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小さいころの思い出

みなさん、夕暮れが早くなりましたね。部屋に差し込む陽ざし長くなったなぁと思う今日この頃です。今月はまさに黄ゆずが旬を迎えて、私は黄ゆずごしょうキットの発送や、黄ゆずごしょうオンライン講座にばたばたしております。
さて今週からは「よしえ食堂ができるまで」ということで私の人生を振り返っていこうと思います。私の幼少期からお話しますね。

三つ子の魂、百まで

私は、大分県宇佐にある小さな漁師町に生まれました。父は高校の教員で、母も高校で家庭科を教えていました。
生まれてまもなくは両親の赴任先である大分県の久住町で育ちます。九州の屋根と呼ばれるくじゅう連山のふもとです。父が大の山男で、山岳部の顧問をしていてこともあり、山岳の全国大会が続くので山の中に赴任となったわけです。


両親は働いていたので、私は小さな町に唯一あった保育園に入園するのですが、お昼寝が苦手で退園になります。記憶の彼方に、ひとり園の庭で遊んでいたのを覚えています。「これあげるから、お昼寝しようよ」と、特別におやつをせしめては、先生を困らせていたようです。

仕方なく、近所で面倒を見てくれる人を探します。そして近所にすむ「初女ばあちゃん」が私を昼間育ててくれることになります。


「三つ子の魂、百まで」とはよくいったもので、私のソウルフードの「やっこめ*」「酒まんじゅう*」「とうもろこし」などの高原野菜も、竹田市にある但馬屋さんの「荒城の月と三笠野」はしっかり私の舌の歴史に刻まれています。おもしろいもので、今でも体調を崩したりするとお粥より、「やっこめ」が食べたくなったりするのです。あぁ、久しぶりに食べたいなぁ。


近所の人が集まってお茶を作る時は、いい香りの中で一緒に茶葉をもんでいました。きっと小さな手で、邪魔にしかなっていなかったと思いますが。大人数で、おもちを搗く時も、大勢でついては揉んで丸餅を作っていたと思います。
そんな原風景は今の私のなかにしっかりと残っています。

*「やっこめ」は、夏の間の未完熟の青い稲穂のお米を、水につけて炒って潰して乾燥させておいて、食べるときにお湯でふやかして、お砂糖やお塩を入れて食べるライスフレークのようなものです。翡翠色のお米の香りは独特です。手間暇がかかるので、廃れそうな食文化ですが、私は残したいと思っている貴重な「やっこめ」です。


*「酒まんじゅう」は、竹田市のある伊達屋(いたちや)さんなどの糀で作ったお酒の入らない酒まんじゅうは絶品です。昔はそれぞれの家々で、糀を発酵させてふくらませて作ったものです。それぞれのうちにはまんじゅうの種があって、冠婚葬祭やお正月やお盆には山のように並んでいました。蒸かしたてのつやっつやっでいい香りのする皮は先人の知恵そのものの本当にすばらしいおまんじゅうです。大分県の中でもこの辺りの独特の郷土のおやつです。

「幼稚園の先生になりたい」

私には2歳違いの弟が生まれます。初女ばあちゃんは、2人の幼子の面倒はみることができないと、昼間は別々の子守りのおばさんに育てられることになります。姉弟なのにいつも一緒にいて遊ぶという感じではありませんでした。2人の送り迎えをしながらの仕事との両立は、母も気苦労が多かっただろうと思います。


その後、母方の実家がある大分県宇佐市の母方の実家に引っ越して、祖母との同居がはじまります。私が4歳、弟が2歳になる年です。両親も転校し引越もして、新たな場所での新たな生活がはじまりました。母にとってはなじみの実家ですが、父も私たちも初めてのことに戸惑いが多かっただろうと今さらながらに思うのです。

私は、少し離れた場所にある幼稚園に通い始めます。当時はめずらしく幼稚園バスで送迎のある大きな幼稚園です。今となっては母が他界して聞くこともありませんが、保育園ではなくどうして遠い幼稚園に通わせることになったのか、たぶん両親と祖母で相談をしてのことだったのだと思います。


さて実は、幼稚園での私、とてもおとなしい目立たない子どもでした。お遊戯会では、町の人Aのような役回りで地味な存在でした。クラスにいる人の前に立って歌ったり踊ったりするおともだちが、本当にうらやましくてまぶしかった記憶があります。大人びた歌(わからない人も多いと思いますが、ちあきなおみの『喝采』とか)を熱唱するおともだちを遠くから眺めているような子どもでした。

そんな当時のアルバムに友松先生が書き留めてくれた将来の夢は「幼稚園の先生になりたい」でした。たった一行のそのページが、それからの私の人生にとっての大きな指針になりました。きっと私にとっての幼稚園の先生は、みんなのあこがれの的で人気者。キラキラした笑顔で、みんな困っていることを何でも解決してくれる姿は、魔法使いのように見えていたのだと思います。大人になってわかるのは、そんなに楽しいことばかりではなかったかもしれませんが、私にとっての先生は、本当に素敵なあこがれでした。
たぶん、私は将来、そんなあこがれの存在になりたい、そう思って「幼稚園の先生になりたい」そう書いてもらったのではないかと思います。

そんな私が、これからどうなるのやら、ぼちぼちおつきあいくださいね。

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