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旅の先達

(2004/08/29記)

 私にはおそらくこの本がなかったら生きていなかっただろうと思う本が3冊あって、そのうちの1冊は池内紀さんの手になる『マドンナの引っ越し』(晶文社)である。

 雑務に追われる東大教授の座を「灰左様なら」とばかりに擲って筆耕に転じた硬骨の自由人。穏やかで暖かな筆致の下に自律と辛辣に満ちた審美眼を隠し持つ稀代の批評家。

 その人となりを表する言葉はいくつも思いつくが、池内さんの文章の良さを伝えることはなかなか難しい。ただ、その美しさと優しさの多くが池内さんの人間性そのものからわき出していることだけは断言できる。

 職場も家庭も行き詰まり、血が荒れてどうにもならない時期、この本を読むことだけが自分を取り戻す唯一の手段だった。それは池内さんの軌跡を追体験し、未知の街角で花売りの娘や年老いた酔っぱらいと邂逅を果たす道行きであった。

  透徹した観察と端正な筆遣いで描き出される山の隠者や伯爵夫人の姿に思いを馳せることで、私の精神はかろうじて平衡を保っていた。

 専門はドイツ文学、カフカ研究であり、そちらの実績については『ちいさなカフカ』(みすず書房)は別格にしても、『カフカのかなたへ』(講談社学術文庫)、『となりのカフカ』(光文社新書)、『カフカの書き方』(新潮社)をはじめとする膨大な著作群を手繰ってもらえばよいが、私は旅の風景や小さな出会いを慈しむようにまとめた掌編をより愛する。

  登場人物と書き手の間に置かれた微妙な間、距離感覚が好ましい。それは私にとって自身目指しつつ未だ到達し得ない境地として意識されており、このように年輪を加えたいという、ひとつの理想である。

 (パーティや授賞式の会場ではなく)初めて個人的にお目にかかったとき、私はプラハへ向かう旅の直前だった。私は贅沢にもプラハで訪うべき場所を教えていただくことを理由に拝眉の栄に浴したのだった。

 池内さんは丁寧にいくつかの地名を挙げ、控えめにエピソードを添えた。さらに翌日には、昨日伝えそびれたところがあったから、との言葉を添え、ご自宅からわざわざ手書きの地図をファックスしてくださったのである。

 会話のなかで、池内さんが同じころ仕事の関係でプラハを訪れる可能性があることを知った私は何気なく「現地でご一緒できれば嬉しいのですが」と口にしていた。「おそらく日程があわない」と柔らかく拒絶されたが、いまならば、たとえ日程が合っていても、その申し出は受け入れられなかったことがわかる。私は池内さんの距離感を踏み越えてしまっていた。単独行の旅人にむかって迂闊なことを言ったと反省している。

 お付き合いも久しくなった頃、あるとき朝から池内さんとお目にかかることがあり、その前日、軽さと綺麗なレモンイエローの生地が気に入って買ったばかりのジャケットを羽織っていった。

 すると用向きの話が済んで、席を立つ段になって池内さんが突然、表情に笑いを含むと「それはおろしたてですか?」と訊ねてくるではないか。内心しまったと思いつつ、観念して「そうです」と応えると、さらりと、でも楽しげに「麻のジャケットにしては綺麗すぎると思いました」とおっしゃる。

 麻はシワがあってこその味わいである。ぴかぴかのジャケットはよほど違和感を漂わせていたらしい。

 打ち合わせのあいだ、ひとつも表情を変えずに観察されていたかと思うと、自分の浅さ、薄さを見透かされたようで恥ずかしかったが、どう足掻いてもこのあたりがいまの私の精一杯である。

 吉祥寺駅の改札をくぐりながら、背後から「まだまだ若い。でも、ま、がんばんなさい」という池内さんの声が追いかけてくるような気がした。

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