見出し画像

写真集『MINAMATA NOTE』について01

(2012/09/13記)

 いま熊本空港で著者待ちをしている。私の乗ってきたANAを追いかけるように、ソラシドエアが羽田から熊本を目指しているはずだ。

 私が熊本に来たのは高校の修学旅行以来、ピッタリ四半世紀ぶり。あの時は阿蘇をまわるのが目的だったから熊本城はバスから眺めただけだった。

 著者と合流したら、バスで熊本駅へ出て九州新幹線に乗り、新水俣から水俣市へ入る。水俣病資料館や医療福祉施設をまわることになっている。

 自分で魚を食べて水俣病を発症したという世代の人は、すでに大半が鬼籍に入っており、現在の患者は大多数が胎児性だ。胎児の時に母親の食べた魚から、濃縮された水銀を吸収しダメージを負ってしまった子供たち。自分の身の上に降りかかったら、この理不尽に耐えられるだろうか、と考える。

 加害企業のチッソは自分たちの研究所で行った動物実験で原因が自分たちの出した排水であることを知っていた。しかし、それを握りつぶし10年近く猛毒を水俣湾、不知火海に垂れ流し続けた。

 胎児性水俣病患者の大半は、この時期の被害者、つまりチッソが状況を把握した時点で排水を止めていれば、病気にならなかったとまで言わないが、もっと軽症ですんだかもしれない人々だ。

 作家の池澤夏樹さんはチッソのやった卑劣な隠蔽を東電と重ねて怒る。水俣に解決はない、と憤る。それが福島で繰り返されようとしていることを憂慮する。

 来月、千倉書房は83年の歴史で初めてとなる写真集を出す。テーマは水俣。撮影は石川武志さん(まもなく到着する著者、その人だ)。タイトルは『MINAMATA NOTE 1971-2012――私とユージン・スミスと水俣』。池澤さんが序文を寄せてくれた。

 石川さんは2010年代に入ってから、40年前、若き日の自分が撮影した水俣病患者たちに、かつてと同じ場所に立ってもらって撮影し直している。

 変貌した風景、老境を迎えた患者たち…。なんとか歩けていた少女は車椅子が手放せない老女となり、きらめいていた広大な入り江は見渡す限りの埋立地となった。その対比は、単純ではない歳月の流れと、なにひとつ解決していない水俣の現在を冷酷に写し出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?