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人生は、高望みと往生際の悪さでうまくいくのかもしれない

4回生が就活中です。もう、だいぶ終わりに近づいてるのかな。また、教え子には人生いかに進むべきか、悩んでいる人もいる。要は、転職とか考えてるということです。

他人の人生になんか責任は持てませんが、一応自分の経験から思うことはいいます。それは、人生とは、高望みと往生際の悪さが大事だよということだ。

そもそも、望まないものには、絶対になれません。東大受験せずに、東大生になれませんよねってことです。

一方、一度失敗したらやめてしまう人が多いのですが、もったいないです。失敗するほどいろんなことがわかる最高の経験はないからです。その経験を使って、もう一度トライすると、意外なほど、リスクを避けることができるし、スムースに物事が進んで、望みが叶うものだからです。

日本社会というのは、大量生産、大量消費の時代にうまくいった社会です。その成功体験を今でも信じていて、その通りにやればうまくいくと思いたい人が多いですね。

その成功体験の1つが、受験、入社試験、昇進試験などで、人を選別していくシステムです。もう、詳しく説明しなくても、日本に生まれ育った人なら、誰でもわかってますよね。ある年齢の時に受ける試験の結果で、人生進むべき道が決められる。

その決められた道に乗って、社会の中で役割を果たすことが求められる。それに疑問を持つことは、基本的に許されない。会社や学校を辞めて、もっといい道に進めることって基本的にありますか?転職しての中途採用では、ほとんどのケースで出世コースに乗れませんよ。だから、試験の結果に従って、「わきまえて」生きなさいと言われる。

ちょっと極端な物言いですが、でも、シンプルに言えば、そういうことでしょ?(笑)

でも、少し考えてみると、これはおかしいことがわかります。18歳の時や、22歳の時に、たまたま試験に成功したり、失敗したりしたことが、その人の能力を決めてしまうんですか?

18歳でできなくても、20歳でできてもいいし、25歳でできてもいいじゃないですか。すごい端的な例でいえば、掛け算99が小学2年の時にうまく覚えられなくて、お前頭が悪いなあなんて言われたとします。でも、小学4年になって、覚えていない人、いますか?じゃあ、小学4年で覚えたものは、小学2年で覚えたものより社会で使えないというんですかという話。

野球でも、プロで豪球投手と高く評価される人が、高校時代補欠だったという例はたくさんある。むしろ、高校時代にはまだ開花してない人の方が多いんじゃないですか。いわゆる、大器晩成というやつです。

そもそも、僕は31歳から学者の道に入りました。年功序列・終身雇用の大企業を辞めて、英国に行きました。会社時代の末期、当時の課長に「君は課長にはなれない。でも、辞めないでずっとここで働いた方がいい」と言われました。それに逆らって、辞めました。当時、年功序列・終身雇用への信仰は今では考えられないほど強く、辞める時「お前は人間じゃない」とまで言われてしまった。

日本社会に生きるものとして、まったく「わきまえない」人生なのですが(笑)、31歳からでもゼロから英語を勉強して、英語で授業できるようになりました。何歳からでもできるわけです。本人が望みさえすれば。

また、英国の大学院に行くなんて、会社を辞めた時には自分の想像をまったく超えたことでした。しかし、そういう道もあると勧められ、後先考えずに飛び込んだわけです。年齢的にも後には引けない。やるしかなかった。

英国で博士号取るなんて、身の程知らずの高望みでしたが、やるしかないので、とにかくやればなんとかなる。僕が今、ここにいるのは、要するにそれを望んだから。それだけです。

ただ、1つ言えることは、会社員時代にいろいろと苦労したこと、失敗したことが、思い切り生きていたということですかね。海外では、これはやばいなというリスクのある局面が日々ある。それをなんとなく察知して避けられたし、学問も、なにをやればいいのか、見えてくるようになった。

日本に帰ってから、大学の職を探した時も、偉い先生の若いお弟子さんがいろいろやらかすのを横目に見ながら(笑)、なにをやったらいいか、なにをやってはいけないか、わかって行動してました。

過去の経験が、明らかに生きたのだと思います。

だから、大学4回生の時に、うまくいかなくても、それで自分の人生こんなものと決めつけるのは実にもったいないのです。もう少し、わきまえず、往生際悪く、頑張り続けてみれば、必ず道は開ける。

もし、望みが叶えば、自分の周りの人たちが変わる、見えてくる世界が変わる、人生が変わるのです。だから、もう少し頑張ってみることをお勧めするのです。


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