(テクスト) 欲情1

(2013年、神里雄大ワークショップ用テクスト)

※無料公開
このテクストについては上演もご自由にされてかまいません。
ただ、上演の際に、岡崎藝術座ウェブサイトよりご一報いただけるとてもうれしいです。
http://okazaki-art-theatre.com/info/ja/contact


A 帰りのラッシュが始まるころに新宿のマクドナルドで遅めの昼食をとっているのだが、カウンターに座り壁を見つめてハンバーガーを頬張るとき、店内の呑気なおしゃべりの渦がいったん静止して逆回転を始めた。ヤクザと言うべきか、けっして堅気ではないという歩き方に、レスラーのような体格、刈り込んだ髪の毛と流行物ではないサングラス、茶色の少しくたびれている、けれどもおそらく高級品と思われるジャケットを着た30代後半くらいの男が、並んで二人、どしどしと店内に乗り込んできた。双子なのだろうか、店内の誰もがその雰囲気や顔つき(とはいっても目はサングラスで隠れていたから口元やしわの感じから判断される顔つき)に怯え、それがうりふたつ、ふたり並んでいることに戸惑った。この、うりふたつの、ペアルックを着た男たち。恐怖に凍りつきながらも、私は笑いをこらえることもしなければいけなかった。きっと店内の誰もがそういう状態に陥ったに違いない。私は、カウンターの隣で、私と同じく壁に向かって、ポテトを口に運ぶ手、が止まった二十歳くらいの若者と、この恐怖とこらえる笑いのねじれた感覚を共有できているかもしれない、と思った。私とこの若者のあいだに本来ある溝――私の考えていることなど、この、縁もゆかりもない、たまたま隣に座った若者にはひとつとしてわかるはずもないし、私とて、この若者がどこからやってきて、なぜマクドナルドでポテトを頬張っているのかも、その人間関係も、飲んでいる飲み物の種類でさえ、わからないのだ。それが今、突然現れた招かれざる客の屈強でガラの悪い、でもそこはかとなくファニーなふたりの男のおかげで、笑いたいけど笑えない、もしくは怖いから関わりたくない、という感情を、少なくともそのどちらか一つを共通の感情として持てている。そのことになにか暖かいものを感じているのだ。だから、今日は、この共有するものということについて、を私は話し合いたいと思う。

B いや、それはどうだろうね。

A 「どうだろうね」とはどういうことだろう。君はいま、私とは共有するものがないのだから当たり前であるけれど、だからこそ、言葉を使ってどこかで妥協点、つまりお互いの共有点を探っていきたいと私は思う。私が考えるに、「どうだろうね」というのは投げやりな態度で、分り得ない他人の考えを探り、近づく、というところから一番遠いと言ってもいいような、態度だ。それを私は言葉だとは思えない。「へー」とか「ふーん」というような音に代表される、一見「聞いてるよ」という興味を相手に示している、と見せかけておいてその実、まるで相手の言葉を聞いていない。もっと言えば相手の姿さえ見ていない。透明な態度だ。つまり、「どうだろうね」という言葉は言葉ではなく音である、と言っていいだろう。自分の理解に優しい他人、仲の良い人間としか話をしないということだ、君は。だから私はそういう人間に嫌気がさしている。Twitterで君は自分の考えを強化する発言をしてくれる有名人や友人ばかりをフォローしている。そしてその有名人や友人はもはや君自身でしかない。そもそもtwitterというのはそういうものであるということを知っているのか。自分からかけ離れた他人を想像できない、作ることのできない、ひとりぼっちだ君は。そして私も、皆さんも、皆さんも、お前らもお前らも、みんなひとりぼっちだ。私が死ぬとき、世界は終わり、真っ白な灰になる。透明にはならない。なぜなら透明は世界を透けて見せるから。透明の先に、世界が映るから。その世界は路地に犬が転がるとか、浮浪者がゴミを漁って腹を壊すとか、そんなあり得る世界だけではないはずだ。透明に映っている世界だけが世界ではないはずだ。それはたとえば、ぼぼぼぼぼぼぼぼ、とか、ぱぱぱぱぱぱぱぱ、とかいうでたらめな音の連続でも表現することはできない。手を広げて物質に触るとき、触っていないものがあるはずだ。触れないものがどこかに。目に見えるものの全てを触ることに命をかけても、触っていないものがないという証明にはならない。

B 2001年9月11日の飛行機に乗っていた。そしてそれはハイジャックされ、ビルに突っ込んだ。私たちは平等にみんな死んだ。みんな見たはずだ、それを。みんなが平等に死んだ。私たちは、みな一様に脅かされていたし、恐怖に打ちのめされていた。祈る者も泣く者も、気を失う者、抵抗をしようとする者、皆死んだ。絶望と恐怖の手綱を握らされて、諦めた者も諦められなかった者もいた。喜んだ者もいたかもしれない。少なくとも神に身を捧げるつもりで死んでいった人間はいた。そうして死ぬ前に、それが死ぬ直前でも、脅かされた瞬間にでもそのあいだのいつでも、いつかのタイミングで、自分だけは大丈夫だという思いがよぎったはずだ。絶望し、もうあんなことが起きなくても直に死んでいただろう人間もみな、せめて一瞬だけは、ほんの一瞬のことであっても、自分だけは、この自分だけは、大丈夫だ。思ったはずだ。それは、ほんの一瞬のことかもしれない。だが、感じたはずだ。ほんの一瞬。みんな泣き叫んでいる。みんな泣き叫んでいる。でも自分だけは、どうだろうね。

A はい。

B 私たちが死んだあと、涙がもたらされた。花束がもたらされた。人びとが持ってきた。泣きながら、目を腫らし、怒りのこぶしを握り締め、声を嗄らしながら、私の名前を叫んだ。手と手を取り合い、指を握り締め、大きな輪を作った。大きな大きな輪を作った。それはぐるぐると回転すると、輪に入れなかった人々に傷を負わせた。輪に入れなかったのだ。入れてもらえなかったのではない。入りたいと思わなかったわけではない。入るもんかと願ったわけでもない。輪はどんどんと大きくなり、その回転の速度を上げ、そして入れない人びとを増やしていった。増えた分だけ、傷つけられ流された血も増えた。それは飛び散るので、輪を作る人間を祝福する噴水のようでもあった。赤い鮮血は私たちが誰でも持っている旗を、国旗を赤く濡らした。それを私は透明な水で洗った、そして今だってこうやって洗っている。今、今。旗を洗っている。今、今。血はなかなか取れない。自動洗濯機は壊れたままだ。手はかじかみ、指はふやけてから破れた。爪にたまった血はまだ取れない。透明な水はたちまち朱色に変わり、洗っている旗をけっきょく染めた。じわじわとやってきて、追い詰めて取り囲んで、リンチを浴びせた。人びとが作った回転する輪は止まるどころか速度がまるで落ちない、どころか速度は上がり続けている。輪の外側にははじかれた人びとが横たわるのに、輪の中心は誰にも見えない。輪の人々には中心は見えない。血はいつも外に向かって飛び散る。噴水のように。そして誰かが歌い始めた。それは回転する人びとにとって、そのスピード感が、平たんなメロディが、緊張をさらに高め、高揚させる。輪の外で倒れる人びとの魂を不愉快に汚すメロディ。安らかに横たわる人々の落ち着きを奪い取るスピード、つまり暴力。スピードは暴力だ。じっと考えさせてくれない、間を与えない。スピードは風を産む。人びとの輪は風になる。それぞれが一人きりでは産むことのない風を産み、海の向こうに吹きすさぶ。すがる人をなぎ倒す、カオス。なぎ倒されるのはカルマ。

C 電車に乗っていた。今日一番最後の電車。私は立っていた。車内は少しだけ混雑して、しかし新聞紙を広げることくらいはできるほどだった。一番最後の電車で今日一番最初の新聞紙を広げる人はいなかった。寝ている人もいた。そして駅に着いた。中間地点の駅に。私の目の前の席が空いたので、私は座ることにした。すると、するすると、白髪の交じった会社員の男性が私の前に立った。目をつむりながら。男性の向こうに、寝ている20代の女性が見える。ふたり並んで、ふたりとも20代のようだ。知り合い同士ではないようだったが、(ふたりともイヤーフォンをしてそっぽを向きながら寝ていて、たまに起きたり携帯電話を見たりもしていました。)2人は並んでいて、寝ていて、私は2人を一緒くたに「20代女性」と見た。私の前に立つ男性は、音楽を聞いているようだ。音漏れはしていないが、ハードロックなのかなと思った。エアーギターを弾いて、足をくねくねステップを踏んでいる(D、そのように動く)。私の前に立ち、目をつむり、自分の世界に没頭し、ちょっとギターを縦気味に持ち(D、縦気味に持つ。以下、セリフに合わせる)、男性は電車の揺れにうまく乗り、揺れという揺れという波を捉まえて、そのうえに自由に乗り、ギターを掻き鳴らしている。

 ハードロックのリードギターの音。

C (音に乗せて)ステップ、ステップ、ステップ、右の膝が曲がって、左が伸びる。左が曲がって、右が伸びる。右が内向き、左が外向く。左が内向き、右が外向く。低姿勢、背伸び、手をぐるぐる。電車が進むたび、人は減っていった。20代女性はまだいる。どうやら、徐々に別々に順々に、起きたようだ。向かって左の女性はすっかり目が覚めたよう。黒いジャケットに濃い目の色のジーンズを履いて、前髪は作らず茶色、少し痛んでタバコのにおいも少ししそうで、目はわりと大きく、寝起きも手伝って目の下には濃いくまができている。その目でぎょろぎょろと男性を見ていた。右の女性、眠りが浅いのか、起きたり寝たりを繰り返していた。化粧は薄めで、でもしっかりとニキビの跡は隠されている。膝の上にバックを乗せ、見えているのは黒いタイツ。男性は目をつぶり、ギターソロはまだまだ続いている。初め、20代の女性は、汚いものを見るような目で男性を見ていた。右の女性は足を組んだ。男はギターのネックの根元を中心に左手を置き、動かし、高い音を出している。突然、左の女性がうつむいた。ものすごい勢いで。それに気づいた右の女性は左の女性を見た。右の女性は、急にうつむいて肩を震わせる隣の女を細い目で見ている。隣にも変な奴がいたのか! といわんばかりの顔だ。細い目で、精一杯の軽蔑を込めて、左の女を見ている。左のは笑いをこらえているのだった。私のイヤ―フォンからはChinese HipHopが流れている。男は50代半ばくらいの工藤という、新百合ヶ丘に住む男だった。着ているスーツから、工藤がお金に困っていない、あり余るほどではないけれど、レコードの蒐集の趣味とそれをレコードプレーヤーで帰宅後にかけても隣に迷惑がかからないくらいの防音加工が施された部屋がある家に住んでいるくらいの、お金に余裕がある男であることがわかる。ギターはエレキが2台、アコースティックギターも1台持っている。女は笑いをなんとか抑え、真顔で、本当に私はびっくりした、本当に何の感情も見えない真顔で顔を起した。工藤のことがまるで視界に入っていないような、透明な真顔だった。工藤はギターの音量を上げた。ステップ、ステップ、車内に残された人びとが彼を取り囲むように見はじめた。工藤は目をつむったまま自分の音楽性に没頭していた。オーディエンスは確実に増えていた。私は、自分の目線がちょうど工藤の股間のあたりの高さにあったから、その向こうの20代の女性のふたりの、真顔の女と、相変わらず汚いものを見る目で工藤と女を交互に見る女と、ゆらゆらきびきび動く工藤の股間の三点を同時に意識した。私は何度衝動に襲われたか分らない。新百合ヶ丘についたので、私も工藤も降りた。最後の電車を降りた。私は、せめてその間際、工藤がギターを掻き鳴らしながら、最後の電車を降りる後に続いて、自分のギターも掻き馴らしたかった。それを、左の女に見せつけたかった。私は、工藤に向けられた女の見えない拍手と笑いを自分に少しでも向かせたかった。もしかしたら、突然の不条理な世界の到来を、女に告げることだってできたかもしれない。私と工藤のセッションで、右の女の汚いものを見る目を、もっと汚い目にしてしまいたかった。私にはその勇気がなかった。

D 帰宅して、白ワインを飲んだ。本当は赤がよかったが、切れていたし、ビールは炭酸ガスが胃にたまるのが好きじゃない。本当の本当は焼酎がよかったのだけど、氷も切れていた。コンビニに行くには、夜は更けすぎている。このへんは、川崎北部の若者がこんな時間に家から出てきてコンビニの夜警をする。コンビニの店員は、スエットも着ないで、黒いパンツと派手なジャンパーを羽織った若者に守られている。私が氷を買うためには、氷の前に、つまり店員に氷の代金を払う前に、これらの若い警備員に警備代を払わないといけない。まれに、警備員の警備向上のためにトレーニングにつきあわないといけないことだってある。私にはバンテージもなければ、傷口をふさぐワセリンもない。殴られた顔を冷やす氷を買いに、殴られるのは割に合わない。だから白ワインで我慢だ。港北ニュータウンのニトリで買った49,900円の本革のソファに私は非常に満足している。それに腰かけ、自慢のレコードプレーヤーでカルチャークラブを聞いた。もちろん、気まぐれにだ。たまにはこういう軽いのもいいだろう。貴族気分の私の業をまざまざと突きつけてくれる。貴族気分だが、帽子は脱いでいる、というか初めからかぶっていない。そんなふうにのんびりしていたら、少しうとうとしてしまったので、テレビをつけた。NHKで911の映像が流れていて、でもテレビの音は雑音が私にはきついので、音は消し、カルチャークラブをまたかけた。そんなふうに私は私のカルマを感じている。そんなふうに、911の映像を見ながら、私はどういうわけか、カート・コバーンがシアトルで猟銃自殺した日のことを思い出していた。カルチャークラブがなんとなく遠いところから聞こえてくるようだ。本当に君は僕を傷つけたかったのか? 94年4月5日、カート・コバーンなる若者が死んだとき、私は41歳の誕生日だった。若者はたまに死ぬものだ。そして41歳の私は健康診断だって命がけでどきどきしていた。この偉大なロックシンガーは、私の心の時計の針を進めたのか。ロックシンガーの死後、人びとは彼の死を嘆いたり、ろうそくを持ったりした。私の誕生日、春休みの子どもはろうそくの火で遊ぶことを思いついた。メラメラと燃えているろうそくの火を触ろうとして、そして怖がっていた。私はカート・コバーンの死に泣かなかったし、息子のヤケドを心配した。実際、間一髪だったのだ。息子はろうそくの火の下にたまった溶けた蝋に興味を持った。ティッシュで、その蝋をすくおうとしたのだろう、先っぽを丸めて鋭くして、それを蝋に近付けて、、、ティッシュに火がついた。息子はマッチのことを考えたのかもしれない。マッチを振ればすぐに火は消える。ティッシュを振っても火は消えなかった。ティッシュの火はすぐに息子の手を燃やそうと、堂々と息子を襲った、叫ぶ間もなく振り落とされたティッシュの火は、テーブルクロスを焦がし始めた、ところで(その時)私は手で火を叩き消した。空手家のような素早さで。あのすばやい手刀は、おそらくコンビニの前で私を冷やかした馬鹿な連中の頭蓋骨くらいはたたき割るかもしれない。私は彼らが憎いし、いなくなればいい。ワインはやはりあまり体に合わない。頭が痛いのはやつらのせいでもある。私に力があれば、やつらをぶち破って排除したい気分だ。

E ところで私は吉川佳子だ。ニューヨークに住んでいる。一時帰国中。ダンサーとしてブロードウェイなどを目指した結果、いまはマンハッタン随一のラーメン屋を経営することに成功した。ラーメンは日本食でおそらく一番おいしいと思う。私は決して一人でラーメン屋など行く女ではなかった。必ず横に男がいた。私を通り抜けた下らない男達。私の体を透明にして通り抜けた者ども。そんな私がなぜラーメン屋で成功したのか、話してみたいと思う。

A いまは、共有について話す場だよ。

E 私がなぜラーメン屋で成功したのか、についてみんなで共有できればいいなと思う。どうせ意味はわからない。なぜダンサーを目指し渡米した私がラーメン屋になったのか。頭がおかしいから? なぜ私は2013年のいま、一時帰国しているのか。いったいいつ、渡米したのか。私は独身かそれとも既婚なのか、そしてその結婚に満足しているか。他人のことを知るのはクイズの答えを探すようなものだ。答えを知らないクイズ。私が既婚だとして、はたしてその結婚に満足しているのか? ヒントは、私は私の経営するラーメンのスープのコクには満足している、ということだけ。ほら、大真面目に話しても、頭がおかしいと思われる。共有するなんてくだらない。私は、私のラーメン成功秘話を話したいだけ。あとは勝手に吐き捨てるなり、ご自分のビジネスに活かすなり、こんな気の狂った女がいたって、話のネタにするなりすればいい。煮るなり焼くなりすればいい。腹がたったら、いますぐ私をぶち殺して、血を抜き、その肉を刻み、コマ切れ。念入りに壁に練り込めばいい。その壁は、46億年後の地球が滅びる寸前まで立っていたいと思っている。どだい無理だろう。でも少なくても、人間が滅びるまでは立っていたい。私を狂人扱いした人間どもの滅びるのを、血塗られた、否、肉塗られた壁は見ていたい。最後の人間が滅びるとき、壁は怪しく光って人間を祝福する。ようやく祝福できる、悲しく立って、足の感覚ももはやなく、優しい言葉も固まってしまっている。太陽が膨張してそれを溶かそうとする。なのに、壁は頑ななままだ。トラが、美しい黄金色のトラがやってきて、壁にもたれながら目を閉じる。その硬さが心地よさ。その冷たさが暖かさ。そして安らぎの中、トラは別れの歌を歌うのだ。そして太陽は渋い顔して膨張を続ける。膀胱が破裂寸前、家にたどり着こうとするまさにそのとき、もらしてしまった子ども時代が鮮やかに蘇る。壁は微笑む。硬直したままの笑顔で。太陽はその笑顔を焼き払うことを最後の使命とする。壁はちっぽけで情けなくて、ひとり置いて行かれたのだ、そのせいであの強大で傲慢な太陽のやつと対峙を迫られている。泣きたくても水は固まっているから涙が出てこない。トラは歌を歌いながら輪になって走りまくりバターになってラーメンにコクを与えた。でも壁は涙も流さず、まだまだ崩れず人類のいなくなった地球に花を添えたりはしない。灰色の孤独。肉片まみれで、灰色になるから、はたから見れば悲しいけれど、はたから見る人類がもういない。孤独な灰色の壁。は、ときおり夢を見た。杖をついて歩く少年の夢だ。壁は、その少年にどうしたのか聞いてみる。だが、思った通りだ、少年は目が見えない。だからこの少年は、話しかけられたことがわからない。壁のかけた声は、少年がいつも頭の中でぶつぶつ呟いている、タイムラインの一部にしかなれない。少年は暗闇の中からやってきて、いま壁の見えるところにいるけれど、少年にとっては暗闇が続いているだけにすぎない。いや、暗闇の中では、続くも進むもないのだ。少年は歩くばかりか、立っているかも座っているかも寝転んでいるかも、自分の体がどうなっているかも見当がつかない。見当をつけるという概念がない。少年は少年ですらいられない。壁が少年と言ったところで、壁がそう言っているにすぎないのだ。壁はやはり悲しい。夢というのは、誰かほかに、夢を見たことを話す相手がいないと夢にすらならないから、壁がすがりつこうとした少年の夢も、壁をすり抜けてしまうのだ。いまや壁自身が透明になってしまった。ここに立って、こうして人類の終焉を見、太陽の暴君ぶりを嘆いていることも、壁の体をすり抜けて、向こう側へ消えてしまった。向こう側なんてどこにも見つけられなかった。壁は立っているのかを考えた。そうして、考えることもやめてしまった。

C ねえ、

E なに?

C 足が臭くないかな

E 誰の?

B 誰の?

D 私の?

A あまり気になったことないけど

D 私の?  足が臭いかな。(靴を片方脱ぐ)喫茶店でコーヒーを飲んでいた、土曜の昼下がり。窓際だったので、少し開放感もあった。少し暖かくなってきたとき。しばらくして、隣の4人掛けの席に、2人の40代男性グループが来た。いまの若者たちを見て、彼らが60代になるころ、いったいどんな60代になるのだろうと考えることがある。いまの60代と同じように、テレビで演歌を聞くのだろうか。

E 60代でも演歌を聞かない人もいる。

D 場外競馬場の近くの露店で、メガネとかタオルとかを買うことがあるのだろうか。40代のこの男達は、シュークリームの話題をしながら、私のことをひそひそ話しているようだった。私の足は臭いのだろうか。

F 近所に病的なラーメン屋があって、親父とその奥さんが切り盛りしている。徹夜明けではとにかく腹が減る。際限なく腹が減る。そのまま昼過ぎまで起きていたら、ランチは3回必要だ。腹が減っていて気が立っていた私は、ラーメン屋に乗りこんで、片っぱしから食券ボタンを押した。すると、いの一番にメンマ盛り合わせが注文された。私はメンマは好きではない、嫌いであって、この世からなくなればいい。私は店主に、返金をするよう要求した。なにしろ気が立っている。いいから、金返せ。前もって言うが、全部盛りをトッピングでつける。だが、メンマはなにがあっても入れてはならない。そもそもメンマ盛り合わせなどというバカげたものをメニューに入れて、君は恥ずかしくないのか。私はいま、腹が減って、気が立っている。だからその減った腹に卑しくとりつくへそが、茶を沸かしそうなんだ。

G うまい。

F だから早く返金しろ。さもないと、、

G うるさい。お前なんかに食わせるラーメンはねえ。

F それで親父は震える手で、私にお湯を浴びせかけようとしてきた。なんて狂ったやつだ。親父がわめくところには、「お前みたいに世の中を舐めているやつはいない。世の中、そんなに甘くない。甘えたいなら、シュークリームのクリーム舐めてろ」

G うまい。

F それで私はピンと来た。店内にはテレビが置いてあり、昼時のバラエティーが流れていた。そこでは、いま住みたい、たまプラーザの特集がやっていて、うちの近所のパン屋が取り上げられていた。駅からバスで10分かかる、決して立地のいい場所とは言えないパン屋は連日客が溢れている。その店の人気パンベスト3には

G いいから出ていけ。
おい、あいつ見てみろよ。あいつ一人でパソコンに向かって、それに窓の外を見つめて風を感じているみたいだ。あいつの顔から判断するに、あいつは話題に困るとすぐ、食べ物の話題に逃げようとする顔だ。

F おいおい、どんな顔だ、それは。お前はなぜそんなことがわかるんだ、ぜひ教えてくれ。経験か、それとも注意深い観察眼か? 人びとが目の前の愛しい人間に没頭しているとき、お前はそんなに人の顔を見つめ、その顔の向こう側を見つめていたのか。誰もお前にそんなまなざしは向けないのに、お前はそんな人びとに優しいまなざし。そして生活臭を嗅ぎわける。自分の幸せを優先しない、聖者のまなざしを獲得したいと思っているのか。まなざしという言葉は美しいな。そして、そのまなざしをお前は獲得しかけているのか。この世に聖者などいないと思って私は絶望していたところだ。だけどいないことは証明できない、だからいるかもしれないという、「かもしれない」にすがりつくだけの毎日だった。それは体力がいることだし、本当に涙が出るような日々だった。1日が早く終わればいいとずっと考えていた。おい、あそこの女はどんな顔をしている。

G どの女だ。

F あそこの。黄色いスプリングコートを着た、髪が茶色くて、肩に乗っている感じの女だ。

G あいつの顔から判断するに、関西の女だ。

F そうか。

G あいつは最近、なにかあるとすぐにフェミニズムというか、女の自立について考えている。レディースデイと選挙権の確立の歴史を天秤にかけて、ジレンマに陥っている。考えることに疲れたので、カラオケに行くことにする。そして一人カラオケに行っては、歌の質よりも、間奏中のパフォーマンスについて考える、気になる、重視する、ようになってしまっている。歌の表情より、部屋の明かりをどの角度で引き受けるかによって立ちあがり方が変わる顔の表情のことを考えている。

H 私は歌を歌っているのではなく、パフォーマンスをしているにすぎない。

G 私は歌を歌っているのではなく、パフォーマンスをしているにすぎない。それはダンスと言っていいものだ。だから私はダンスを始めよう。駅前のショーウィンドウガラスに映る自分を見つめていると、なぜだか安心する。毎日がつまらない。右の腕が痛いのは、どうしたことか。会社の上司が私を誘ってくる。今日は仕事を早めに切り上げて、お酒を飲みに行かないか。ガード下に新しくできた、鹿児島系の居酒屋なのだけど、君は焼酎は好きかい? 佐々木さん私も行ってもいいですか? 私、去年鹿児島行ったんです。鹿児島というか屋久島に行ったんです。それで屋久杉のツアーは、朝早く起きなきゃいけなくてほとんど興奮で眠れず寝不足で、それから往復10時間かけて屋久杉を見に行ったのですが、ツアーガイドさんの大半は島外の人で、けっきょく屋久島というのは都会からの難民を受け入れ続けている。初老のフランス人が屋久杉の流木をアクセサリーにして売っているのを見て、こんな極東の、しかもこんな東京からも離れた島でもう20年も住んでいるこの人の人生を思った。ここで朽ちて果てるのか、何を思いながら団体客に声をかけるのか。いまこうして、東京に戻ってきたけれど、いまもあのフランス人の彼は、流木を探して屋久島を歩いているのか。彼の歩く時の、土のざわつき、落ちた木の枝が踏まれて折れるときの音、猿が食べ散らかしたポテトチップの匂い、そんなことを私は想像するとき、私はあのフランス人とともに歩いているような気分になれる。フランス人の歩き方で歩く。

F 体の動きを想像して、それを忠実に再現する。忠実とはなにか? 忠実とはその体に敬意を払った上で真似することなのか。それとも特徴を取り出して強調する方が忠実に見えるのか。それとも彼が彼女が語った言葉が大事なのか。体がどれだけ饒舌にいても、言葉で打ち消してしまうのか。ピンポンを打ち返す、はじけたみずみずしい動きと掛け声。聞くものにはその、印象が残って、1キロメートルの壁を上がり印象は増幅する、それから急降下してしぼんでいく。地面に打ち付けられる前に、消えてしまう。埃は舞うかもしれない。黙ろうとしたゆえのため息は、生き残りをかけて床のすれすれに伏せている。玄関まで来て鍵を忘れたときの踵は腰よりも鋭い回転力でスピードを殺す。そのとき床と踵の間に音は落ちて、二度と取り出せなくなる。ため息が口を通って胃の中の定位置に戻ることがないように。

G 兵隊さんたちよくやった。でたらめな歌をかき鳴らす歌手を迎えてよくぞ手をたたいた。肩を組んで揺らしたのは、自分でも地面でも、ましてや価値観でもない。空気を揺らして、さあ歌おう。輪になって歌おう。
悲しみはぶっとばせ。自分からまき散らせ。外に。外に。嵐がどんどん増えてくる。指折り、最低10まで数えよう。1の次は8、8の次は3、3の次は5、5の次は6、6の次は2、2の次に10が来て、10の次には9が来る。7、最後は4。最後に4。最後に死。最終日、僕も君も彼女も、いやな彼も、みんな肩を組んで揺らして、あの歌手が再び現れる。現れて、すぐ消えた。シャボン玉、飛ばしてそのまま、消えた。ママも消えた。パパも消えた。すぐにあとを追うよ。同じ墓に入ろう。おなじ風呂のお湯を飲んで、恥の置き石を火星に向かって投げつける。跳ね返って額のところ、ぶつかって血のやってくる音。どれもこれも不十分な労働だけど、すべては火星が悪いんだ。もっとも木星が悪いんだ。自分を責めることはない、だからいますぐ肩を組んで、鳴らせ揺らせギスギスした肩のこすれる音、キス。

H 皆さんの話を聞いていて、私はどうやら少し催した、というか欲情と言ったほうがいいかな。

F はい。

H 私にとって、いまはもう11時半の気分で、明日には期日が迫っている。夜の11時半。まもなく日付けが変わるのに、なにも完成することがない。完成するものがない。そういう追い詰められた状態であるので、自分はいまとっても落ち着きがない状態。ぼんやりしたり、トイレに何度も行ったり、誰かの連絡を待ったり、実際に連絡が来ると不安になったり、そういう状態で、私は皆さんの言葉を聞いていた。最初は頭が働かない、いらついて口に唾がたまって吐こうかと思っていた。音から言葉。外国語から母国語、いじめから友情に変わるとき、トイレに行っておしっこをしたくなる。おしっこが出終わると、自分でいじりたくなる。目を閉じると上空に星屑が広がるんじゃなくて、電気のような興奮が押し寄せてくる。まぶたの内側。台風の日に欲情する。災害が起こって催す。人びとが苦しむ姿、流す涙を見てすぐにいやらしい気分になる。でも自分でいじることをしないのは、私には服飾のデザイナーの友人がいて、彼の裏をかくことはできない。彼は勘が鋭い。下着を脱いだら、コートを着ていた、みたいな鋭さがある。彼にはわかってしまう。どれだけ離れていてもテレパシーみたいに伝わってしまう。彼のデザインした服を通って、私が彼の服に腕を通したときから。彼は遠い日の貞操帯。日が沈むころには死刑執行人の迫力がある。私は干からびたパスタ、皿に張り付いたままでまもなく明日が今日になってしまう。強欲な先進国の優しい路地で、犬は私を待ちかまえている。私はむしろ犬に噛み砕かれる快感を目指すこともやぶさかではなくなっている。雨の日に抱かれる儚さとは対岸の、恐怖体験と政治。今日、私は夜にやられてしまうだろう。もう耐えられそうにない。誰か私の貞操帯を外すんだ。今日の稽古は終わりだ。誰か来てくれ。誰も来ない。照明を消し、音も消し、プラスチックのカップが転がるフロア。祭りのあと、さまよい抜け殻に肉を詰めてソーセージを作ろう。それを端から丁寧に噛み千切るから。血が噴き出しても、構わず私の顔にかけてください。それからティッシュをとって、きっとそれを拭って下さい。私にはいま口元に手を当て、恥ずかしそうに店員を呼ぶ花柄のスカートの女が見える。落ちたスプーンを変えて下さい。次は落ちないのを持ってきてくれませんか? でも私は、女がわざとそのスプーンを落とすのを見てしまった。それもスカートの内側で、スプーンの汚れを拭ってから。そのティッシュを私にとって、きっとそれを握って下さい。柔軟剤入りの洗剤をふんだんに使って、花柄のスカートを洗濯してください。それがささやかな贈り物になるから。あなた、私のどういうところが好き? 笑顔が不安の階層をずらしてテーブルから落としてしまうところ。あなた、いま何しているの? いま携帯をいじっている。あなた、いま何してるの? いま爪を噛んでる。あなた、いま何してるの? 進んだ時計の針を戻してる。あなた、いま何してるの? 相手を思いっきり見つめてる。あなた、いま何してるの? 髭のざらざらを手で確認してる。あなた、いま何してるの? お腹が鳴って照れ笑いしてる。あなた、いま何してるの? 足音がなるべく立たないように歩いている。あなた、いま何してるの? 他人の行為をなんとなく見てる。あなた、いま何してるの? タバコを吸うか考えてる。あなたいま何してないの? 本を読んでいない。あなたいま何してないの? 黙って座ってない。あなたいま何してないの? 体を洗っていない。それからそれから、いまは息して集中してる。電車の中、ファミレスの中、街の道端で、自動販売機にコインを入れながら、誰かが自分を見つめているんじゃないかと思って、息を殺して集中してる。12時になった。

G ボボボボボボボボボボボーン。ビビビビビビビビビビーン。ガガガガガガガガガ。ゼゼゼゼゼゼゼゼゼゼ。ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャ。カツカツカツカツカツカツカツカツ。段ボールを運んで、食料を捨てて、火を消して、トイレにこもって出すもの出して、鼻をかんで、シャッター閉めて、鍵も忘れない。

H 段ボールを運んで、食料を捨てて、火を消して、トイレにこもって出すもの出して、鼻をかんで、シャッター閉めて、鍵もしめて

F ボボボボボボボボボボボーン。ビビビビビビビビビビーン。ガガガガガガガガガ。ゼゼゼゼゼゼゼゼゼゼ。ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャ。カツカツカツカツカツカツカツカツ。

H それなに?

F 音。

 おわり


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