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著者を仲立ちにした連帯感

(2023/03/08記)

 ある著者から、これまで自分が発表してきた論考をまとめ、一冊の本にしたいというお申し越しがあった場合、要望を受けた出版社の担当はまず、それぞれの発表媒体に論文の転載許諾を申請することになります。

 業界的には、転載を申請するにあたり、論文の発表から三年程度経過していることが望ましいとされます。月刊誌や学会誌への掲載ならまだしも、論集のなかの一章だったりすると、まだ販売中の書籍の一部を使われてしまうわけですから、原出版社としては止めてほしいというのが本音でしょう。

 とはいえ、著作権は著者に属しますので、本来、経過した時間にかかわらず著者が転載を望めば、それを原出版社が拒むことは出来ません。口の悪い人は「許諾申請なんてどうせセレモニーでしょ」と言いますし、実際、申請して断られたことは(断ったことも)ありません。

 しかし、だからこそ、発表媒体の権益を侵す可能性については、最大限の心配りが必要だと考えます。私は発表からどれほど時間の経った作品であっても、書籍に採る際にはかならず転載許諾申請を行い各社に仁義を切ります。

 二〇二二年五月に亡くなられた中山俊宏さんの『理念の国がきしむとき』(千倉書房)を編むため、様々な媒体に寄稿された論考を集め、各社に転載の許諾を乞うた折のことです。

 じつは、本書のためにセレクトした論稿の中には、三年どころか短いもので発表から一年未満というものもありました。とはいえ「追悼の書」という性格上、すべての論考が三年経過することを待つわけにはいきません。

 例えば某社宛の手紙に私はこのように書きました。

「両稿はいずれも掲載から日が浅く、おおよそ三年経過の後、という転載に関する慣習からすると、いささか礼を失するお願いとなってしまっております。ただ、関係者のご要望、故人の追悼という事情に鑑み、なにとぞご海容のうえ、ご承諾いただければ幸甚に存じます」

 叱られるかもしれない、嫌みの一つもあるかも知れない、そんなことを思いながら書いた一文でした。

 ところが戻ってくる承諾書には、担当者から一筆そえられたものが散見されました。そのいずれもが、著者の死を悼み、深い悲しみを共にする言葉でした。

 普通、承諾書にはサインと判が捺されているだけ。同封した返信用封筒のラベルに「御中」の文字もなく、まして添え状があるケースなど希なのです。

 転載を許諾する、というごく事務的な文面の余白に、余人を以て代え難いオピニオンの喪失、同時代を生きた同世代夭折の衝撃、愛すべき人となり、忘れがたい仕事ぶり、それぞれの担当者が向きあい、感じた中山俊宏というパブリックインテレクチュアルの姿が立ち現れていました。

 四半世紀近い編集者人生において、このような経験は初めてのことでした。

 文眞堂、新潮社、中東調査会、PHP研究所、国際貿易投資研究所、慶應義塾大学出版会、東信堂、日本国際問題研究所、朝日新聞、有斐閣、都市出版、東京大学アメリカ太平洋地域研究センター、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、木鐸社、国際安全保障学会、岩波書店、中央公論新社(順不同)。

 みなさんのおかげで、中山さん晩年のお仕事を時系列で追う、充実した論文集成をまもなく世に送ることが出来そうです。

 個人名を挙げることは控えますが、ご厚情を賜りました各社各位に心より御礼申し上げます。


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