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「総領の甚六」の社会

「総領の甚六」という言葉がある。

「総領」とは、家名を継ぐべき子のことで、一番初めに生まれた子。特に、長男を指す。

「甚六」は「お人よし」や「愚か者」をいう語で、「甚六」のみでも、のんびりしてお人よしな長男をいう。 甚六の語源は「 甚だしい ろくでなし 」を縮め、人名に見立てたものだ。

つまり、「総領の甚六」とは、「お人よし(愚か者)の長男」という意味だ。

昔からある言葉なので、日本社会においては家を継ぐ「長男」とはのんびりと可愛がられて育てられるものだということだろう。一方、家を出ていく次男、三男、女子などは、ほってけぼりにされて、自分で生きていかないといけないので、たくましく育つ。

これは、そんなに昔の話じゃない。戦後の高度経済成長からバブル期くらいまでは、日本はそういう社会だった。親父やお袋の世代は、長男が家や田畑、店を守る一方で「集団就職」で次男、三男、女子は都会に就職していった。

僕らの世代はバブル期。大学進学も増えたが、長男は家を守るというのはまだあり、次男、三男などは「都会で一旗揚げよう」という勢いがあった。

日本を成長させてきたのは、都会に出た次男や三男、そして妻としてそれを支えた女子だったといえる。一方、総領の家というのは、そういう都会で頑張る人材を輩出する役割を果たしてきたともいえるだろう。

少子化問題が国家的危機となっている。いろいろな問題が噴出しているが、あまり言われていないことを一つ指摘したい。

それは「総領の甚六」の時代ということだ。

少子化は、男子の数を減らしている。一人っ子や、男子が長男だけの家が増えた。その上、地方の衰退で総領の家の田畑や店がなくなった。「総領の甚六」は都会に出て、会社勤めをするようになった。

今、大学で学生を見ても、男子はおっとりとしている。今でも、長男は大事に育てられているのだろう。いや、一人くらいしか息子がいないのだから、特にお母さんにとってはかわいくてしかたない。昔以上に大事に育てられているのがわかる。

一方、女子は今でも「野生児」だ。そんなに期待されない代わりに、自由に育っている。

だから、大学の学びの場では、女子が男子を引っ張っている。上久保ゼミでは、歴代ゼミ長12人のうち、9人が女子なのだ。別に、自然にリーダーシップのある子をゼミ長に指名すれば、女子になるだけだ。

インターン、ボランティア、学外のコンペ、留学など積極的なのも圧倒的に女子なのだ。

そういう女子たちは、就職したらバリバリと「男勝り」に働く。社内外の評価も高い。

ところが、彼女たちには結婚話が多く持ちかけられる。そして、仕事を辞めて(セーブして)、息子を支えてくれと相手の親に言われる。「しっかりした娘さんなので、ぜひうちのボンクラ息子を支えてほしい」ということだ。

日本では、結婚、出産を経て、一旦離職して正規雇用のステータスを失い、その後、復帰しても非正規雇用に代わる女性が多い。諸外国にはない、日本だけの特徴だ。

その結果、日本社会は「総領の甚六」が会社で働き、しっかりした女性が家にいて総領の甚六を支えている、という構図になっている。

言い換えれば、しっかりした女子ほど、働かずに家に入ることを強く望まれるということだ。おかしくないですか、これ?

「世襲議員」という「総領の甚六」が支配する日本政治、「総領の甚六」ばかりが社員の日本企業のパフォーマンスが諸外国と比べて格段に悪いのは、ある意味当然といえないだろうか。

日本は、どこか倒錯した社会になってしまっているのだ。

ほんとなら、元気のいい「野生児」の女性がバリバリ働き、「総領の甚六」が主夫として家を支えたほうが、はるかに日本は成長するだろうと思う。

「総領の甚六」の社会を変えることが必要だろうと思う。
ちなみに私は長男、「総領の甚六」です(笑)。


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