、本当は「心」が辛かったのに、

「俺は辛くないぞ!かすり傷だぞ!失敗は成長のチャンスだぞ!落ち込んでいる暇があったら次の行動をした方がいいぞ!」

と頭で言い聞かせることで「心」がブチ切れて「身体」に痛みを与えたという論理で、メンタルダウンしたという理解が、私の経験したことと合致していた。

ゆえに、体調を回復させ、再発を防止するには、「辛い」「悲しい」「怒り」の感情を受け止めることが大事である。抑圧をしないように、生きていこう!


なんて簡単に実践できるのであれば、そもそもメンタルダウンはしていないのだ。

この書籍を初めて読んだのは休職時でなく2年前だし、抑圧が体に毒なことは知っていた。それでも、人生は抑圧しなければ、生きていけなかった。

傷付くたびに顔に出たり、正直に言葉にしたり、生産性を落としていたら、仕事もプライベートのままならない。だから感情を殺すことで、仕事やコミュニケーションを円滑にする。

そもそも傷付かないように、成果を出す。好かれるように振る舞う。他人と比較して優位に立つことで安心する。そのためにも、感情を殺す必要があった。

人より繊細な自分は、そうすることでしか、社会との接点を持つ方法がなかったのだ。


繊細さの正体とは

しかし、困ったものである。

抑圧によってメンタルダウンしてしまったのであれば、抑圧しなくても良い生き方を探さなくてはいけない。思いつく方法は下記の2つだ。

①ストレスを受けにくくする
②抑圧しなくても良い生き方をする

まずは①ストレスを受けにくくすることから着手することにした。そもそもなぜストレスを受けやすいのかを下記書籍の内容から紐解くと、

幼少~少年期(3~15歳)に感じた強い痛みが2度と起こらないようにするためである。

具体的に幼少期の傷を振り返って、特に深そうなのは下記の2つだった。

・自分の考えは分かってもらえない
・強くならないと攻撃されてしまう

つまり「分かってもらえない」「強くない(成果が出ない)」現実が目の前にあると、身体がトラウマをフラッシュバックさせ、

「このストレスが嫌なら周りを認めさせなさい」
「このストレスが嫌なら強くなりなさい」

とストレスを通して脳が心身に痛みを与えることで、その痛みから逃れるために行動を搔き立てていたのである。

実際にいい意味では、その強いエネルギーのおかげで、高校受験、大学受験、就活、転職、結婚まで、ほぼ失敗なく自分の思い描く未来を手にし続けることができた人生である。

独身の時にnoteでフォロワーが1,000人(別アカウント)を超えるくらいまで発信していたのも、分かってほしいという衝動が強かったからである。

その代償で、些細な少しでも「成果が出ない」「分かってもらえない」と感じると強いストレスを感じる体質になっている。


過去の痛みを癒して再体験させる

しかし、現在ではありがたいことに、分かってくれる妻がいて、強くなくても攻撃されない環境もある。

それでも、脳が勘違いして痛みを感じてしまう状況に対しては、1つ1つ過去の痛みを思い出して癒すことが効果が高かった。

・怒っていたけど、話していると心が落ち着いた
・悲しかったけど、話していると心が軽くなった

ことに代表されるように、人の感情は表出させることで、落ち着く特性を持っているようである。

何度もタイムマシンで過去に遡り、過去の辛かった経験を思い出し、身体が痛みを感じるまで当時の感情に共感し、当時抑圧した感情を表出させるワークを行うことで、少しずつストレスを受けづらい体になってきた。


ストレスを愛する

続いては②抑圧しなくても良い生き方を考えた。結局①ストレスを受けにくくはできても、完全にストレスが消えることはなかった。

「強くなくても大丈夫」
「分かってもらえなくても大丈夫」

と解脱し、仏のようなマインドで生きていければ幸せになれると思っていたのだが、生憎、

「強くなりたい(≒成長、変化を楽しみたい)」
「人と繋がりたいし、認めてほしい」

と思う感情もあり、それが叶わないがゆえに感じるストレスも多分にあった。

そもそも、よく生物学の視点で考えると、上記の欲求はごく自然な欲求である。強くなりたい、人と繋がりたい、という感情は子孫繫栄のために必要不可欠である。

それが達成できない時にストレスを感じるのも自然なことである。そう考えると今まで「悪」と捉えて排除しようとしてた「ストレス」を「善」と捉えて、ともに生きていくのが良いと理解した。


恐れを受け止めること

「強くなりたい」感情は大事だけど「強くならなきゃ」と思ってストレスをかけすぎるとメンタルダウンするなら、どうすればよいのか。

の問いに対しての答えにも辿り着いた。

・「欲」と「恐れ」の判別を行うこと
・欲なら遠慮せずに表現すること
・恐れからは逃げないこと


例えば、強くなりたいにも、

・仲間の笑顔のために強くなりたい(欲)
・成長そのものがとても楽しい(欲)
・無価値な自分になるのが怖い(恐れ)
・お金が無くなるのが怖い(恐れ)

のように2つのエネルギーがある。これらをしっかりと判別することで、良い意思決定ができるように思う。

欲ならば、思う存分表現すればよい。「強くなくても大丈夫」と無理に抑圧する必要もないし、好奇心を否定せずに行動することで、より理想の未来が手に入る可能性が高まるはずだ。

一方で、恐れならば、過度に対処しすぎずに、恐れを受け止めるのが良い。「無価値になるのが怖い」から頑張り続けていたらきりがない。「無価値になるかもしれない」恐怖を感じつつも、実はそれは思い込みで「強くなくても無価値ではない」を実感できるチャンスでもある。


弱さが愛されるのかもしれない

1人旅の途中で「働けなくて弱くて情けない」という感情に脳が支配されて、頭では「そんなことない、休養は大切」と思っているのに、心に痛みを感じる日があった。

「なんで自分は弱い自分を肯定したいと思っているのに、脳は否定してしまうのだろう。」

の疑問を解くべく、Instagramの友人宛にストーリーにて、

「自分の心はどうしても、強く、優しく、面白くないといけないと思っていて、それがゆえに体調を崩して困ってるので客観的な意見が聞きたい(要約)」

と弱み全開の自己開示で助けを求めた。

その結果には大変驚かされた。見てくれた人の3割くらいが、コメントをくれたのだ。しかもコメントの中には30分くらい時間をかけてそうなコメントを多く見られた。

長らくWEBマーケティングの仕事をしていたから、この反応率が異常なことはすぐ分かる。

"人は強みでなく、弱みで繋がれる"

今まで頭では分かっていたけど、心で感じられていなかった。それを皆さんの愛を持って、心で感じることができて、"強くあらねば"という重荷を下ろすことができた。

強くない自分でいるのは怖い。

ただ、そんな恐れを感じた時に、強くなろうとするのではなく、敢えてそのままでいることで、新たな体験ができると感じることができた。


「分かってほしい」との向き合い方

同じように分かってほしい自分との向き合い方を考えてみる。

そもそも今までは「分かってほしい」という強い思いがありながらも、「分かってほしい」なんてわがままな感情は出さない方が良いと考えていた。承認欲求なんてダサいと思っていた。

それでいて、分かってほしい欲求が抑えられず、「自分が分かってほしい」→「こうあるべきだ」と論点をすり替えて、無意識に力づくで分からせようとするか、「分かられない恐怖」から対話を諦めて孤独になるかの2択だった。

でもこれからは、

・分かって欲しい感情を肯定する
・抑圧せずに分かって欲しいことを伝える
・分かってもらえない悲しみも受け入れる

ことでより自然体に生きれるようになるのではと考えている。

最近はnoteを100%納得する文章が書けないと、分かってもらえない気がして投稿頻度が急に落ちていたけど、今回は殻を破る意味でも、やや日本語が分かりづらい中で投稿することにした。


今後の目標について

最後に今後の生き方について。

今までは「○年後に○○」と目標を立てて、それを達成するために行動することが多かった。その達成のために、逆算し、難しそうなら時に自分を責めて奮い立たせて、達成してきた。

更にその代償として、振り返ると今より未来を考えて生きることが多く、今の感情をおざなりにして、生きていることが多かった。

ただ、今考えるとそれは心から達成したい未来を描きたいのでなく、将来が不確定な不安から逃れるために、行動してきたのかもしれないと感じる。


だから少なくとも2024年中は、1日1日を幸せに生きること、その過程で達成したことが生まれたら、まずやってみて、違ったら辞めること。そんな不確実な未来を受け容れること。

を大切に生きていきたいと思う。


そして休職中に関わってくださった下記のみなさま。

・爆速で引継ぎをしてくれた同僚
・指針をくれたコーチのMさん
・瀬戸内ライフで出会った方々
・特に夜楽しい時間を過ごしたAさん
・Instagramにコメントをくれた友人
・特にその後zoomで励ましてくれたKさん
・神山町で出会った方々
・学び舎テラス西陣で出会った方々
・特に「休職1ヵ月は足りない」と伝えてくれたKさん
・大学に戻った際に出会った方々
・キャリアブレイク合宿で出会った方々
・「このままだと危ない」と伝えてくれたCさん
・何度も壁打ちに付き合ってくれたYさん
・元気をくれたカメラマンのMさん
・同じ立場としてカフェに付き合ってくれたFさん
・休職中に普段通り接してくれた友人たち

並べてみると本当に多くの方の生き方、言葉に触れて、生き方を再構築することができたと実感しています。お陰様で2か月で元気になり、復職することができました。ありがとうございました。


おわり

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