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昨日生まれた男

(2009/08/21記)

 昔気質と言うか、私は割と因縁を気にし、大事にするタイプの編集者である。

 単純だが「著者と気心が知れる」程度のことでもいい。世の中にはまったくそりが合わない人もいる訳だし、一緒に本に取り組む関係になれること自体、なにかしらの縁だろうと思う。

 先日、小社営業の児島正人さんに時間を取ってもらって、水本義彦さんの著作の販売戦略を練った。本文はほぼ完成している。あとは新叢書のトップバッターにふさわしい装丁をまとわせるだけである。

 定価、部数、書店への告知や、生協・取次の訪問日などを詰めていくうち、ふと悪戯心が湧いた。本の発売タイミングが、自分の誕生日に近いことに気づいたのだ。

「児島君、奥付の日付、一〇月二〇日でもいいかな?」

 児島さんは取次見本日などを計算していたが、小首をかしげ「うーん、ちょっと先過ぎますねぇ」と呟いた。

 一〇月頭に書店に置いてもらうためには九月の末には取次に書籍の見本を届けなければならない。奥付の日付は、その取次見本日から二週間以上離れてはいけない、というのがルールである。

 このルール、以前はけっこうザルで、店頭に並んだ新刊の奥付が軒並み未来の日付などということもあったのだが、書店は奥付日から三カ月以内なら書籍を自由に返品できるので、それを先送りしたい出版社がどんどん奥付日を遅くするようになってしまった。

 あまりにも目に余るケースが増えたので、最近は厳しくチェックされ、基本的に二週間以上先の奥付がついた書籍は取次が見本を受け付けてくれない。

 取次に見本を持っていくのが九月二八日の月曜日とすると一〇月一六日が二週後の金曜日で、いいところこの辺が限度だろう、というのが児島さんの読みだった。

 私は、それでも構わなかった。その日取りが絶対譲れない一点をクリアしていたからだ。

 その条件とは何か。私は、自分が担当する書籍の奥付日を必ず「大安」にしている。ものすごくお暇な方は調べてみてほしい。過去にたった一冊の例外を除き、本当にすべて「大安」だから。

 今年、二〇〇九年の一〇月は大安が五回あるが、私の誕生日二〇日の前が一六日なのだ。これで「験担ぎ」はバッチリである。

 私は満足して、デザイナーに奥付日の確定を伝えると、併せて刊行までのスケジュールを著者にメールした(水本さんは私が奥付日を「大安」にしていることを御存知だ)。

 まもなく意外な返事がきた。

> 奥付が10月16日なのですね。
> 具体的な日付を伺うと、
> 感慨深いものがあります。
> 「あとがき」に書いた
> 祖母の命日が10月20日です。
> よい報告ができそうで嬉しく思います。

 なんと私の誕生日が、水本さんのお祖母さんの命日だというのだ(ちなみに、この日は美智子皇后の誕生日であり、吉田茂の命日でもある)。私は不思議なご縁もあるものだと、返事を書いた。

> 偶然というのはあるものですね。
> 私の誕生日は
> 10月20日で、今年は大安なのです。
> 先ほど営業との打ち合わせで、
> 奥付日を自分の
> 誕生日にしたいばかりに
> 頼んでみたのですが、
> 「ちょっと先過ぎます」とやんわり断られて
> その前の大安である16日になった次第。
> おばあさまへの良いご供養になれば
> 私も嬉しく思います。
> ますます思い入れの深い本に
> なりそうです。

 すると、またもや予想だにしないメールが帰ってきた。

> 余談ですが、
> 私の誕生日は1日前の10月19日です。
> 不思議な縁を感じますね(笑)。

 参った、先に言われてしまった(笑)。なんという縁だろう。こんなことがあるものか。何と水本さんは私にとって「昨日生まれた男」だったのである。

 宮城大蔵さんにご紹介いただいて、丸三年近くなる。ご厚誼に与るのも新叢書にご参画いただけるのも、デビュー作となる単著に叢書の「001」を振れるのも、なにかの縁としか思えない。

 翌日、ダメ押しのメールが届いた。

> 昨晩、神谷さんとのメールのやり取りを
> 家内に話していたら、
> 家内の祖母の誕生日も10月20日だそうです。
> ここまでくると、なんだか縁を超えて
> 運命を感じます(笑)。

 そうか、運命だったんだ(爆笑)。

 こういう本をお手伝いできる喜びをしみじみかみしめる晩夏。渾身の一冊。一〇月五日以降、随時全国の大型書店に並びます。

 叢書「21世紀の国際環境と日本」第一弾、水本義彦さんの『同盟の相剋』(千倉書房)を、どうぞよろしくお願いします。

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