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戦争よりも本がいい

(20200216記)

 昨年(二〇一九年)八月三十日、ドイツ文学者・エッセイストとして多くの読者に愛された池内紀さんが亡くなりました。

 昨年夏の酷暑で体調を崩されていたことを知らなかったため、実感としてはまさに急逝としか言いようのないお別れでした。

 「愛書家の楽園」には、みすず書房をはじめ白水社、青土社、岩波書店、NTT出版、作品社など、池内さんの単著・編著を刊行している出版社が多数参画しており、実際にお付き合いのあった編集者もいます。

 私自身は、二十数年前、ご縁があって拝眉の栄に浴し、以来、折々お願いに上がったものの、残念ながらお手伝いの機会は得ずに終わりました。

 それでも、比較的熱心な読者であるとの自負から今回の企画を提案したところ賛同をいただき、池内ファンの同人たちからは推薦図書を挙げてもらうこともできました。端正で静謐で軽妙で、ヒヤリとするような透徹した観察眼を持った希代の名筆を偲ぶ本棚。長きに亘りご厚誼にあずかった関係者たちから最後のラブレターのつもりです。

 池内紀と言えばカフカ、そんな印象を持つかたも多いでしょう。

 私もある時期、池内さんは自らをカフカになぞらえていたことがあるのではないかと思っています。

 池内さんが自ら訳し編んだ、岩波文庫の『カフカ短篇集』(七八〇円)は「純粋散文の見本」とまで言われた「掟の門」をはじめ、「田舎医者」「狩人グラフス」「万里の長城」といった代表的な短篇が収められ、池内さんの訳業のエッセンスを読むことが出来ます。

 奇妙な味わいを持つ「現代のお伽噺」を介した、作者と訳者の対話とも言うべき同書の解説も良いのですが、池内さんご自身によるカフカ解説として出色と思われる『カフカのかなたへ』(原著は青土社、現在は講談社学術文庫)が品切れなのは惜しまれます。

 カフカをめぐる池内さんのお仕事でもうひとつ特筆したいのが『ミレナへの手紙』(三三〇〇円・白水社)です。

 ジャーナリスト・翻訳家であったミレナ・イェセンスカー(人妻でした)が「カフカの恋人」と呼ばれるようになったのは、三年にわたりカフカから毎日のように(時には日に何通も)送られた手紙が遺されていたこと、それをカフカ全集の編者マックス・ブロートが「過去の人類史において最も素晴らしい恋文の一つ」と評したことによるでしょう。

 カフカは手紙に日付を入れなかったため、遺された手紙をどの順番で読むかによって含まれるニュアンスが変わります。

 それを最新の研究に沿って並べ替え、訳出した本書は、カフカのひととなりに深く迫るものとなっています。

 訳業からはもう一冊、ヨーゼフ・ロートの『聖なる酔っ払いの伝説』(一〇二〇円・原著は白水社、現在は岩波文庫)をお勧めします。

 カフカとは明らかに異なりながらどこか通底する寓話性を醸し出す本作は、ナチスの台頭によって亡命者となる作者の運命を踏まえることによって、まったく不穏なリアリティを帯びはじめます。その緊張感が淡々とした訳文の筆致とじつに合うのです。

 池内さんには旅人というイメージもありました。

 ひなびた温泉町から東欧の街角まで、ひょっこりとその場に現れ、着慣れたシャツのように風景に馴染む、そんな趣を感じたものです。

 ただし、中公新書に収められた『ひとり旅は楽し』(七二〇円)、『東京ひとり散歩』(七四〇円)、『今夜もひとり居酒屋』(七四〇円)という三部作が象徴的に現しているとおり、池内さんの旅は常に単独行が前提でした。

 それは、冷戦晩期の冴え冴えとした記憶をたぐるように冷戦終結後のベルリンを旅する「ベルリンの壁売り男」、聖母像を隣町の教会へかついでいくイタリア南部の宗教儀式をスケッチした表題作などを収めた『マドンナの引っ越し』(一六〇〇円・晶文社)にも色濃く滲みます。

 野呂邦暢、澁澤龍彦、西江雅之、須賀敦子ら、忘れがたき人々の記憶を「歩いたあとを辿るように」描いた『亡き人へのレクイエム』(三〇〇〇円・みすず書房)の「あとがき」に、作中に採りあげた二八人を選んだ基準として「徒党を組むのをいさぎよしとしなかった」ことが挙げられているのも印象的です。

 山岳文芸誌「アルプ」に掲載された作品から、池内さんが佳作をセレクトした編著『小さな桃源郷』(九〇〇円・原著は幻戯書房、現在は中公文庫)、『山の仲間たち』(二三〇〇円・幻戯書房)においても、独行の視点は貫かれていました。

 学生のころから山が好きで、たいてい一人で寝袋をかつぎ山に入ったという池内さんが両書のために選んだ、それぞれ三十編強のエッセイの筆者たちは、「何てこともない山野をめぐって一向に倦ま」ず、「魅力ある個性」を持ち、「友人は多いだろうに、どこかしら孤独の影をもっていた」と言います。

 この、あとがき代わりの小文に見える一節は、そのまま池内さんへの評言としても読めそうです。

 どこか懐かしい風景を心に呼び覚ますのも池内さんの旅のスケッチの特徴で、『日本風景論』(一六〇〇円・角川選書)はその代表作といえるでしょう。

 「水」「穴」「島」「像」という四つの記憶をたどって全国の街を歩く、道行の情景を追体験するうち、いつしか自分も旅支度をしなければいけないような、物狂おしい気持ちになってくること請け合いです。

 池内さんは温顔のうちに冷徹な観察眼を宿した人でした。

 その規矩には、自らを律すること、人との間に一定の距離を取ることなどがあったように思います。

 市井の人々に向けられる、鋭くも温かいまなざし、そして、ひとつの物事に精進し、突き詰めたプロフェッショナル、作家や職人、芸術家たちへの深い敬意は、その文章の魅力を引き立てる独特の香気となっていました。

 理髪師、時計師、粉ひき、精肉業、古書肆、石工、タバコ商、船乗り、道化師、とむらい屋……マイスターの国ドイツに、ものづくりの魅力と文化を訪ねる『ドイツ職人紀行』(二二〇〇円・東京堂出版)は、散文として文化史として、心地よい読み応えがあります。

 さらに、優れた人間観察と洞察は数々の魅力的評伝を生み出しました。

 『ファウスト』を翻訳している池内さんが『ゲーテさんこんばんは』(六二〇円・集英社文庫)という評伝を出したときは、そのタイトルの卓抜さ、文章がまとうそこはかとない愛情とユーモアに感じ入ったものです。

 まるで旧友と言葉を交わすような叙述は、時に評伝の閾を超えてゲーテの心象に踏み込みますが、「きっとこういう人だったんだろうなぁ」と納得させられてしまうのは、きちんと手紙や資料を読み込んだ上でのことだからでしょう。

 心憎いばかりに凝った造本・装丁が目を引く『恩地孝四郎 一つの伝記』(五八〇〇円・幻戯書房)は、ほとんど忘れられていた版画家であり、詩人であり、装丁家であった恩地に光を当てた初めての評伝でした。

 戦争へ向かう軍靴の時代の日本で、抽象絵画や写真、コラージュといった先駆的な創作活動を繰り広げた芸術家が書きつけた、「底ぬけのつまらなさだ。/底ぬけのわびしさにつながる」という「孤独」と題された詩を読むと、その寂しさを感得する池内さんと響き合うところがあったのだろうと想像力の翼が広がります。

 そして「たえず、振り捨てるため」「そこから出ていくために」、「人はふるさとを持たなくてはならない」という謎めいた序文に、思わず引き込まれてしまうのが、故郷とのかかわりを切り口に、一二人の作家の人生を描いた『出ふるさと記』(中公文庫、現在は品切れ、kindle版あり)です。

 金子光晴には「漂流物」、坂口安吾には「逃走」、中島敦には「巣穴」、尾崎放哉には「雲隠れ」という表題が付され、興味をそそります。高見順、安部公房、田中小実昌、深沢七郎たちが、どう表現されているかは、ぜひご自身で確かめてください。

 人々の営みに目を向ける池内さんのお仕事はどれも素晴らしいので、その中でも、困窮の内に黙々と博物学の研究を続けた「もうひとりの熊楠」を描く「大上宇市」や、まさに「もうひとりの宮沢賢治」を地で行った「尾形亀之助」などを収める『二列目の人生 隠れた異才たち』(原著は晶文社、現在は集英社文庫)と、おそらく池内さんが人生のあり方の一つの目標としていたと思しい、詩人・辻まことの評伝『見知らぬオトカム』(みすず書房)については、なるべく品切れ状態を解消していただきたいところ。

 善し悪しや好悪の基準がとてもはっきりしていた池内さんのお仕事をたどると、氏が共感を覚えていたであろう人々の系譜が見えてきます。

 それはアンソロジーに添えられた解説や「まえがき」のなかにひょっこりと顔を出すのですが、例えば池内さんが「散歩の楽しさ」と「静かな文章」を教えてもらったという岩本堅一のエッセイを集めた『素白先生の散歩』(二四〇〇円・みすず書房)や、読んでいるうちに著者の文章か編者の文章かわからなくなってしまうほど語り口の似た数学者・森毅の『森毅の置き土産 傑作選集』(一八〇〇円・青土社)の解説を読むと、生前に交流があった、などということとは別の深いところで繋がりがあることが伝わってきます。

 無論それは時代を越えて著者と編者の心を結びつけます。

 一人旅と酒を好んだ漂泊の歌人・若山牧水の紀行文を編み直した『新編みなかみ紀行』(六四〇円・岩波文庫)や、森鴎外の長男・森於菟七一歳の作品を表題に掲げた『耄碌寸前』(二六〇〇円・みすず書房)、ウィーン生まれのユダヤ人作家、ヒトラーの迫害を受けて米国へ流転しながらも優れた伝記作品を遺したシュテファン・ツヴァイクの選集『チェスの話』(二八〇〇円・みすず書房)に添えられた「解説」は、どこかいかめしい編者による解題などではなく、著者たちへの愛着と共感の表明と言えるでしょう。

 本文を読み、解説を味わい、再び本文に戻ると、それまでとは少し異なる風景が眼前に広がっていることに気づきます。

 哀感と華やぎのあいまった解説に目を通すたび、本読みとしての池内さんの誠実さ、怖さ、優しさを感じずにいられません。

 本と読書をめぐっては、『本は友だち』(三〇〇〇円・みすず書房)、『戦争よりも本がいい』(講談社、現在は品切れ、kindle版あり)というエッセイ集もありますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。

 体調を崩す前年の二〇一七年、池内さんは『記憶の海辺 一つの同時代史』(二四〇〇円・青土社)と『すごいトシヨリBOOK』(一〇〇〇円・毎日新聞出版)という二冊の本を刊行しています。

 前者の帯には「最初で最後の自伝的回想」の文字が並び、後者の本文には「下り坂が楽しくなければ、苦労して坂道を上がってきた甲斐がありません」という一節がありました。

 両書を読んだ私は胸を衝かれました。常に若々しくあった池内さんが老いを自覚し、自分の人生をまとめ、眺めわたす作業に入ったこと、それはつまり氏と出会ったとき二十代だった自分もまた初老に差し掛かったことを意味するからです。

 いま私は、折につけこの二冊をひもときます。まもなく訪れるであろう、自らを振り返る時に備えて、心の準備をしておこうというわけです。

 『すごいトシヨリ……』は池内さんが老いの道行で発見したこと考えたこと、老人になるとはどういうことか、などを軽妙な筆で描き出します。

 おそらく出版社が付けたと思われるサブタイトル「トシをとると楽しみがふえる」に偽りはありません。

 『記憶の海辺』はけして激することのない、いつも通りの静かな筆致で、池内少年(一〇歳)が朝鮮戦争の一進一退に困惑する一九五〇年から、還暦を迎え、人生を賭けた訳業であったカフカ全集を完成させる二〇〇一年までの人生を回顧します。

 図らずも日本の戦後史の一断面になっているのは、自身の経験と社会の動きを一歩引いた、醒めた目で観察しているからでしょう。

 人生という旅の折々を描く味わい深い文章は、紀行文の名手の面目躍如と言えます。

 優れない体調、衰えゆく肉体と戦いながら、人生最後の一年をかけて池内さんが書き上げたのが『ヒトラーの時代』(八六〇円・中公新書)でした。

 「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」というサブタイトルが付された本書が、いくつかの事実関係の誤認からネット上でたいへん厳しい批判に晒されたことをご存じのかたもいるかもしれません。

 しかし同書の「あとがき」に見える「ドイツ文学者を名のるかぎり、ヒトラーの時代を考え、自分なりの答えを出しておくのは課せられた義務ではないのか」との覚悟に触れると、指摘を受けた事実誤認が同書の価値を決定的に損なうものではないとも思うのです。

 じつは、このあとがきの文章は、池内さんが一九八八年に刊行した、「偉大なるディレッタント」エーゴン・フリーデルの生涯を描いた評伝『道化のような歴史家の肖像』(みすず書房、現在は品切れ)と響き合っています。

 同書の最終章「死の威嚇のもとに」は、一九三三年から一九三五年にかけての、ヒトラー首相就任、ナチス独裁開始、ユダヤ人弾圧の始まり(ニュルンベルク法成立)といったトピックを駆け足に概観しつつ、このユダヤ人歴史家に迫る「死の威嚇」を淡々と、しかしひりつくような筆先で描写していきます。

 オーストリア併合のわずか三日後、『近代文化史』の著者にして「笑う哲人」フリーデルはSSの来訪を受け、ウィーン一八区ゲンツ通り七番地のアパート四階から身を投じ六十年の生涯に幕を下ろしました。

 憂いと怒りが色濃く滲む文章を追うたび、やはり池内さんは心の深いところに、「ドイツ文学者としての義務」忍ばせていたのだ、そして、最後の力を振り絞ってその責務を果たすための一書を遺して世を去ったのだ、という確信めいた思いを抱きます。

 最後に前述した『すごいトシヨリ……』から一文を引いて筆を擱きたいと思います。

 「これまでずっと、どんな生へ向かって、どんなふうに生きるかという選択をしてきた。最後はどんな死へ、どんな死に方をするのかという選択があっていい。/僕は、風のようにいなくなるといいな」

 願いは叶った、と信じます。さようなら、池内紀さん。

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