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ほれみたことか という話は楽しいし、好きだけど、少し違和感がある。


先日、とあるネット記事を見ました。

あるラジオ局で放送している朝帯のラジオ番組が終わる、そのことについて書かれた記事でした。

簡単に内容を説明すると、経営陣と現場が上手くいかないから、ある現場の人が辞める。辞める人物はその業界ではひとかどな人物。現場の意見を無視して、果たして経営陣の思惑通り、今後うまくいくのだろうか? みたいな感じの記事でした。

私の勝手な印象ですが、経営陣がやっていることは自分たちの首を絞めている。だからひとかどな人物が辞めるんだ。ほれみたことか。ざまぁ。みたいなことを言いたいような印象を受けました。


映画とか小説では、この展開はよく好まれます。

例えばパニック映画では、一人くらい確実に憎まれ役というか、嫌な奴がいます。

みんなで一緒に脱出しようとしているのに、ことごとく水を差してくるようなヤツ。

そいつは中盤ないし終盤に、悲惨に死ぬのがお約束です。

また最近のライトノベルではざまぁ系という、ジャンルが人気が出ています。

パーティで主人公が足手まといとされ、そのパーティを追い出されます。ただ追い出された後、主人公の才能が発揮されて、結果主人公の方が成功する。そして主人公を蔑ろにしたパーティが転落する。そんなストーリーです。

嫌な奴が酷い目に合うのは私もスカッとします。エンタメとしてはとっても大事な要素だと思います。


ただこの展開は物語としてはいいと思うのですが、現実に当てはめてしまうのはちょっと嫌だなぁと思っております。

私の勝手な予想ですが、経営陣の人も決して陥れようとやっているわけでもないでしょうし、辞める人も経営陣の人を困らせようとして、意地悪をしているわけではない。

お互いの意見があって、それがたまたま一致しなかっただけだと思うのです。

結果的にどちらが正しかったのかは、これから事実が明らかにしていくのでしょう。人気が出れば経営陣の人が正しかったし、人気が出なければ現場の意見が正しかった。それだけの話です。(もちろん要素はそれだけじゃないでしょうが)


偉そうなことを書いていますが、私も前職の人員がもの凄く減っていく様子を見て、それみたことかと愉快な気持ちになったことがあります。現場の人間を大事にしないからだと、思っていました。

しかし経営陣の人には、経営陣の人なりの考えがあったなとは思います。


なんだか自分でも何を言いたいのか、よくわからなくなってきました。

つまりです。

自分が手を下すことなく他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情をシャーデンフロイデとか言うらしいのですが、それだけで楽しみを得るのは止めようと思っただけのお話でした。

こうやって、noteに挑戦する楽しみ、新しいものに挑戦する楽しみ、みたいなものを積極的に得ていけたらなといいなぁと思いました。

うまくまとまらず、失礼いたしました。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




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