見出し画像

きちんと読んできちんと書く

(2023/01/05記)

 きちんと読んできちんと書く。

 五十をとうに過ぎ、残り少なくなってきた編集者としての日々を送るにあたり、これを日常生活の中に取り戻すことを訴えていこう、と考えています。

 深い思索をめぐらせ、頭の中だけで完結させることはとても困難です。思考の道筋や分岐、繰り返しや後戻りなどを含め、すべての行程が思索の部分であり全体であるからです。

 それらを定着させ、後の検証に耐えるかたちにするには、一貫していて明晰で説得的な叙述が必要です。ヒトが論理的であるためには、文章を書くという行為が欠かせないと思うのです。

 我々が推敲と呼ぶ、文章を練り直す作業こそ、熟考熟慮の本質であると私は考えます。

 文章を書くためには、前提となる知識と先行する議論を押さえなければなりません。これは「論文を書く」ための話ではなく、「自分の思うところを明らかにする」上で、という間口の広い話のつもりです。

 私たちはある日突然、ここに居るわけではありません。「私」が知らないだけで、いま世界で語られ、信じられていることの背後には、そこに至る膨大な言説の蓄積があります。そのことに謙虚であるべきです。

 国際社会を遠望にしつつ目の前のあれこれを注視すると、「日本でもイデオロギーの分極化が……」みたいな胸騒ぎがしますが、一歩引いた視座から、いま起きていることの実態を観察すると、きちんと読まず、きちんと書かない状況を放置してきた故の勉強不足と、それに由来するコミュニケーション不全なのではないか、という気もしてきます。

 迂遠に見えるかも知れませんが、私たちに残された方策は一冊の本を手に取ることだけではないでしょうか。

 とはいえ、「シラバスに『教科書購入不要』と書いてある授業を選ぶ」とか、「講義で教授が知らないことばかり話すので馬鹿にされているような気がする」といった、SNSにアップされる一部学生のエントリを見るたび、過去三十年に及ぶ教育の空洞化のツケを取り返すのは容易でないと思わざるを得ません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?