11月15日のお話

直感とは、知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論、類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。

Wikipediaを調べると、直感について上記のような表現で説明されています。また、最近発売された書籍、ユヴァル・ノア・ハラリ著『21 Lessons』でも以下のように記されています。

自慢の「人間の直感」も、実際には「パターン認識」に過ぎなかったのだ。(略)人間の脳の生化学的なアルゴリズムは、完全には程遠いことも判明した。脳のアルゴリズムは、都会のジャングルではなく、アフリカのサバンナに適応した経験則や手っ取り早い方法、時代遅れの回路に頼っている。

つまり、類似の経験や知識を豊富に持っている場面では自分の直感的に自信を持ち、そうではない場面では直感に頼らずじっくりと状況を見極めて判断するように心がけなさいということです。

さて。私は今日、大好きな彼氏とデートに行きました。そこで、直感を頼れる場面とそうでない場面それぞれを経験したお話をすることにします。

まず、直感を頼れる場面について。

それは「今の自分(もしくは一緒にいる人物)に、必要な情報の入手方法を見極める場面。」です。

これは振り返ると、10代も前半の頃から、図書室もしくは本屋で培われたものだと思います。私は本当に本が好きでした。本と、図書館が好きでした。休日は丸一日、開館から閉館までいるものですから、開架の棚の並び方、本の位置や貸し出しペースなどはおおよそ把握していました。そして、本のありかや自分にピンと来る本の探し方の傾向、そこからの幅の広げ方まで、反復学習のようにやり続けたおかげで”熟知している知の領域”に達していたのだと思います。

その”本”という情報媒介が、”メディア”と広がり、”人”が対象になれば”ネットワーク”となって繋がり、今の私の仕事につながっています。直感が働くこの分野のおかげで、私は「情報収集」についての精度が上がったのです。

この感覚を頼りに、今日、私は彼氏と共に「占い」に挑戦しました。情報収集という意味では、今、聞いておくのが良さそうだと直感が働いたのです。私というよりも、彼に対して。なぜそう思ったのかは言語化が難しいのですが、アンテナが反応したということです。

一瞬、「デート」というシチュエーションで「占い」の選択肢が適しているかどうかについて迷いました。デートに関する経験値の少なさから、情報収集として正しい判断がデートとしても正しいかどうかを判断できなかったのです。しかし、情報は入手すべき。その考えが強かったため、占いの館では「デートではないモード」で占いに挑むことにしました。

”二人の相性を占ってください”なんて口が裂けても言えなかったのは、そのためです。私は完全に「仕事について占って」と割り切っていました。彼に必要な情報も、恋人としての私とどうなるかではないと、そこには自信がありました。

その直感は見事に当たったと思います。

自分でも、有益な情報が得られたと満足感もありました。

一方。

直感に頼れない場面では、私はどういう振る舞いになったのでしょうか。

これは、デートで夜景を見る、という場面を想定するという状況で起こりました。デートで夜景を見るという経験は、私には意外と皆無です。若い頃から夜景は好きでしたので、夜景の名所に足を運ぶことはありました。しかしそこに行くとき、私の隣にいたのは友人たちでした。男友達のこともありましたが、恋人ではありません。そのため、二人で見ていたとしても甘い雰囲気の会話は皆無です。

今思えば、男友達は彼女を連れてくる下見に、私は、単純に夜景を見て気分転換をしたかったという動機だったのかもしれません。そして夜景スポットはもっぱらドライブで山頂に行ったり、徒歩で小高い丘に行ったりということが中心でした。それは私が若い頃に郊外に住んでいたという環境のせいでしょう。

高層ビルの展望台というシチュエーションは、思い返してもほとんど記憶に引っかかりません。

そんな私に対して、彼はこんなことを言いました。

「あのタワーに登って、一緒に夜景を見るのも素敵だよね。」

「………。」

私は思わず思考が停止します。彼の言葉のどの単語をとっても、過去の学習経験から参照できるデータが引き出せないからです。

あのタワーに登って→エレベーターで登るのだろう。階段とかではないはずだ。

一緒に夜景を見る→夜景をバックに食事をする、ではなく、見るだけのために登るのだ。

素敵だね→夜景は綺麗だろう。しかしその展望台という場所には、同じ目的で登ってきているであろうカップルたちが大量にいるイメージは容易だ。そこに混ざって、上がって、見て、綺麗だねという。ドラマや漫画などではそこでこんな台詞が入る。「君も綺麗だよ」「やだ、恥ずかしい」とか?

えっ。それは恥ずかしい。やだ、恥ずかしいとかいうの自体恥ずかしいし、言える気がしない。いや、でも言えた方が可愛らしいのかもしれない。でも、そんなこと言うのは私らしくないだろう。

では私は?昔、男友達と登っていた頃のように「ここが穴場じゃない?彼女と二人きりになれそう。」とか「夜景をみたら、明日からまた頑張らなきゃなって思うんだよね。お互い、夢を掴むまで頑張ろう」みたいなハードワーカーな青春かと言うセリフは思い出帖に記載があります。私らしく言うならそうなりそうですが、前者の台詞は彼氏に対してそれはダメでしょうし、後者だと可愛げはありません。甘い雰囲気などには程遠く、もしかしたら「こんなリアクションされるなら、高い金を出してタワーに登ったりするんじゃなかった」とか思われる可能性すらあります。

それではダメです。デートが台無しです。タワーで夜景を見る場面でうまく振る舞える気がしません。一体どうすれば…

そもそも、先ほどの彼からの「素敵だよね。」と言う付加疑問文で投げかけられた会話に何も答えないのも不自然です。可愛らしい返答は、彼女らしい返答はどれでしょう。

「うん、素敵!」=これは嘘になります。

「そうだね。あなたと行けるなら素敵かも。」=こう言う言い方をすると、他の人と行ったことがあるのではと誤解をされかねません。ダメです。

「そう思う。ずっと行きたかったんだ!」=嘘です。ダメです。

そもそも、彼に同意をすれば、ネクストアクションは必ずタワーに登る、と言う場面がやってきます。今の私に切り抜けられる気がしないその場面に挑むのは、ハードルが高すぎます。

では、どうすれば。私の脳はそこでいよいよ混乱し始めました。そして、混乱の最中、つい、口をついてしまったのがこの言葉です。

「え…。なんで?」


一瞬の間をおいて、彼が困ったような顔で吹き出しました。「なんで」と聞き返されるとは思わなかったと言います。私ももちろんそんな言葉が出るとは思いませんでしたが、実は正直な気持ちだったのかもしれません。

混乱するほど、その場面に対する最適解が出せない難問だったのです。

彼は笑ってくれましたが、その笑い方から、私に対する恋心的な甘い感情が今ここでコミカルな感情に変わったことは間違いありません。今回は許されても、次は呆れられるかもしれません。そして3回目は、おそらく愛想を尽かされるでしょう。

由々しき事態です。

実際には「パターン認識」

ここで、ハラル氏の本の一節が脳裏に蘇ります。

そう。正確性の高い回答を瞬時に導き出すためには、パターンをいくつ自分の中に蓄積できるかです。AIが反復学習を行うように、私もその訓練を行う必要があると言うことでしょう。

私は、ここで密かに心に誓いました。得意分野である情報収集の直感までにはならなくとも、彼から可愛いと思われる態度を選択できる程度の直感は身につけたい。パターン認識は機械でもできます。機械よりも感情豊かで情緒があると言われている人間の尊厳のためにも、私は習得しなければいけません。

恋の経験値をあげる。非常に難易度の高い目標ですが、私の2021年の目標はそれになりそうです。

FIN.

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