見出し画像

台所で学ぶ

人生脚本から

前回の続きからですが、幼稚園時代のアルバムの一番はじめのページに「おとなになったら、なにになりたい?」そう尋ねられて「ようちえんのせんせいになりたい。」と書き留めてもらっています。当時、担任の先生がどんな意図でそのページを書き記していたのかは知る由もないのですが。
その後、自分が大学生になって心理学の学びの中で「人生脚本は7歳までに書き終わる」といわれていると知ります。まさに、人生脚本のテーマはもしかしたら、このページにあったのかもしれないと思いました。私の人生のエッセンスを書き留めてくれた先生には、今さらながら感謝です。
(余談ですが、その後私は大学の幼稚園教員養成課程で学び、幼稚園の先生にもなったんです。この話はまたいずれ…)

祖母に学ぶ
地味でおとなしい子どもとして過ごした幼稚園時代から、そのまま小学校に入学します。うちからほど近い小学校は全校で700人ほどが在籍していて、そこそこ大きな学校でした。漁師町の高台にある小学校からは遠浅の豊前海から本州が望めました。春になると歓迎遠足は近くの海に行って貝掘りをします。6年生が1年生の分の貝を掘ってプレゼントしていたのも今となってはなつかしい思い出です。

そんな小学時代の私の毎日は、母が高校の教員として働いていたので、小学生の私と幼稚園に通う弟の面倒は祖母がみていました。
祖母は、とてもマメで働き者、良妻賢母を絵に描いたような人でした。祖母はひとりでありとあらゆる日常の野菜を畑で作っていました。さつまいもの苗をどうしたらいいか、落花生がどこに出来るかも、スイカやメロンの実り方も、野菜のいろいろなことは畑で祖母から教わりました。

お米は大事

小さな田んぼでは、自家用のお米も育てていました。日々、田んぼに一緒に出向いては、稲の成長や、用水路からの水の大事さを含めて地域のコミュニティのあり方も目の前で見せてもらいました(水の番は夜中でも明け方でも必要な作業でしたから)。お米ができるまでの長い日々も、田んぼで教わりました。祖母は、小学生の私には難しい話もたくさん聞かせてくれたように思いますが、なんとなくいろいろなことを感じることができました。

画像1

お米のとぎ方を教えてもらったのも祖母でした。お米をとぐようになったは小学校低学年だったと思います。「よっちゃん、お米はねぇ、とぐときに一粒もこぼさないように丁寧に手を添えてね。お米を作るのは大変なんだから。」と、勝手口にあった外台所で、冷たい井戸水で何度も水を変えていた光景は、今でも鮮明に覚えています。今になって、私がお米やごはんに限りない愛着をもっているのは、そのころの祖母の教えがあったからに違いないと最近は振り返っています。

もし祖母が生きていたら、無洗米ができたことも教えてあげなきゃ(笑)。

大切なことは台所で教わる
私が育った実家の台所には土間があって、そこに座っていろいろなことを祖母と話しました。季節の手仕事って、実は忙しいんです。梅仕事といえば、梅の見極め方から、梅酢の使い方、赤しその揉み方、土用干し、ゆかりの作り方など、たかが梅からいろいろなことをができるんだなぁと思ったものです。
裏庭に、山椒の実がなれば塩づけにしたり、三つ葉が茂ればおひたしになり、渋柿の木に登って柿をとっては干し柿にしたり、田んぼのあぜ道からはヨモギを摘んできて草もちにしたり、むかごをとってきてむかごごはんを炊いたり、思いかえせば発見の連続だったと思います。また、たくあん、高菜漬け、白菜漬けなどの加工食品だけでなく、魚のさばき方も、おまんじゅうやドーナツの作り方も、おもちの丸め方、あんこもちの作り方も教えてもらいました。

うちの実家にあるぬか床は、明治40年に曾祖母が起こしたものもの、手入れの仕方も習いました。ぬか床のぬかみそでいわしの炊き方も教わりました。画像2

おみそ作りも年中行事でした。昔はどこの家庭でも見られた光景だと思います。
「みその日」は、加工食品は冬の極感の雑菌が少ない時に仕込まなきゃと、寒い時期を見計らって、お天気を見ながら祖母が決めていました。
うちのお米を糀屋さんに持ち込んで糀に仕込んでもらいます。米袋で届いた糀を寒い廊下のむしろに並べて、ほぐしながら塩きりします。意味も分からず、言われた通りのことをやるだけなのですが、凍える小さな手で長い時間をかけてみそ用に糀に仕上げていきます。
みその日の朝は決まって寒いのです当然ですが「よっちゃん、今日はみその日だから、寄り道しないで早く帰ってきなさいよっ。手伝ってほしいことがたくさんあるから。」といわれると、とてもわくわくする気持ちと、今日はお友だちと遊べないのかぁとがっかりしながら帰りみちを急いだような気がします。(みその日の話はまた別の日に、みその日には決まりごとがたくさんあったので。)

食卓は連続ドラマ

「生きることは食べること」そう思うと、毎日毎日することがたくさんあって、「食卓が連続ドラマ」だということも知ります。台所の土間で、学ぶことは限りなく奥が深かったんだと気がつくと、土間のある台所が懐かしく思い出されます。そんな私も年を重ねながら、その経験を積み重ねていきます。もっと、祖母と話をしておけばなぁと思いますが。
どうぞこうご期待です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?