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7月16日のお話

銀座から京橋にかけて歩いてみると、一筋入ったところに画廊やギャラリーが多いのに気づきます。少しお洒落な空間があると思えば、大抵それはカフェではなく画廊です。

狩野ヨーコは急にできた休日を持て余し、どうしたものかと街に出てみたら、平日の銀座の街をあてもなく散歩することになったのです。どうしてそうなったかといえば、ランチを一緒に食べようと誘ってくれた友人が指定したのが銀座5丁目のイタリアンで、食事中に彼女からオススメされたのが、銀座一丁目と京橋の境あたりにあるケーキ屋だったから。電車に乗るには近すぎて、歩くにはちょっと気合がいる距離でしたが、久しぶりに雨が降らない過ごしやすい雲天の今日。どうせ予定もないし歩いてみようと思ったというのが経緯でした。

美術部出身で一時期は美術関係の仕事に就こうかと真剣に考えたこともあるヨーコは、画廊というものに興味がないわけではありません。むしろ、積極的に見てみたい。そういう気持ちはありましたが、購入できる経済力がない後ろめたさが、ふらっとそういうところに入れない気持ちにさせていました。

留学経験もあり、秘書として公的機関に勤めているヨーコに、そういう経済力がないこともないのですが、彼女の「旅癖」が家計をギリギリにきりつめる生活に追い込んでいました。お金があれば、旅に出たい。そういう衝動を止められないのです。

絵画は、いつか、自分の足で旅に出られなくなった時の楽しみにとっておこう。そう言い聞かせて、できるだけ見ないように(見たら欲しくなるからです)していました。

今日もヨーコは見ているようで、興味が湧く前に視線をそらす、というような態度で、(それでも大通りを歩くのではなく画廊の多い脇道を遠回りして散歩しながら)銀座一丁目あたりまでふらふらと歩いていました。高速道路の高架が近づき、間も無く京橋エリア、つまり、目的としていたケーキ屋の近くにさしかかったとき、その一角に密集している画廊の前に、同じような張り紙がしてあることに気づきました。

『私たちの送り火』

シンプルなグレー地のアート紙に、おそらく手書きで、油絵のような質感の文字が書いてありました。このテイストはどの店の前の張り紙(立て看板につけてあるものもあります)も同じで、文字の癖が、微妙に違うという様子です。店舗合同の企画なのでしょうか。とすると、文字はその店舗ごと店主が書いているような。そんな雰囲気の張り紙です。

送り火、という文字が、油絵や現代アートを飾る画廊の前にあってもどうもピンときません。画廊を除いて、日本がや水彩画でもあろうものなら、なんとなく、何が開催されているかはわかるのですが。

その区画をひとまわりして、向かいの道に目的のケーキ屋を見つけてもなお、ヨーコはこの「送り火」という催しが気になって仕方ありません。

なんだろう。

いつのまにか彼女の足は、その区画を二周し、さらに三周目に挑もうかという状況になっていました。時間にしても、おそらく30分以上、この界隈をうろうろしていることになります。

気になる。でも、画廊に入れない自分の勇気のなさがなさけない。

そんなふうに悔しい思いに苛まれ、ひとりで「うううー」と唸った瞬間、「あの」っと背後から声をかけられました。

独り言(というか呻き声)を聞かれた恥ずかしさに、弾かれたようにヨーコが振り返ると、そこには同い年くらいの女性が、にっこりと微笑んで立っていました。

「よかったら、中、ご覧になりませんか?」

彼女が指差した画廊の中に視線をうつすと、室内からこちらをみている初老の男性も、にっこりと微笑んで手招きをするかわりに大きくゆっくりとうなづきます。

「すみません、うろうろしてしまって。」

まさか自分の行動が見られていたとは思いもせず、穴があったら入りたいような恥ずかしさで身を小さくしながら、ヨーコは目の前の女性に頭を下げます。

「いえいえ。私は気づかなかったんですが、オーナーが、あ、あの室内の男性です。彼が、あの娘、三周目ちゃうかって。」

ひー…!恥ずかしさが極まり、ヨーコは視線を上げることもできず、心の中で叫び声をあげました。

「同い年くらいやし、声かけてあげてっていうので、お節介やったら、ごめんなさいね。」

お節介ではないが、この辱めをうけたような感覚はどうにもバツが悪い。そう思っても「ご覧になりませんか?」という誘いはそれ以上に魅力的で。ヨーコは涼しい日なのに汗だくになりながら、うながされるままに画廊の中に足を踏み入れました。

「いらっしゃい。」

初老の男性に迎えられ、画廊の中で壁面に飾られた絵画を見ると、ヨーコはそれまでの居心地の悪さが吹き飛ぶような印象を受けました。そこには、空と海なのか、空と街なのか、抽象的にぼかされた絵画が、様々なバリエーションで描かれていました。油絵独特の凹凸の中に、その境界だけが妙に輝いて見える絵ばかりで、眺めているとその境界の輝きがこの世のものではない神々しさを称えているような気がしてきました。

「うつくしいでしょう。スコット・ネイスミスです。イギリスの画家ですよ。」

綺麗な標準語で穏やかに語る”オーナー”と呼ばれた男性に、あれ?っと違和感を感じました。先ほどの女性は、同じように穏やかではありましたが、少し訛りのある喋り方でオーナーの言葉を再現していたような…。彼女が訛っていただけ?

確かめたくても、彼女はヨーコを連れてきたことで仕事を終えたかのような表情で、絵画を眺めながら絵の中の世界を堪能しているようです。何か口を聞く気配はありません。

仕方ないので、オーナーの方を向き直ると、入り口の張り紙が気になっていたのだということを打ち明けました。この店だけではなく、他の店にも出ていたようだと。「はいはい。そうですよ。」張り紙に興味を抱いたことに気を良くしたようで、オーナーはさらに笑顔になり、こう説明しました。

「都会ではね、玄関の前で火を焚いたり、こういう銀座の真ん中でね、そういうことはできないでしょ。」

だからこの近所の画廊で示し合わせたように、今日は特別に、送り火に代わる絵画を飾るという催しなのだと言います。

「送り火?」

その説明だけではよく理解ができなかったヨーコに、オーナーが絵の方に歩み寄りながら教えてくれました。

「送り火というのは、色々な説がありますが、お盆で帰ってきてくれた故人がまっすぐあの世に変えられるように、天に登る煙で道を作ってあげるという意味があるのは、ご存知ですか。」

それは、なんとなく知っている。やったことはないけれど。ヨーコはそう心の中で思いながら、表面上はこくりとうなづきました。

「画廊で、火をたくと、商品があれですからね。それぞれの店の中で、あの世に続いている道が描かれているような絵画をだしてきてね、飾るんです。それが”私たちの送り火”というわけです。」

そう聞いて、ヨーコはあわてて先ほど見た絵を見直しました。すると確かに、神々しいと思った「境目」の筋が、そう言われてみると「道」のように見えてきます。

なるほど…。

心の中で呟いたつもりが、どうやら声に出してしまっていたようです。

「銀座界隈に戻ってきた、銀座の商売人のご先祖さんたちが、迷わず帰れるようにっていう配慮と、先人たちへの感謝の証です。」

銀座は開国からしばらくして、横浜から伸びた鉄道が新橋まで通ると、西洋文化が港から入り鉄道の終点のこの街に流れ着き集積するようになった街です。そこで、はじめて西洋画を見た人々はどれほど感動したことでしょう。そういう感動をつくり、街のブランドをあげていったかつての商売人たちの功績は大きなものです。

オーナーは、そういう話をしながら、「ずいぶん、文化的な店は、中心からは追いやられってしまいましたけどね。外資系ファッションブランドにはかないません。」と少し寂しそうな顔をしました。

銀座にも、いろいろあるんだな。

そう思いながら、オーナーに、「素敵な企画ですね。」となげかけました。

すると彼は、そうそう、と言いながらニッコリと笑い、ヨーコの隣で絵を眺めている女性を指差して言いました。

「彼女が発案者でね。仲間の店を口説いてくれたんですよ。実は一昨日急に。」

そう言われて、少し照れ臭そうに彼女は微笑むと、「急で、ごめんなさいね。」と皮肉そうに付け加えました。

だって、東京は7月にお盆が来るんだったって、急に気づいたんやもん。総ひとりごちると、ぷいっと冗談めいた様子で顔をそらしました。

「はっはっは。でも当日に思いついてうちに駆け込んできて、オーナー、お盆企画、思いついちゃった、は、驚くよね。」

そんな二人のやり取りから、この店とこの彼女が、とてもよい関係性であることが伝わってきます。

「あ、私そろそろ、戻らんといかん時間やわ。」

笑われて居心地がわるくなったのか、彼女はそういうと椅子に置いていたカバンを手に取り、中から封筒を取り出すと、そこから取り出したチケットをヨーコに渡しました。

「もしよかったら。私、ここに勤めているんです。」

それは、都内の美術館のチケットでした。

「勤めているだなんて、この企画を作りましたってちゃんと言わなきゃ。」

オーナーが後ろから覗き込むようにして言います。

彼女は掌をひらひらさせながら、余計なこと言わんの!と言い残し、お店を出ていきました。

残されたヨーコは、チケットと、絵画とを交互に見ながら、今日、今から行く時間あるかな。と考えました。その考えを読み取ったかのように、オーナーがすかさず言います。

「美術館はまだ会期はありますが、お盆の送り火は、今日だけです。今日は銀座を楽しんで行ってください。」

2020年7月16日 お盆送り火の日


着想:Scott Naismith 'Primary Sky' Oil on canvas
https://www.artistaday.com/?page_id=10029&l=Glasgow%2C+Scotland

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