読書名人傳

(2005/01/29記)

 本屋の店頭であまり悩まない。極端に値の張るものについては躊躇もするが、気になった本はなるべく購入するようにしている。

 一見、手当たり次第に思われそうだ。でも以前に比べ、確実に無駄な本を買わなくなっている。すべてに目を通すわけではないものの、タイトル、装丁、版面、目次、書き出し、著者プロフィール、版元などを頼りに面白そうな本のアタリをつける。その勘が長年の蓄積、精進、投資で多少なりとも磨かれたのだと信じたい。

 以前はやっとの思いで読了して怒ることなど茶飯事、ひどいときには一章で本を投げ出すことさえあった。書店では確かに面白そうな気配がしたから買ったのであって、誰にも文句は言えない。つまらない本にではなく、自分の見立ての甘さに腹が立つわけだ。

 最近、そうした経験が著しく減った。これだけ有象無象が刊行されている出版業界で「つまんないナァ」という本にほとんど出会わずに済んでいるというのは、それなりの目配りのなせる業であって、すこしばかり胸を張っても良いのではないか、と思わないでもない。

 しかし読書の世界は果てしなく、斯界には遠方に白く輝く高峰の如き先達が綿々と連なっているのである。私程度の本読みは雲霞の如くいて、強いて言うなら私の読書は「所詮讀之讀といふもの」であって「未だ不讀之讀を知らず」というところだ。

 なにをきっかけに知遇を得たか、まるで覚えていないのだが、私は松坂博さん、高橋一清さんという文藝春秋でも異色の編集者二人から教えを受ける機会があった。その二人の口から、まったく別の折に「本は読まなくても大体わかる」「読んだ感想が読前の印象から出ることはない」という要旨の話が何度か出たことがあり、当時は思いがけないこととして聴いたせいもあって、ひどく印象に残っている。

 両氏ほど本に通じている人はなかなか少ないが、その二人が本を読まないというのである。もちろん『書を捨てよ町へ出よう』という寺山修司の諧謔を真に受けてはいけないのと同様、二人の言葉を額面通り受け取るわけにはいかないが、その話を聞いたとき、真っ先に思い浮かべたのが中島敦の「名人傳」(新潮文庫の『李陵・山月記』に収録)であった。

 趙の時代、邯鄲の都に住む紀昌は天下第一の弓の名人になろうと、名手・飛衞に弟子入りした。五年かかって射術の奧儀を皆伝され、「百本の矢を以て速射を試みた所、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るがゆゑに、絶へて地に墜ちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本の如くに相連な」るに至る。師から学ぶことのなくなった紀昌に、飛衞は、これ以上、この道を極めたいなら西方にある霍山の頂に住まう甘蠅老師を訪ねるように言う。

 ところが一月近くかかって、霍山の頂にたどり着いた紀昌を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、よぼよぼの爺さんだった。紀昌は自分の技量を見てもらおうと、いきなり弓を手に執り、矢をつがえると、折から空を飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定めた。「弦に應じて、一箭忽ち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切つて落ちて來た」のを見て、老人は「一通り出來るやうぢやな」と微笑し、ここで紀昌に「だが、それは所詮射之射といふもの、好漢未だ不射之射を知らぬと見える」と宣うのである。

 不愉快な顔をした紀昌を老人は絶壁の際にある石の上に導く。そこは本当に崖っぷちで、遙か下の渓流が糸のようだ。その上でもう一度、同じことをするように言われた紀昌は、あまりの高さと足下の悪さに思わず石の上に伏せてしまうのだった。老人は紀昌に代わって石の上に乗ると「では射といふものを御目にかけやうかな」という。しかし老人の手には弓がない。

 不審な顔をする紀昌を老人は笑った。「弓矢の要るうちはまだ射之射ぢや。不射之射には、烏漆の弓も肅愼の矢もいらぬ」。そして上空で悠々と輪を描く、胡麻粒ほどの鳶に向かって、老人は見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のように引き絞って放つと、驚いたことに、鳶は羽ばたきもせず中空から石でも降ってくるように落ちてくるではないか。愕然とする紀昌。

 この老人の許に九年間留まり、紀昌は修行を積んだ。九年後、山を降りてきた紀昌の顔つきはまるで変わっていた。以前の負けず嫌いで精悍な面魂は影をひそめ、何の表情もない、木偶人形のような容貌だった。都は、天下一の名人となって戻ってきた紀昌に、やがて披露されるに違いない妙技の数々を期待して盛り上がった。ところが期待に反して紀昌は一向に要望に応えないどころか、弓さえ手に執ろうとさえしないのだ。

 訳を訊ねる者に紀昌は、めんどくさそうに「至爲は爲す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と答えるのだった。物分りのいい邯鄲の都人士はすぐに納得し、弓を執らざる弓の名人はいっそう彼らの誇りとなった。紀昌が弓に触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。邪心を抱く者は彼の住居の十町四方を避けてまわり道し、賢い渡り鳥は彼の家の上空を通らなくなった……。

 山を降りて四十年後、紀昌は静かに世を去る。中島敦は、この物語を、紀昌が死を迎える一、二年前のエピソードで締めくくっている。ある日、老いた紀昌が知人の許に招かれ、その家で一つの器具を見つける。見憶えのある道具だが、どうしても名前が思い出せないし、用途も思い当たらない。

 紀昌は主人に、それは何という品物で、何に使うのかと尋ねた。主人は、紀昌が冗談を言っているのだと思ってニヤリと笑った。しかし老紀昌が三度、真剣な顏をして同じ質問を繰り返すと、はじめて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は、相手が冗談を言っているのでもなく、自分が聞き違いしているのでもないことを確かめると、ほとんど恐怖に近い狼狽を示し、吃りながら叫んだ。

「ああ、夫子が、――古今無雙の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓といふ名も、その使ひ途も!」

 邯鄲の都では、その後しばらくというもの、書家は絵筆を隠し、楽人は琴の弦を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じた、というのが物語の幕切れになる。

 長々とあらすじを書いたのは、本を手にしているうちは本読みとは言えないのではないかという笑い話をしたかったためだ。

 どうも明らかに本を読んでいそうな人、明らかに本が読めている人のなかに時折、あまり衒いも謙遜もなく「最近、本を読んでいないナァ」とか「読まなくても何となくわかっちゃうんダョ」などと平然と口にし、じっさい読んでもいないベストセラーについて結構鋭い作品批評をして見せたりする人がいる。

 こういうスマートなことをされると「本、買ってます」「読んでます」「頑張ってます」と、日頃、自己顕示に躍起になっている私としては大変こまる(笑)。

 二、三本の矢が一本の如くなったところで得意げにしていたら、目の前で弓も矢も持たない達人に蒼穹の鳶を落とされてしまうようなものだ。

 さりとて他に拠り所もなし、と自嘲しつつ、いずれは「本」というものの名前も用途も忘れるほどの読書の名人になってみたい気もする。でも、それがボケとどう違うのか判然としないのは困ったことである。

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