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第3章 超国家の誕生 第3節 イスラム教の誕生―地理学的環境決定

第1章 ジオポリテイ―ク序説
第2章 古代の戦争から読み解く

第3章 超国家の誕生
第1節 ユダヤ教誕生―中東戦争への因縁と終焉しない戦争
第2節 キリスト教の誕生―キリストの理想に背反する国教化と戦争のマニフェスト化
第3節 イスラム教の誕生―地理学的環境決定
第4節 キリスト教 vs イスラム教―聖戦論の本質

第4章 帝国の盛衰
第5章 日本の古代ジオポリティーク
第6章 領邦国家の成立
第7章 ヨーロッパ大陸から新大陸へ
第8章 大陸の鳴動
第9章 主権国家の変革
第10章 戦争の世紀
第11章 戦後処理
第12章 冷戦後の世界

はじめに

 イスラム教の特徴は、ウンマと名付けたイスラム教信者(以下「ムスリム」という)の共同体が大規模に成長し、イスラム教自身で国家を建設したことである。従って当然、イスラム教が国教であって、国民は「ムスリム」であり、国家の法体系が教義に依拠する。イスラム教が建国した国家(以下「イスラム国家」という)では、国民の価値観がイスラム教に依拠し、国政、国軍、国民がイスラム教で律せられる。

 本節ではイスラム教の誕生とそのかたち、ユダヤ教、キリスト教との関連において考察し、帝国建設、教団の分裂、キリスト教との衝突などのダイナミズムは本章第4節で詳述する。

1 イスラム教のかたち―地理学的分布からのDNA考察

(1) 地理学的考察

 イスラム国家及びイスラム教国は、北アフリカのモロッコ、モーリタニア、セネガル、ガンビア、ギニアビサウ、ギニア、シェラレオネ、マリ、ブルキナファソ、アルジェリア、チュニジア、ニジェール、リビア、チャド、エジプト、スーダン、ソマリア、アラビア半島のイエメン、オマーン、アラブ首長国連邦、カタール、バーレーン、オマーン、サウジアラビア、ヨルダン、レバノン、シリア、西アジアから中央アジアのイラク、クウェート、イラン、トルコ、アゼルバイジャン、アフガニスタン、パキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、東南アジアのバングラディシュ、マレーシア、ブルネイ、インドネシア、東ティモールの諸国である。イスラム国家及びイスラム教国は、そのほとんどが砂漠気候・熱帯雨林気候地帯に存在している。

 即ち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(以下総称する場合「アブラハムの宗教」という・本節第3項に詳述)は砂漠気候地帯に誕生した。農耕発祥のレヴァントやカナンと言った土地の呼び名は「肥沃・豊穣」のイメージを象徴していて砂漠と結びつかない。しかし開墾、伐採、焼畑、洪水など人間の衣食住の活動が土壌の変化をもたらし砂漠化を進めた地域にアブラハムの宗教が誕生しているから、地理学的な同根説を象徴する「砂漠の一神教」という呼び名も理解できる。

 砂漠気候や熱帯雨林地帯のエクメーネは分散し小規模で、オアシス、あるいは密林の一画にそれぞれが集中して点在する。しかも隣り合う部族とは地勢的に遠隔で孤立して集落を形成するから同一民族でありながら秩序、価値観の共有が無く部族間の排他、対立が起きやすかった。イスラム教誕生以前、部族はそれぞれに信仰対象が有って、遊牧・交易を行っているために見られるダイナミックな社会生活と相俟った風俗・慣習を形成して、部族単位で結束の固い社会を維持していた。

 エクメーネ拡大の最終過程は国家の建設である。仲間との距離が至近になく分散して存在し小規模エクメーネが孤立して脅威と単独で対峙せざるを得ない地理学的環境は、生存のための安全保障の弱点であった。従って、相互扶助・共同の紐帯を強化するための国家建設は、安全保障上、地理学的弱点をカバーすることになった。

 この結果、イスラム教は部族の孤立や対立を共通の価値観で連帯に転換させ、ムハンマドから新たなアラブ世界が展開した。他方で、エクメーネの拡大があっても長い期間をかけて培った排他、孤立するDNAは変わらず、独自のイスラム世界を構築した。その結果、アラブ世界固有の民族精神は、他民族の文明と相容れ難い「イスラム国家=イスラム教」の独自性を残した。アラブのエクメーネはこうしてイスラム教の価値観を共有、「ウンマ」を確立、イスラム教の「環境決定論的必然」の典型的世界を生んだ。

(2) ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ

 イスラム教誕生の主導者であり預言者であったムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(570頃-632・以下「ムハンマド」という)は、神の啓示・神の言葉を伝えた大天使聖ガブリエルに導かれ、イスラム教教義の核心となる「神の啓示・神のしるし・神の言葉を記した『コーラン』や言動規範となるムハンマドの言行や教えをまとめた『ハディース』を国家の法源として「イスラム法=シャリーア」に据え、ムスリム集団をムハンマドの優れた政治的、社会的、宗教的、軍事的能力で牽引した。

 イスラム教では、ユダヤ教のモーセ、キリスト教のキリストは、一神教における預言者であり指導者である。ムハンマドは、その歴史の流れから、イスラム教において「最後の預言者」と呼ばれる。

(3) イスラム教団と軍団

 イスラム教誕生の過渡期においてメッカの商人たちはムスリムと対立した。ムハンマドを受け容れたメディナへの聖遷後、メディナはムハンマドが率いるムスリム軍団と連合してメッカを相手に、加えてムハンマド軍団は対立する交易商人や遊牧部族を相手に戦うことになった。

 624年のメッカとの緒戦において3倍の敵を相手にする不利を覆し勝利したムハンマドは、メディナ聖遷の年をイスラム歴元年とするイスラム歴9月の勝利を記念して「断食月」を定めた。 
メッカ側の攻撃に劣勢を強いられることもあったが、ムハンマド指揮下の1万人規模に成長した精強ムスリム軍団のメッカ攻撃は、630年の決戦において戦わずしてメッカの降伏を促した。メッカに帰還したムハンマドは、カアバ神殿の360の神像・聖像を破壊し捨て去り、メディナに次いでメッカを聖地化、支配を確立した。

 ムハンマドが教導した価値観の共有はムハンマド軍団の戦闘意識を高揚させた。アッラーの下に軍団の将兵個々の命がけで戦う「意識=使命感」は、ムハンマドが定めた「六信(信仰の対象:神・天使・啓典=コーラン・使徒・来世・運命)五行(ムスリムの義務:信仰告白・礼拝・喜捨・断食・メッカへの巡礼)」によって強化され「死にたくない傭兵集団の戦闘組織」に比べて圧倒的に精強な戦闘集団を形成することになった。

2 イスラム国家の膨張
 
 ムハンマド没(632)後、イスラム教はウンマが国家(王朝)の規模に成長した。

 イスラム国家ではイスラムの教義『コーラン』が憲法、ムハンマドの言行を規範とした『ハディース』が法律の役割を果たす。これら二つは「シャリーア」と言いイスラム国家の法体系(イスラム法)を成し、統治の基礎、ムスリムの行動規範となった。
 このように政治や社会がイスラム教の教えに従って秩序化されている国家が「イスラム国家」である。他方でムスリムが圧倒的多数を占めるが「世俗主義」を謳い「シャリーア」を用いない国は「イスラム教国」ではあるがイスラム国家ではない。今日ではトルコ共和国やインドネシア、マレーシアがイスラム教国である。

 ムスリム集団の拡大は軍団の増強にもつながり、「食い扶持」の必要量が増大した分、生存圏の拡大が必然になる。その現象はイスラム国家の国力増強に比例し国境線を前進させた。

 イスラム国家の肥大は他国を吸収して帝国化を進めた。止(とど)まることのない「国境線の前進」はアラビア半島から西へ北アフリカ、そしてジブラルタル海峡を渡りイベリア半島、北へアナトリア半島、さらにキリスト教国である東ローマ帝国、東へ西アジア、中央アジアに至った。

 ムスリムは、キリスト教の宣教・洗礼=入信と異なり、証人となるムスリム立会いの下で「信仰告白」を行ってムスリムとなる。さらに父親がムスリムであれば子供はムスリムであり、ムスリムとの結婚は双方がムスリムであることが要件である。従って、ムスリムの家族が増えればその数だけムスリムの自然増加になるから、戦争未亡人や孤児救済の意味もあった一夫多妻制度と相俟ってムスリム人口は増え続けた。現在、世界のキリスト教人口がおおよそ24億人、ムスリムがおおよそ19億人と言われているが、2015年のピュー・リサーチ・センターのムスリム人口の増加予測では、2050年にはムスリムがキリスト教信者を上回り27億6千万人と予測されている 。

 イスラム教の超国家性はキリスト教と異なり、ムスリム人口の自然増加によって潜在的に進行しており、加えて不幸な原因ではあるが、ムスリム難民のヨーロッパ諸国への流入はイスラム教の超国家性の進行を加速している。

 ムハンマド没後、「最後にして最大の預言者」の後継が存在しないことは自明であり、ムハンマドの代理者としてイスラム法学者が「指導者」に就任することになった。しかし指導者は「血族の踏襲」なのか「実力実績」か、その指導者選抜のコンセプトが曖昧なまま、指導者を「カリフ(預言者の代理人)」として選挙制度を制定、選挙によってイスラム国家の王朝指導者を決定するカリフ制が4代(632-661)まで継承された。

 この間、メディナ、メッカに加えてムハンマド昇天の地エルサレムを聖地化した(638)。イスラム王朝は、外征に目を向けペルシア征服に着手(633-651)、統治圏の拡大で生ずる中央集権の脆弱化を補完する軍事都市(ミスル)建設(642)や税制強化を進めた。幾度にも及ぶ東ローマ帝国軍との戦いを優位に進め、戦域に在るシリアおよびエジプトを支配下に置いた。こうして正面の敵はキリスト教勢力に絞られて行った。

 また行政面では、帝国化する領域支配の強化のため、体制の根源を成す「コーラン正典の編纂」を行い、増大するムスリム勢力にイスラム教の価値観共有を定着させイスラム帝国建設、アラブ統一の意識高揚が図られた。

3 アブラハムの宗教

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの総称として「アブラハムの宗教」という表現は、三つの宗教が同根であるということの強調でもある。

 神はアブラハムにカナンの地を与え、「息子イサクを生贄にして捧げよ」に従ったアブラハムの信仰心に応え「星の数ほどの子孫を与える」と約束した(『旧約聖書(啓典の書』)。アブラハムは「信仰の父」あるいは「啓(聖)典の民」呼ばれ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれにおいて「最初の預言者」とされる。

 エルサレムは「アブラハムの宗教」の聖地である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が宗教的にそれぞれの宗旨が言う「寛容と忍耐」を尊重するのであれば互いが争うことはない。しかし現実にはエルサレムの帰属をめぐって犠牲や破壊を伴う事件が絶えない。今日、イスラエルがガザを無差別攻撃しているパレスティナ問題もその一つだ。

 ユダヤ教・ユダヤ人にとってアブラハムの宗教は、エルサレムをシオニズムの象徴として、救世主(メシア)の預言が成就しエルサレム神殿が再建され、「地の全ての国がエルサレムに集まる」(ユダヤ教啓典『ザカリア書』)のである。

 キリスト教にとってエルサレムは、キリスト教成立の最も重要・重大なしるし「イエスキリストの教導・最後の晩餐・磔刑・復活・昇天」が行われた場所であって、ローマ帝国がキリスト教を国教化するとますます重視されるようになった。『旧約聖書』ではキリストがメシアであると預言され、『新約聖書(黙示録)』にはエルサレムがキリスト再臨の王国であると記されている。

 イスラム教にとってエルサレムは、ムハンマドが死に際して「神の意志」によりメッカの聖なるモスク「カアバ神殿」から一夜で「遠隔の礼拝堂(エルサレム)」へ旅をして昇天した場所とされる(『コーラン』17章1節)。その場所が「ユダヤ人のエルサレム神殿が在った場所」であるという伝承は8世紀に至り定着しモスク「岩のドーム」が建設された。
またイスラム教では、「アブラハムの宗教」への信仰が時代とともに曲げられたユダヤ教とキリスト教をアブラハムの純粋な信仰の原点に戻すという教えを重視している(『コーラン』第3章)。

 今日この同根の「アブラハムの宗教」人口は世界人口約80億人の60%近くを占めている。世界地図上に色分けすると、この「アブラハムの『一神教』の色」に染まらない地域はインド以東のアジアだけである。

 日本のカトリック・ミサ聖祭において信者同士が「主の平和」と言いながら挨拶を交(か)わす場面がある。欧米ではキリスト教信者が見ず知らずの相手であっても ”Peace be with you”と挨拶を交わす。

 もともとは地中海地方の挨拶で「あなたに平和がありますように」という気持ちを込めて、ラテン語の “pax vobis” や “pax vobiscum” が挨拶を交わす言葉であった。

 ロシアのハリストス正教会の復活祭に訪れたプーチンもロシア語で「主の平和」を交わしたはずだ・・・ウクライナに武力侵攻を仕掛け無差別攻撃しているにもかかわらず・・・。

 ユダヤ教信者であるユダヤ人は日常から平和を意味するヘブライ語の「シャローム “sholom”」と挨拶を交わす・・・ガザに対して無差別攻撃して止まないイスラエルであるが・・・。

 アラビア語の「アッ=サラーム・アライクム "Assalamu alaikum"」も同様にムスリムが交わす平和を意味する挨拶である・・・イスラム過激派がテロ活動を繰り返しているにもかかわらず……。

 こう考えると「アブラハムの宗教会議」が開催され、全ての人々に「非戦・避戦・停戦」がもたらされる決議が行われ「平和の挨拶」が交わされることを願わずにはいられない。