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8月23日のお話

茶色い煉瓦造りの校舎が入り組むように建てられたそのキャンパスは、おしゃれなことに、敷地内の道路も全て同じ色調の石畳で統一されており、さながらフランスのパリの街中のような、それでいてどこか開拓時代のアメリカのようなレトロさのあいまった雰囲気に包まれていました。

私は、そのキャンパスのちょうど真ん中にある中央棟の一角で、半地下になっている研究室に用事があり、向かっていました。キャンパスといっても広大な敷地に中庭や広い道があって…というようなものではありません。本当にパリの真ん中のように煉瓦造りの高層建物がひしめくように建っているのです。

これが大学?と思いますが、小高い山一つを丸ごとキャンパスにしたような作りのため、山の上の方は建物が立つエリア、下の方が運動場やテニスコート、芝生のカフェテリアなどがあるエリアというように設計されているようです。

そのため、ここの敷地は、中で高低差がありました。道が基本的に斜面になっているため、建物もその地形に合わせて、一階なのか地下なのか、途中で曖昧になるような形のものが多くあります。そういうところを、私は半地下と勝手に呼んでいますが、本当はどっちなんだろう…と、ふと考えました。

キャンパス内のメイン通りを進んで目的の中央棟を目指します。このメイン通りは車も通れるようになっており、道も広めでなだらかな登り坂です。ひとつ道を中に入ると、入り組んだ建物の間が迷路のようになっており、階段や急な坂道など、バリエーション豊かな風景が潜んでいるそうです。私自身はそこへは行ったことがありませんが、前回、ここに来た時に、研究室の助手の方がそのように教えてくれました。

しばらく歩いて、ようやく、目的の研究室へ到着です。見ると、すでにそれは開け放たれていて、部屋に積み上げられた書籍の山が遠くから見えていました。

私は目的を遂げるために、室内に入ると私を呼び出した教授を探しました。用件は、実は覚えていません。次に気がついたら、いつのまにか周囲は薄暗く、いえ、どちらかというと薄明るくなっていて早朝のような空気の中、私は教授から見送られて研究室を出るところでした。

「君はたしか、タルミ地区の方の子だったね。」

扉から外に出て、少しひんやりとする気音に包まれながら、教授は私にそう訊きました。

タルミ地区。それは私が居候をしている祖母の家がある地区の名前です。

「はい。タルミ地区の端、坂の中ほどくらいの高さです。」と、私が答えると、教授は満足そうに微笑んで、先ほど私が来た大通りと反対の方向を指して言いました。

「この時間は、まだ正門の前のバスは出ていないから、この建物を回り込んで裏の階段を降りるといい。ちょうど、地区の坂の上あたりに出る。」

そうなんですか、この山は、そういう位置なんですね。と、感心しながらお礼を言って建物の中庭を抜ける道の方は進み出します。

「階段は長いが、降るぶんには構わんだろう。家が中程の高さなら、君の家までずっと降りだよ。」

教授が親切にそう付け加えた声が、背中に届きます。私は再び振り返り、大きくわかるようにお辞儀をして、再び背を向けると、建物の反対側へ続く通路を歩きました。

ひとりになってみると、急に、眠気と気怠さが私を襲ってきます。また新しい一日が始まろうとしている事実に、うんざりとしながら、今日は仕事を休みたいな、とか、そういうことを考えていました。

建物の裏手は、山だった頃の木々がまだ残っていて、道の片側には暗い森がシンと静まり返っています。先ほどとは比べ物にならないくらい細い道になった石畳の道路は、山から侵食した雑草が所々に生えているからでしょうか。急に、裏山の神社のような雰囲気になっています。

少し降っていくと、ぐるりと回り込むように道がくねり、その先に人がギリギリすれ違えるほどの狭さの階段が、随分と下まで続いている場所に出ました。

階段との境界に簡単な門があるのをみると、大学の敷地はここまでなのでしょう。古びた小さな門を開けて階段に踏み出すと、視界が急にひらけました。

ずいぶんと、山の高いところにいるようです。足元くらいの高さの遥か向こうに、灰色にぼんやりと海が見えます。その向こうできらめいている明かりは、対岸の島の電灯です。よくよくみると、この階段からは私の住むタルミ地区の坂に沿った街並みと海が見えます。

こんな景気の良いところがあったなんて。

知らなかったと思いながら、控えめに光る明け方の夜景を眺めながらゆっくりと階段を降ります。降りながら、終わりの見えない階段を考えて、なるほど、これを昇るのは心が折れそうだと、これまでこの場所を知らなかった理由を見つけました。ここは、キャンパスの中を経由してでしか、来れない場所だったのです。

昔から、遠くに見える街の灯りが、なぜか大好きだった。そういうことを考えていると、視界の左側の空が、急にぼんやりと輝き出しました。そして、自分の三歩くらい先の階段が、強いくっきりとした光に照らされます。

あ、夜明けだ。

私は反射的に、階段を降りている歩調を早めました。あの光の中に飛び込んでみたい、そういう衝動がそうさせたのです。

トントントンっと軽く飛ぶように駆け下りて、光の中に飛び込んだ瞬間、眩むほどの光に包まれてます。目が明るさに慣れてくると、灰色だった街が、斜めに差し込む白い光の羽にさっと撫でられたかと思うと、驚くほどあざやな色彩を纏って目の前に現れました。

青い海、遠くの島の緑、銀色の空、水色の地平線。色とりどりの屋根が続く私の暮らしている街。そして、急に熱を帯びた潮風を感じて、私は急に疲れていた体にエネルギーが満ち溢れてくるのを感じました。

きれい。海がきれい、太陽の光を喜ぶ緑たちの輝きがきれい。空の透明な銀色がきれい。水平線の儚い境界がきれい。目覚め始めた街の営みがきれい。

そして、朝日がとても気持ち良い。

ああ、今日は、とても気持ちの良い夢を見ることができた。私はそんな景色に包まれながら、ふと、そんなことを思いました。いつも、起きる間際に気が付く、ここが夢の世界だということ。そしてこの世界が、現実でも再び見ることができたらどんなに良いだろうと名残惜しくなるのです。

だから私は、目が覚めようと脳が覚醒を始めるその緩やかな時間をたっぷり使って、その美しい景色を記憶に焼き付けます。起きてからも、何度も思い返してきれいだと思えるように。幸せな気持ちを思い出せるように。

そうしているうちに、スマホの目覚ましアラームの音が聴こえてきます。今日の夢は、ここまで。

寝る前は少し落ち込んでいた私ですが、自己治癒力というのでしょうか。私の脳は、たまに、びっくりするくらいきれいな景色を作り出しては、私にプレゼントしてくれます。私はそういう夢を見ると、決まって、もう少し頑張ろう。そういう気持ちで朝を迎えることができるのです。

でも、そういうことが積み重なるうちに、私の中に、ある欲求が湧き上がるようになりました。


「それが、狩野さんの、動機?」

絵画教室のパンフレットを握り締めて、熱く語る狩野ヨーコの前には、その絵画教室を主宰する美術館に勤務する片桐カイネがポカンとした表情で座っていました。

そこは、銀座にあるカフェの一角です。相談があります、と7月の東のお盆の時に画廊で名刺を渡した女性から呼び出されたカイネは、その女性、狩野が自分の勤務先で開催している絵画教室の案内を握り締めているのを見て「あら?」と思いました。

絵がお好きなんですね、と他愛もない導入のつもりで語りかけたら、まるで小説でも読み上げるように狩野が語りだしたのです。

「あ、すみません。つい。その。」

ようやく、自分の語りが常軌を逸していたことに気づいた狩野が慌てて頭を下げました。

「でも、やっぱり、あの景色を目が覚めている世界でも、見てみたいんです。そして、他の人にもみて欲しい。」

あれほど美しい世界を、現実世界で見たことがないから、だから絵画にして現実世界にも存在させたいのだと彼女は言うのです。

「そこまで綺麗に描くためには、その、時間がかかるのは、理解してます。」

デッサン力や、色彩感覚、構成力など、美しいということはそれら全てが最上級の技術を要求されるということは、狩野も理解していました。でも、と彼女は続けます。

「今から初めて、80歳まで続けたとしても、40年、40年以上あります。」

40年あったら、それなりに上手く描けるようになっているでしょう。昔の画家たちの寿命にも相当します。

「確かに、、、40年あれば、なんとかなりそうですね。」

そんな長期的なスパンで物事を考えてこなかったカイネは、狩野の考え方に圧倒されつつも”確かに80歳まで生きればあと40年、生まれてからこれまでの人生と同じかそれ以上の時間がある”という”事実”に驚き、納得しました。

気を取り直して、ニッコリと微笑むと、カイネは丁寧に申し込み方法と、人気の先生の講座を彼女に教えました。

教えながら、自分でも、この先の40年に何をするか、何をしたいか考えるのも面白いかもしれない、と心の中で密かにワクワクしていました。

そして、「狩野さん、40年後、その美くしい世界の絵画が生まれたら、その時は買わせてくださいね。」と、これまでしたこともない未来の約束を、目の前の女性に向けて呟いていました。

「もちろんです。お互い、元気なおばあちゃんになっていないといけませんね。」

そう言って二人で笑いあいます。2020年8月23日。一月前に偶然出会った縁が、不思議とその後40年の絆を築くこともある。二人の女性がそういう事実に気づいた記念日でした。




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