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千秋楽配信最高だった件について

カミシモ2、最高の舞台をありがとうございました。
私はここまで3コンビと2人への感謝を書き連ねてきましたが、それより先にやることがありました。

千秋楽最高すぎた!!!
(千秋楽の昼公演も間違えて買った)


カーテンコールの和田琢磨

やばすぎた東京アクスタ完売男
大阪公演千秋楽カーテンコール。誰よりもツッコミができる経験値と流れの役だった染谷俊之氏が声量を使い果たしてしまっていた。声が出ず感謝の言葉を大阪代表に耳打ちして、代読させる際に「(キャストの)みんな抱いてやる」とボケられて疲れこけていた。千秋楽ラストワルツの2人声枯れすぎだろ、熱すぎる2人だ。
公演全体を通して一番ツッコミをしていた染谷氏が突っ込めない状況で、大天然俳優の座長・荒牧慶彦氏の暴走を誰が止めるのだろうか、とひやひやしていたときのことだった。(もちろん大阪代表はいるが、大阪代表は割と天然→ツッコミ→収める、の収める役にいた)
そんな矢先荒牧氏が3発やる。

①ドラマ情報の解禁時間を言わないまま一回はける
② 「笑いの渦に巻き込まれていく」
③「みなさんと一緒に這い上がっていきます!」

この②と③について、和田琢磨氏が突っ込む。②はドラマ化なのに受動的な荒牧氏に対して「お前が中心になって渦をまわしていくんだよ、こうやってこうやってー!!」とそれまで染谷氏がしていたようなツッコミを張り切ってやる。こちらは東京公演でも荒牧氏がやっていたようで、2回目だったようだ。しかし③では、なぜか底辺芸人である彼らと客席の客も底辺度合いが同じかのようにドラマへの意気込みかます。そこでも和田琢磨氏が「なんでお客さんが俺たちと同じ目線なんだよおおお!!」という。
他にも細かに複数荒牧氏がやるが、二人の和田氏が収めていた。本当にブラボーだった。

ラストワルツの「ナンパ」ネタがようやく見れた

本作は各組が2ネタ用意していて、公演ごとに選ばれている。ラストワルツについて、私は東京2回、大阪1回見たのだが、全部「エース」だった。そんなことを前回の記事で書いた。狭間くらげ役の大平峻也氏が公式Twitterのキャラソンの回で「エゴサをする役」の動画をしていたので、本ブログも恐る恐るエゴサしたら、貴重な情報をいただいた。

千秋楽はDVDであるし…とかなめたこと抜かしていたのだが、やはりブログを書かせていただくからには見なければならないと配信最終日の本日に見た。なんなら夫婦で間違えて昼公演を買ったので、両方見た。(一回目見たらエースだったので騙されたか!?と思ったが愚か者過ぎて優雅に課金した。Nさん感謝)

なのだが、もう千秋楽は会心の漫才だった。「ヤンキーから人を守る」というシンプルなテーマのボケ→ツッコミの繰り返しなのだが「お安い御用だ」というのをボケに入る前に和田琢磨氏がイケボで放つ。それを変化させて、「オヤゴヨ」と略す、「楽天カードマン」など著名なCMのフレーズに乗せるのを複数発くりだし、最後は「クリアアサヒ」のリズムだが染谷氏のツッコミの後「乾杯ッ」とバリエーションを付ける。こういったシンプルな主題を発展させていくのはベートヴェンの動機の発展だろ。

あと、染谷氏が洞窟ロケ中に放った前髪に息を吹きかけるアドリブを和田琢磨氏がネタでやっとる!など!!ああ!!
てか最後の目隠しされた状態での島流しのアドリブも、僕が見た過去の回だと、染谷氏はサマーランド、UFJ…としていて、配信昼公演ユニバと、ついにユニバに辿り着いたが、千秋楽は「ここは…湘南劇場!?」としていたところに作品への愛を感じた。
ダンスパート冒頭もなぜか和田琢磨氏は後輩2人に抱えられていた。これはネタのワンシーンでナンパ成功し抱き抱えて帰るシーンを想起させていると思うと繰り返しが巧みだ。
ここまでの経緯についてはこちらのブログにもう全てが描かれている。(観覧の先輩たち……すげぇよ!!)

今突如妻が『ニコ生:和田琢磨「わだともの輪」第26回』のアーカイブを聞きはじめて聞いているが、「(和田)雅成に漫才は緊張するといわれたけど、俺たちはノーミスだったね(ハハハハハ)」とどや顔かましていた。まぁ確かに染谷氏との相性は非常に良かったのだと思う。どちらも顔もキャラも濃いが属性が違っている。そして先輩という役柄も収まりがよかったですね。

配信曰く、台本はいろいろト書きが多く、いろいろ二人のアイデアで肉付けしているよう。とにかく懐が広く、役を引き付けるのがうまいので、さまざま、発想の延長上で繰り出せるのだろう。今後追い続けようと思った。

下記の通り、お手続きを完了いたしましたので、再度、ご確認頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。


ちなみに和田琢磨氏の1月4日生まれは、筆者の実父と同じで、
父なんじゃないかと思いはじめた推し活始まる。

主役の二人の凄みに気付けなかった愚かさ

本作は荒牧氏と和田雅成氏が主役である。

物語に注力する役回りのためになかなか前に出なかったり、周りがいろいろ仕掛けてくるのを受けたりすることが多かった。
一方で、見ながら思ったのだが、この二人以外でこの役回りをしているのを想像ができない。
荒牧氏は何より顔もいいが、声が非常にいい。漫才も結構早口でまくし立てるが、そmyほかの演者よりスッキリと聞こえた。同じく、舞台転換等のときやカーテンコールなど、一喝で場を切り替えることができるのはすごい。すごすぎて一瞬刀剣の写しが見えた。
そして何より荒牧氏のもう一つの"顔"こそが本舞台を形作っているかもしれないということを聞いたが、それはまた後日。

和田雅氏は視野が広く観客席の温度を読める技術がある。また千秋楽ではダンスのシーンで感極まっているのか(解放されたのか)、とても笑顔である。割と緊張感高いシーンで回すことが多かったのでその笑顔にぐっとくるものがあった。
また、シーズン1を知らない人に向けてストーリーテリングもしなければならないといけないとなるとやはり大変な立ち回りである。ある意味二人の懐の広さによって、他キャストが120%の演技ができたのだろう。
二人はすごい。お疲れ様でした!!

役者が漫才をやるということ

いや、漫才の前に物語があるということということだろうか。
やはり千秋楽を再度見て感じたのはこの構造の面白さである。
美学においては、本来、舞台上においては、メタな現実世界のことは一切廃されるべきだ。ただそこにある芸術に対して、観客は対峙することが望まれる。
一方で漫才という芸の前に物語があるということでレイヤーが狂う。劇中劇なのだが、それがトリにあるということで我々はフィクションの境界を見間違うのだ。裏舞台ものである。

上記の「入れ子構造」がはっきりしたものを作中作とするのが無難であると考えられる。すなわち、演劇の中の演劇、テレビ番組の中のテレビ番組、映画の中の映画、小説の中の小説など、枠物語と作中作のジャンル形式が一致しているものに限るのである。こうした入れ子構造は、読者が持っている物語への距離感にゆさぶりをかけて、フィクションをフィクションとして意識させるための技法と考えられている。
映画やミュージカルでは「裏舞台もの」という分野があり、ミュージシャンや俳優などの舞台裏が描かれるのだが、俳優や監督が主要人物の場合はほぼ必然的に劇中劇が出てくることになる。

wikipedia:劇中劇

かなり技巧的な作品である。
大平峻氏はカーテンコールにおいて「苦しかった。いろいろ溝口琢也くんがやってくれるのに、物語上では『役立たず!』など言わねばならないから」と、あった。(ここで溝口氏が土下座するのでシリアスすぎることはなかったが)

また、その後にダンスまで控えている。2時間半ぶっ続けの舞台で体力的にもかなり厳しいはずだ。染谷氏は血を吐いていた。本当にお疲れ様である。
ちなみにどのコントも最初に見た時より明らかに上手くなっててすごいなと思った。
やはり今作は非常に面白いのだと再度知った。そして舞台とは、カーテンコールまで見なければいけないものだと知ってしまった。これは懐が厳しいので、一杯働くことになる。つまり推し活の渦に巻き込まれるということだ(こうやってこうやってーー!!)。

これは、大変な日々が始まるということだろう。
私の懐は耐えられるのだろうか。公式供給が多いのはいいが、難しいバランスである。お手柔らかに……

あいつが上手で、僕の賞与が消えていく


高砂「いやこれもうオメーの回し者のファンじゃねぇか!もういいよ!」

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