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近衛文麿『清談録』の復刊

(2015/07/07記)

 ここ数年来、「戦後七〇周年企画、千倉書房さんは何をやるの?」と聞かれる機会が何度かありました。日頃、近現代政治外交史の書籍をお手伝いしているので、書店さんや読者のかたに関心を持っていただいたようです。

 いろいろ考えたのですが、やはり創業八六年を迎える老舗としては、時代を映した自社コンテンツの復刊をしたいなぁ、と。候補となった作品はいくつかありました。二〇一三年、有力候補として挙げていた高橋是清の『経済論』が、突如、中央公論新社の中公クラシックスに抜かれて悲鳴を上げたことも懐かしい思い出です(笑)。

 最終的に私が選んだのは、昭和一一(一九三六)年に当社から刊行された近衛文麿の『清談録』でした。日中対立の point of no return とも言うべき満州事変から五年。翌年に盧溝橋事件(日中戦争開戦)を控えたこの年が胚胎していた空気に思い至れば、いま私が再び本書を世に送ろうとする意図は想像できるでしょう。

 日本はロンドン海軍軍縮会議から脱退し、天皇機関説を唱えた美濃部達吉が右翼に襲撃されて負傷。陸軍の青年将校たちが「昭和維新」を目指して政府要人を謀殺したクーデター未遂、二・二六事件が勃発して東京市中に戒厳令が布告されたのもこの年です。

 斎藤隆夫の粛軍演説というカウンターアクションもありましたが、日独防共協定が締結され、年末にはワシントン海軍軍縮条約が失効するという流れを押しとどめることは出来ません。

 世界に目を向ければ、米国では現職大統領のFDRが再選を果たし、スペイン内戦が勃発(いち早くフランコ政権を承認したのはドイツとイタリアでした)。大陸でも、謀略の果てに関東軍が中国軍に敗れる綏遠事件、四川省の成都で日本人新聞記者が殺害された成都事件、広東省の北海で日本人商人が殺害された北海事件、秋口には漢口で邦人巡査が射殺されたり、上海で日本人水兵が狙撃されるなど、きな臭い事件が頻発していました。

 また、同年は「前畑頑張れ」で名高いベルリン・オリンピックが開かれた年であると同時に、ローマに競り勝った東京が次期オリンピック開催地に決定した年でもあります。次は東京オリンピックだなんて、どこかで聞いたような状況じゃありませんか。

 近衛は政治指導者として早くから将来を嘱望された青年貴族でした。彼は本書を刊行した翌一九三七年(第一次)、そして一九四〇年(第二・三次)に内閣総理大臣として帝国日本の舵取りを担い、戦争への坂道を転がり下るような惨憺たる事態を招きます。

 そんな近衛が、日本が大陸政策や対米関係などで困難を加えていくこの時期に、何を感じ、考えていたのかを読むことは、その後の近衛の行動や軍部の振る舞いといった歴史の顛末を知る我々にとって大いに意味のあることだと思うのです。

 とりわけ、雑誌『日本及日本人』の一九一八年一二月一五日号に掲載され、本書の第五篇二節に収められた論文「英米本位の平和主義を排す」は、ある意味で歴史的な文書といえます。パリ講和会議前後の日本が置かれた立場を、これほど明瞭に述べたものはなく、そしてここに書かれたことが、結局、両大戦間期における日本の立場となっていったからです。

 中西寛さんが『国際政治とは何か』(中公新書)のなかで、この論文を「大正から昭和にかけての日本を、おそらくそのマイナス面を含めて代表していた」と評しているのも、そうした点を踏まえてのことでしょう。

 翌年、第一次大戦の戦後処理を話し合ったパリ講和会議(一九一九年)に全権・西園寺公望の秘書として参加した近衛は、鮮やかな筆で華やかな会議外交や高揚する調印式の様子を描き出しますが、その一方、欧米列強優位で進められる世界秩序作りに強い不信を隠しません。

 それは、当時少なからぬ日本人が欧米社会に対し抱いていた抵抗感や不満をすくいあげ、多くの支持を集めるとともに、広く社会に近衛首相待望論を醸成し、あるいは日本の大陸進出、南方展開を正当化する材料ともなっていったのです。

 筒井清忠さんの『近衛文麿』(岩波現代新書)は、その人となりを描くのみならず、近衛に代表される貴族たちが置かれていた当時の社会的状況を鋭く描き出しています。筒井さんは、近衛の論調が折々の日本を包んでいた空気に触発されていることを指摘し、これを近衛の転向のように言うのは事態の実相にそぐわないと看破します。近衛の転換は世界情勢の転換に伴って多くの知識人を襲ったものの一事例にすぎないからです。

 大正後期の国際協調主義の時代には長男を米国に留学させ、国際連盟にシンパシーを寄せ、昭和に入って各国にナショナリズムの機運が高まると、次男を軍の学校に入れ、「英米本位の平和主義を排す」を書くわけです。

 その意味で近衛の議論の変転の中から我々は、当時の日本人が自己をどのように説明しようとしたかを知り、その問題点をよく認識し、今後の糧とすべきなのだろうと考えます。

 本書は全体として、一九三六年時点における日本人のシャープな自己告白の書であり、ここで書かれた道筋を辿って日本は戦争への道を進んでいくことになりました。

 パリ講和会議から戻った近衛の述べる「所感」のうち、「力の支配のなお残っていること」に注目しすぎると、結局、解決策は力に頼らざるを得なくなります(戦争に近付く)が、「日本人の世界的知識の養成」の道を強く進んで行けば、そうはならなかったことでしょう。どうすれば日本は戦争への道を避けられたのか。自問した筒井さんは言います。「本書のような危ういバランスに乗った書物を読むことによってのみ、そのための思索は鍛えられる」のだと。

 近衛文麿『清談録』(千倉書房)は七月一四日に完成します。七月二二日前後には全国の書店さんで手に入るようになると思います。思い切って関連年表と人名索引と読書案内も付けました。私の人件費を考えりゃ、これで定価三二〇〇円、税込三四五六円はじつに安い!(笑) ぜひぜひ!書店で手に取ってみてください。

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