私の修業時代

(2019/08/08記)

 猪瀬直樹事務所での修業時代、最初に教わったのは国会図書館と大宅文庫の使い方であった。一九九〇年代初頭の話である。

 情報に当たり、モノを調べるにはそれしか方法がなかった。概要(全体像や先行研究) がわからなければ、誰に会ったらいいかも、何を聞いたらいいかもわからない。だから事前の下調べが大事で、人と会って取材するのはその後、と言うことだった。

 恥ずかしい話だが、資料のコピーを取ったら、その奥付も一緒に、という今となっては当たり前の「常識」もこのとき(叱られて)教わった(笑)。

 次に「新聞以外の情報ソースを複数持つこと」と言われ、「選択」と「foresight」の購読を始めた。あれから四半世紀、前者は紙、後者はデジタルに分かれたが、今も購読は継続している。

 ちなみにその頃、高野孟さんがやっている「インサイダー」とか歳川隆雄さんがやっている「インサイドライン」なんていうFAXマガジンがあって、こちらはスゴクお高いのでとても手が出なかった。両者とも形態を変えつつ今も存続しており、それについては驚きと敬意を抱く。

 猪瀬さんからは、新聞の紙面は、何のニュースが、どの位置に、どれほどの大きさで置かれるかも含めて情報だ、と教わった。一昨日(8月6日)の朝日新聞の一面を見て、広島原爆忌のニュースの小ささに驚くツイートが散見されたが、あの感覚はとてもよくわかる。

 ネットでニュースに触れることが多くなると、ヘッドラインの上下はあるにせよ(それはどちらかと言えばタイムラインの問題に帰されてしまうので)、常にある意味、フラット化された情報と相対することになる。

 紙面のバランスには、整理部の叡知、各紙の信念、報道の矜恃が表出している、というのが猪瀬さんの教えだったように思う。私が未だにソーシャルメディアにちょっと懐疑的で、新聞紙に今となってはやや過剰とも思われる信頼を抱いているのはそのせいだろう。

 以前も書いたことがあるが、猪瀬さんとのエピソードで一番印象に残っているのが、あるとき「俺の作品で何が一番好きだ」と問われたことだ。

 私が迷わず『昭和16年夏の敗戦』(世界文化社、現在は中公文庫)と答えると、眉間にしわが寄った。「二番目は何だ」というので『黒船の世紀』(小学館、現在は角川ソフィア文庫)と答えると、なんとも釈然としない表情を浮かべた。

 苛立ちを隠せぬ様子で少し語気を強めた氏は、「じゃあ、ミカド三部作の中でどれが一番好きなんだ」と問いを重ねた。

 空気の読めない私は、待ってましたとばかりに『土地の神話』(小学館、現在は小学館文庫)と断じ、あろうことか同書を書いた当人に、何故この本が面白いかを滔々と述べ立てたのである。

 あのとき、氏は『ミカドの肖像』(小学館、現在は小学館文庫) と言って欲しかったのだ、と気づいたのは事務所を離れてしばらく経ってからのことだった。

 自身の体調不良や、痴呆の進みつつあった祖母の面倒を見ていたことなどもあって、事務所のスタッフとしてまったく役に立てなかったことと合わせて未だに申し訳ない気持ちになる。じつに気の利かないことだった。

 当時、猪瀬さん四七歳、私二三歳。驚いたことに、今の私はあのときの猪瀬さんより年長なのだ。

 最近、牧野邦昭さんの『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)と一緒に『昭和16年夏の敗戦』を読み返したり、平山昇さんの『初詣の社会史』(東京大学出版会)や鈴木勇一郎さんの『電鉄は聖地を目ざす』(講談社選書メチエ)や原武史さんの『増補新版 レッドアローとスターハウス』(新潮選書)と並べて『土地の神話』を読んだりしている。

 秋丸機関と総力戦研究所の議論を比較しつつ太平洋戦争の開戦過程を分析したり、宅地造成と娯楽施設の建設と寺社仏閣へのお参りで電鉄の沿線郊外開拓を見直したりする作業は、本当に面白く興味が尽きない。

 新しい作品には歴史を照らす新たな切り口があって、それは思いがけない補助線を引いて読者に新鮮な驚きと視座を提供する。

 一方、新たな研究の挑戦を受ける側には、徹底的な調査とヒアリングによって組み上げられた重厚な論理と物語があって、「やっぱり猪瀬さんの作品は面白いなぁ」と心から思う。

 猪瀬さんも七三だそうだ。でも、それなりに長くお付き合いしてきた読者としては、なんとか、もうひと頑張りお願いしたいところである。

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