見出し画像

この恨み晴らさでおくべきか。


2020年4月。
私は2年間お世話になったオーストラリアという地から
日本へ帰ってきた。

懐かしい街並み、匂い、そして自然に聞こえてくる日本語。
帰ってくるとまず真っ先に日本食を食べ、そのおいしさに感動した。

日本に帰ってきたら、したいことが山ほどあった。
その中でも一番楽しみにしていたのが旧友たちとの再会だ。

2年前、彼らはまだ大学生だった。
私の記憶の中の彼らは、ちょうど就活の時期で
たくさんのことについて悩んでいた。
そして、それと同時にこれからのやりたいことを語ったり
就職先を決めることにワクワクしていた。

そんな彼らがもうすでに社会人1年目を終え、
2年目に突入しようとしていた。
私自身、ラインなどで連絡を頻繁にとる方でもないので
彼らの現状をあまり知らず
社会人になった彼らが今どんな生活を送っているのか、
そんな話を聞くことを楽しみにしていた。

だから日本に帰ってきてからは
会いたい人たちにかたっぱしから連絡を取り
予定を合わせ会いにいった。

しかし、私の期待はいとも簡単に崩された。
なぜなら、誰かに教えられたかのように口を揃えて
仕事をするのは
「お金のため」「生活のため」「安定のため」だと言い、
ほとんどの友人から昔のような覇気が無くなっていた。

ずっとやりたがっていた職種についた友人、
希望通りの職場に入社できた友人でさえ
職場環境や人間関係に悩まされていた。

私は悲しくなった。

心から悔しくなった。

そして、私の友人たちの笑顔を奪った何者かを恨んだ。

私がオーストラリアでフラフラしている間、
彼らはすっかり社会人であることに疲弊してしまっていた。

画像1



私の年代は小中学校時代ドンピシャでまるまるゆとり教育だ。

もともとゆとり教育とは、
“ただ覚えるだけではなく、思考力を鍛える学習方針”
だということをどれだけの人が理解しているのだろう。

そう。政府の政策なのにもかかわらず
大人たちは“ゆとり世代”という言葉を作ったあげく
それをよくない意味で若者に対して使い、問題視してきた。

そんな思考力のない大人たちの仲間に入ることに希望なんてない。

それに加え
楽しそうに仕事をしない大人たちを見せられてきたのだから
「仕事とは楽しくないのが普通だ。」
という前提が当たり前になってしまうのも無理はない。

そうやって育ってきた世代。
だから希望や夢を抱きづらい心を持つ。
それでも社会人になる前、
友人たちは今から飛び込む社会に対し
少しばかりでも希望を持っていたはずだ。
しかし、彼らは社会人になって
たった1年で完全に希望を失ってしまったようだった。


私はそんな彼らの笑顔を、
当たり前の幸せな日常を取り戻したい。
彼らに、そしてあなたにも
あんな悲しそうな目をしながら生きて欲しくない。

画像2




私は思う。今の若者は優秀だ。
情報がいくらでも入ってくるため、考え方が柔軟で頭がいい。
でも希望がなければ、せっかくの頭の良さも使えない。

私はいつか、会社を立ち上げようと思っている。
従業員が
「無給でもその職場に行きたくて仕方がない。」
と思ってしまうくらい魅力のある会社を。
その会社に関わった人全員が幸せになる会社を。


「世間知らずだね。そんなの無理だよ。」と言われようが
「脳内お花畑すぎて呆れる。」と言われようが
私は夢をそうぞうする。



努力は大抵報われない。
 願いはそんなに叶わない。

それでも、どうか腐らずに
でかい夢見て歩いて行くんだよ。


関取花「もしも僕に」




サービス内容に関してはこちら
(URL)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?