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きりんが

木曜日は麒麟の日だった。麒麟ビールを飲む日ではない。土曜日の再放送に合わせて「麒麟がくる」のイラストレビューを書いていて、木曜日中に書くことに決めていた。コロナ禍によって先週から放送が休止になって最後に書いたのは先週の木曜日。今日はなんかプレッシャーがないなあと思ったら描かなくていいからだ。あんな絵でも、いやあんな絵だからか、毎週、描けるかな、描けなかったらどうしようと思って、時間を多めにとっていた。文章ならこれくらいの時間があれば最低限のレベルのものは書けるというなんとなくの体感があるのだが、絵にはない。昔一応、プロとして絵を描いていたときは、そういう体感はあっただろうか。もう覚えてない。なかった気がする。ただただ描いていた気がする。描きあげるときまで。しっくり来るときまで。たとえば、12時が締め切りだとして、一回、何度も何度もやり直して、12時過ぎそうになって、文章みたいにえいや!と書くことができず、途方にくれたことがあったので、もうこわくてこわくて、ほかのことは絶対やらずに木曜はきりんの日にしていた。絵をだいたい描いてからじゃないと文が書けなかった。それがなくなったはじめての日。ものすごく気楽だ。今日はiPadで配信演劇を見ようと思ったら見れなくてスマホでしか見れなくて、ああもうiPad当分充電しなくなりそうと残念に思いながら「お休み」と言うようにそっと画面を伏せた。そんなふうに取り掛かる前のプレッシャーはきつかったが、描き始めると、無心になれてそれはそれで良くて。文章の脳と明らかに違うところが動いている。文章は小さな点に集中していく感じで、絵は拡散していく感じなのだ。

文もほんとは拡散していくものが書きたい。

あと一週間で朝ドラも休止になってレビューも休止。これは絵はないが今期は朝見て、できるだけ昼の再放送までに原稿を書き上げることを強いていたので、これまた、結構、プレッシャーだった。繰り返すが、文章ならこれくらいの時間があれば最低限のレベルのものは書けるというなんとなくの体感があるのだが、場合によってはやっぱりもうちょっと時間をかけたいと思うこともあるし、なかなか書き出せないこともある。また、コロナ禍中は取材もないからへんに時間があって、もっと時間をかけて書きたいというときもある。にもかかわらず午前中に終わらせないといけない。ただ、そのほうが昼間時間ができて良いようにも思う。そんな朝ドラレビューもしばしない。右肩も左肩も重荷がなくなったとき、私はどうなるんだろう。ただただぼんやりしてしまいそう。1ヶ月ぼーっ。1ヶ月掃除。それから動きたい。つまり3ヶ月休止にならないかな。1ヶ月じゃ短すぎる。麒麟は8月半ば? 下旬?という噂なので、2ヶ月くらいかな。4月から6月の自粛期間とだいたい同じ感覚か。2ヶ月って意外とあっという間だったから、3ヶ月ほしいなあ。

どのみち、休みっていっても完全休みではない。止まっていたレギュラー仕事が再開しはじめ、麒麟は来ないが仕事はちょいちょい来る。

写真は先日インタビュー仕事で立てられていたアクリル板。編集さんがせっせと除菌シートで拭いていた。不思議な光景だなあ。エアコンつけつつドア開けて換気しているから見本誌が湿気ってた。梅雨まっさかり。

インタビューもほんとうは拡散していくものがしたい。

なんていってすべてが拡散してたら、今度はキリキリとしたくなるんだろうな





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