6月2日のお話*
1921年6月2日。東京府。
この日、銀座のある場所に、突然現れた花屋が、大変香りの良い花を売っていると評判になりました。春の沈丁花、秋の金木犀にも勝るという初夏の白い花です。
「懐かしかぁ。」
「あら、東に下ってから初めて見た。」
「東京にもあるんやな!」
「故郷を思い出すわぁ」
そう言うのは、西のなまりがある大人ばかりで、江戸弁を操る地元の人々は、その強く甘い香りに目を瞬かせます。
「うわぁ、ハイカラな香りね!」
と喜ぶのはもっぱら女性で、江戸あがりの男たちには馴染まないようです。
「お兄さん、この花は、なんて言うの?」
そう尋ねる婦人に対し、花を売るつもりがないような控えめな声で花売りの男性は答えました。
「クチナシ です。」
「クチナシ?染物に使うあの梔子の花?」
「……。」
瞬時に答えない代わりに、懐かしいと寄って来ていた別の客たちが続きを引き受けます。
「そうどす。染物に使うんは、実ぃのほう。」
「まぁ、あの黄色はこんな真っ白な花の後にできるのね。」
「故郷ではこの時期、裏うらの山に所々咲いとりましたね。」
「えぇえぇ、通り過ぎると香るからすぐに分かりましたねぇ、懐かしい。」
説明下手な店員を放ったらかしに、クチナシを知っている客とそうでない客の間で会話が盛り上がります。
「やっぱい東京にはなかんやなあ。」
「あら、あんた、九州と?」
「薩摩です。あ、長崎じゃなあ!」
故郷を思い出しているからか、いつもは澄まして東京弁を使っている人々がいつの間にか方言を使い、意気投合する婦人たちも出ていました。
薩摩弁の強い婦人が言っていたように、クチナシ の花は東京には自生しません。静岡より西の本州と、南国の四国九州、朝鮮半島や中国大陸。アジア諸国まで南に広く自生している植物なのでした。
「暖かいところの花だと伺いました。以前、四国に勤めていた時、庭先にあって、地元の方が教えてくださりました。」
文豪風の男性が、いつの間にか人々の真ん中に立ち、そう解説します。
その解説に、東京以北に暮らして来た人々から、珍しさに花を買い求めていきます。こう言う時、意外と西の人間は買いません。
「その辺に生えとった木の花じゃけん、お金出すんは…。」
などと、香りと思い出を楽しんで気が済んでいる様子です。
「すぐに枯れんねん。買うてももったいないで。」
「そうそう、咲くのも散るのも一瞬!」
「そんな花を、よく東京まで運んで来らしたなぁ」
「それは貴重だってことですよ。今買わないと損ね。」
口々に買うの買わないのと盛り上がるだけで、銀座を往来する婦人たちは楽しいのでしょう。言葉遣いも職業婦人かぶれになっている人もいるから、そのやりとりはますますテンポが上がっていきます。
「確かに、ここまで運ぶのは苦労したでしょう。」
先ほどの文豪風の男が、ちらりと花売りの男性に視線を送りました。
彼は少しバツが悪そうに目を逸らし、視線を荷車の下の木箱に逃します。
その木箱を同じように見据え、文豪風の男が花売りの彼に向かって近づくと、声を落としてささやきました。
「もしかして、氷ですか。冷蔵箱をお持ちとは。」
びくりと肩を硬らせる花売りの男性を見て、文豪風の男は「やはり正式な手続きで入手したわけではなさそうですね。」と誰にも聞こえないほどの声で呟くと、フゥッとため息をつきました。
「なに、突き出したりなんてしませんよ。何やら、訳ありのようですね。」
一刻もすると、花にしては高価なクチナシもすっかり売れてしまい、普通の花が申し訳程度にしか残っていない花売りの周囲には、先ほどの文豪の男以外の人はいません。
人が去るのを待って、男は花売りの男性に事情を聞きました。
「あなたは、あぁ、日本人ではないのですね。私は気にしませんから、お話ください。」
発音から人種が異なることが露見するのを恐れているため、言葉が少なかったのでしょう。文豪風の男に優しく促され、花売りの男性はポツリポツリと語り始めました。
このクチナシの花は、東京にくる途中の静岡の茶畑近くで分けてもらったこと。クチナシの花が好きだった幼馴染みが、東京にいるはずだと言うこと。自分は大阪にいたこと。大阪で、クチナシの花が東京には咲かないと教わり、どうしても届けたくなったと言うこと。幼なじみとは結婚したいと思っていたが叶わず離れてしまったが諦めきれないこと。
花屋の荷車を路地脇に止め、新橋の高架下の飲み屋で酒をおごることで、文豪風の男はここまで聞き出しました。そして、木箱の氷は、大阪で自分が勤めていた寳船冷藏の人造氷をくすねて来たことも。
「そうですか。」
男は穏やかにうなづいて、こう言いました。
「あなたの幼馴染みさんにクチナシが売られていると言う噂を届けたいなら、銀座ではなく、豊多摩郡の方の大久保あたりで荷車を止めてみなさい。」
そこにはきっと故郷を同じくする人がいるから、聞いてみると良いですよ。とも付け加えました。
飲み屋からの別れ際、花屋の男性は、なぜこんなに親切にしてくれたのかと文豪風の男に尋ねました。
「ここ東京にはなんでもあると言われるほどになりましたが、それでもまだ”ないもの”があることをあなたは教えてくれました。そしてそれを、大阪の会社の人造氷を使うことで運べることを示してくれた。それは私にとって大変貴重な情報です。むしろ、お礼を言うのはこちらです。ありがとう。」
そう言って、文豪風の男は去って行きました。
翌日、男はまだ残していた蕾のクチナシが入った木箱を荷台に乗せて、皇居を迂回して豊多摩郡の端を目指しました。
一方、文豪風の男は自分の商売を大きくするため、大阪や鳥取でいち早く作られていた冷蔵庫の視察に向かいました。
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そしてそれから2年後、冷蔵庫の価値を政府が認め、日本の物流が一つ変革を迎える年がやってくるのです。
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