ライブがないということの雑感

手元のチェキ帳を見ると最後に撮ったチェキは2020年3月18日、これが即ち今のところ最後にライブを見た日になる。でもこれは唯一3月に見たライブで、その前は2月25日だ。

2020年2月は18本のライブを見に行った。中止されたライブも既に3本あったので、予定通りであれば20本、いずれにせよ2日に1回以上はライブ会場に足を運んでいた。
つまりライブを見ること、ライブのある生活が筆者の「日常」であった。
細かい頻度やライブの規模、またライブに関わる立場にはその時々で変化もあるが、こうした日々が常態化してから20年は経つのでライブのない時間がこうも続くとどこかで違和感を感じる。
いや、おそらく感じているはずなのだ。
しかし、それはあまり表面的には出てこないというのが今の実感である。

筆者が見に行くライブのほとんどはアイドルのライブで、お目当てのアイドルが何人か/何組かいる。
彼らはSNSをやっていることがほとんどで、毎日必ず誰かしらが何か更新しているし、生配信なども度々行われるのでライブと同じか、場合によってはそれ以上の頻度で「いま」の彼らの声を聴くことができる。
コメントを読み上げてくれたり、SNSで送ったメッセージに反応をくれたりもするので、なんとなくこれまでと同じような双方向のコミュニケーションも取れているように感じる。

そう、今の、というか筆者のお目当てのアイドル達について言えば、日頃から双方向のコミュニケーションが当たり前になっている。
顔を合わせれば名前を呼び合い、文字通り「親の顔より見た」というスラングが当てはまるような安心感のある関係性が築かれている。
これはひとえにアイドル自身の、またその環境を作り上げるマネジメント、スタッフ、そこに関わる多くの人々の、創意工夫やホスピタリティによって成り立っているサービスであり、空間である。

そしてここに集まる観客(ファン)同士の間にもそうした関係性が築かれることがある。
少なくとも筆者の場合はその空間に見知った他のファンの存在、友人達の存在があることがより「安心感」を形成していると感じる。
またここにはマネジメント側であるスタッフの姿も加わる。
馴染みがないと想像しづらいが、ファンの間ではスタッフと呼ばれる、つまり裏方の人々もアイドルのチームの一員として認識されていて、お互いに名前も顔もよく知っていて関係も良好である、ということが珍しいことではないのだ。

つまりライブの現場は、ライブを見に行くだけではなくアイドルと、他のファンと、スタッフとコミュニケーションを取る時間・空間でもあるのである。
これはオンラインで代替が効くと見せかけてそうでもない。
顔と名前は知っているけどSNSでは繋がっていないファンはたくさんいる。スタッフも同じだ。彼らはアイドルのように顔も声も見せてはくれないし。

そして話は前後するが、やっぱりライブ現場ではライブが第一である。
ライブがあるからその場所に行くし、ライブがあるからそこに上記の人々が集まり顔をあわせる、話ができて飲み食いができる。
全てはライブに紐づいていて、基本的にはライブの時間を共有するからこそそこにコミュニティが形成されるのだと思う。
もちろんそこに個人的なコミュニケーションが皆無だとしても、ライブには参加している、はずでライブは全員に共通の体験なのである。
今、この「ライブ」がない、それが決定的な違和感を生んでいる。

スマホで曲を聴いてもそこに生の息づかいはないし、収録された当時と今の歌い方が違うとか、そんなこともいつもより気にかかる。(気にかかるとは言っても当時の歌声も素晴らしいということを再確認するのだが)
そして、アイドルのライブではごく当たり前になってしまったコールや声がそこにはない。
自分一人で声を出して見るが、そこで思い出されるのはステージの光景であり、隣で肩を組む名前と顔しか知らない友人の汗の感触である(それが美しいものかは別として今はそれも懐かしい)。
声を出せば出すほど、そこにないものがありありと思い出される。

そんなことをしていたらようやく涙が出てきた。
やっぱり違和感はあったんだ、寂しかったんだと内省する。やや感傷的にファンへの想いを歌った歌を聴きながらおもむろにチェキ帳を広げるともう涙は止まらない。
こんなに楽しかった日常は一体どこへ行ってしまったんだろう。
いや、楽しかったかどうかは関係ない。もしかしかたら楽しくなかったかも知れない。
この時やたら友達に待たされてやきもきしたとか、ライブが全然見えなかったとか、チェキの列が長すぎてスマホの電池がなくなったとか、誰かがこぼしたドリンクがかかって散々だったとか、そういうこともあったはずだ。
でもそれも「日常」で、今となっては何か「楽しかった」思い出になってしまうのだ。

ライブが始まったら、その最初のライブではステージもフロアも涙を流すんだろうなと夢想する。
しかし、それにはライブをする人を、その環境を、見に来る人を守らなければならない。守るというのは今の状態を維持しなければならないということで、現時点ではどうなるかわからない。
アイドル活動を続けられるのか、アイドルを好きでい続けられるのか。

ここしばらく探していた服をチェキ帳の中に見つけた。
「なんだ結構最近着てたんだな」と思ったけど、これは大体3ヶ月前のチェキだと気付いてなんだかとても不安になった。ついこの前のような、でも随分前のような。今は一体いつなんだろう。

ライブに行ったらこの不安はなくなるのか。この空白は埋まるのか。
いや埋まっていいのか、忘れていいのか。
「日常」を失った不安と、それを忘れていく不安と、さらにそれももしかしたら忘れてしまう不安の中でライブにしがみつく。


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