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7月15日のお話

2023年7月15日。

カフェで仕事をしようと決め込んで、午後からテラス席のあるスタバに長居をしていたカリノの元に、一羽の雀がやってきました。空の上からカリノの姿を見つけて一直線に降下してくるその様子は、明らかに、そこが目的地であるような動きです。

パソコンを置いていたテーブルの脇に、そうして雀が降り立ったのを一瞥しいて、カリノはふぅっとため息をついて言いました。

「来島さんですか?」

来島と呼ばれた雀は、ぴょこんっと跳ねるようにカリノの方に向き直り、「おう。久しぶり。」と喋りました。

「お久しぶりです。」

そうして喋る雀を前にして、全く動じないどころか、普通に挨拶を返すカリノのことを不思議に思う読者の方も多いでしょう。彼女が驚かないのは、カリノの元にこの来島と呼ばれる雀が降り立つのが、今回が初めてではないからです。

「3年くらい、見かけませんでしたね。来てました?」

「いや、3年、4年かな。来れなかった。」

二人(一人と一羽)の会話の通り、来島と呼ばれる雀が前のカリノの元に来たのは2019年のことでした。その前は、毎年か、2年に一度は来ていたので、かれこれもう6回目くらいでしょうか。10年間の間に6回なので、少ないといえば少ないですが、ビジネス上の仲間だったと言う仲で、職場が変わってからもそれだけ会い続けていると言う視点で見ると、頻繁に会っているほうです。

「あれ、仕事変わったの?」

「そう、ですね。人事の仕事をやってみたくて。転職しました。」

来島の問いに、カリノは記憶を辿るように答えます。そうか、転職したときから、会っていなかったんだ。バタバタしていたし、そう思うとあっという間だったのに4年も過ぎていたんだ。月日が流れる速さに、自分が歳をとったように感じながら、カリノは顔を顰めました。彼女も今年で40歳です。今の仕事にも慣れてきましたが、来島の存在を意識すると、このままでよかったんだっけ?と焦りを感じてしまいます。そんな自分の中の気持ちを打ち消すように、カリノは雀に向かって「来島さんは、どうしていたんですか?」と問いかけます。

こうして雀に語りかけるのも今では抵抗がなくなりましたが、来島が雀の姿で現れた最初の時と、多分三年目くらいまでは、夢か幻か、自分がおかしいのかとドギマギしたものでした。

「俺の方は、実は、爺さんがこっちにきてさ。」

来島はそういうと、4年前に祖父がやってきてから、祖父の面倒をみるようになったこと。お盆は祖父が会いたい人たちのところに同行してあげたこと、こっちの過ごし方に慣れてもらうのに苦労したことなどを話しました。

「あ、それはそれは。ご愁傷様でした。ん?ご愁傷様であってます?でも来島さんはお爺さまに再会できたわけだし、良いこと?」

そのエピソードにリアクションしようとして、カリノは少し困惑しました。

来島は、10年前に事故で他界した、カリノの当時の同僚です。事故の直前まで、同じプロジェクトで頑張っていたこともあり、カリノは彼の死を受け入れるまで酷く苦しみ、彼の死をきっかけに、彼と一緒に夢見たプロジェクトの成功を自分の必達事項としてさらに仕事に打ち込むきっかけになりました。

ところが。翌年の7月のお盆の時期、不意に雀がやってきて来島だと名乗り、あれやこれやと話をしてきたのです。その時の驚きはこの世のものとは思えないほどでしたが、こうして10年繰り返されると、どう驚いて良いのかもわからなくなります。人間というのは、慣れるものなのだと、カリノは改めて思います。

当時の来島の話はこうでした。自分は九州出身だから、家族に会うために帰るお盆は8月である。しかし、東京に関しては7月に訪問できる7月お盆があるらしいと知り、落ち込み無理をしてちるカリノに会いに、ちょっと7月は東京に行ってみるのもいいかなと訪問してきたというのです。

とはいえカリノは迎えるつもりも準備もありませんから、迎え火や宿るための仏壇、鬼灯、そういうものは一切やっていません。仕方ないので、雀に体を借りて、カリノの前に登場することにした、という顛末でした。なぜ雀かということについては、カリノが聞くと「前に俺を動物に例えるなら、雀って言っただろ、お前が。だからわかると思って。」と平然と答えるのです。確かに言ったような気はしますが、飲み会の話題でみんなでお互いに動物に例えあう会話の中で、適当に言っただけのことを実現されても、「そうだっけ」というしかありません。

そんなわけで、奇妙な元同僚は、律儀にその後も「東京観光したいから」という理由で、ほぼ毎年、7月お盆に雀の姿を借りてカリノの元にやってくるのです。

「まぁ、ご愁傷様でいいよ。爺さんがきても、俺にとっては世話がかかることばかりだったから。」

あ、でも2020年はコロナとかあったから来れなかった。とも付け加えました。「え?魂だけになっても関係あるの?」と聞くと、「一応、自粛ってムードになってたから、親族以外のところには行かなかった。」と普通に返されて、カリノはそんなものなのかと納得するしかありませんでした。きっと、世界中で死者も多かったし、あちらの世界も大変だったのだろうと思いを馳せてみました。

「家族以外に、恋人とか、妻とかいたらさ、行くところあって楽しいんだろうけど。そういう人を作る前にこうなっちゃっただろ。」

だからカリノくらいしか、用事なくてさ。っという彼の言葉に、そうだよねーと相槌をうちながら、彼女いなくて良かったんじゃないかと話した何年か前の会話を思い出しました。どっちがよかったのか、わからないものね。そう思いながら、自分も結局あれから10年、いろいろあったけど、家庭を持ったり子供がいたりという状態になっていないことを考えると、こちらもそんなに大きく変わっていないから、変わらない来島の毎年の訪問を受け入れられるのかもしれないとさえ思いました。

「来島さんがいろいろ教えてくれるから、私、死ぬのがこわくなくなりましたよ。」

以前、そういうようなことを話した時、来島はうーんとうなると、「でも、俺と同じように天界にいけるかわからないぜ。地獄だったらどんな感じなのか、わかんないし。」と怖いことをいったりしました。もちろんその日から、カリノはできるだけ天界へいけるように、日頃の行いを正したのはいうまでもありません。

陽が傾いてきて、夕方の涼しさが感じられるようになりました。

お互いの数年の近況報告に興じていたら、時間がたつのはあっという間です。

「明日、帰るんですか?」

カリノがそう聞くと、雀の姿の来島は、ふいっと夕陽の方にしせんをうつし、少し沈黙します。

「そうだな。来月は九州の実家。」

彼の背中が、少し黄昏たようになっているのに気づいたカリノは、彼が何かまだ伝えたいことがあるのかなと思い、次の発言を待ちました。

「カリノ。もう10年経つから。俺のことは、いいよ。プロジェクトのこととか。」

来島は、こちらを振り向かずに、そう言います。彼の今日の本題は、きっとそれなのでしょう。生前の、人間だった頃の彼も、言いたいことはなかなかいわず、最後にぼそっとつぶやくような人でした。

「いいと言われても…。」

相変わらず変わらないなぁと思いながら、カリノはつとめて明るく言いました。「もう、随分前から、気にしてないですよ。ほら、こうして、やりたい仕事もやってるし。」

それでも振り向かないで沈黙する来島に、カリノは困ったように続けました。

「なんか、彼氏みたいなセリフですよ。それ。」

そう言われて、慌てて訂正しようと振り返った雀にたいして、カリノはまっすぐ目を見つめて続けました。

「私が結婚しないのは、来島さんじゃないですから、原因。」

「そんなことはわかってる!そうじゃなくって。」

はいはい、と笑うと、カリノは立ち上がり言いました。

「また、来年もまってますね。来島さん。私がそっちに行く時にこまらないように。」




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