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新シリーズの出発

(20091009記)

 千倉書房の創業八〇周年を記念して立ち上げる新しいシリーズ「21世紀の国際環境と日本」の第一弾として、水本義彦さんの『同盟の相剋』(千倉書房)がまもなく書店に並びはじめる。

 自信はある。でもそれ以上の心細さ、慚愧がつきまとう。それは新刊を世に送るとき、いつも感じることである。

「おまえは十全を尽くしたか…」「著者のため、読者のためになっているか…」「商品として成立しているか…」「おまえの本作りは正しかったか…」

 悪夢はさいなむ。

 じつは本書が印刷・製本工程にまわってから致命的な誤植が発見された。二ヶ所はどうにかなるが、もう一ヶ所はどうにも手の打ちようがなかった。

 営業の児島正人さんに指摘を受けた瞬間、目の前に青い斜線がかかって息も出来なくなった。胃が煮えたぎるように熱くなり、本当に吐きそうだった。

 見本を持ってきた中央精版の田邊圭吾さんをその場で引き留め、修正の指示を出した。

 つきものの刷り直しと巻き替え、私自身七年ぶりとなる、とあるページの一丁切り替えまでやった。

 田邊さんが現場に直接電話してラインと職人さんを押さえてくれたので、工程的には最短の時間で修正作業は済むことになった。

 そのスケジュールを持って児島さんが取次と交渉し、奮闘の末、広告や書店搬入といった販売上の確定スケジュールに遅滞は起こさないで済んだのは不幸中の幸いだった。

 水本さんには事情をお話しして見本と献本の発送をお待ちいただくことになった。せっかくのデビュー作を襲った事故を、こころよくお許しいただいたのは本当にありがたかった。

 その後、田邊さんの持ってきた修正の見積もりは、私の見立てよりも二万円弱安かった。「ウチ(中央精版)としても、この企画応援してますんで」と彼は笑った。

 いくらなんでも彼の一存でここまで出来まい。その上司であり、中央精版の歴代担当者、今は部長になった成川茂雄さん(二代目)、取締役になった元木純一さん(初代)の顔が浮かんだ。

 つきものデータ修正のためにデザイナーの米谷豪さんに電話をすると、彼も衝撃を受けて言葉をなくしてしまった。「これ入力したの僕ですね…」。でも最終チェックは私の仕事であり、誤植の責任はすべて私にある。

 結局、米谷さんは新叢書のパッケージング、本文組みの実務を担当してくれたにもかかわらず、通常の請求から九万円ディスカウントしてくれた。「もっとヒドイ仕事させる出版社から取りますよ」と彼は笑った。

 そして忘れてはならないのは、原価率二・三パーセントの上昇をニヤリと笑って許してくれた千倉書房社長、千倉成示さんである。原価計算シートを一瞥して対応を即断してくれたことに深く感謝している。

 各所に迷惑を掛けて、ようやくここまで来た。それでもなお遺漏はあるだろう。しかし、そのことを受け止めて前進しなければ明日はない。

 そんな前向きと後ろ向きな気持ちが交錯する折、水本さんからメールが来た。細谷雄一さんがブログで本書を採り上げてくれているというのだ。ちっとも気づかなかった。

 私が細谷さんの面識を得たのは意外に遅い。きちんとお話ししたのは二〇〇二年のサントリー学芸賞授賞式が最初だ。受賞作『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)の感想を述べる私に対する落ち着いた物腰の中にも俊英の煌めきは明らかで、その才気に私は強く魅せられた。

 すぐに約束をもらって、次にお会いしたのは、まだ改装前の都市センターホテルの喫茶ではなかったか。最初に執筆のお願いをしたときに細谷さんの口から出たのは「ブレアをやってみたい」という言葉だった……。

 あれから幾星霜。かの人は現在、サバティカルの二年目でパリ政治学院にある。フランスの学生に英語で日欧関係を講じているのだ。

 私が足踏みや遠回りをしているうちにも、輝きを増した彼は、次々と新しい地平を切り開き続けている。

 あのとき話に出たブレアに関する研究は、『倫理的な戦争――トニー・ブレアの栄光と挫折』として、この一一月には慶応義塾大学出版会から刊行される。

 その留学の様子を伝えるブログに掲載された水本書の紹介。忙しいパリ暮らしの時間を裂いて暖かい言葉を寄せてくれていた。一語一語を追っていると時折、喉が鳴った。

 わずか五年ほどの間に本当に色々のことがあった。それを乗り越えることが出来たのはすべて周囲の人々のお陰である。

 細谷さんの文章とともに、諸々が急に胸元に押し寄せ、ほんのちょっとだけ、私は泣いた。

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