見出し画像

ボケクエ中ですが

最近の自分と大喜利についてツイキャスで喋ったことを思い出しながらまとめてみた


1.ボケを出す行為がパターン化している

これは大喜利してる人はそうだと思うけど、お題と向き合って、バチッとハマるこれだってボケを出すのが理想だと思っている。お題にハマるという点については、色々議論がなされている気がするのでここでは定義しないけれど。その理想に対して、最近の自分の思考法はどうかと言うと、お題とまあ遠からず近からずみたいなワードを並べて、お題に帰納するように形を整えたり、自分の中にストックしてる理屈みたいなものを引っ張り出してきて、同じくお題に結びつくように整えるみたいな非常にパターン化された乾いた作業になってしまっている。


2.裏パフェくらいまでは違った

僕は3Pのチーム戦で優勝し、裏パフェでもそこそこの結果を出したわけだが、この辺の大会の時のボケの作り方に関して言えば、前述のパターン化された作業とは異なっていて、かなりお題に向き合ってお題の意味を汲み取り、それに対するボケとして何が笑いを誘うかみたいなことを追求できていた気がしている。これは良い結果をもたらしやすい方法だし、良い結果を出した後に振り返ってみると、こういうやり方をしてるなという手応えもある。


3.ボケクエが始まって

ボケクエⅤが始まり、予選2試合目の投票期間になったわけだが、僕は1、2戦目ともに中位と不甲斐ない状況になっている。そして、今の大喜利に対するやり方、これは明らかに最初に述べたパターン化された作業になってしまっている。CGIでチームメイトにボケを見せるという側面がこれをさらに助長しているかも知れない。つまり、それらしいボケを並べてまあまあ納得してもらうみたいなことだ。自分自身としてはバチッとハマるボケが出せている感覚は無いし、チームの中での反応も、まあ大丈夫そうくらいのもになってしまっている。そして当然ながら結果が伴わない。1番つまらないボケクエのやり方になってしまっている。


4.思い出さなきゃいけないこと

1番大切なことは何か、こんだけ長々と書いて何も言ってなかったことがここで明らかになるわけだが、つまりそれは、人笑わせようとする試行錯誤だ。そういう作業をしっかり行って捻り出したボケはチームメイトにも響くし、本番での結果も出易い。そして、そのサイクルはとにかくやっていて楽しい行為になる。大喜利が楽しくなる。


まとめ

大喜利で票を取るために、勝つためにある程度ボケの出し方がシステマチックになるのは仕方ないとしても、見た人を笑わそうという意思がなければ、良いボケは生まれないし、やってる本人が何よりおもしろくない。急がば回れというか、勝って、ボケをみんなの記憶に刻み大喜利おもしれーと感じたいなら、純粋に人を笑わせにいくという態度が本当に大事だ。笑いながらボケを出すくらいに。


以上。

本当に何も言ってないことをお詫びします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?