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7月6日のお話

今年も、あと少しで夏がやってきます。

夏と言えば、海でも山でも、太陽の降り注ぐ開放的な光の中で、否応なしに交錯する恋心、青春。若者たちがこぞってひと夏の恋を求めて動き始める季節です。

そんな2028年7月6日。

新宿のはずれにある、緑の魔女の店「Cafe-KuKu」に、一人の男性がやってきました。

この店Cafe-KuKu(カフェ・クク)は都会の真ん中にありながら、その店の一角だけ、植物に覆われている不思議な場所に建っています。女主人の趣味であるハーブ・薬草栽培が高じて庭の植物が年々増えたことが、場所を不思議にしている由縁ですが、その植物の発育の良さと美しさも、専門家さえうなるような立派さで、不思議さを助長していました。「なぜコンクリートに囲まれたこの街で…?」と、訪れる人は首をかしげますが、オアシスのような居心地の良さと、そこで販売されている薬草の類が人気を博し、ここ数年で一気に人気店となったのです。

人気店とはいえ、その店の趣向から、男性が一人で来店することはそれなりに珍しいことでした。

女主人は「あら?」と不思議に思い、オーダーをとりながら、来店の意図を聴きました。一人で来て、ろくにメニューも見ようとせず、ハーブの店なのにホットコーヒーを注文する客は、大抵カフェとは別の目的をもっているものです。

案の定、男は女主人の問いに、はっと図星のような表情をすると、言い難そうに頭をかきました。年齢にすると、30代前半でしょうか。これから大人の男になるぞという秘めた魅力をもつものの、未だ、自分に自信がないといった表情の若者です。ここでどもってしまっていては、まだ男として開化するのは先かしら、と女主人が思った矢先、男は重そうに口を開きました。

「明日、彼女に、気持ちを伝えようと思っていて。」

花や植物が大好きで、この店のことを何度も話してくれていた彼女にプロポーズをするにあたり、花束はここで購入しようと考えた。男は消え入りそうな声で、そういうことを言うのです。

女主人は、心の中で「ははぁ」と肩をすくめました。こういう男性は、これまでも数人、確かに現れていました。Cafe-KuKuがにわかに人気店になった昨今は、年に数人…と増えたかもしれません。彼女がこの店を好きで、彼女の好きなものを、と考えるやさしさや心遣いは素敵なものです。

「それは、ありがとうございます。素敵な考えですね。」

しかし。と女主人は一呼吸、間をおいて、可能な限り優しくこう続けます。

「ご覧のとおり、うちは、花屋ではなくてどちらかというと草屋なの。」

そう言い終わると、男は二度目の「はっ」とした表情をうかべると、はじめてしっかりと店内を見たというように、ぐるっと周囲を確認し、確かにここにあるものが「すべて緑色」ということを認識しました。

緑の魔女の店って、看板に書いているじゃない。

そういう悪態は心の中に押し込んで、女主人は、それでも意中の彼女を思い、ここまで行動してきた男性に敬意を表すように努めると、「少しお待ちください」と優しくささやいて、こういう男子のために。と、先週株分けしておいた小さなハーブを探しに、テラスデッキの方へ歩いていきました。

女主人の足元にあるのは、草の王とよばれるハーブ「バジル」と、古代ギリシャ時代から「勇気の香り」と重宝されてきた「タイム」です。

タイムは若い枝を数本摘み取り、ガラスのポットに入れて、お湯でじっくり蒸らします。そして一番大きく育っている株を、スコップですくうと、手のひらサイズの鉢に植え替えて袋にいれました。

バジルは、まあるくぷっくりしている葉が可愛くついている苗を選んで、こちらはかわいらしい白陶器の鉢に、リボンをかけて、アンティークの鳥かごに入れて持ち歩けるように仕上げると、男のところへ戻りました。

「タイムのお茶は、今、まず飲みなさい。そして、明日、プロポーズの直前にも飲めるように、小さな株はあなたのお家でちゃんとお水をあげてください。」

それから、と、女主人は戸棚から古びた大きな宝石箱を取り出すと、ふたを開けて中身を男の前に並べました。イミテーションですが、どれもアンティークさが温かみを演出する、様々な色の宝石が鈍く輝いています。

「彼女の好みに合いそうなものを選んで。バジルの鳥かごの中を飾るためにいれるものよ。」

男は戸惑いながら、言われるとおりに、赤いルビーのような、まるい宝石を選びました。

店内にいる他の女性客たちが、何かしら、という視線を向けてきますが、男は気にする余裕もないようです。

「あとは、説明書と請求書をお渡しするわね。」

そういって、女主人は店の奥に去って行ってしまいました。男がタイムのお茶を飲み干す頃、アルバイトのウエイトレスが、白い封筒を持ってきました。

お会計は、本日はお茶代だけいただきます。ウエイトレスにそういわれて、男は首をかしげながら、白い封筒の中を確認しました。

するとそこには、説明書、と請求書と書かれた二枚の紙が入っています。

請求書には「成功したら、こちらにお振込みください」と、但し書き付きの振込口座があり、豪華なディナー代くらいの金額が、そっと書かれていました。

「あの、本当にいいんですか?」

男は店を出るまで、ウエイトレスに何度も確認をしましたが、ウエイトレスは、にこりと笑って「はい」と答えるだけで、それ以上取り合ってくれません。仕方なく、お茶代を支払い、店を出ると男は自宅に戻るために、最寄りのバス停からバスにのりました。

バスの席にすわったとき、ふと、そういえば説明書もあったんだ。と思い出し、再び白い封筒を取り出しました。

そこには、このように書かれています。

タイム:古代ギリシア・ローマ時代に勇気や気品の象徴。これはあなたのための薬です。少しだけ摘んで、お湯で10分蒸らして飲むこと。プロポーズの日は、この葉を胸にこすりつけて香りを移しておくと尚良い。

バジル:イタリアでは恋の象徴。イタリアの若者は詩と飾り玉を添えて、小さなバジルの鉢を恋人に贈っていました。鳥かごにいれて、結婚した後も恋心をあなただけに留めるという誓いに。

私の店を気に入ってくれている子なら、枯れてしまう花束より、これから育つ鉢植えを喜んでくれるはず。

最後に、「KuKu」と書かれたサインもあります。

なるほど、と男はひとりでうなづくと、ふと考えます。「ネタバレだけど、この説明書が、彼女には一番うれしいんじゃないかな。」

そうだ。そうしよう。

男は、自分で思いついたアイディアが、意外とよいような気がして、どんどん自信がついてくるのを感じました。いや、もしかしたら、タイムのお茶がききはじめたのかもしれません。どちらにせよ、先ほどよりも、明日が楽しみな気持になりました。

緑の魔女の店「Cafe-KuKu」は、緑の魔法で、人生をちょっとだけ後押ししてくれる場所なのかもしれません。



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