金曜の夜を特別な時間にする「昭和元禄落語心中」3つの魅力



ドラマ10「昭和元禄落語心中」(NHK 金曜よる10時〜)は金曜の夜を特別な時間にしてくれる。

孤独な人間が落語に助けられ、魅入られ、生きる悦びを見つけると同時に、落語によって他者を嫉妬し傷つけ苦悩する。それでも落語も他者もどちらも愛さずにはいられない。落語を通して人間のどうしようもない業を描く傑作ドラマは、雲田はるこによる累計200万部を突破するほどの大人気漫画を原作に、じつに丁寧に作られている。

このドラマの魅力は主に3つ。ひとつめは、芸の道を描いたお仕事ドラマ、ふたつめは複雑な人間の因果を描いたヒューマン・ドラマ、みっつめは男女の心中にまつわるミステリー。この3つがめくるめいてドラマチックなのだ。

■落語と人、過去と現在……絡み合う濃密なストーリー

あらすじはざっとこう。漫画でもドラマでも、はじまりは主人公・八雲(岡田将生)が年老いた昭和50年代から。孤高の落語家として生きてきた八雲が刑務所帰りの与太郎(竜星涼)を弟子にする。これまで弟子をとらないことで有名だった八雲がなぜ与太郎を弟子にしたのか……。そこから物語は昭和初期へと潜り、のちに八代目八雲となる菊比古(岡田)と宿命の友・助六(山崎育三郎)が切磋琢磨しながら落語の道を歩む姿が描かれる。

七代目八雲(平田満)に弟子入りした菊比古と助六。助六の芸は天才的で、菊比古は追いつき追い越そうと自分の得意技を見つけようともがく。やがて菊比古なりの個性を身に着け、芸者・みよ吉(大政絢)と恋仲になるも、彼女はいつしか助六と関係をもって八雲の前から姿を消す。数年後、ふたりは非業の死を遂げる。

再び時代は昭和50年代。八雲は助六の遺児・小夏(成海璃子)を引き取って育てる。八雲を「親の仇」と憎みながら小夏は成長し、女ながらに父の落語を引き継ごうとする。彼女は八雲が父母の死の原因と思っている。

はたして、ふたりはなぜ死んだのか……。

あらすじだけでも過去と現在ふたつの時代と、多彩なエピソードが絡み合って密度がかなり濃いが、各話、これらが縦糸横糸となりしっかり編み込まれ精度の高いタペストリーのように仕上がっている。

■孤独な登場人物たちが生きる“落語の世界”とは?

さて、前述したドラマの主たる魅力の3つについてもう少し細かく説明しよう。

“ヒューマン・ドラマ”としての肝は、孤独な者たちの物語であることだ。まず、主人公の八雲は、わけあって実家を追い出された。何かと「捨てられた」と言うセリフが出てきて、大切な人に捨てられる経験を多くする。そのせいで、その孤独こそが彼の落語の完成度を高めているとされ、だから弟子も作らなかった。

彼の最愛の兄弟弟子であり盟友・助六も天涯孤独の身であった。そんなふたりが七代目八雲の元で落語修業に励む。だが、八代目八雲を継げるのはただひとり。どんなに互いを尊敬していてもその勝負は避けられない。結局、八雲こと菊比古は恋人・みよ吉よりも落語を選ぶ。菊比古の愛が得られないみよ吉と八雲が継げない助六は欠落するものを埋めるように駆け落ちし、ひっそりと暮らす。ふたりを追ってきた菊比古とみよ吉と助六の三角関係の末、みよ吉と助六は亡くなり、天涯孤独になった娘・小夏は菊比古が引き取る。八代目八雲の弟子になる与太郎は、ヤクザから足を洗って落語に人生の再起を賭ける。揃いも揃って孤独だ。

八雲は“死んじまったら芸もなにももっていっちまう。だったらぱっと散ったほうがいい”と考えていて、その人生観が、ビジュアルで随所に表現される。芸だけでなく人間関係、友情も愛情もその背景に、桜や雪が舞う。与太郎も“年中咲いてるひまわりなんて”と否定して“ひまわりは夏に咲くからいい”と言うのだ。

刹那を生きる登場人物たちは皆、そろって落語に救われている。「落語の世界はだめなやつにもちゃんと優しいんだ」というセリフもあった。彼らの生きる希望となる“落語”の魅力が、じつに丁寧に描かれる。

■にじみ出る落語愛、明かされていく謎

「品川心中」「死神」「寿限無」「明烏」「居残り佐平次」など名作古典落語を、俳優たちがよく勉強して再現している。知らない人にも知っている人にもその魅力がわかるように、誰かが一席ぶっている時に、ここがすばらしい、あそこがすばらしい、あそこがダメ、ここがダメなどと語られ、優れた落語鑑賞ガイドにもなっている。ここで、登場人物が落語をどれだけ学び愛しているかがわかると同時に、原作者もいかに落語を学び愛しているかもにじみ出る。

岡田将生、山崎育三郎、竜星涼の落語がすばらしく生き生きしている。子役すら演技力に定評がある子がキャスティングされていた。とりわけ岡田将生の語りはよくぞ鍛えたと感心するばかり。たとえば「たちきり」で「シャーン」と語る響きなどがじんわり染みる。

貧しい時代の菊比古と助六が一枚の羽織をふたりでかぶって雪を避けながら、それぞれの演目を練習しながら歩く場面(第3話)、再会したふたりが小夏の前でひとつの落語をふたりで演じる場面(第6話)など、落語でふたりの関係性が色鮮やかに伝わってくる。丹精込めて作られた建築だとか描かれた絵画を見たときのように心が震えて止まらない。

これだけでも十分練られた物語だがさらに、与太郎を弟子にした理由、助六とみよ吉の心中事件の真相など“ミステリー”要素も挿入されて、ドラマの第7話からは、小夏が妊娠したが相手は誰? という謎まで登場する。

出てくる愛がどれも罪の色をまとっていて、それもまたなんとも魅惑的だ。

■人間ドラマを通して見る落語

こうして、ドラマに魅入られていると、落語を通した人間ドラマと思えてきたものが、その実、描かれているものは落語そのもののように思えてくる瞬間がある。昭和初期はまだ落語が隆盛で師匠と弟子の関係も濃密だったが昭和も50年となると落語が衰退してくる。何度も捨てられる八雲と同じ、落語が時代に捨てられそうになる中、人間が消えたら芸も消えるという諦念とむしろそこがいいという挟持とがせめぎあい、小夏や与太郎が八雲や助六の魂を継承していくことになる。落語をいかに残すか、それを人間ドラマを使って描いているのではないか。いや、結局、芸も人間も同じであって、ひとつひとつの命に限りがあるが、その瞬間を積み重ねながら続いていくのだ。全力を注ぎ込んだ瞬間の積み重ねにこそ神が宿る。

脚本は朝ドラ「マッサン」(2014〜2015年)や映画『フラガール』(2006年)の羽原大介、演出には『百万円と苦虫女』(2008年)や配信ドラマ「東京女子図鑑」(2016年)のタナダユキなどが参加している。ここぞ! というときのテーマ曲も、待ってました! と掛け声をかけたくなるようないいタイミングで入ってきて盛り上げる極上のエンターテイメント。音楽は『64-ロクヨン-』(2016年)、『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(2017年)などの村松崇継だ。

こういうドラマになら受信料は惜しまない。

dmenuTV2018年11月26日公開


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