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炎上について:言動を批判しても、人を憎まず

国論を二分した東京五輪の開催と、デルタ株の急拡大のせいか、世の中色々と「炎上」が続いています。

僕が炎上について思うことは、炎上を起こした人が、自らの言葉や振る舞いを反省し、謝罪をしたら、とりあえず後は、そっと見ていてあげればいいんじゃないかということです。

まず、炎上を起こした人は、だいたい謝罪はするわけです。でも、許されることって、ほとんど見たことないですね。謝罪が足りないとか、心から謝ってないとか、頭の下げ方が悪いとか言われて、果ては、なんちゃらコンサルタントみたいな人がテレビとか出てきて、言葉のここが使い方間違ってるとか言われ、危機管理がなってないとか、散々です。

では、お聞きしたいのですが、どう謝罪すれば許されるのでしょうか?こう問われると、明確に答えられる人は誰もいないのではないでしょうか。

本来、ある人が例えば人権問題とかで、間違った発言や振る舞いをすれば、それを批判するのはいいと思うんですね。

それで、自分が間違ってました、勉強して理解します、許してください、と謝るならば、批判する意味はあったといえます。

ただ、それ以上を求めるとなるとどうでしょう。謝罪の言葉遣いが悪かったとよくテレビとかで言ってますけど、それは反省してないからだと決めつけられるでしょうか。単に、そういう場になれてないということもあるだろうし、緊張してしまったとかもあるかもしれないし。要は、謝罪の言葉の裏にある心の中とか、頭でどれだけ問題を理解したかとか、わからないわけですよ。

それなのに、謝ってない、もっと謝れ、とか言い続ける。そのうち、謝ってる人のことを、あることないこと言って、罵声を浴びせるようになる。そうなると、それは人格攻撃となる。それを集団でやる。これは、「いじめ」じゃないですか。

人権問題とかで「正義」を振りかざして批判していたのに、それがいつの間にか「いじめ」という人権問題を、集団で起こしてしまうに至る。やめといたほうがいいですね。

だから、発言や振る舞いが間違っている人がいたら、批判して、間違いを知って、謝って貰えば、とりあえずいい。それ以上は、本当に問題を理解して、変わったか、見ていればいいのだと思います。それ以上に責める必要はないです。

本当に変わらない、表面的な謝罪に過ぎなかったならば、いずれその人は消えていくでしょう。本当に変わり、人間として成長した姿を見せてくれるならば、それでいいじゃないですか。人権問題とか、大事な問題を理解して行動できる人が一人増えた、よかったなということです。

もう1つ、謝罪したら、とりあえずいいじゃないかと思う理由は、批判している人たちは、そんなに立派なもんですかね?ということです。

日本人は、人権意識とか、まだまだ勉強中ってところですよ。いろいろ炎上案件を見て、自分も批判に乗ったりしているけど、実は内心「あ、これっていけないのか。自分もしないように気をつけよう」と、思っている人は、少なくないと思いますよ。

だから、人権問題のようなことが起きたら、お互いに、指摘しあって、改めて行くことは大事です。そうして、理解を深めていく段階なんだと思います。

何か問題が起こったら、「やめろ」とか「クビにしろ」とか「世の中から消えてしまえ」とかやめましょう。批判は、お互いに学び合うためだと思いましょう。

「言動を批判しても、人を憎まない」

ということが、大事かと思います。

要するに、謝罪をすれば、そこで一区切りして見守る。それ以上ネチネチ続けるのは「いじめ」だからやめる。そして、自分も学べる機会だと考える。

実は、自分は炎上したことがあるし、謝ってる人をどうしても許せなかったこともあります。だからこそ、まだまだ自分は学ばないといけないと思うのです。




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