文章を毎日書くことの難しさ

 文章を毎日書く。

 そう決意することは何度かあるのだけれども、これがなかなか難しい。

 書くというスキルは、筋肉と同じで長い時間を書けて鍛錬をすることで伸ばしていくことができる。しかし、同じトレーニングを同じようにするというわけには行かない。

 筋トレだったら、腕立て伏せとか腹筋とか決まったトレーニングを毎日継続して続けていけばいいのだけれども、書くというトレーニングには何を書くのか、という課題の設定が必要になっていく。

 その日あったこと、考えていることを書けばいいとは言うものの。 
 自分にあった課題を設定するのは難しい。

 何を書いたらいいのか、という迷いがPCの前に座らせないし、書くという意欲を奪っていく。なんの疑問を持たずに何かしらを書き連ねることができればいいのだけれども、それが難しい。

 書くという習慣の維持も問題だ。
 自分がやると決めたことを継続して続けていく。
 単純なことだが、実行が難しい。

 文章を仕事にしたい。文章を書くスキルを伸ばしたい、と考える以上、書く習慣をどうやって身に着けるかは考えなければいけない優先事項だ。
 今の時代において、学生のうちに文章を書くことで成功できなかったうえで、それでも文章を書き続ける選択をする。それは、文章を書くという文化を持てるかということだ。

 文化とは、生活の中での余裕だ。
 どんな状況でも手のひらだけで娯楽を生み出せる技術を持ったものに文化を持つ権利が認められる。
 貧しさや生まれを言い訳にして、半端な退廃的な生活を誇っているような精神性を見せようとするものは、この社会のお金と時間を払うだけでアクセスできるコンテンツに飲み込まれる。

 昔は貧乏や堕落こそが文学を作り上げるという風潮があったかもしれないが、それはある種の規範や予定調和からの反抗や革命が退廃であったからにすぎない。消費社会である今においては、退廃的な暮らしや堕落は社会が人々に推奨していると言っていい。

 精神が堕落し、楽に流されていけば行くほど、生活は苦しくなり、仕事が選べなくなる。多様性と自身の価値が低くなっていく。文化を作らなければいけない。文化を作らなければいけないとは精神的な余裕を持たなければいけないということだ。精神的な余裕とは、豊かさを持つということだ。

 そして、現代の社会において豊かさは誰しもが持っているもので、穴の空いたバケツに水が溢れるように、ありのままでいればいるほど失っていく。

 自己をコントロールし、まともな生活を送るための努力をしなければ、手元がこぼれ落ちていく。

 書くということは、書く題材を常に見つけることだ。観察をすることだし、多様な経験や体験を持たなければいけない。それを言語化していこうという意志も必要だ。

 そして、それを習慣化させていかなければいけない。習慣とは毎日やることだけども。一つの行動を習慣化させるには一日の全体を見直して組み立て直す必要がある。

 文化を持つというのは大変だ。特に、金を払えばコンテンツにアクセスできる以上。文化を持つというモチベーションを持つことが大変だ。

 小説を書くとは、自分の生活に文化を作り出すだけの余剰を作り出すということだ。精神的な消費から、精神的な農耕に切り替えることが必要だ。土を耕して、種をまき、毎日世話をしてやることでようやく自分の作った野菜が食べられる。しかし、スーパーに行けばそれが100円で買える。

 お金で時間を省略してある種の豊かさを外部から持ってこれる。その便利さを僕らは知っている。文化もまた同じことだ。
 今の時代、良質なコンテンツは自分で作らずとも、お金を払えば手に入れることができる。それは生まれたときからあったあたり前のことだ。
 そこから抜け出して、自分の時間を作って文化を作り出すというのはある種の生活の改革が必要になっていく。

 それは課題を見つけるということだし。習慣を作っていくということでもある。ただ一つこれをやるというだけでは解決しないものだ。

 小説を書くということは、文化を作るということだ。
 なにもない状況で、文化を作るとは、狩猟民族を農耕民族に変えるという大きな選択と決断であり、長い時間を書けての改革と、環境の開拓が必要となっていく。

 長期的な豊かさを得るために、僕は今の生い茂った森に斧を振るうことができるか。それができなければ、冬を恐れて獣を追いかけ続ける生活を送るしかない。

 文化を作るとはそういうことだ。僕らは生まれたときから豊かな文化に囲まれている。その文化にアクセスするには時間とお金がかかる。
 若い頃は見えなかったが、安く手に入るものでも、年齢や時間を引き換えに手に入れていたものがあったのだと今となってはわかるものだ。

 文章を書くということは、文化を作るということだ。
 文化を作るということは、人生にある程度の余白を持つということだ。
 それには、まず森を開墾する勇気を自分は持たなければいけない。

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