【創作小説】日系転生人 差別と踊る。
【プロローグ】
道端にうずくまり、ぼろぼろに薄汚れた、浮浪者のような恰好をした少年が、自分の手のひらをじっと見ている。
視界にはムカデのような虫が、うねうねと大量にうごめいていた。
日本でのムカデとは違い、蛍光色の青色やカラフルな色彩をしていて、潰れたら緑色の体液を出すような虫だった。
普段なら見向きもせず、ましてや食べようとなんて思わない生き物。
だが少年は、それらをまとめて口に放り込んだ。
口に入れられた虫は最後のあがきとばかりに、舌と歯ぐきの間をうねうねと動く。虫の体と大量の足が舌に絡みついた。 口中にちくりとした痛みが走る。瞬間的に吐き出そうとする気持ちを抑え、意思の力で噛み砕いた。
ぐちゅぅうぅぅぅぅゥウぅ。
耐え難い食感と刺激すら感じる苦い虫の体液が、口の中を蹂躙する。
「う、おェェえええええェえェ!」
少年は生理的嫌悪と苦い味に、たまらず全て吐き出す。
吐き出し、しばらく喘いだ後、力尽きたように手も足も投げ出して、ずるずると地面に横たわった。
ここに連れてこられてから、何も口にしない日が続いていた。
水を飲んでやり過ごしていたが、空腹の限界だった。育ち盛りの体にはキツイ。だからこそあんなムカデみたいな虫を食べようとした。
死の気配を感じ、先走った蝿が、待っていましたとばかりに、少年の周囲を飛び始める。
(このまま自分は餓死をするのだろう)
死んだら埋葬されることもなく、収容所の外にただただ捨てられる。
噂話では、打ち捨てられたあとは野生動物に内臓を食いつくされ、眼球から蠅が入って卵を産み、蠅の卵の涙を流すそうだ。
(うぅ)
そんな自分を想像し、震える。
ただ別にここでは珍しいことではない。生存競争に負けた人間が、ひっそりと死ぬ。見慣れた光景の一つにすぎない。
その証拠に、自分のような子供のような見た目の者が、死にかけていても、誰も手を差し伸べようとしない。
子供だからといって、手がさし伸ばされない環境に生きている。
それどころか、周りの人間は、自分の死を待ち構えている。突き刺すような視線を感じていた。
死んだ自分は、何も抵抗しない恰好の獲物なのだ。
視線を自分に向けているそいつは自分が死ぬ瞬間を待っていて、死んだその瞬間に自分に群がり、服を剥ぐつもりなんだろう。
死体から剥いだものは、そいつがその日一日を死なないための糧となるはずだ。
何度もそんな光景を見てきたし、自分も同じようなことをしてきた。だかそれを自分がやられる立場になるかと思うと、たまらなく怖い。
異世界転生をして、1年。自分はもうすぐに死ぬ。
思い描いていたチートも、冒険する日常も、女の子にちやほされる展開は無かったが、それまで得られなかった心穏やかに暮らす日常だけは手に入れた。
村のみんなは勤勉に働く自分を褒めて、認めてくれて、女の子からも気軽に話しかけられるようになった。
元の世界ではなかった、自分が必要とされる毎日があった。充実していた。異世界転生したことで得られたものは確実にあったのだ。
しかし状況は一変した。
農作業が終わり、疲れて寝ているところをいきなり、村の人間たちにたたき起こされ、縛りあげられた。
「よう! 日系転生人! 今日も真面目だな? 一緒に頑張ろうぜ!」
昨日まではそう陽気に声をかけてくれた友達が、縛り上げられた自分を冷たく見下ろしていた。この村に来て出来た、初めての友達だった。
「なんだよこれ! どうゆうことだよ」
状況が理解出来なかった。寝込みを襲われ、いきなり縛り上げられるくらいの出来事だ。せめて理由くらいはあるはずだと思った。信頼し合っている相手だったのでなおさらだった。
そう抗議すると、友達のはずのソイツは返事に自分の腹を蹴り上げ、
「黙ってろ。日系転生人」
と、苦しくてのたうち回っている自分に冷たく吐き捨てた。
少し前まで一緒に農作業をして、くだらない冗談を言い合っていた相手達だ。自分を必要としてくれた人達なはずだった。
そんな人たちが、家族から、犯罪者に変わったかのように、急に自分に対する対応を一変させたのだ。
強く結べば皮膚に突き刺さるくらいの荒縄で、反抗が出来ないように縛り上げられた。両足も、歩くだけで走れないくらいに稼働部分を制限するように縛られた。
そこから休みを与えられず歩かされ、何かを質問したり、文句を言ったら殴られて、何も知らされないままこの場所に連れてこられた。
連れてこられた場所は牢獄。
自分が何か罪を犯したかというと、まったく身に覚えがない。
ぶち込まれた牢獄は、その国の中でも重い罪を犯した罪人たちだけが集められ、少ない食料を奪い合う場所だった。
冬は骨身に染みる寒さ、夏はひどく蒸した暑さ、季節に関係なく吹く風嵐、ろくに整備されていないキャンプ場のトイレのような衛生状態。
この場は 少なくともこれまでは、罪人だけが住む場所だった。
しかしここ最近は異世界転生してきた日本人、日系転生人たちもその施設に集められ、過酷な環境に放り出されたのだ。
昼間は悲惨な労働にさらされ、その労働が終わったとしても、一日は終わらない。そこから、わずかばかりの少ない配給の食事を奪い合う。
監視する人間もその争いにはまったく関与しない。それどころか、働けなくなった人間は早く死んでほしいといいたげであった。
ここは良心や法がまったく機能しない、力だけがルールの場所だった。
現代日本で生活を送っていた人間と、生まれた時から中世の肉体労働をする環境にいた人間では、地の体力が違った。日本人、日系転生人はあっという間に奪われる立場となった。
そしてそんな立場になった後、日本人たちが団結して戦うわけでもなく、むしろ日本人同士で、おこぼれを、生きる糧を奪い合った。弱い人間。自分のように体がまだ出来上がっていないヤツは真っ先に狙われた。
弱い者たちが、さらに弱い者たちを叩く。
周りに女の子はいない。もしここに日本人の女の子が連れてこられていたら、さらに酷いものを見ることになっただろう。自分の知り合いの女が、ここに連れてこられたりでもしたら。そんな光景を見ずに死ねるのは、唯一の慰めかもしれない。
(なんで俺らがこんな目に合わなければならないのか)
もう何度も問いかけたことを繰り返す。誰も答えてくれない。しかし問いかけずにはいられなかった。
自分たちは何も迷惑をかけていないのに。
転生してきたあと、ただただ不満も言わず、周りの人間たちとうまくやって、役に立てるように必死に努力を重ねてきた。
そして俺ら日本人の努力のおかげで、この世界の人たちだって、恩恵を受けていたじゃないか。
今頃自分たちが耕した畑は何食わぬ顔で、あたかも自分たちが最初から作り上げたと言わんばかりに、我が物顔で別の人間が、自分たち日系転生人ではない者が、管理していると聞いた。
収穫間近のリゴベはどうなっただろう。
荒れ果てて誰も耕さなかった土を耕し、石を取り、丹念に水と肥料を上げ、育て上げた果物を、ハイエナどもに取られているかもしてない。
ある日系転生人は、ここに連れてこられる直前、自分たちが持っている財産を二束三文で買いたたかれたらしい。
「そんなもの、監獄じゃ役に立たないぜ? 金に換えておいたほうがいいんじゃないか?」
と。血も涙もないハイエナどもが、それまでの努力の結晶を取り上げていった。
自分たちが快適に過ごすために苦労して作り上げた家も、そんなクズどもが使っているのはずだ。
日系転生人は家も、必要とされた役割も、友達も、家族も、生きる希望を失った。
日系転生人であることだけが、罪であった。
そしてついには、次第に意識が薄れてくる。
(あぁ、俺もこれで死ぬのか)
もうこれで楽になれる。諦めの気持ちが出てくる。最早体力の限界だった。だが目を閉じる寸前、ある会話が少年の耳に聞こえてきた。
「知っているか。この間、特別配給が行われた理由」
「あぁ。どうやら、日系転生人だけの軍隊が……」
意識が無くなる中、『日系転生人だけの軍隊』という言葉が、最後まで頭の中に残っていた。
しとしとと降る雨の中、道沿いの森の茂みに四人の男女が潜んでいた。
時刻は早朝ではあったが、暑さと湿度が凄まじい。
道は馬車がすれ違えそうなくらいの幅で、日本のようにコンクリートでは舗装されていない、土がむき出しの道だ。
この世界では特徴のない道を、四人は何をするでもなく、暑さに苛まれながら、ただ見つめていた。
「喉が渇いた。レオ。コーラ買ってきて。HONDAが作ったヤツ」
四人のうち、一人が何度目かの愚痴をこぼす。
生地がしっかりした長袖のシャツとズボン、簡素な革鎧に身を包んだ十代半ばの男である。短髪、黒髪、黑瞳、一重瞼の細い目。その容姿は俗に言うこの世界に『異世界転生』してきた典型的な日本人のものだった。この中では三枚目の役割。
「うるせぇタカシ。HONDAがコーラ作るか。いくらHONDAでもそれは期間工の皆さんが、クラフトしないから。ここは異世界だし、お前の部屋の前に、お母さんがご飯を置いてくれる日本じゃないから」
レオと言われた男が、苛立ち混じりに嫌みを返す。
嫌味を返したレオという男も、服装、髪と瞳の色、年頃、タカシと言われた男とほぼ同じ。日系転生人の容姿。違いとしては顔は小さく、目はぱっちりと大きく、各パーツも整っており、綺麗な顔立ちをしていることである。この中ではイケメン。モテそう。二枚目の役割。
「そうかよ。ふん。陽キャチャラパリピのレオさまなら、この状況でも俺がウェーイとか言えるゲームでも提案する役割をアサイン? してやるから、言ってみろよ」
タカシも自分が悪いのに、売り言葉に買い言葉でつっかかる。この場所に来て、何度目かの一重瞼三枚目タカシVS二重瞼イケメンレオが始まった。
「陽キャチャラパリピじゃねぇから。遊んでねぇから。俺はアリシア一筋だから。この状況でウェーイってなれるゲームないから。ねぇ、ヒデオさん?」
二重瞼イケメンレオにヒデオと言われた三人目の男。レオとタカシと同じような服装で、やっぱり日系転生人の容姿。二人と違うのは彫りが深く、比較的大人びた容姿をしていた。この中では年上の役割である。
「ウェーイってなる、ゲームあるぞ」
そう言って、役割年上ヒデオは真剣な表情で、タカシを真っすぐ見てくる。
「俺からいくぞ」
「あ、はい」
先輩感が若干あり、二人は迫力を感じた。
「……ゴリラ」
ヒデオは『ゴリラ』と言って、タカシに続いて何かを言えと、目線で促してきた。
レオとタカシは何を言っているのであろうと疑問を抱き、ヒデオパイセンの発言の意味を考える。しかし二人とも答えが出てこない。
「『ラ』から始まる言葉」
考えている二人にヒデオはボソッと助け船を出す。そこで二人はようやくヒデオの発言の意味に気がついて、ブッと噴き出す。
「いや、『しりとり』じゃ、ウェーイは無理でしょ。ヒデオさん」
レオは毒が抜けてしまい、ヒデオにツッコむ。
そして三人の口元にわずかな笑みが浮かんだ。さっきまでのピリピリした雰囲気がどこか緩む。シュールな冗談で和ませてくれた。ヒデオのおかげである。
三人の中で役割年上ということもあり、ヒデオはそれなりに人間が出来ていた。
「貴様ら。仕事だ。作戦内容をもう一度伝える」
四人のうち、紅一点が真剣な口調で口を挟んだ。緩んだ三人の表情が再度引き締まる。
その女性は尖った耳と褐色の肌、そしてこの場にふさわしくない可憐な容姿をしていた。
尖った耳と整った容姿はエルフ種族の証。レオの容姿も整っているが、彼女の美貌は数段上というか、欠点がない。そこにもう一つ特徴が加わる。褐色の肌から、彼女が純粋なエルフでなく、ダークエルフと言われる種族であること。
着ている服装はタカシ達と同じような服装と革鎧。革鎧はピッタリとした体のラインがわかるデザイン。小柄ではあるが、彼女のスタイルの良さを際立たせている。髪型は肩までかかる髪を、後ろで無造作にしばっている。そんな適当な装いでも、美しさは冴えわたっていた。
「目的は敵が輸送する補給物資を、破壊及び放棄させることだ」
ダークエルフの女性は、淡々とタカシたちがやることを説明した。
「あの輸送部隊の行列中頃が、魔法陣が設置されている位置に通りかかった時点で、魔法により襲撃、爆発させる。その後に三人が列の先頭部分に突撃。私は列後方から突撃して挟み撃ちにする。逃げる兵士は相手にしない。危なくなったらすぐに退け。この作戦は補給部隊を襲撃出来ている時点で成功している」
まだタカシたちの耳には、集団が近づいてくる音は聞こえてこない。ダークエルフの耳の良さだからこそ、敵の補給部隊の接近に気づけたのだろう。
「ぐずぐずしていたら、スピアアローワーが出てくるかもしれんからな」
その一言にタカシたちは固まる。
時間をかけてしまった場合、指揮官殺しの異名を持つほどの相手が来るかもしれない。その悪い予想は、タカシたちにじっとりとした緊張感をもたらした。
そんな緊張感に耐えていると、ダークエルフでない3人にも集団で歩いている音が聞こえてきた。荷物を運ぶ行列も見えてくる。
「それでは手筈通りいくぞ」
「メーヴ隊長、気をつけてください」
レオがメーヴに一声かける。
タカシはそれを聞いて、嫌そうに表情を歪めていた。
メーヴ隊長と言われたダークエルフの女性はレオの声掛けに軽く頷くと、行列を後方から挟み撃ちすべく、森の中を飛ぶように走って行った。
メーヴ隊長がいなくなってからしばらくすると、タカシの手が震えてきた。
タカシは令和を生きる日本人だったので、未だに殺し合いは慣れない。いつも震えながら剣をふるっている。
自分の剣が相手の体に突き刺さり、目から光りが無くなる姿を思い出すと逃げ出したくなる。太平洋戦争を経験した人が、戦場での話を語らない気持ちがよくわかる。
(ラバじいちゃん。リアばあちゃん、俺に勇気をくれ)
ただ逃げたりはしない。右も左もわからない自分をこの世界に迎え入れた人を守るためにも、タカシは戦うと決めたのだ。
それでも震えは止まらなかったが。
敵の荷物を積んだ馬がゆっくりと進んでいく。心臓の音がうるさいほど体の中を響き渡る。
「いくぞ」
ヒデオが戦いの始まりを呟いた。瞬間、タカシの耳がおかしくなるくらいの轟音が響いた。
その音を皮切りに、次々と爆発音が轟く。そこに馬と人の悲鳴も混じる。
行列の中ごろにあった荷台が馬ごと舞い上がって、森の樹にぶつかった。
ヒデオが作った爆発の魔法は、奇襲の役割を十分に果たした。
「うわぁぁぁぁぁあ!」
タカシたちはその爆発音を皮切りに、叫びながら剣を構えて行列の先頭に飛び掛かっていった。
ヒデオが何かを叫ぶ。叫ぶ声も渋い。
すると突然の事態で右往左往する兵士たちが立つ地面が爆発した。ダメ押しで追加される悲鳴。その隙を逃さず、レオとタカシは剣を振りかぶって、敵に襲い掛かる。
混乱する相手の兵士たちは、自分達が置かれている状況を理解することなく、切り伏せられていった。
タカシは無我夢中で剣を振るった。冷静さがない、まるで駄々っ子のような剣筋。
しかしレオの持つチートのおかげで、タカシは普段の自分の力以上に、剣を振るうことが出来る。
あっという間にタカシはその無茶苦茶な剣筋で、三人斬り伏せた。同時に、後日、タカシに悪夢を見せるであろう人を斬る感触が伝わる。手から、その感触が染み入ってくるようだった。
だが逃げるわけにはいかない。
「かかってこいよぉおおおおぉ!」
自分を奮い立たせるように、タカシは抵抗をしようとする敵の兵士に、叫び声を浴びせた。
しかもちょっと泣きながらである。三枚目だけでなく、サイコパス感がある。
タカシの叫び声に、敵の兵士は及び腰となった。
「お前ら、日系転生人か?」
襲撃された相手が、戸惑った様子を見せる。
襲撃してきた相手が、黒髪と黒瞳なので、日本人。つまりはこの世界に来た日系転生人だということは一目瞭然である。
日系転生人が、味方である自分達を襲撃する理由がわからない。そう思ったのだろう。
タカシはその疑問には何も答えずに、再度斬りかかる。
今度は襲撃された方も黙っていなかった。ある敵兵がタカシの剣を受け止める。
タカシは呆気にとられたように、細い目を大きく開いた。
タカシの剣撃は、レオの日系転生人がもつチートのおかげでかなり強化されている。これまで真っ向から受け止められたことなどなかった。
相手を見ると、周りの兵士たちより二回りは大きい体格の誰かが、タカシの一撃を受け止めていた。
その呆気にとられた一瞬をつかれ、タカシは相手の重い体格で、体ごとぶつかられ、吹き飛ばされる。
(マズイ!)
タカシは吹き飛ばされながらも、臆病者が持つ直感的な何かに従い、姿勢を崩しつつも、足をなんとか地面につけ、無理矢理後ろに跳んだ。
タカシがいた場所を、ぶおんと、大きくて重たいものが通った音がした。
転がりながら、あわてて態勢を立て直したタカシが見たものは、頭以外全身鎧に覆われた敵兵が、見るからに重そうな戦槌を振り下ろす姿だった。
戦槌は一メートルくらいの長さがあった。
後ろに跳ばなければ、遠心力たっぷりのあの戦槌で体を潰されていたはずだ。その姿を想像し、タカシは震えどころか、自分の血が一気に温度が下がるような気がした。
戦槌は、堅固な重装鎧ごと敵を粉砕する目的で作られた武器だ。タカシが着ている簡単な革鎧など、ものともしないし、剣でも受け止めきれない。
兵隊は普通、剣などの扱いやすい武器を使うが、あえて戦槌のようなニッチな武器を使っているということは、相手はかなり戦槌の扱いに自信があるのだろう。
装備の充実さとその体格から、明らかに実力者だとわかる。正直、自分だけでは手に負えない相手かもしれないと、タカシは思った。
タカシはチラリと後ろを見ると、ヒデオは新しく覚えた魔法を使いすぎたせいか、座りこみそうなくらい疲れが顔に出ているし、レオのチートは一緒に戦うタカシを強化出来ても、自分自身は強化できない。
視線を相手に戻し、タカシは震える手で無理やり剣を強く握った。
敵兵は待ち構えるように、戦槌を上段に構える。
(どうする。どうする?)
受け止められないなら、避けるしかない。
でも立ち向かえるのかと、内なる自分がささやく。
(メーヴ隊長は逃げてもいいと言ったじゃないか)
生来の臆病から、戦わなくてもいい言い訳を見つけ、つい腰が引けてきてしまう。
「タカシ、下がってろ」
そんなタカシの迷いを感じたか、レオがタカシの前に立ち、タカシの代わりに戦うとばかりに、相手と向かい合った。
「で、でもよぉ」
レオは一人で戦えば、普通の人間とあまり変わらない。なのに見るからにヤバそうな相手と戦うというのか。本来ならここで戦うのは、レオのチートで強化されるタカシの役割だ。
だがレオはタカシの迷いを無視する。レオは勇敢で優しい男だった。
お互いにらみ合うこと、数秒。
レオは一歩踏み、均衡を崩した。
決死の踏み込み。踏み込んだ先は戦槌の間合い。
相手にとっては、飛んで火にいる夏の虫。
間合いに踏み込んだレオを粉砕すべく、上段から重い質量が振り下ろされる。
「ぐぅぅぅう!」
レオは踏み込んだ右足を軸にして、右方向に体を捌き、振り下ろされた戦槌を紙一重で躱した。
戦縋が地面を粉砕する凄まじい音が響き、相手とレオの視線が交錯する。
戦槌を振り下ろした後の無防備な態勢。その隙をレオは待っていたようだ。
「おぉぉ!」
レオはここだとばかりに、隙だらけの相手目掛けて、横なぎに剣を振るった。
ふるった剣は勢いよく、鎧に守られていない相手の首の一部を斬る。勢いよく吹き出た血がレオの顔にかかった。
レオが急所を斬りつけたことから、勝負は決まった。
ところが血がかかったことにレオの表情が曇り、構えに少し隙が出来た。相手を殺したという罪悪感からか。しかしそれは一瞬とはいえ、殺し合いの最中では致命的な隙だった。
その一瞬を相手は見逃さなかった。血を出しながら、まだ負けていないとばかりに捨て身にレオに体当たりを仕掛ける。
体格差では相手に圧倒的に分がある。瞬く間にレオは相手に馬乗りをされていた。相手は戦槌を捨て、ナイフを振り上げていた。このままでは殺されてしまう。
「レオ!」
そこでこれまで固まってしまっていたタカシの体が、ようやく動いた。剣を腰だめに構えて、相手に向かって行く。
「うわぁぁぁぁ!」
何も考えていない、ただ相手に向かっていく動き。
普通の人間なら剣で鎧なんて突き通せないが、レオのチートのおかげか、タカシの剣はそのまま鎧を突き破って、相手の腹に突き刺さった。
首から血を噴き出させながら、レオに掴みかかるほどの執念を見せていた相手だったが、タカシの一撃が致命的だった。
「裏切り者どもが……!」
そう呪詛の声を残し、手に持ったナイフから手を放し、相手はレオに向かって倒れていった。
覆いかぶされたレオがもがきながら立ち上がる。相手は最早地面に伏し、ピクリとも動かない。勝敗は明らかだった。
そしてレオは残った敵兵に対して、かかってこいとばかりに剣を構える。
一瞬の静寂ののち、
「う、うわぁァぁあぁ!」
自分たちの中でも実力者が倒されたという事実に、もうダメだとばかりに敵兵は一人また一人と剣と補給物資を放り出して、逃げ出していった。
タカシは周りに敵兵が居なくなったことへの安心感から、その場でへたり込みそうになる。
(し、死ぬかと思った)
戦縋が振り下ろされた音が、耳にまだ残っている。何も考えずレオを助けにいったが、一歩間違えれば死んでいたのは自分だ。
タカシは勝ったのに、そのままへたり込みそうになるほど、気が緩んでしまう。
「待て。タカシ。まだ終わってない。隊長を助けに行くぞ」
ヒデオのその一言で、タカシは現状を思い出した。
まだ戦いは終わってない。
「そ、そそそ、そうだな。よ、よし。隊長を助けに行くぞ」
ヒデオも疲れているはずだ。でも気力を振り絞っている。だったら、タカシもそうあるべきだ。
「お、おい。タカシ。その、なんだ。ここで待っててもいいぞ」
助けられたせいか、ぶっきらぼうながらレオが普段だったら、絶対にかけないような優しい声をタカシにかける。
さっきのメーヴ隊長に声をかけた時もそうだったが、どんな相手でも気を使って、優しくできるのはイケメンの証だなと、タカシは思った。
「バ、馬鹿野郎! た、隊長がまだ戦ってるのに、ま、待ってるなんて出来るか!」
「チッ。そうかよ」
涙を瞳にたゆたわせながらだが、タカシの意地っ張りで、レオの気づかいも無駄になる。
結果的には、三人は隊長が戦っている場所に行くも、既に敵は敗走していたので戦いは終わっていた。
隊長は三人が束になっても、かからないほど強い。
その実力に敵はすぐに戦意を喪失して、逃げ出していったようだ。
「よくやったな」
息も絶え絶えながら、無事な三人を見た後、そう言って、隊長は笑った。
戦った後とは思えないほど、汚れもなく、傷一つ、ついていない。
この隊長は戦いの後などは、恥ずかしいからやめてくれと言いたくなるくらい褒めちぎる。訓練のときに浴びせられる罵声が嘘のようだ。
隊長に褒められることは、数少ないタカシの娯楽の一つだった。
帰り道、タカシは五体満足で、死地から生き延びれたことを感謝しながら歩いていた。死んでしまうかと思っていた。
ここ二、三カ月は生きるか死ぬか、毎日が綱渡りだ。
転生してきたばかりのころは、のびのびと暮らせていたのに。
(いつになったら、終わるんだろうな)
異世界に来て、ようやく自分らしく暮らせていたというのに。
こうなってしまった理由を、歩きながらタカシは思い出していった。
【第一章】
快晴。夏まっさかり。
タカシに太陽の光が降り注ぐ。畑には日差しを遮るものはなく、暑い。
暑さに苦しみながらも、タカシは実った作物の収穫に勤しむ。
それでもこの世界、クリスードの気温は、日本と比べて、かなり過ごしやすい。
(日本と比べれば湿気も少ないし、カラっとしているよな)
タカシは立ったまま、収穫の作業をする手を一時止めて、空を見てみる。
見えた空は青い空に、白い大きな入道雲。わかりやすい夏の情景。
自分がポカリスエットのCMの登場人物になったようにタカシは感じた。腰にぶら下げた、竹で出来た水筒に直接口をつけて、水を飲む。朝に井戸から汲んだ水は多少ぬるくなっていたが、それでもタカシには冷たく感じた。
いい気分転換になった気がする。
だがある出来事を思い出し、すぐに気分が落ち込んだ。
ここ何日かは、いつもこんな感じだ。
楽しいことをしていたとしても、気分があがる出来事があったとしても、すぐにテンションが下がってしまう。
タカシは頭を振って、一時的に嫌なことを忘れる。
そして一つ伸びをした後、残りの収穫をしようと、再びリゴベ(イチゴのようなベリー系の果物)に向かうと、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。
声の方向を見てみると、タカシの後見人であるラバおじいちゃんが手を振っている。村長もそこにいた。
(村長がなんで?)
わざわざ村長が訪ねてくることなんて、滅多にない。胸騒ぎを感じながら、とりあえずタカシは作業を辞めて、二人へと近づいていった。
「日系転生人たちが、反乱をおこした」
「え?」
家のテーブルに座ったラバおじいちゃん、リアおばあちゃん、タカシに向かい合って座った村長は重々しく口を開いた。この家には窓ガラスがないせいか、外は明るいが、家の中は薄暗い。
「は、反乱ですか?」
タカシは聞きなれない、歴史の教科書に出てくるような言葉に驚く。日系転生人の反乱。自分もクリスードに転生してきた日系転生人として、他人事ではない。
「タカシも聞いたろう? あの日系転生人の演説を」
「あ、はい」
数日前、ある日系転生人が、クリスードに住む住人全てに向けた演説をした。
『クリスードに住む全ての人々に伝えます。我々北部に住む日系転生人は、ここクリスード北部一帯を我々日系転生人と、それを認めるクリスード人たちの国とすることを宣言します。突然のことで、皆様には驚きかと思います。ただ我々、日系転生人たちはクリスードの王族、貴族など一部特権階級の都合の良い道具とされています。そんな状況が続いた結果、我々は自分自身と、利用される日系転生人たちを守る為、またその理念に共感してくださったクリスード人が安心して暮らせる国を作ることとしました』
『我々の理念に賛同していただける方は、日系転生人、クリスード人問わず、受け入れさせていただきますので、そういった方は北部方面においで下さい。我々は我々と共に生きていただける方を歓迎します』
『また我々の理念を妨げる妨害行為に対しては、これを全力をもって排除いたします。そして我々の理念に賛同していただける方たちを、全力でお守りいたします』
『繰り返しになりますが、もし我々の理念に賛同していただける方は、お待ちしておりますので、是非北部方面までお越しください。我々はあらゆる妨害から、あなたたちを守ることを誓います。短いですが、以上とさせていただきます。それではよろしくお願いします』
魔法を使っての宣言なのだろうが、音ではなく、急に頭の中に声が伝わるような演説が聞こえてきた。
それは日系転生人のタカシだけでなく、村の全員に聞こえていた。
「演説通り、既に北の地域のほうは、日系転生人に支配されているらしい」
さらに聞き捨てならない情報が出てきた。北の地域が日系転生人の勢力下にあるということは、軍事境界線はこの農村の目と鼻の先である。
あの演説は本当のことだったのだ。この農村も、いつその日系転生人が起こした反乱に巻き込まれてもおかしくない。
「そこで領主さまからお触れが出た」
村長はタカシにこの出来事の意味が伝わったと判断したのか、ここで初めてタカシをじっと見つめてくる。
「現在、領内にいる日系転生人は今日から三日の間に、バザアン収容所まで出頭しろとのことだ」
薄暗い家の中が静まり返った。
つまりそれは。
「……俺に監獄に入れってことですか?」
バザアン収容所という名前は、この世界に転生して一年ぐらいしかいないタカシでも聞いたことがある。
何故なら悪名高いこの国最悪の牢獄だからだ。罪を犯したものの中でも、重罪人だけが入るとされる牢獄。知らないやつはこの国のモグリだ。
日系転生人が反乱を起こした。そして日系転生人はバザアン収容所に行かねばならない。これはもうそのまま、牢獄に入れと言っているようなものだ。バザアンに来ないのであれば、反乱を起こした日系転生人たちの勢力に身を寄せかねない。だから、バザアン収容所に日系転生人を隔離する。
そんな意図がタカシには見え透いてとれた。
「私にも詳しいことはわからない。私はそれを伝えるよう言われただけだからな」
村長は申し訳なさそうに、目を伏せた。
「そんなの、おかしい」
呟くタカシに村長は追い打ちをかける。
「ちなみに、もし出頭に応じなかった場合、その者の近しいものがバザアン収容所に出頭することになっている」
(逃げてしまおうか)
タカシが一瞬思ってしまったことに釘をさすように、村長がさらに条件を突きつける。
「それって」
つまりはタカシが逃げ出した場合、タカシの身代わりに、ここにいる老夫婦が監獄入りということ。
監獄という囚人がバタバタと死ぬ劣悪な環境に、このお人よしの老夫婦が放り込まれたとしたら、もう二度とそこから出ることはないだろう。
「なんでラバおじいちゃんと、リアおばあちゃんを巻き込むんですか!」
タカシはあまりの理不尽さに、村長に怒り混じりに疑問をぶつける。
「なんとかならないんですか? 俺はこの世界に来て一生懸命やってきました。それに俺は反乱をした日系転生人とはまったく関係ありません。反乱に加担する気もありません。村長から領主さまへ言ってくれませんか?」
村長は顔をゆっくりと横に振る。
「私ごときが、領主さまに会って直接話すなんて出来るわけない。今タカシに伝えたことも、領主さまからの使いが突然村に来て、一方的に言われたことだ。もうどうしようもない」
村長はそう言って黙ってしまった。まるでこれ以上喋ることはないと。領主の決定が覆ることはないと。その沈黙が雄弁に物語っていた。
タカシは頭が真っ白になった。
納得がいかない。自分が何をしたというのか。この世界に来て、何も悪いことなどしていない。一生懸命この村でタカシは生きてきた。
異世界転生してきてから、一年半。慣れない農作業を必死に覚え、他の村人とも人間関係を円満に築いていた。農村の生活は、日本での生活とは違い、タカシの肌にあった。
転生前の日本での生活は、うまくいかなかった。
だからこそ、この世界に来られたのは、タカシにとって今度こそ真っ当に生きていけるチャンスだと思い、辛いことから逃げたい気持ちを抑え、誰にも後ろ指をさされないよう努力してきたつもりだった。
そんな頑張った結果がこれかと。
タカシは起きている現実を受け入れられなかった。
村長はタカシのことを応援してくれていた。タカシの仕事ぶりを褒めてくれていたのだ。自分の理解者だとタカシは思っていた。
しかし、目の前にいる村長の態度は、これまでの態度が嘘だったかのように、よそよそしいものだった。
厄介者は早く村から出て行ってほしいと言いたげですらある。
誰も何も言わない。
村長はしばらくしたあと、何も言わず家から出ていった。
村長が居なくなったあとも、三人はテーブルに座ったままだった。
どれくらい時間が経っただろうか。
「タカシちゃん。ご飯食べよう」
そう言って、リアおばあちゃんは唐突に立ち上がり、台所に向かう。ラバじいちゃんも
「今日はコケモを捌いて食おう」
そう言って、鳥小屋に向かった。コケモとはこの世界に生息する鳥のことである。家畜としてよく農村で飼われていた。
この家でコケモを捌いて食べるということはご馳走を食べることを意味する。
そこでタカシは気がついた。
(そっか。最後だもんな)
タカシは諦め半分に納得する。
もう一緒にご飯を食べることもない。だからせめてご馳走を振舞って、最後の思い出を作ってあげようという心遣いなのだろう。
(すぐにこの家から追い出されないだけ、マシか)
タカシは食事などする気分ではなかったが、二人の老夫婦には世話になった。恨むのは筋違いだろう。
タカシは普段ならする手伝いもせず、まんじりとテーブルに座って、食事を待っていた。
日本の食生活に慣れていた自分としては、ご馳走と言うが、テーブルに出された料理は質素なものに感じてしまう。
鳥の丸焼きと、豆と根菜のスープ、そして主食としてじゃがいものようなもの。味付けはシンプルに塩だけ。
それでもコケモの丸焼きはこの農村では一番のご馳走だ。年に一度の祭りのときにしか食卓には出ない。
食事の前、無言で食卓を囲んでいると、ラバじいちゃんが静かに口を開いた。
「タカシ。これを食べ終えたら、少し寝て、太陽が上がる寸前にコウコへ行きなさい」
タカシはラバじいちゃんを見つめた。
コウコとはこの村から北へ行ったところにある町で、バザアン監獄からはまるっきり反対方向だ。つまり日系転生人の勢力下に極めて近い場所。
「少ないけど、これ」
リアばあちゃんが、テーブルの上に何かが詰まった袋を置く。
タカシは震える手で袋の中を見る。
それはこの国のお金だった。
農村ではお金を使うことは少ない。この袋のお金の量は、恐らくはこの家のお金をかき集めた量ではあることが想像できる。
「バザアンなど行かなくてよい」
ラバじいちゃんは、迷いなど一切見せず、力強くそう呟いた。
「老い先短いワシらのために、若いタカシが犠牲になる必要はない。夜明けとともにコウコへ行き、日系転生人たちのところに身を寄せるといい。同じ日系転生人同士、タカシのことを決して悪いようにはしないだろう」
タカシは二人を見る。リアばあちゃんは優しく笑って、ラバじいちゃんは表情を変えず、タカシを見ていた。
その柔和な顔は出会った時の二人、そのままだった。そしてその優しい顔は、タカシに二人に出会った時を思い出させた。
「よろしくお願いします」
そう言って、タカシは作業をしているおじいさんに頭を下げた。
表面的でも礼儀正しくするべきだと思ったから。
たらい回しにされたあげく、ようやく自分を受け入れてくれた先だ。反抗的な態度をとって、せっかくの寝床を失うわけにはいかない。
「わかった。家の中にばあさんがいる。挨拶しとけ」
爺はほんの少しだけタカシに向かい合って応じると、すぐに作業に戻った。
必要最小限の関わりしか持たない。そう言われているような気がした。
(別にかまわない。元々期待していない)
タカシにとって、年寄りは自分から搾取する象徴だった。
異世界転生する前、日本で生きていたころは、周りの友達が当たり前のように送っている日常を、タカシは送れなかった。
祖母の介護のためである。
タカシの家の家計は裕福ではなかった。認知症となった祖母の介護費用や、少しでも生活を良くするために、両親は仕事に力を注いだ。なので自然と祖母の世話はタカシが行うことになった。
子供だからやらないと、文句は言えるような家計状況ではなかった。家族だからとしょうがないと、介護を強要された。世の中でも、親族の介護に家族が時間を割くのは当然と、その行為が正しいとされていた。
だが祖母への介護は、想像以上にタカシの時間を奪った。認知症の祖母を家で一人にはできず、一日中張り付いていなければならなかった。
そうなれば学校を休まないといけない。タカシは次第に不登校となり、ろくに教育を受けることが出来ず、祖母の介護に時間全てを費やすようになった。部活をしたり、勉強したり、友達と遊んだりするような、当たり前のことが全く出来なくなった。
祖母が介護をするタカシに感謝をしてくれていれば、まだその行動に意味を持てただろう。
だが祖母はまるで子供だった。年を取ると子供に戻るというのは、本当だ。
自分の思ったように進まないと気がすまないらしく、タカシはよく当たり散らされた。それだけではなく、人の悪口を延々と聞かされて、精神が病みそうになったくらいだ。
だが純粋に祖母のことを憎めるかと言われると、そうもいかなかった。曲がりなりにも祖母には自分が必要だった。自分という存在が強力に必要とされることから、祖母をそこまで憎むことが出来なかった。そこを含めてタカシにとってやっかいな存在だった。
(年寄りなんか、そんなもんだ)
諦めと一緒に家に入ると、笑顔満面のおばあさんがそこにいた。
「いらっしゃい! 遠いところよく来たね。お口にあうかわからないけど、ご飯食べてね」
さきほどの顔すらよく見せない爺とのフレンドリーさの対比に面食らう。
戸惑いながらも、テーブルに座ると、丸焼きの鳥が出された。
隆は目を見開いた。
この世界では肉を使った料理なんて、滅多に出ない。やっかいものの自分を受け入れるのに、こんなご馳走なんて出るわけがない。
「あの、お二人は食べないんですか?」
テーブルに並べられているのはどうやら自分の分だけだ。
「うん。私たちはあとでいただくから、食べちゃって」
家の中を観察するも、とても裕福には見えない。こんな料理を頻繁に出せるとは思えなかった。
タカシが食べ終えたあと、その老夫婦が肉を食べる様子は無かった。
翌日からさすがにお客様扱いは無くなったが、この世界で生きていく術を親身になって教えてくれた。おじいさんは優しい言葉はかけてくれない。しかしタカシのことを決して見捨てなかった。
農村での暮らしは日本での暮らしとは違い、非常に厳しいものだ。
もやしっ子のタカシは、すぐに音を上げた。見苦しいくらい弱音を吐いた。それでも爺はただ見守った。タカシが弱音を吐いた後に立ち上がるのを辛抱強く待った。
アドバイスを都度都度だし、お前なら出来ると、信じていると、背中でタカシに優しさを与えた。
爺がぶっきらぼうなのは、性格なのだと、自分を厄介者だと思っていないことがわかった。
おばあさんはそんな疲れ切ったタカシを全力でサポートしてくれた。怪我をした時など、こちらが大丈夫だからと言いたくなるくらいに、心配してくれた。
貧しい料理も、おばあさんの工夫で、涙が出るほどうまい料理に変わった。
そんな生活を一年半続け、タカシはようやく自分が歓迎されていることに気がついた。
そんなことを思い出した。
老夫婦にとって、このご馳走は、タカシを憐れんでのものではなかった。
自分達がこの世に未練を残さない為の、いやタカシの未来のための、タカシを思って贈ろうとした最後のご馳走だったのだ。
それを理解した瞬間、タカシの瞳に涙が浮かぶ。
(俺はなんて愚かだったのだろう。なんでこの二人を信じられなかったのだろう……!)
思えば異世界転生をしたもの、何の知識も能力も持たない自分がこの農村に連れてこられた時、誰もが余計な食い扶持を増やすことを渋るのに、この老夫婦だけは、自分を暖かく迎え入れてくれた。
日本での生活で自暴自棄になっていた自分を、温かく見守り、時に叱り、そしてこの世界で生きる術と、自分が育てた野菜を収穫する喜びを教えてくれた。
この老夫婦は自分を守ってくれた二人だったのだ。そんな二人をタカシは最後まで信じられなかった。
(なんて俺はダメなやつなんだ)
利己的な自分。あさましい自分。自分が自分で嫌になる。
甘えていいのか? 与えられているだけでいいのか?
この二人の恩人が、死と引き換えに自分の未来を守ってくれる。そんな他人を思いやれる人間を、自分は利用するだけ利用して捨てるというのか。
ダメに決まっている。
じゃあ、こんな二人に自分は何をしてやれるのだろう。ある考えがタカシの頭に思い浮かぶ。
しかし、その考えをすぐに否定した。出来るわけがない。平和な日本でも、うまくやっていけなかったのだ。それなのに、なぜ自分がそれよりさらに辛い環境に身を置けるというのか。ならやはり、この二人の恩人を生贄に捧げて自分は一人安全な場所にいるのか。それも出来ない。
(決めた)
ではおのずとやることは決まる。
自分は弱いヤツだ。情けないヤツだと、タカシは思う。でもこの二人はそれでも自分を守ろうとしてくれた。
だからせめて、この二人の為になろう。そう思って、タカシはこれからの行動を心の中で定めた。
「ラバおじいちゃん。リアおばあちゃん。ありがとう」
タカシはそう言って、テーブルに額をつけんばかりに頭を下げた。
たっぷりと数秒、頭を下げ続けた。二人には感謝してもしきれない。そんな思いをタカシはどうにかして、示したかったのだ。
そしてゆっくりと顔を上げて、タカシは笑って言った。
「俺さ、バザアンまで行くよ」
「いかんぞ! タカシ!」
ラバじいちゃんは、立ち上がり、大声を出す。
心配してくれている。自分が監獄に入ることを止めてくれている。それだけで、タカシは温かい気持ちになる。ただそれに甘えてはいけないと、タカシは思う。
「違うんだ。バザアンの監獄には入らない」
バザアンに行くのに、バザアンの監獄には入らない。二人は怪訝な顔でタカシを見てくる。
その表情に、もう一度タカシは笑って。
「俺、この国の軍隊に入る」
はっきりと宣言する。
感謝を思うだけでは終わらせない。行動で示すのだ。
「軍隊に入ってさ、俺は剣を振るって、ラバおじいちゃんとリアおばあちゃんを守るんだ」
タカシの勝手な推測だが、日系転生人と戦争になったなら、この国は戦える兵士を募集しているはずだ。
だったら、例え敵である日系転生人でも、戦える兵士であれば、タカシのことを雇ってくれるかもしれない。監獄に入らなくても済む。そして手柄を上げればまた同じように、ここでまた暮らすことを許してくれるかもしれない。
戦場に行けば死ぬかもしれない。
というか、自分のような人間は恐らく死ぬだろう。ただ少なくとも、監獄で死ぬよりはよっぽどましだ。
そしてなにより自分が戦えば、この老夫婦のおだやかな暮らしを守ることにもつながる。
だったら、命を張ったっていい。タカシはそう思えたのだ。
「タカシちゃん……」
リアばあちゃんは、呆気に取られているようだ。
ラバじいちゃんは腕を組んで、しばらく黙ったあと、台所に向かった。
なんだろうと見ていると、台所から何か瓶を持ってきた。
「タカシ、飲もう」
そう言って、ドンと瓶をテーブルの上に置いた。
「おじいさん。それって」
リアばあちゃんがラバじいちゃんを見る。
「本当はタカシが一人前になったら、開けようと思っとったが、タカシは既にいっぱしの男だ。みんなで飲もう」
ラバじいちゃんはそれぞれのコップに、瓶の中身を入れてくる。漂うアルコールの香り。
「お酒……?」
「そうだ。なかなかうまいヤツだぞ? ワシ、秘蔵の一品だ」
ラバおじいちゃんは嬉しそうに笑う。ラバおじいちゃんは滅多に笑わない。
(高倉健が笑った)
タカシにとっては、ラバじいちゃんの笑顔はそれほど印象的だった。
「乾杯」
3つの味気ない木のコップが高らかに上げられる。
リアばあちゃんの素朴ながら美味い料理と、ラバじいちゃんの秘蔵のお酒。
タカシは存分にその日の食卓を堪能した。
ちょっと泣きながら、コケモの肉を齧ったのは内緒だ。
家族が迎える試練の夜は、静かに更けていった。
(バザアン収容所の前で軍隊に入れてくれと猛抗議をしていたら、軍事務所に連れてかれました)
現状そのままの感想を、タカシは思い浮かべる。
軍事務所には同じ日系転生人の顔見知りが二人いた。
一人はかつて同じ村にいたヒデオ。
もう一人はタカシがいた村とは違う村に住んでいるレオ。
ヒデオは村に来て初めのころは色々と面倒をみてくれていた。魔法の才能があるということで途中から魔法学校に入学していたので、こうして会うのは久しぶりだ。
レオとは面識がない。ただこいつとは合わないな、と村合同で行われた祭りのときに挨拶をした際に、なんとなく思った。
三人は誰もなにも喋ることなく、緊張した面持ちで椅子に座っていた。
どこかからか、足音が聞こえる。足音が止んだあと、ドアが開かれた。
誰だ? と注目して、入ってきた人物を見ると。
女神がそこにいた。
(うわっ。美人)
普通の人間ではなかった。一番目につく違いは耳が少し尖っていること。若いエルフの女性だった。
さすがは異世界ということで、この世界にはエルフもドワーフも存在する。ファンタジーの設定そのままに、エルフは何故か絶世の美男美女だらけ。人間でも顔立ちが整っているものはいるが、エルフのそれは次元が違う。
まるで人工的に作られたかのように、顔立ちが整っているのである。
人間のアンバランスな美というものがない。非の打ちどころがないくらいに顔のパーツが形、配置ともに整っている。
タカシは日本にいたころに芸能人を見たことがあった。顔小さい、目がデカく、まるで自分とは全く違う生き物を見た気持ちだったが、目の前に立っているエルフの女性はそんなレベルではない。完璧である。
(CGだ。テクモのゲームキャラだな)
エルフたちは普段はエルフの森に引きこもっており、滅多に人前に出てこない。だからこそ、物珍しさも相まって、タカシは心を奪われてしまった。
そして極めつけに目の前にいる女神は、普通のエルフとは違う特徴があった。それは肌の色である。
薄い褐色の肌。エルフはエルフでもダークエルフと言われる種族の特徴だ。
(情報が多すぎる……)
混乱するタカシをしり目に、ダークエルフの女性はタカシたちをキッと、まるで睨みつけるように見ると
「私がこの部隊の隊長であるメーヴだ」
そう自己紹介をしてきた。
声はややハスキー。こちらをまるで視線で縫い付けるくらいの目力で見ながらの隊長宣言。
「貴様たちの仕事は、私の意のままに戦って、何を勘違いしたか思いあがった日系転生人どもを叩きのめすことだ」
日系転生人を前にして、日系転生人の悪口を言う。
タカシたちの顔が強ばる。
「よかったな。貴様らはめでたく裏切り者のクズだ。同じように異世界から転生してきた同胞を殺し、その血と臓器を売り払って、泥水みたいなスープを蛭のように啜り、粘土みたいなパンを奪い貪り、子供の為に春をひさぐオンナを抱くために金を貰うクズだ。なかなか羨ましいお仕事だと思うぞ」
エルフの美女の口から出たとは思えないくらい、酷い言葉だった。
そしてその言葉は、タカシが無意識のうちに、あまり考えないようにしていたことを、はっきりと自覚させてきた。
理由はともかく、自分がこれから行うことは、同じ日本人、日系転生人の敵になるということだ。
相手からすれば、裏切り行為なのは間違いない。
「これからさっそくそんな素晴らしい仕事に取り掛かるのだが、どうする日系転生人? 今からなら、臭いメシを必死に奪い合うだけの生活にすることもできるぞ? はっきり言って、そういう生き方のほうがマシかもしれん」
メーヴと名乗ったダークエルフの美女は、タカシたち三人を冷たく見下す。
「なんとなくここに来てしまったヤツがいたら、正直迷惑だからな。これからこの砂時計が落ちきるまで時間をやる。それまでに決めろ」
半端な覚悟なら、バザアン収容所に入ってろ。
そうタカシ達には聞こえた。
メーヴは言いたいことだけ言うと、ポケットから取り出した砂時計を置いて、部屋から出ていった。
元々静まり返っていたが、部屋の中はさらに静まり返るというか、温度が下がった気がする。
砂時計の大きさを見ると、おそらく5分から10分の時間。その間に裏切り者になるかどうか決めろということか。
(やっぱり、ど、どうしようかな)
あらためて言われてしまうと、タカシは迷ってしまう。
目の前に楽な道があると、再度指し示された。凡人の身としては、つい心が動いてしまう。
「ふざけんなよ。勝手に収容所とは名ばかりの監獄まで連れてこられて、逃げ出したらアリシアを牢屋にぶちこむと脅す。そしてそれが嫌なら戦えって言われて、終いには辞めてもいいから考えろだと? 人をおちょくるのもいい加減にしやがれよ……!」
迷うタカシとは違い、レオが憤っている。
レオは脅迫されてここまで連れてこられたようだ。
(アリシアって、隣村で噂になるくらいの女の子じゃ)
タカシも見たことがあるが、相当キレイな女の子だった。「ラントン(隣村の名前)の宝石」と言われるくらい、タカシがつい反応してしまうくらいに有名だった。
モヤっとするタカシ。実はちょっと恋心を抱いていた。
「日系転生人の中でも俺等は特殊な能力、チートとかがあるから、こうやってここに集められたんだろうな」
ヒデオは砂時計をじっと見ながら、口を開いた。
かつて同じ村にいたのでわかるが、ヒデオはこの世界では貴重な魔法の使い手だ。
だからこそ監獄に送り込まれなかったと言う。確かにとタカシは納得した。ここにいるレオも確か何か特殊な能力を持っていると聞いたことがある。
日系転生人はこの世界に転生する際、チートと言われる特殊な能力を持つ場合がある。
能力は人それぞれだが、中にはとんでもない能力を与えられることもある。そんな能力を持っている日系転生人は、直接王宮からスカウトされるらしい。
ちなみにタカシにはチートはない。自然とこの国の言葉が身についているチートだけならあるが、その能力以外何もない。何も能力もなく転生してくるやつもいる、というか、そんなヤツがほとんどである。
「それでどうするんだ? タカシ?」
ヒデオから話を向けられるタカシ。
「え?」
「え? じゃねーよ。お前はどうするんだ?」
あらためて聞かれると、どこか迷いが生じてしまう。つい自分が楽な道を選びそうになる。
減っていく砂時計のガラスを見ていると、まだ楽な道を選べる。間に合うと焦ってしまう。
この二人は特殊な能力を持っている。レオとヒデオはだからこの場にいる。でもタカシは違う。無力な一般人だ。場違いにもほどがある。それでも残るのか?
(いや、違うだろ)
一瞬楽な方向に流されそうになった自分をタカシは恥じた。
ここに来た理由をタカシは再度考える。別に特殊な能力があるから、ここに来たわけじゃない。ましてや監獄に入るためでもない。
「俺は残る。そう決めたからここに来たんだ。あと俺にもチートあるぞ」
「なんだよ」
自信満々にタカシは返事をする。
「クリスードの言葉がわかる」
さっきまで迷ってたくせにと、頭の中で自分にツッコミを入れつつだったが。
「それは誰にでもあるわ。まぁ、確かに収容所に入るよりはマシだよな」
ヒデオは笑って、賛同してくれた。そしてレオに続けて話しかける。
「レオ。もしかしたら武勲を立てれば、お前の愛しのアリシアと一緒に暮らせるようになるかもしれないぞ?」
「ヒデオさん。俺もやるだけのことはやりたいと思っている。しかしうまくいくとは思えない。脅しでイニシアチブを取って、俺らを軍隊に入れるような連中だぞ? 信用できるのか?」
そんな予想に対し、レオは疑い深げに、ヒデオを見た。ヒデオは笑って返事をする。
「軍隊じゃあ、武勲を立てれば誰も文句を言えないだろ。アリシアといい暮らしが出来る金が貰えるかもしれん。もしかしたら貴族さまにもなれるかもしれないぞ?」
レオはヒデオの返事を聞いて、しばらく黙ったあとに、
「そうですね」
と、どこか納得いかないように頷いた。
「俺も残る」
レオは残ることを決めたようだ。
「ち、ちなみに、アリシアって、あの有名な?」
タカシは恐る恐るといった感じで、レオに確認する。
(違ってくれ)
という願望と共に。
「あの、かどうかはわからないが、俺の村にはアリシアって名前の女の子は一人しかいないぞ」
レオが住む村ラントンのアリシアと言われれば、『ラントンの宝石』のアリシア以外にいない。
(やっぱり)
タカシ、ハートブレイク。
一度だけ、村のお祭りで見たことがある。女の子が集まっているなか、一際美しく見えた女の子だった。
もしお近づきになれたらと、夢見ていたがそんなうまいことは起きない。日本にいたころと同じだ。異世界でもキレイな子はやはりイケメンというか、それなりの男とくっつく。
落ち込むタカシを不思議そうに見るレオと、おおよその事情を把握し、ヒデオはニヤニヤとそれを見守っていた。
そしてついに砂時計の砂が落ちきる。
「貴様ら、まだ残っていたか」
部屋に入ってきたメーヴが意外そうに、表情を変える。
「それで? お前らは同国人に対して武器を向けて、裏切り者と罵られながら、それどころか味方からも疑われながら、それでも戦い続けることが出来るということでいいのだな?」
流石にメーヴが言う意図はわかった。最後の忠告と、そういった意味で、メーヴは念押しをしてくる。
「全員戦えますよ」
ヒデオは間髪入れずに返事を返した。
それを聞いたメーヴはにやりと笑うと、
「そうか。ではさっそく任務だ。ここから北へ向かいコウコの町まで行く。時間は今日を含め二日間だ。それが出来なかった場合、この部隊を辞めてもらう。つまりバザアン収容所で罪人たちと仲良く鬼ごっこをする暮らしをしてもらうぞ」
「「「え?」」」
聞き間違いかと、タカシは思った。しかしメーヴ隊長はそう言ったきり口をつむぎ、何も言わない。
(二日間と言ったか、この女?)
コウコより手前の自分の村からでもここまで二日かかったのだ。コウコまでは馬など使わない限り、たどりつける距離ではない。
「二日、でしょうか? そんな、アサップですか?」
自分の聞き違いでないか? そんな気持ちが読み取れる。レオが念押しで確認する。あとタカシはアサップって何? と思った。
「二日だ。何度も言わせるな」
しかし、メーヴの回答は変わらなかった。表情すら変わらず、あたかもそれが当たり前のように断言した。
「馬とかは使えるのですか?」
ヒデオの質問に対して、メーヴ隊長は馬鹿かと言いたげに。
「あるわけないだろ」
ふんと鼻で笑った。
「よしでは行くぞ。各自安物の水筒に目いっぱい水を入れろ。それが終わったら、早足で行軍開始だ」
(これは早まったかな)
そんな思いを抱きつつ、タカシは慌ただしく部屋を出て、基地にある井戸に向かった。
タカシは最初のニ時間はメーヴ隊長についていくことが出来た。
しかし、ニ時間だけだった。レオ以外のタカシとヒデオは遅れつつも、メーヴ隊長について行っているというような感じだ。
足の痛みがさらに歩みを遅くさせる。こちらの世界のサンダルみたいな靴では、すぐに足が痛くなってしまうのだ。
歩くスピードは早歩きというか、腕を振って歩く競歩に近いものだった。先頭に立ったメーヴ隊長はずんずんと前を進み、レオ、タカシ、ヒデオの順番でメーヴについて歩く。
クリスードの季節は夏まっさかり。太陽は容赦なく日差しを三人に照らしつけてきて、ただでさえ少ない体力を奪っていく。
動けば動くほど、体の至るところから汗が噴き出してくる。
ただ一つの救いは、
「よし小休止!」
メーヴ隊長は短い時間ではあるが、ちょいちょい、休憩を入れてくれることだ。
タカシとヒデオは、休憩と言われるたびに、街道脇に大の字になって、寝そべって休む。レオは胡坐をかいて座り、深呼吸を何度も繰り返し、呼吸を整えている。
(ちょっとは体力がついてると思ったんだかなぁ)
タカシは地面に寝転がり、青空を見ながら、そんなことを思う。
転生してきた直後は、農作業の過酷さに苦労してきた。なにしろ日本では力仕事などやったことがなかった。それをいきなり、これから一日の大半を力仕事して過ごせと言われたのだ。筋肉痛やらなにやら苦労しながら、どうにかコツを探して、こなしてきた。
だから体力はついていると、自信があったのだが、そんな自信があっという間にぶっ壊された気分だ。
メーヴ隊長をちらりと見てみる。
座ってはいるが、砂時計をじっと見ているだけで、顔に汗を一つかいてない。涼しい顔をして、休憩時間が終わるのを待っている。
ヒデオは嫌そうな顔して、砂時計の砂が落ちる様子を見ている。
タカシもキツイが、ヒデオはもっと堪えているようだ。
魔法を学んでいたということだがら、農作業をこなしていたタカシやレオとは違い、これまでこういう体力勝負とは無縁だったのだろう。
「よし。休憩終わり。おい。貴様ら、まだ水はあるか?」
メーヴは三人に水筒を見せながら、問いかける。
タカシとレオの水筒にはまだ水が入っている。
「ください……」
ヒデオが寝ながら、手を上げる。
ヒデオの水筒の中身はとうに無くなっていた。
メーヴはヒデオの近くまで行くと、立ったまま水筒の中身を、寝ているヒデオの口に滝のように垂らす。
「ゴっ、ごほっ!」
勢いよく流された水が、喉元に突き刺さり、ヒデオが跳ね上がるように上半身を上げる。
(そりゃ、むせるよな)
罰ゲームにしか見えない。
「頼み方というものがあるから気をつけろ」
そう言って、上半身を起き上げたヒデオに自分の水筒をポイッと渡す。
「はい。すいません」
メーヴ隊長の水筒を受け取ったヒデオは、顔から水滴を滴らせながら、不満たらたらに、ヒデオが呻く。
「今回は仕方ないが、次回から自分が飲む水の量を調整しろ」
メーヴ隊長はそう言うと、そのままトップスピードですたすたと歩きだした。
レオはいち早く立ち上がりそれについていく。遅れながらもタカシとヒデオも立ち上がり、歩き始めた。
行軍は日が落ちたとしても、終わらなかった。
メーヴ隊長は、自分の周りに魔法で作った鬼火を浮かべながらも歩き続けていた。
クリスードでは夜が更けたら、人はすぐに寝る。
日本とは違い、明かりをともすような設備が整ってないのだ。そして明かりをともすのにも金がかかる。
だからクリスードでの人々は日の出とともに起き、日の入りとほぼ同時に床に入る。起きていたとしても何もやることはないし、起きてれば起きているだけ、金がかかるからである。
でもそんなことは関係ないとばかりに、四人の行軍は続いていた。
タカシの大体の時間間隔としては、もう夜八時すぎ。いつもならとっくに寝ている時間だ。
クリスードの生活に慣れてしまったタカシは、歩きながらも段々と眠気を感じていた。
これまでちょくちょく休憩を取っているから、なんとかはぐれずにメーヴ隊長についてこれた。これがぶっ通しでの行軍だったら、とっくに脱落していただろう。
いつの間にか列の最後尾を歩くようになっているヒデオなんか、寝ながら歩いているのではないのだろうか?
そう思い、後ろを振り向くと、ヒデオがタカシの位置から見ても、かなり後ろの方を歩いていた。
だいぶ距離が開いている。ヒデオの体力はもう限界なのだろう。
(このままでは置いて行かれる)
「隊長!」
「なんだタカシ」
タカシの問いかけに、間髪入れずメーヴ隊長の声が返ってくる。歩き通しなのはメーヴ隊長も一緒なのに、声には疲労が見られない。
「ヒデオが遅れています! 少し待ってください」
「ダメだ」
メーヴは淡々と返事を返す。歩くスピードもまったく緩めない。
「このままだと、ヒデオさんがはぐれてしまいますよ!」
レオもタカシの意見にあわせて、メーヴにもう一度考えることを求める。
街道を歩いているとはいえ、夜中だ。歩いているのはタカシ達くらいだった。
旅人は、夜の行動を控える。
なぜなら盗賊や、野生動物に襲われる可能性がグンと上がるからだ。
軍服姿なら、服装で盗賊には威嚇の効果があるだろうが、野生動物などにはそんな威嚇は効果がない。
つまりヒデオ一人で街道を歩いているとなると、危なっかしくてしょうがない。
「それならそれでしょうがない」
だが、メーヴの返事は、取り付く島もなかった。
(このままヒデオを置いていくのか)
そうなってしまうだろう。ヒデオは脱落だ。
でもしょうがない。これは軍隊でやっていけるかどうかの、試験のようなものでもある。
ヒデオはその基準に満たなかっただけ。タカシはそう思ってしまった。
この行軍を耐えられないようでは、ヒデオは収容所に居た方がいい。そうメーヴ隊長は判断したのだ。例え軍隊に入れなかったとしても、少なくとも収容所にいれば真っ向からの殺し合いはせずに済むかもしれない。生き残れるかもしれない。
しかし後ろ髪をひかれる。
(じゃあ、なにか? 俺がヒデオのところまで行って、頑張れと助けるのか?)
助けようにも、タカシだって自分のことで精一杯だ。ヒデオを助ける余裕などとてもない。
でも本当にいいのか? タカシだって、この世界に来て、ヒデオに助けられたこともあっただろう。でもヒデオを助けて、巻き込まれて、挙句に自分まで失格になったらどうする?
「……よし!」
タカシは歩く方向を変え、ヒデオの方へ、駆け寄っていった。
駆け寄ることによって発生するロスのことは考えない。
「おい大丈夫か」
ぜぇ、ぜぇと荒い息遣いだけが返ってくる。タカシの言葉に、ヒデオは返事をする元気もないようだ。
見かねたタカシはヒデオと肩を組むと、二人三脚みたいに、ヒデオと共に歩き出す。
「あと少しでこの行軍も終わる。頑張ろう」
そんな根拠はないのに、タカシはヒデオを慰めたくて嘘をつく。
(慰めればいいってもんじゃないんだけどな)
それでもヒデオにやる気になってもらわなければならない。タカシはあえて嘘をつく。
「なんだコイツって、思ってるだろ?」
「え?」
暗くて表情がわからないが、ヒデオが自嘲しているようにタカシは感じた。
「さっきまで仕切ってたくせに何バテてんだよって、思ってるだろ?」
いつも自信に満ち溢れていたヒデオの姿しか知らないタカシには、ヒデオの自虐は意外だった。
タカシは何を言っていいか、とっさに迷う。
「思ってねーよ」
タカシは陳腐な言葉しか返せない。弱い姿をさらす、年上の人間にかける慰めの言葉などわからなかったから。
ただタカシは、ヒデオと一緒にこの訓練を乗り越えたかった。
肩を貸して手伝ったとしても、歩くスピードはそんなには変わらなかった。レオとメーヴ隊長の背中までの距離が縮まらない。
「言っとくけど、俺だってギリギリだからな」
タカシはなんとか追いつこうと体力を振り絞る。
しかし、人ひとりを支えながらだと、どうしても遅くなってしまう。
メーヴ隊長の背中がどんどん小さくなってくる。
「タカシ、もういいよ。俺を置いていけ」
ヒデオは途切れ途切れに、弱音を吐く。
さっきもそうだったが、普段のしっかりとしたヒデオしか知らないタカシ。やっぱりどう慰めていいかわからない。
「俺は収容所に入っても、自分の頭と、魔法の力でなんとかやっていける。例え腕っぷしの強い重罪人相手でも、好き勝手やられねぇよ」
それは間違いないだろうとタカシは思う。
ヒデオならそれぐらいはやりそうだ。短い付き合いだが、なんとなくわかる。
「だからだよ」
「え?」
タカシはなけなしの体力で、ヒデオに返答する。
「ヒデオのキレる頭と、魔法の力は絶対俺たちの力になる。そんな貴重な戦力をこんな体力だけの基準の試験で失ってたまるか。ヒデオの力はもっと違う場所で生きる。その時に俺を助けてくれたら、それでいいんだよ」
「……」
タカシの言葉に、ヒデオは何も言わなくなった。ただ歩く足取りは少し力強くなった気がする。
変な話、疲れ切っていたタカシがその早くなったスピードについていけないくらいだ。
(ちきしょう。泣き言を言いたいのはこっちだよ)
なけなしの体力。ヒデオを励ますために使った。
正真正銘、裏表なく、混じりっけなしに、もう歩き続ける体力がない。
(あー、もうダメ。ゴメン。ラバじいちゃん。リアばあちゃん。俺、ここでリタイアだわ)
「助けにいったヤツがへばって、どうすんだよ!」
もう駄目だと思った瞬間、タカシの肩が誰かに担がれた。
「レオか?」
「そうだよ!」
先頭近くを歩いていたのに、タカシとヒデオを助けにきてくれたようだ。レオが明らかに苛立ちながら、返事を返した。
「しっかり歩け! 頼り切ってんじゃねえぞ!」
レオはタカシを叱りつけるように、注意する。
その上から目線に、タカシはカチンときてしまった。
(後から来たくせに何言っているんだ)
「さすがにイケメンさまはナチュラルボーン上から目線ですな。俺らぶちゃいく2人を颯爽と助けるおつもりでございますか」
タカシも疲れているにもかかわらず、苛立ちをレオにぶつける。
「何言ってんだよ。喋る余裕があったら、ちゃんと歩きやがれ! 俺のキャパだって限界なんだよ」
組まれた肩をレオが揺さぶってくる。
「おい。俺はタカシほど、ぶちゃいくじゃないぞ」
さりげなくヒデオが茶々をいれる。少し笑っていた。タカシには裏切りである。
「テメ、このやろヒデオ。そりゃ俺よりは顔立ちは整っているだろうがな。ハッキリ言って比較対象がオレなら、どんぐりの背くらべなんだよ。あぁ、失礼。レオさまは対象外でございますがね」
「だからさっきからなんで突っかかってくるんだよ。タカシ。オレはお前に何もしてねぇだろうが。むしろお前らをプッシュしてんのにおかしいだろ」
「レオの上から目線の発言に腹が立つんだよ。さっきから横文字ウザイんだよ。この意識高いビジネス横文字野郎!」
文句を言いながらも、三人の歩くスピードが早くなってくる。
「おいレオ。なんでタカシがお前にこんなに突っかかっているか、教えてやろうか?」
「おいやめろ。ヒデオ。ヘンな憶測すんじゃねぇ」
嫌な予感がしてタカシはヒデオを止める。
このままでは、ヒデオはあることないことをレオに吹き込みそうだ。
「レオの愛しのアリシアちゃんを、ここにおわすタカシさまも憎からず思っているからだよ」
「アー――――― ! 」
タカシがたまらず、大声を出す。
なけなしの体力しか残っていないのにとは思うが、恥ずかしすぎてタカシは自分を止められなかった。
「な!? そうなのか!? タカシ?」
レオはタカシを睨みつけた。
「んなわけねーだろ! さすがに彼氏がいる子には何もできねーよ。というか、彼氏がいない子にも何も出来ねーよ!」
タカシのヘタレ宣言だが、レオはまだ疑わし気に隆を見ながら口を開く。
「アリシアは確かに控えめに言って、坂道でセンター張って、引退する際はファンが脳卒中をおこし、保険会社も生命保険の支払いが大変な美女だが、だからこそ言い寄ってくる男が多い。タカシ。いくら仲間とはいえ、アリシアを口説こうとするなら、俺は容赦なくお前よりブラッシュアップしてコア・コピタンス!」
「ふざけんな! だからそんな勇気はねぇし、同僚の彼女を口説かねぇよ! あと動揺しすぎてビジネス横文字がバグってんじゃねぇ!」
いつもと違って、横文字がスマートに使えていない。
「今後タカシは、一切アリシアには近づくなよ」
「はいはい。近づきませんよレオさまって、あれ?」
必死に追いかけていたはずの背中がどんどん近づいてくる。
見ると、鬼火に照らされたメーヴ隊長が腕組をしながらこちらを見ていた。
(暗闇でもわかる。腕組みした腕ちょっと胸がのっている。素晴らしい)
そんなタカシの邪念を知ってか知らずか、メーヴは良く通る声で3人に静かに喋りかけてきた。
「貴様ら随分元気だな」
三人の背中に冷たい汗が流れる。
さっきまで馬鹿話をしながら歩いていたことを、メーヴ隊長はハッキリと聞いていたということだ。
人間より大きい耳をしているせいか、エルフは非常に耳が良い。後ろでまるで怒鳴り合うように馬鹿話をしていたら、エルフの耳なら聞こえないわけがない。
『そんなに元気だったら、夜通し歩くか? 予定変更だ。行くぞ!』
最悪な想像が、思い浮かぶ。そんなことになったら、確実に三人とも収容所送りとなるはずだ。
(やっば。終わったわ)
色々と選択をミスってしまったかもしれない。
タカシは戦々恐々と次の言葉を待っていると。
「今日の行軍はここまでとする! となったら、全員とっとと寝ろ!」
以外にも本日の業務はここで終了という宣言だった。
罰として、という言葉はなかった。
「は、はは」
緊張した分、一気に安心してきた。
なんとか一日を乗り越えた。
そう思った瞬間、三人は街道横の、地面に倒れこむようにして、ぶっ倒れ、ゴーゴーといびきをかき始めるのであった。
「起きろ貴様ら」
寝続ける三人にメーヴ隊長の声が刺さる。
タカシにも何か声が聞こえた気がするが、体が動かない。
誰かが起きた気配がする。
開ききっていない目からわかったのは、夜が明けて、それほど時間が経っていない時間帯であること。まだあたりが薄暗い。
すこし遅れて、もう一人起きた気配もした。
ただタカシは起きる気配がない。
「おい。タカシ。起きろって」
レオが寝ぼけながらも、まだ横で寝ているタカシを揺さぶるが、それでも起きれない。
そんなタカシを、メーヴ隊長は軽く蹴った。
「ウゴッ!」
体が一回転転がる衝撃を受けて、さすがにタカシの目が覚める。
(いってぇ)
肩を蹴られた衝撃もあったが、石の上ではないにしろ、土の上にそのまま寝ていたので体がバキバキであった。
「今回はしょうがないが、次からは交代で一人、見張りをつけて寝ることだ」
「へ?」
タカシはメーヴ隊長を惚けながら見る。
「まだ蹴られ足りないか? 」
「いえいえいえいえ。もう大丈夫です」
そう言って、慌ててタカシをはじめ、三人は立ち上がり、目配せし合う。
(誰か、見張りで起きていたか?)
三人とも、首を振る。爆睡していた。タカシなんか蹴られて、やっと起きれた。
(と、いうことは?)
もしかしたら、ここにいるメーヴ隊長が夜通し、見張りをしていたのではないか?
状況としてはそれ以外考えられない。
(マジか)
もしかして、ダークエルフは鉄で出来ているのだろうか?
そんな三人の戦慄を知ってから知らずか、メーヴ隊長は三人を見渡すと、気合を入れるかのように大声を出した。
「よし。今日一日でコウコまで到着させるぞ!」
「「「……」」」
「返事はどうした!」
「「「ハイ!」」」
三人は気合を入れて、答えた。
そこまでやってくれたメーヴの期待に応えようと、思ったからである。
「だがその前に朝飯にしよう。昨日の夜は何も食ってないだろ。簡単ではあるが、食事を作った。腹ごしらえをしよう」
大きな鍋にスープみたいなものが入っている。これは誰が作ったのだろうか?
「隊長が作ってくれたんですか?」
「他に誰が作れたというのだ」
見張りの時と同じように、メーヴ隊長以外に動けるものはいない。
こともなげにそう言いながら、大き目のお椀のようなものに、スープをすくって、三人それぞれに渡してくれた。
普通、こういった雑事は下っ端、つまりはタカシたち三人で行うはずだ。なのに隊長が自ら雑事を行ってくれた。
「よし。食え」
恐る恐る三人はスープをすする。
「うめぇ」
よそわれたスープの中に大きい具はなく、噛まずに食べられるように徹底的に煮込まれて、形が崩れてスープに溶け込んでいた。
消化に体力を使わないようにと気を使って、作られていたことがタカシにもわかった。
「ゆっくり時間をかけて食え。あまり急いで食うと体力を使う。あと食いすぎるなよ。腹八分くらいにしておけ」
せっかくのメーヴ隊長の忠告だったが、三人は夢中でスープを啜った。
この世界ではうまい食事にありつけることは少ない。食べ物に恵まれる農村で暮らすタカシでさえ、普段は味気ない食事をしていたのだ。
まさか軍隊に入って、こんな美味いスープを食べられるとは思わなかった。
タカシは目を閉じて、スープを飲んだ。栄養が体に染み渡るようだった。
そんなタカシ達の姿をメーヴ隊長は苦笑しながら、見守っていた。
食事が終わったあと、三人はコウコに向かい歩き始めた。
それは昨日と同じで、辛くて、途中根を上げたくなるくらいに厳しいものだった。
ヒデオも遅れがちになっていたが、その度に三人で励ましあいながら、足を止めることなく歩き続けた。
そしてついに三人は、日が暮れる前にコウコの町までたどり着いたのであった。
「貴様ら、よくやった!」
メーヴ隊長は笑顔を浮かべていた。やり遂げた三人も誇らしげだ。
「誰も脱落することなく、歩きとおしたのは、正直以外だったぞ!」
その笑顔はとても可憐なものだった。
タカシもヒデオも、彼女もちのレオでさえも、その笑顔に見惚れた。
「「「ありがとうございます!」」」
三人もその笑顔に大きな声で感謝を伝える。
「うん。よくやった。今日は宿を取っておいたから、そこでゆっくり休め。食事も簡単なものだが用意されている。アルコールも二日酔いにならない程度なら許そう。あと明日は一日休みとする。ゆっくりと休め」
「それはありがたいのですが、隊長はどうされるのですか?」
レオが隊長を気づかう。タカシはその発言に、このイケメンがという風にレオを見る。ヒデオはその様子を見て、苦笑していた。
「ん? 私はこれから周辺地域を確認してくる。貴様らはさっさと食って呑んで寝ろ。あさってに指揮官に着任の挨拶をしに行くから、疲れを抜いておけ。それでは解散!」
そう言って、隊長はどこかへ向かっていいた。
その発言と行動に呆気にとられながら、見送る男三人。
「あの人、本当に生き物か?」
タカシが呟いた。
二日間で本来四日間かかる工程を行軍した。しかもメーヴ隊長は夜通し見張りをしたり、三人のために料理を作ったりと、終始フォローまでしていた。
それが終わってもさらに、まだ周辺地域を見回るというのだ。一体どんな体力をしているのかとタカシは思う。
「ヒデオさん。エルフとかダークエルフって、そんなにタフな種族なんですか?」
レオが博識なヒデオに、確認といった感じで質問をする。
「いや、確かに魔法とか弓術には長けてるって話だが、そんな24時間戦えるバブルの頃のサラリーマンみたいな特徴はないはずだぞ」
ヒデオも信じられないと言いたげに、レオの質問に答える。
だよなぁと言いながら、三人は茫然と、メーヴ隊長を見送った。
コウコの街到着したの翌々日、タカシたちはコウコの街から少し離れた場所にある駐屯地をメーヴ隊長に先導され、歩いていた。
現場の指揮官に着任の挨拶をする為らしい。
タカシ達一行が、駐屯地内を歩いていると、周りの兵士から好奇の視線を向けられているのがわかった。
何故なら会う奴ことごとく、ジロジロとこちらを見ているヤツばかりだったからだ。
(俺らが日系転生人だからか)
タカシたちは日系転生人の特徴である黒髪を堂々とさらしている。敵である日系転生人が、堂々と駐屯地内を歩いていることが原因で、注目を集めているらしい。
駐屯地の兵士たちから、タカシ達が歓迎されていないのは明らかだった。タカシ達を見て、ニヤニヤしながら口笛を吹いたり、思いっきり睨みつけてくるような奴らもいる。
タカシは意識せずに、自分の頭に手を置いた。
黒髪を隠した方がいいのではないか?
収容所に入れられている日系転生人は、帽子などで黒髪を隠しているらしい。そうでもしないと身の危険にさらされるからだった。
「我々は味方として来ている。堂々としていろ」
動揺しているタカシに、メーヴ隊長が一声かける。
「は、はい」
「心配するな。私が守ってやる。それにもし危害を加えられたら言え。相手にその行為を後悔させてやるくらいには私は強い」
「は、はい」
メーヴ隊長は集められた視線にひるむことなく、前を向き、堂々と指揮官のテントまで進んでいった。
そんなメーヴ隊長の姿を見て、怯えていたタカシの心が変わる。
(そうだ。なんで俺らが卑屈にならなければならない。俺らは助けにここまで来たんだ。感謝されることはあっても、迷惑がられる筋合いはない)
日系転生人だからという理由だけで向けられる理不尽に反発心を覚えていると、ひと際大きいテントについた。
「失礼します」
メーヴ隊長はテントの中に入り、
「442部隊。只今、着任いたしました」
直立不動で、コウコの街に駐屯する部隊の指揮官に着任の報告をする。タカシたちはメーヴ隊長の後ろに立ち、成り行きを見守っていた。
指揮官は、全身を覆うおおげさな金属製の鎧を着た五十代くらいのおじさんだった。
(俺らって442部隊なんだ)
考えてみたら、自分たちの部隊名すら知らなかった。
椅子にふんぞり返って、メーヴ隊長から渡された羊皮紙を見ながら、座ったまま報告を受ける指揮官。
職員室で生徒に対してふんぞり返って、話を聞いている教師をタカシは連想した。
そういう態度でも、こちらの話を真剣に聞いてくれているのならいいのだが、そういった教師に限って、どうもアドバイスが的を得ておらず、クソバイスの連発をしてきたものだ。
(こっちでは鎧がスーツみたいな扱いなのかな)
別に戦場でもないのに、なんであんな重そうな鎧を着込んでいるのか。指揮官の正装なのだろうか?
ただ正装を着て、442部隊を応対しようという気持ちにはまったく見えない。こちらに対する敬意が感じられないから。
「早かったな」
指揮官は面白くなさげに、メーヴ隊長の報告に対して、それだけを答えた。そして渡された羊皮紙をテーブルの上に投げ出した。
書かれた内容が、タカシの目に入る。442部隊がコウコ駐屯部隊に所属することになる文面がそこに書いてあった。
着任日があさってになっている。
(やっぱり二日で行ける距離じゃなかったってことか)
メーヴ隊長に対して、無茶させやがってという嫌な気持ちにもなったが、それよりも行軍期間を大幅に短縮することが出来たという、自分自身を褒めてやりたいという気持ちが勝った。
「ありがとうございます。部下たちがついてきてくれたおかげです。それで、さっそくではございますが、我々の任務を教えていただきますでしょうか?」
指揮官はメーヴ隊長を睨みつけると。
「補給部隊の護衛だ」
吐き捨てるように、呟いた。
補給部隊の護衛。つまりは前線に出る事が無いということ。通常、前線に出る能力がない部隊が割り当てられることが多い任務だ。
「それはいつまで続くのでしょうか?」
メーヴは表情を変えることなく、指揮官に再度質問をした。
「いつまで? ずっとだ。ずっとに決まっている! いいか!? キサマらのような敵とも味方ともわからないようなヤツらをあてになど出来るか。後方で大人しくしていろ!」
何の予兆もなく、指揮官は椅子から腰を浮かし、身を乗り出すと、メーヴを怒鳴りつける。
「日系転生人だけで作られた部隊だと!? 思いつきで部隊を編成するのはいいが、実際に管理するのはこちらだ! 厄介者を押し付けやがって、裏切られたらどうするつもりだ!? 騎士団の連中は本当に邪魔しかしてこない! いいか!? ここまで言えば、自分達の立場がさすがにわかっただろう!? お前らは何もするな。いいな。俺がいいと言うまで、ずっと補給部隊の傍で欠伸でもかいてろ!」
指揮官は一方的に怒鳴りつけた後、まだ怒りが収まらないのか、さらに小さい声で続ける。
「黒猿の女に率いられた、軟弱な黒髪どもに何が出来るというのか」
(……この野郎)
タカシは理不尽に怒鳴りつけられたことから、怒りが段々とこみ上げてきていた。
黒髪とはクリスードで日系転生人への蔑称。黒猿はダークエルフへの蔑称。そして男女差別。
自分達はクリスードに住む人たちを守るために、収容所に入れるぞと脅されながらも、戦うと決めて、この場に来たのだ。
だったらその意思を尊重して、例え出自が違うにしても、仲間として出迎えてくれてもいいのではないか。
それなのにこの目の前でふんぞり返る、着る必要がないのに鎧を着るバカは、タカシたちをまるで信用していない。それどころが八つ当たりまでしてきている。
いったい誰のために、タカシたちは無理ゲーな行軍を乗り越えて、五日間かかる距離を二日で来たと思っているのか。
(お前らと一緒に戦うために早く来たんだろうが!)
そんな一緒に命を懸けると決めた相手に対して、お前らの命など役に立たない。むしろ裏切る可能性があるものの手助けなどいらないと一蹴された。
なんていう理不尽。
そしてもう一つ我慢ならないのが、メーヴ隊長を異種族の女というだけで、差別する指揮官の差別意識にもだ。
タカシは沸々と湧き上がってくる怒りを、押さえつけることが出来なかった。
そんな自分に、タカシも意外に思った。
どちらかというと自分は気弱な人間だ。しょっちゅう泣いている。
日本にいたころ、酷いイジメにも決して怒ることなく、黙って耐えていたのに。
だが、何故かこの理不尽にはタカシは怒りを抑えることが出来なかった
タカシは偉そうにふんぞり返る指揮官に一言、言ってやろうと身を乗り出す。
「そうですか。楽をさせてくれてありがとうございます。指揮官殿のご配慮に感謝いたします。……それと話は変わりますが、現在我々は相手方に比して圧倒的な兵力があるのに、戦線は硬直しているみたいですね」
「なに?」
指揮官の眉間が狭まる。
メーヴ隊長の言葉に、身を乗り出そうとしたタカシの体が止まる。
「一日、周辺を見て回らせていただきましたが、こちらが相手側に比して二倍近い兵力があるにもかかわらず、にらみ合いの状況が一ヶ月くらい続いている」
指揮官は何も言わずに、メーヴ隊長を睨みつけている。
『兵力で勝っているのに、何故、何も手を打たないのですか?』
そう言わんばかりの態度。メーヴ隊長は指揮官の行動にケチをつけていた。
「たかが四人しかいない部隊の隊長ごときが、私の作戦に意見するつもりか」
「聞きましたよ。敵に強力な能力を持った日系転生人がいるみたいですね」
指揮官は何も言い返さない。
沈黙がメーヴ隊長の予想がその通りだと、雄弁に物語っていた。
「スピアアローワーでしたか? 強力なチートを持っているようですね」
日系転生人は、こちらの世界に転生する際に、何かしらの能力を与えられることがある。
一つはヒデオのように、この世界の強力な技術である魔法の才能を与えられること。魔法自体はこの世界の人間でも使用できるが、使い手は少ない。
もう一つがレオのように魔法ではないが、何か一つのことに特化した能力を与えられるとこと。
特化した能力というのは、例えば剣技に関しては人間とは思えないくらいの才能を発揮したり、どんな動物も乗り従えるような騎乗技術の才能を持ったりといった、人間業とは思えない、余人を寄せ付けない才能を発揮することだ。
その才能は時として、それまでの戦場の常識を変えてしまうほどのものらしい。
「なんでもまるで魔法のような威力で、普通の兵士ではとても使いこなせないような槍を投げてくるそうですね。それも何度も」
そのスピアアローワーという人物は、投げ槍について、才能を与えられた日系転生人なのだろう。
相対している敵は、日系転生人たち。
そういったチートを使う日系転生人も、相手方にはいるのはごく当たり前のことだ。
「だからなんだ。それがどうしたというのだ。キサマら如きどうにか出来るとでもいうのか?」
「そのスピアアローワーは、指揮官の居場所を瞬時に判断し、投げ槍をしてくるそうですね。そしてそれは指揮官が死ぬまで止まらない。だから、いざ戦いになったとしても、あっという間に指揮官が殺されて、指揮系統がぐちゃぐちゃになり、勝負にならない。これは困りますね。確かに戦いを指揮する指揮官がいなければ戦にならない」
そこでメーヴ隊長は指揮官に対して、普段の能面のような顔が嘘のように、タカシが惚れてしまうような笑顔を浮かべた。
「指揮官殿が着任されるまでに、前任者が2人もスピアアローワーに狙い撃ちされて、殺されたようですね」
笑顔のまま、メーヴ隊長はそこで会話を辞めた。
指揮官は真っ赤な顔をしながら、メーヴ隊長を睨みつけている。
ニブいタカシでもわかった。メーヴ隊長はこう言っているのだ。
『あなたはスピアアローワーの投げ槍に貫かれて死ぬのを恐れている。死ぬのが怖くて戦場に立てない。指揮官のあなたがそうだから、膠着状態が続いているんでしょ?』
着任してきたばかりの部下から、あなたは臆病者ですね。と笑われているのだ。
しかも図星。
これは軍人としては、恥だろう。
現に指揮官は今にも血管から血が噴き出しそうなほど、顔を真っ赤にして、メーヴ隊長を睨みつけている。
「しかしわかります。勝てぬ戦いはするべきではない。指揮官殿の選択は正しい」
ここでメーヴは笑顔のまま、指揮官をフォローした。
ここまでこき下ろしといて、フォローをするとは何のつもりなのだろうか? タカシはことの成り行きに注目していると、
「そこでご提案なのですが。我々に任せていただけませんか?」
「なに?」
指揮官はメーヴ隊長が何を言ったのか、理解できないようだった。
「我々にお任せいただければ、わざわざ指揮官殿が戦場に立つことなく、敵部隊を撤退させることが可能です」
メーヴ隊長の発言をこの場にいる誰もが理解出来なかった。
両軍相まみえずに、どうして日系転生人の部隊を撤退させることが出来るのか?
沈黙がこの場を支配していた。
「例え我々が失敗し、殺されてしまったとしても、目障りな、たった四人の部隊が司令官殿の目の前から消えるだけです。ですので、どうでしょう? 我々を補給部隊の警護という仕事につけず、少し自由に動かさせていただけないでしょうか? であれば敵部隊を撤退に追い込んで見せましょう」
「……」
指揮官はさっきまで真っ赤だった顔を、多少落ち着いた色に変化させて何も言わない。
長い沈黙だったが、指揮官はメーヴを睨みつけると、
「いいだろう。だがうまくいかなかった時は、キサマは兵士たちの慰み者だ! 言ったことには責任をとってもらうぞ!」
「えぇ、かまいません。万が一の事態ですが、その際は私の貧相な体を使って、兵士たちの士気の向上にお役立てくださいませ」
メーヴはゆっくりと、優雅さすら感じる動作で、頭を下げる。
指揮官のセクハラ脅しにもまったく、動じていないのは流石だった。
「では。さっそく行動させていただきます」
メーヴは顔を上げると、厳しい表情で部屋を出ていく。タカシたちも話についていけないまま、慌ててメーヴ隊長のあとをついていく。
「裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》が……」
そして指揮官のぼやきも、タカシたちのあとをついてきた。
メーヴ隊長はそのまま駐屯地を出ると、タカシたちを引き連れて何も言わずにずんずんと突き進んでいく。そしてそのまま駐屯地に隣接した森の中へ入ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってください。メーヴ隊長」
レオがこれ以上はマズイとばかりに、メーヴ隊長を止めた。
それもそのはず、入ろうとした場所が、迂闊に入れば命に係わる場所だからだ。
「ここはエルフの森でしょ? 入ったら二度と出てこれないという迷いの森じゃないですか」
エルフは外界との連絡を一切断って北部の森の中で暮らしている。
その森はエルフの森と言われ、もし足を踏み入れた場合、その森から出ることは出来ない。
何故ならエルフ達は自分たちの生活に外部の者を入れないために、森自体に呪いをかけている。一度その森に入ったら、出てこれないという呪いを。
実際にタカシの村の者でも、4、5年に1人はその森の中に入ってしまい、後日白骨死体で村のはずれに発見されるということがあった。
そういった事故が多発するため、過去領主が森を焼き払おうと、森に火をつけたことがあったのだが、火をつけた木は激しく燃え上がるも、周りの木には燃え移らず、その木だけが燃え続け、焼き払おうとしてもうまくいかなかった。
領主一行はその日に森を焼き払うことを諦め、計画を一度考え直そうとした。そしてその翌日。燃やした木の数だけ、領主とその家族が焼死体で発見された。
北部の人間はエルフの森の恐ろしさを、骨身に染みつくほどに知っている。
それは生来の北部の人間ではない、日系転生人でも同じことだった。
「いかにエルフの森とはいえ、森の入口付近にいるくらいなら問題ない。これから話すことは、我々以外に誰にも聞かれたくない。だからこの場所を選んだわけだ」
メーヴ隊長はそう言うと、躊躇なく森の中へ入っていく。
10mほど進んでから、地面に胡坐をかいた。
「貴様らも座れ。これからの作戦を説明する」
怯えながらついてきた三人は目配せをすると、メーヴと同じように胡坐をかいて、その場に座った。
「目的は両軍のにらみ合いの状態を、敵の撤退という形で解消させることだ」
メーヴ隊長は何でもないといった感じで言う。
それがまず信じられない。
これからやろうとしていることは、不可能とも思えることだ。
現に敵の二倍の兵力を持つこちらが何も手を打つことが出来ずにただただ、にらみ合っている状況。当然指揮官をはじめ、何人の人間もどうにかしようと、手を考えていることなのだ。
戦闘のプロたちが何人も頭を悩ませていることを何の気負いもなく、この人は出来ると言っている。
「手順としてはこうだ。一つ、本日エルフの森に集合。二つ、エルフの森を突っ切って、行軍し、敵の陣地後方にたどり着く。そして敵の食糧を私とヒデオの魔法で燃やし尽くす。三つ、その混乱に乗じて、タカシとレオは敵司令官のテントだけに夜襲をしかけ、敵指揮官を殺す。その後、速やかにエルフの森に撤退。それだけだ」
「エルフの森を行軍するなんて、出来るわけがないじゃないですか!?」
行軍どころか、自分達が死んでしまう。作戦の前提が無茶苦茶だと、お前はわかっているのかと、レオは反論する。
「迷いの森はエルフ以外の人間が、森の中へ入ってこれないようにかけた呪いだ。私であればその呪いを受けることなく、森を進むことができる」
叫ぶレオとは対照的に、メーヴ隊長は静かにレオが指摘したことに対して、理由を説明する。メーヴ隊長はエルフ。だからこそ呪いを受けない。
「メーヴ隊長は大丈夫かもしれないですが、我々はどうなるのですか?」
ヒデオがゆっくりと、メーヴ隊長に質問した。
「確かに呪いが及ばないのは、私だけだ。だがそれも抜け道があってな。例え人間がエルフの森に入ったとしても、エルフの体、つまり私の体に直接触れていれば大丈夫なんだ」
「なるほど。そういうことか」
ヒデオは心底驚いたとばかりに、目を見開いた。
「そうだ。我々四人は仲良くお手てをつないで、森の中をピクニックしているだけで、敵のもっとも弱い部分に強襲をかけられるということさ」
メーヴは三人に、にやりと笑いかけた。
「敵もエルフの森があることを前提に布陣しているからな。一番弱い場所は決して襲撃をうけることのないエルフの森近くに置いてある。だが我々はその制約は受けない。だからこそ我々はこの作戦を行うことが出来る」
「ヒデオ。爆発の魔法は使えるか?」
「いえ、さすがにそこまで高位の魔法は扱えません」
「では火球は?」
「あぁ、はい。それなら。3、4発なら問題なく」
「十分だ。私とヒデオで手当たり次第に、火球の呪文で敵の食糧を燃やす。エルフの森に隣接していることに安心して、警護部隊はほぼいない。レオとタカシは我々が燃やしている間に、敵指揮官のテントへ行ってもらう」
「敵指揮官もそこにいるんですか?」
レオは何で知っているのかとばかりに、メーヴに確認する。
「貴様らが昨日一日休んでいる間に、敵の様子をのぞいていたのだが、敵指揮官と思えるやつがそこにいたんだ」
三人は驚きを通り越して、茫然とメーヴ隊長を見た。
この人は二日間歩き通した後に、エルフの森を通って、敵部隊の状況観察までしていたのかと。
「ただ敵指揮官の首を取るのは出来たらでいい。もし最悪スピアアローワーとやら出張ってきた場合や、護衛の兵士、敵指揮官の抵抗が激しい場合は、逃げてしまってかまわない。糧食を燃やされただけでも、敵は戦えなくなる」
メーヴ隊長はまっすぐとレオとタカシを見る。
そして、少し笑った。
「レオ。お前、チートがあるそうだな?」
「はい」
レオは小さく頷いた。
「自分が戦っている時、自分と一緒に戦う人間の能力を上げることが出来ます」
レオはヒデオと違って、魔法の力は持っていない。だがそれ以外の特殊な能力を持っていた。だからこそ、442部隊に召集された。
「その能力があれば、周りに仲間がいれば、決して負けることはないだろう。タカシ」
「ハ、ハイぃ!」
急に声をかけられ、かつ緊張からか、声が裏返ってしまったタカシ。
メーヴ隊長はタカシのカッコ悪い姿に、タカシの肩を叩いた。
「レオと一緒に戦えば、能力が上がってお前は死ぬことはない。だから気楽にやれ。気楽にやれはきっとうまくいく。敵指揮官の首が取れれば、かなりの武勲となると思うぞ」
そう言って笑った。
「ハイ」
タカシの緊張が解ける様子はない。レオとヒデオはそれぞれ腹をくくったように見える。だがタカシはどこかまだ実感が湧いていなかった。
しかしもしかしたら、この戦いで武勲を立てられるかもしれない。
そうすれば、ラバじいちゃんとリオばあちゃんとまた一緒に暮らすことを、この国は認めてくれるかもしれない。
だったら頑張れるかも。
気持ちは正直追い付いていない。しかし戦いをするという腹はタカシの中でくくれつつあった。
「よし一日分の糧食と水を用意した。このまま夕方までに敵陣地に向かう」
「「「ハイ!」」」
「お前らにとって、これは初陣だ。絶対に生かして帰すから、気楽にやれ。いざとなれば逃げろ。そうすれば死ぬことはない」
「「「ハイ!」」」
メーヴ隊長は三人の返事に、満足げに大きく頷くと。
「では行くぞ!」
大きく右腕を振り上げた。
「「「ハイ!」」」
三人も心の中から湧き上がる何かに釣られ、メーヴ隊長と同じように腕を振り上げた。
しかし気合を入れたあと、敵陣地に向かう際は傍から見ると、一人の女の人に男三人がチヤホヤしながらハイキングしているようにしか見えなかった。殺伐感ゼロである。
エルフの森の効果なのだろうか、森特有の道の歩きづらさなどなく、ある程度舗装された道が永遠と続いていた。
タカシはメーヴ隊長の右手と手をつなぎ、レオは左手、ヒデオはメーヴ隊長の背中に手を置いて歩いていた。ちょっとヒデオは歩きづらそうだった。
男三人で一人の女の子を囲んで歩く姿。
(オタサーの姫か)
この状況に対して、タカシはそんなツッコミを心の中でいれる。
メーヴ隊長は絶世の美女だ。こんな状況なのに、タカシはお得意の中学生臭さを大爆発させていた。
(不謹慎だけど、ドキドキするなぁ)
純情タカシ。実は女の子と手を繋いだのは、幼稚園の遠足以来である。
(いかんいかん! 作戦中だ! 真面目にやる!)
タカシは首を左右に振るって、気分を紛らわす。
「タカシ」
「ハッ、ハイぃ」
急にメーヴに話しかけられて、タカシはまた声が裏返ってしまった。
もしかしたら、思っていることがエルフの超常的な何かで伝わってしまったのだろうか? そんな心配をしてしまった。
「汗が凄いから、一旦手を拭け」
そう言って、メーヴは立ち止まり、タカシの目をまっすぐ見る。
「ぐっ」
急に止まったせいか、メーヴ隊長の背中に手を置きながら歩いていた、元々歩きづらそうだったヒデオが呻き声をあげた。
メーヴはタカシから離した手で、タカシにハンカチらしきものを渡した。
「す、すいません」
色々と緊張していたせいか、メーヴ隊長とつないだ手から汗がとめどなく流れていた。
手汗が酷い。あとメーヴ隊長にまっすぐと見られていたせいか、ちょっと顔が赤くなっていた。
「童貞(ボソ)」
レオの呟きが、動揺しているタカシに突き刺さる。
「おいこら。そのクソツイート聞こえたぞレオ!」
「貴様ら、喧嘩をするな。今は作戦中だ」
炎上の気配を察知し、いち早くメーヴが消火活動をする。
メーヴ隊長の静止なので、それからはさすがのレオとタカシもにらみ合いするだけで終わった。いつもの喧嘩コントにはならなかった。
段々と本当にピクニックのようになっていたが、敵の陣地が見えてきた。
さすがに敵の陣地が見えると騒げない。話すとしても、ささやくような声で喋るようになった。
森との境目の場所に、テントが広がっている。メーヴ隊長が言ったとおりだった。
「あれを攻撃するのか」
陣地内には何人かの人が警護している。あの警護している人を殺さなければならないかもしれない。
不意にギュッと、手を握られた。
驚きながら、メーヴを見てみると、こちらを見ずにまっすぐと陣地を見ていた。
「タカシ、レオ。もう一度復習だ。あの一部分が赤色に塗られているテントだ。あそこに司令官がいる。混乱に乗じて、まっすぐあのテントへ向かえ、堂々と行けば混乱していることもあるから、怪しまれることは無い。それと念押しをするが、もし警備と指揮官が自分たちの手に負えない場合は、とっとと森に逃げろ」
「「わかりました」」
2人はもうそれしか言えない。緊張を抑えられないように、言葉少なめだった。
「ヒデオ、お前は私といろ。同時に火球の呪文を放ち、手前のテントを燃やす。そこからは打てる分だけ火球を打って、テントを燃やせ。テントを燃やし尽くしたら、森に撤退だ。お前は隠れていろ」
「はい」
ヒデオも口数少なめで、タカシとレオと同様に緊張を隠せていない。
「日も暮れてきて、やつらが就寝してしばらくしたら、私が合図を送る。その時まで寝ててかまわん。全力で体を休めておけ」
「「「はい」」」
小さいながらも、しっかりとした返事を返す。
「よし。私は念のため、この間と変化がないか、もう一度見回ってくる。少し待ってろ」
タカシはその言葉を聞いて、思わずメーヴ隊長を見る。
「タカシ、そう不安そうな顔をするな。ここにいれば絶対に見つからん。安心して待っていろ」
苦笑しながら、メーヴ隊長はタカシに優しい言葉をかける
「タカシ、イシューが解決しない人みてぇな顔してんじゃねぇよ」
「んだと。レオだって、学校に持ってきた水筒飲もうとして、麦茶がうまく飲めなくてシャツがシミになっちゃったみたいな顔してるくせに」
からかおうとするレオにタカシも果敢に反撃を狙うが、緊張からかお互いキレがないやり取りになってしまう。
「あまり大きい声を出してはいかんが、そんな感じで話をしてろ。卑猥な話をしていてもいいぞ。私がいたらあまり話せんだろうからな」
メーヴ隊長はそう言うと、木に登って、枝から枝へと飛び移って移動をしていった。
三人はとりあえず地面に座り休む。
じゃあ卑猥な話をしよう、とはどうもなれない雰囲気だった。
それもそうだろう。これから戦場へ赴く。人を殺さないと、自分が生き残れないような環境に行くのだ。不安になるのも無理はない。
「なぁ、人を殺したことあるか」
タカシはぽつりと呟いた。
ヒデオとレオは少し黙ったあと。
「オレはタカシと同じで農村で暮らしていたんだぜ。あるわけないだろ」
「俺だってそうだ。魔法を学んでいただけで、そんな修羅場くぐってないぞ」
少しの沈黙の後。
「そうだよな。オレらはこれからそれをするんだよな」
タカシはそうポツリと呟いた。
わかり切った質問だとは、タカシにもわかっていた。
タカシは迷っていた。これから自分が人殺しになることを。
ラバじいちゃんとリアばあちゃんのために戦うと決めた。だから迷いなどなかった。少なくともここに来るまでは。
いざ命を奪うかもしれないとなってから、タカシにはまた迷いが出てきた。
決めたことなのに、気持ちが揺らいでしまうなんて、情けないとは自覚している。ただこれからのことをどう思っているか、同じ立場であるヒデオとレオに聞いてみたかった。
「んなのお前と一緒だよタカシ」
ヒデオはいつもの会話と同じような口調で、返事をする。
「そりゃ、戦うと決めたよ。それも同じ日本人と戦うことを俺も選んだよ。ただ実際にそれを実行するとなると、やっぱり俺も迷うよ。誰だって一緒さ。なぁ、レオ?」
「ヒデオさんの言う通りだよタカシ。オレだってこれから人を殺すと、人殺しになるということに対して、抵抗がある。敵とはいえ人を殺した瞬間、オレは別の人間になってしまうかもしれないって、オレは恐れている。最悪、アリシアのところに戻れなくなってしまうかもしれない」
ヒデオもレオも、不安そうに下を向いていた。
「だからタカシ。例え今から逃げ出しても、オレはお前を責めないぞ」
ヒデオはタカシに最後の逃げ道を用意する。
「ちげーよ。怖いよ。でも自分で戦うって決めたんだ。それもレオとヒデオも一緒だろ」
レオとヒデオは少しだけ笑うと、頷いて見せた。
「二人ともありがとう。愚痴を聞いてくれて。この期に及んで迷っちまった」
タカシは少しだけ明るくなった顔で、二人にお礼を言う。
「気にすんな。俺はこの中では一応年上だしな」
ヒデオも少しだけ笑う。
「オレはそうだな。アリシアのカワイイエピソードを30分でも聞いてくれれば、チャラにしてやろう」
タカシ、表情が固まる。のろけ話は聞きたくない。それもアリシアちゃんのものは特に聞きたくない。
「レオ。そりゃ少し酷じゃないか? タカシにNTR属性が無い限り、前の好きな女が他の男にデれているエピソードなんて聞きたくねぇだろ」
「好きじゃねーし!」
「バカ、声がでかい」
慌てて、レオはタカシの口をふさぎに来る。
そこでまた会話が止まった。
「レオ、ヒデオ。見張っているから、寝てていいぞ」
タカシは自分のできる範囲で、恩を返したかった。二人のおかげで楽になった気持ちで、戦いへ行けそうだ。
「ありがとなタカシ。ただ休むことは休むが、寝れはしねぇな」
「確かにこの状況じゃ、気が高ぶって寝れないな。逆にタカシが休んだほうがいいんじゃないか?」
タカシが気を使ったことに対し、二人も気を使い返す。
「横になって、目をつぶるだけでもだいぶ違うってさ。それと、もちろん後で俺も休むし、その時は見張りをしてもらうから」
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて」
「わかったよ。オレもそうするわ」
レオとヒデオは目を閉じて、横になった。
タカシは与えられた片刃の剣を抱きしめるようにして、何も考えないようにして、周りに意識を集中した。
メーヴ隊長はあれからすぐに戻ってきた。
メーヴ隊長も交えて、それぞれ持ち回りで休むと夜も更け、敵の集団も寝静まったようだ。
静かにそれぞれ、襲撃の時を待っている。
待っている時間が、タカシにはとても長く感じられた。
(中学の入学式当日に、興奮して朝早く起きてしまったときも、これくらい長く感じたな)
「よし。全員立て。それではこれから、作戦を開始する」
メーヴ隊長の真剣な声。タカシの体が一瞬震えた。だが誰一人逃げ出そうとはしなかった。
「手筈通りだ。行くぞ」
4人は敵陣地の食糧が置いてあるテント近くまで、森のギリギリのところまで移動する。
ギリギリ近くまで行っているのに、全く気付かれない。
敵陣地ではつけられている松明が数本立っており、その下にやる気がなさそうな兵士が槍を持って、立っている。
場所が場所なのか、警戒している様子がない。
メーヴ隊長は一人一人ゆっくりと目を合わせて頷いた。
最後にヒデオと目を合わす。
そして二人同時に口を開いた。
「「火球!」」
メーヴ隊長とヒデオの声が響き渡った瞬間、暗闇と静寂になれたタカシには、暴力的な光の量がタカシの周りを暴れまわった。
魔法とはその人が持つ魔力というエネルギーを、何かの媒介を持って、この世界に表現することを言う。
火球という誰もが思い浮かべやすい言葉の意味と、大きな声でその言葉をこの世界に響かせること。その2つを媒介に、メーヴ隊長とヒデオの魔力は、声と言葉の意味をこの世界に忠実に再現した。魔力によって作られた火は、激しく燃え上がり、敵の糧食を燃やすことで、自らをこの世界に表現をする。
表現された炎の勢いが凄い。あの様子ならすぐにテント全体が燃え上がるだろう。
442部隊の初陣が始まった。
(走る!)
タカシとレオは轟音をスタートの合図とし、走り出した。
夜襲をかけるテントの場所は、メーヴ隊長を通して、昼間さんざんに頭に叩き込んだ。それに魔法でテントが燃え上がっているため、あたりは夜とは思えないほど明るい。
相手指揮官のいるテントの場所は、森からそんなに遠くないところにある。
何人か兵士が燃えているテントの様子を見て呆然としている。だがまだどうすればいいか判断できていないようだ。ざわざわと現状を把握しようとしているだけ。
その隙をタカシとレオは見逃さない。
相手指揮官がいるテントの、すぐそこまでの距離まで来た。
走ってくるタカシたちを見て、テントの前に立っていた護衛の兵士が、異変に気付いたようだ。
「だれだ!?」
そう言うと剣を抜いて、構えようとする。だがタカシの方が早かった。
タカシは鞘から剣を抜くと、走る勢いのまま相手の首目掛けて、剣を横なぎに振るった。
護衛の兵士は、剣をまともに構えることも出来ずに、タカシに首をはねられていた。
(!)
タカシは自分の、剣を振るった速さに驚いた。
普段練習をしているときよりも、自分の動きが圧倒的に速い。意識のスピードも違う。まるで相手の動きがスローモーションのように見えた。
(これがレオのチートか)
タカシは、剣の覚えがまったくないわけではない。
この世界、農民がまったく無力の存在かというと、そうでもない。
時として農民といえども野盗や野生動物、あまりいないがモンスターなどと戦わないといけない時というのがある。
本来ならその役割は領主がするべきなのだが、すぐに問題に対応するためには、どうしても当事者が異変に立ち向かわなければならない。その為にタカシはラバおじいちゃんに、たまに剣の手ほどきなどをされていた。農民といえども守られるだけではクリスードでは生きていけない。
日本にいた時も、学校の授業で剣道をかじっていたこともあり、自分自身、それなりに剣の扱いには自信があった。
しかしさっきの動きは異常だ。
簡単に、相手の首を、一刀両断に叩ききった。人間の骨というのは、想像以上に硬い。勢いよく剣を振るったとしても、そう簡単に切れるものではない。
少なくともタカシには魔法の力が付与されている道具を使ったり、なにかしらの力でタカシの力を強めていない限り、そんなことは出来ない。
それが出来てしまう。正直、レオの日系転生者としての能力に舌をまいた。
「レオと敵にならないでよかったよ」
「無駄なリソースを使ってんじゃねえ!」
気分が高揚したせいか、レオを褒めるタカシ。レオはそれどころじゃないようで、必死に次の行動を起こそうとしていた。そしてその高揚は、自分が初めて人を殺したということもタカシから忘れさせていた。
レオはテントの入り口の布を剣で切り裂いた。
中には慌てて、剣を持とうとしている黒髪の男がいた。おそらく敵指揮官。
レオはその一瞬で覚悟を決めたようだ。
レオは一息に相手までの距離を詰めると、敵の体めがけて剣を突き刺した。
レオの剣が相手の背中を貫通する。刺さった場所はちょうど心臓の位置。相手に剣を突き刺したまま、レオは剣を手放して、後ろに下がった。
敵の男は自分の状態も顧みず、奇声を上げながら、下がったレオめがけて、剣を振り下ろしてくる。
剣を離した判断は正しかったようだ。持ったままだったら、剣を引き抜くことも出来ずにレオは敵の剣で切られていたかもしれない。
1対1ではない。2対1なのだ。
レオと入れ替わるように、タカシが間に入る。
振り下ろされた敵の男の剣を、タカシが下から上へ上げるように剣で受け止める。
敵の命を賭した一撃に、一瞬拮抗したが、レオが持つチートのおかげで、タカシの剣は呆気なく敵の剣をはじき返した。
はじき返したのちに、タカシは刃を返してガラ空きとなった腹部を切りつけた。
血が吹き出る。
心臓付近に剣が刺さっていて、腹部までも切られた。敵指揮官にとっては、それが止めとなった。敵指揮官は、体をのけぞらせながら、口から血を吐き出した。
「黒髪……? お前ら、日本人か?」
そして憎悪が混じった、言葉も吐き出した。
見ると相手の男も、黒髪、黒瞳、典型的な日本人の顔立ちだった。年齢も自分達とそうは変わらない。もしかしたら同じ年代、高校生なのかもしれない。
聞こえた言葉はクリスードの言葉ではない。久しぶりに聞く日本語だった。
タカシとレオは何も言わない。沈黙が問いかけに対しての是であることを表していた。
その男は信じられないという顔をしたあと。
「裏切り者が……!」
最後の最後に、憎悪そのものを吐き捨てたのちに、怒りの表情を浮かべ、前のめりに倒れていった。
人間がそのまま倒れると、それなりに大きな音が響く。
タカシとレオはその光景を目にして、何も言えなくなり、押し黙った。
ここで初めて、レオとタカシは自分たちがしたことを悟る。特にタカシは顔面が蒼白になっていた。
自分は人殺しとなったのだ。それも同じ日本人を殺した。裏切り者と罵られた。
色々な感情が、自分の中を渦巻く。
意識が高揚していたからいなくなっていた、臆病者のタカシが戻ってくる。
タカシの気持ちがぐちゃぐちゃに渦巻いていることをよそに、立ち直るのはレオの方が早かった。
レオはまるで自分の嫌な気持ちを振り払うように、頭を左右に振るった。そして、殺した日系転生人の体から自分の剣を引き抜いたのち、部屋に転がっていた兜を抱える。
兜には青い色で染められた房がついていた。これはこの部隊の指揮官であることの証である。もしあればその兜だけでも持って帰れとメーヴ隊長に言われていた。
「タカシ、ここまではオンスケた。あとはこのまま森まで走るぞ」
「あ、あぁ」
心がここにあらずに、タカシは返事をする。震えが止まらない。しかしやることははっきりしている。
レオとタカシはテントから、出ると、そのまま森へ向かって走り出した。
『裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》』
偉そうな指揮官に言われた言葉だが、決して間違いではない。むしろ自分たちを言い表すにはこれ以上の言葉はない。そうタカシは痛感した。
敵からも味方からも裏切り者と言われる自分達には、その呼び名はふさわしい。
目的は達成出来たが、頭の中にこれでいいのかと、疑問が残にながらも、死にたくないという気持ちが体を動かす。あとは森に飛び込んで、隊長と合流するだけである。テントから森まで大体50メートルほど。全力で逃げ切るだけで作戦は終わる。
さっきまでの静寂が嘘のように、色々の音があたりに氾濫している。あっという間にこの場所は戦場と化していた。
ここまでの騒ぎになると、敵も異常を察して、『敵襲ー!』と騒いでいる。
そんな中、森へ向かって全力で走るレオとタカシ。
相手の指揮官の兜を持っているのは、自分が敵だと宣伝して走っているようなものである。
「待ちやがれー!」
森までの一直線の道、剣を持った敵に阻まれる。
二人ぐらいが通れそうな道に、敵が三人。三人とも剣を持ち、どっしりと構えて、逃げ去るタカシたちを止めようとする。
「ウワァアアああぁ!」
タカシがレオより先頭を走りながら、滅茶苦茶に剣を振り回した。
先ほどとは打って変わって、剣術の基本とかまったく無視した、ただただ振り回すだけの、剣の扱い方としたら最低なことをしていた。まるで子供が駄々をこねるような、そんな戦い方に成り下がっている。
ただレオの加護もあり、それでもタカシの剣は相手の剣を折ったり、鎧をまるで紙みたいに切り裂いて、簡単に三人の敵の妨害を突破することが出来た。
タカシは泣きながら、剣を振るい、全速力で走っていた。感情がコントロール出来なくなっていた。臆病者タカシが前面に出ながら走っていた。
だから敵兵にとってタカシは、泣き叫びながら剣を振るい、かつその剣の威力がとんでもないという、非常に印象に残る逃避行を繰り広げていただろう。サイコパス感がとんでもない。
それから妨害をされることはなかった。せいぜい、タカシたちに追い付こうとしてくる敵兵がいるくらいだ。
「ひィ、ひィ」
「タカシ! あと少しだ!」
悲鳴交じりの喘ぎと共に、わけがわからなくなっているタカシとは違い、レオは状況が観察出来るくらい冷静のようだ。全力で走っていたおかげで、森まで約10メートル。その間には障害物や、邪魔する敵兵は誰もいない。
もうすぐエルフの森に入れる。
敵兵も、エルフの森に躊躇なく向かっているタカシたちに、どこか戸惑いを感じているようだ。エルフの森に入ってしまったら、敵兵としても追うことが出来ない。
追いかけるスピードというか、静止の声も少なくなってきている。
あと少しで終わるかと思うと、疲れが出ていた足に再度力が入りだす。
(やっと終わりだ……。早く終わりにしたい)
この短い間に顔を背けたいことがいっぱいあった。あそこに走りこめば、これ以上辛い思いはせずにすむ。
直感。
タカシの背筋に何か、ヒヤッとするものが走った。臆病者だからこその感覚。
このままではマズイと思った瞬間、タカシはレオを横に突き飛ばした。そのすぐ後に尋常ではない風きり音と、地面に何かが突き刺さる鈍い音が聞こえた。
見るとさきほどまで、レオが走っていたところに、太い棒みたいなものが地面に突き刺さっている。
金属製で出来ていて、普段のタカシだったら、持ち上げるだけでも苦労しそうな人の腕のような太さの槍。そんな槍が地面に突き刺さっていた。それも地面に突き刺さった時の衝撃のすさまじさを表すように、左右に細かく震えていた。
タカシの右頬から血が流れていた。尋常ではない威力の投げ槍。
(スピアアローワー……!)
噂の指揮官殺しが自分達を殺そうとしている。
レオは突き飛ばされたことで姿勢を崩しながらも、そこから姿勢を戻し、森に飛び込んでいった。
(あ。ヤバい)
「タカシ!」
レオのタカシを急かせる声が聞こえる。
自分もなるべく早く、怪我や格好など気にせずに、森の中に飛び込むべきだ。
だがレオを突き飛ばした姿勢では、それすらままならない。歪んでしまった姿勢を元に戻す必要がある。
それはつまり。タカシは瞬間に悟る。
この時においては、決定的な隙だ。その隙を、この槍を投げたヤツは見逃すわけがない。
自分はこの槍に貫かれる。
槍を投げつけてきた相手は、おそらく2射目に取り掛かっている。レオに投げつけた槍が外れ、当初の獲物には森に逃げられたから、次は自分だ。しかも自分は態勢を崩している。次に投げられれば避けられない。
悪い予感は的中する。
投げ槍の二射目が、タカシに放たれた。まるで、限界まで引き絞られた弓から放たれた矢。
ただ矢と決定的に違うのは、決して弾くことが出来ない、とんでもない太さの槍であるということだ。
そのままではタカシにその槍は突き刺さり、勢いに引きづられて、エルフの森の木へ突き刺さっていただろう。
「あ……」
死ぬ。
自分は惨たらしく、昆虫標本のように、ピンの代わりに槍に貫かれて死ぬ。そんな結末が容易に想像できてしまった。
タカシが自分の死を悟った瞬間、自分の股間が暖かくなったのがわかった。
体がガタガタと震えて固まり、目には涙が浮かび、タカシはあまりの恐怖に小便を漏らしていた。
(俺は死ぬ)
「シッ!」
だが、メーヴ隊長はそれを許さなかった。
一足先に森に戻っていたメーヴ隊長が、タカシとレオの状況の悪さを確認したのちに、森から助けに出てきてくれた。
鷹の目と称されるほどの、エルフの視力を持って、放たれた槍を見極める。
メーヴ隊長は持った剣で、槍を弾き飛ばそうとした。
「ツッ!」
しかし剣で槍に触れた瞬間に、メーヴ隊長の表情が苦し気なものに変わった。
メーヴ隊長をしても、その投げ槍の威力は、剣で弾き飛ばすには持て余すものだったのだろう。それどころか、メーヴ隊長の体は槍の勢いに押され、逆に弾き飛ばされそうになっているように見える。
だからやり方を変えたようだ。軌道を変えるように投げ槍を受け流した。
すると投げ槍は、その威力のまま、森のどこかに消えていった。
槍から逃げることが出来たものの、タカシはガタガタと震え続け、その場にへたり込む。腰が抜け、漏らしたものが地面を濡らしていた。
「早く行け!!」
メーヴ隊長の必死の叫び声に、ようやく自分の状況を再度自覚したタカシ。
「う、うわぁぁ!」
動かぬ体を叱咤して、転がり込むように、森の中へ入って行った。
三射目。
さきほどよりも間隔が短く放たれたせいか、どこか勢いがない。
メーヴ隊長は簡単に槍の軌道を変え、急いで森の中に飛び込んだ。転がり込んでくるメーヴ隊長。
タカシはメーヴ隊長の剣を持つ腕が、震えていることに気がついた。
歴戦のメーヴ隊長ですら、受け流すことしか出来ない槍の威力。しかもたった二回立ち向かっただけで、受ける腕が震えるくらいの威力。
メーヴ隊長はその場にいた三人の手を引っつかむと、森の奥へ走っていった。
しばらく走っていったあと、メーヴ隊長は徐々に速度を落としていった。
落としたスピードで走り、ついには立ち止まり、その場にゆっくりと座り込んだ。レオ、タカシ、ヒデオもそれに倣って座る。
レオ、タカシ、ヒデオは息を整えるまでしばらくかかった。
メーヴ隊長は早々に呼吸を落ち着けると、三人が落ち着くまで待っていた。
三人の様子が落ち着くと、メーヴ隊長は再度立ち上がった。
それを見て、三人もノロノロと立ち上がる。
目的は達成したが、最後はスピアアローワーに狙われて、命からがら逃げ帰った。
お世辞にもカッコいい終わり方ではない。命からがらボロボロになりながらも逃げ帰った。
そして人を殺した。
この初陣は思ったよりも、重い影響をタカシにもたらしていた。レオとヒデオも暗い表情をしている。
だがそんな三人をメーヴ隊長はゆっくりと見渡すと、笑った。
「よくやった!」
普段のしかめっ面とは正反対な、とびきりの笑顔だった。
「三人とも怪我はないな! 初陣とは思えないほどの見事な働きだったぞ!」
三人はメーヴ隊長の喜色満面な表情を見た。四日日間かかる行程を二日で走破したときも嬉しそうだったが、今回は特別だった。
普段の整った顔が、まるでクシャクシャにぶっ壊れたかのように笑っている。
「貴様らのおかげで、敵は一切の補給物質がなくなった。この場に留まるにしても、本国に補給物質を陳情しなければならない。ここ数日、やつらはメシ無しで戦わなければならない。これはデカい! それが出来たのは、ヒデオ! お前の魔法のおかげだ! お前の魔法はこのまま磨いていけば、宮廷魔法士レベルのものだぞ?」
メーヴ隊長はヒデオを真っすぐに見て、賞賛する。
「そして、敵指揮官の撃破だ! これをやり遂げたのはレオ、タカシ、二人の連携のおかげだ! 補給物質を失ったヤツらはこれからどう判断を下すことが非常に重要になってくる。しかし二人のおかげで、敵の指揮官はいない。ここで指揮官がいないというのは、非常に痛い。迅速に物事を決めていかなければならないのに、その決定をする人間がいない。ここでヤツらは無駄な時間を取らざるおえない状況になった。恐らくやつらは仕切り直しとして、ここから撤退するだろう。敵部隊に最終的な止めを刺したのは、レオ、タカシ、二人のおかげだ!」
レオとヒデオにも、メーヴ隊長は賞賛を忘れない。
「最後に、噂のスピアアローワーに狙われても、一人も欠けることなく、無事に逃げ切ることが出来た。お土産にあの指揮官殺しの槍の威力を知ることが出来た。これもこれから戦っていくうえで貴重な情報だ」
メーヴ隊長はにやりと意地悪な笑顔を浮かべると
「貴様らは、後方なのに偉そうに常在戦場とほざき、鎧を着てふんぞり返っている指揮官など比較にならないほどの情報と武勲を上げた! よくやった! 本当によくやった!」
メーヴはひたすら三人を肯定する。三人も褒められれば悪い気はしない。
「お前らは日系転生人に何が出来るって言っていた連中を、見事に見返したんだ! 最高に気持ちがいいと思わないか!」
死にかけた恐怖が、段々と作戦を成功させた歓喜へと変わっていく。
「そうだよな……。オレらは初陣を乗り越えたんだ」
ヒデオがメーヴ隊長に続けて話す。
「それも五体満足で、なんの怪我をすることなく、しかも敵指揮官の撃破。大戦果じゃねぇか? これ。そうだろレオ、タカシ」
ヒデオはレオとタカシに笑いかける。
「そう、だな」
レオの表情も段々と笑顔になっていく。
「そうだよ! レオ。お前凄いよ!」
「アリシアにいい土産話ができたかもしれない」
レオとしたら、無事で生きて帰れたし、アリシアに村で自慢できることが出来た。それだけで嬉しいのだろう。
「タカシ、お前のおかげで生き残ることが出来た。ありがとうな!」
レオはそう言って、タカシに笑いかけた。
スピアアローワーの槍から、タカシは自分を救ってくれたと、レオは知っていた。あの時に、もしタカシが突き飛ばしてくれなかったら、庇ってくれなければ、レオはここにいない。
しかしタカシの顔はすぐれなかった。
「……俺は、みんなみたいにカッコよくないんだ。実は、俺、すげぇ、言いたくないんだが、言う」
タカシは下を向いたまま、小さな声で喋る。
「小便漏らしている。さっきスピアアローワーに殺されると思った瞬間、ガタガタ震えて、みっともなく臆病者みたいに漏らしてたんだ」
レオの手放しの賞賛に、タカシは自信なさげに下を向いて返事をした。
確かにレオを助けてよかったとは思っている。そんな自分が自画自賛だとは思うが誇らしい。
「それに俺、みんなみたいに冷静になれなかった。終始パニくってた。駄々っ子みたいに剣を振るってたんだ」
でもその前の自分の醜態を思い出していた。泣きながら剣を振るっていた。そして殺されると思った瞬間、お漏らしをする自分。カッコ悪すぎる。そんな自分が嫌で嫌でしょうがない。だから褒められても手放しに喜べない。
「タカシ、格好悪いのはお前だけじゃないぞ」
「へ?」
メーヴ隊長は、人の悪い笑顔というか、口角を上げながら、タカシを見ていた。タカシが苦悩しているものが、何かを悟ったようだ。
「ちなみに、この常識人みたいに振舞っているヒデオさま。こいつのズボンを見て」
「わーーーーー!」
ヒデオは慌てて、メーヴ隊長を止めに入る。
「初陣だからなぁ! しょうがないよな! 大人でもよくある! 戦場あるある!」
ヒデオは誰に聞かせるわけでもなく、大きな声を出している。
「ヒデオさん。あなたもですか」
レオは驚いたように、ヒデオを見ていた。
「え? レオが?」
「はい。俺もそうです。がっつり」
レオはあっけらかんとヒデオを見ていた。
「お前、ウツワでかいな」
まったく気にしていない様子のレオに、ヒデオはそれを信じられないように見ていた。
「え? 何、どういうこと。まったくわからないんだけど」
「タカシ、にぶいな。オレもヒデオさんもお前がと負けず劣らず恥をかいていたんだ。具体的に言うと、ションベン漏らしてた。お前と同じだよ」
「へ?」
タカシは信じられないようにレオとヒデオを見た。大人なのに。普段のシュッとした二人なら考えられない。
「怖かったからな。走りながら漏らしていたよ。よく俺、剣が振るえたよ。それもこれもタカシが最初に護衛を倒してくれたから。あのタカシが歯を食いしばって、頑張っているから俺も頑張ろうって思えたんだ」
レオはあっけらかんと、自分の恥を白状していた。
「あーもう! 一応年長者だから、言いたくなかったけど、そうだよ! ばっちり漏れないギャザー決壊だよ! ハルンケア飲んでおけばよかったって、思うくらいジョボってるよ!」
ヒデオも観念したかのように、立て板に水といったように、自分の恥をぶちまける。
「あ、そうなんだ……」
真っ赤になりながら主張しまくるヒデオは、とっても珍しい。
あんな冷静沈着な大人ことヒデオのカッコ悪い様子。普段であれば心配していたのだろうが、打ち明けてくれたことがタカシには嬉しかった。
戦場で無様な姿を晒したのは、自分だけではなかった。自分よりしっかりしている二人でも恥をかいたのだ。タカシは二人には悪いと思ったが、ちょっと安心できた。
メーヴ隊長を見ると、やっぱり満足げに笑っている。
笑っている姿は幼い。無表情は人を大人びさせて見せるのだなと、タカシは悟った。
この時の彼女は、下手すればタカシよりも年下に見える。戦場で剣を振るっているときの彼女が嘘のようだ。
年相応の可憐な美少女だ。
「ちなみに、メーヴ隊長は初陣で漏らしました?」
「バ、バカッ。そんなこと、私の口から言わせるな!」
好奇心だけで、上官に舐めた質問をしたが、メーヴ隊長はちゃんと反応をしてくれた。
顔を真っ赤にしていた。感情をあまり表に出さない人なのに、とても珍しい。作戦が成功した高揚感が原因だったのだろうか? 余裕でさらりと躱されるかと思いきや、意外と真面目で不器用なのかもしれない。
「あ。オレが漏らしたこと、アリシアにだけは言うなよ」
レオが全員に向かって、警告する。レオとしては他の誰かに知られてもいいが、最愛のアリシアちゃんにだけは知られたくないようだ。
「お。タカシ。チャンスじゃないか? チクれチクれ。アリシアちゃんはお前になびくかもしれないぞ?」
「え? マジで? 新たな展開? NTRもの?」
そんなことは思ってはいないが、タカシ。とりあえずヒデオの悪ノリに乗ってみた。ちょっとだけ調子を取り戻していた。
「そんなことをしてみろ……」
だがレオにはその手の冗談は通用しなかった。おいおいやめろよー、とはならない。
「報復として、俺はお前の母ちゃんを寝取るからな」
「「「……」」」
ヒデオのからかいに、乗ってしまったことを後悔するほど、レオの復讐が凄まじかった。本当に想像したくないが、想像するだに恐ろしい。
「俺の母ちゃんって、この世界でいうとリアおばあちゃんなんだけど……」
「関係ない。俺の全身全霊を持って、寝取り返す」
レオのイケメンパワーを最大限に使っての、寝取り返し。
老夫婦にとっては、人生ラスト五秒の逆転ファイター(©キン肉マン)みたいな災厄である。タカシのせいで引き起こされる老夫婦の熟年離婚なんて見たくない。
「そんなNTRマンガ広告がスマホに出たら、オレ、トラウマだろうなぁ」
ゾンビが溢れた世界みたいな感じで広告が出てきたらと思うと。
「……とにかく、みんなよくやった。あとはちゃんと帰って、あの指揮官にほえ面かかせよう。まだ楽しいことは残っているぞ」
変な空気をなんとかするメーヴ隊長の言葉に、三人は笑顔で頷いた。
あの442部隊を厄介払いしようとしていた指揮官がどんな顔をするのか、タカシは考えるだけで楽しくてしょうがなくなってくる。
「それと、最後に、この作戦を見事成功させた三人の日系転生人に対して、この世界の住人として、敬意を表す! 捧げぇ剣!」
そう言って、メーヴ隊長は剣を右手で持ち、鋭い速さで、体の正面に持ってきた。
(初めて見た)
メーヴ隊長が行った動作は剣礼と言われる、現代で言う敬礼のようなものだ。
その仕草は動きにキレがあり、とてもカッコよく、キレイなものだった。タカシの中ニ心を刺激してやまない。
「日系転生人が持つという、ヤマトダマシイというものを初めて見たぞ。今後ともよろしくな」
そう言って、メーヴ隊長は剣を鞘に戻した。
「「「こちらこそよろしくお願いします」」」
三人はそれぞれお返しとばかりに、見様見真似で剣礼を返す。メーヴ隊長みたいにキビキビとビシッとした形では返せないし、不細工なものではあったが、気持ちは籠っている。
メーヴ隊長は満足げに、そのたどたどしい剣礼を見て、嬉しそうに笑った。
「よし。では帰るぞ!」
「「「おう!」」」
こうして、後にクリスード史上最強の部隊と謳われる、442部隊の初陣が終わったのである。
【第二章】
たった四人しかいない442部隊が、膠着状態だった戦況を打開し、敵部隊を撤退させた。
そのニュースは、コウコの駐屯地の中であっという間に広まった。
実際に442部隊に補給物質が燃やされた敵は、現在展開している場所から、部隊を後方へ下げた。
メーヴ隊長の読みが当たったのだ。
それまで倍する兵力を持ちながら、ただただにらみ合いをすることしか出来なかったので、そのニュースは驚きと好印象で溢れていた。
「貴様の働きは本当に素晴らしいなぁぁ」
まるで正体不明な漢方薬を、隙間なく舌にぶちまけられたくらいに、苦々しい顔をして、指揮官殿は絞り出すように賞賛の声を言った。
それに対して、
「ありがとうございます!」
とメーヴ隊長は賞賛に対して、とても大きな声で、過剰とも思える声量で返事をした。
タカシ、ヒデオ、レオはそれをにやにやしながら、見守っていた。
タカシはザマァwと言ってしまいそうになるこの出来事を記録するために、日記でもつけようかなと思ってしまうくらい、愉快でしょうがなかった。
この成果のおかげか、駐屯地の中でも、タカシ達は誇らしげに歩くことが出来た。日系転生人だというだけで、引け目を感じることはない。
タカシ達を見る兵士たちも、駐屯地に初めて来たときとは雲泥の差があった。それどころか一目を置いている雰囲気が出来ていた。。
タカシたちは、堂々と黒髪と黒瞳を晒していた。それだけのことを442部隊は成し遂げたのだ。
しかし、ただ浮かれているだけではない。
『いいか。お前らの普段の様子が、日系転生人の評判にそのまま繋がると思え』
メーヴ隊長は調子に乗りそうなタカシ達にこうも言った。
『お前らが理性的かつ紳士的に振舞えば、本当の日系転生人というのはこういうものだという評判になる。だが武勲を鼻にかけ、威圧的に振舞えば、所詮日系転生人とは侵略をしてくる野蛮な人種という評判があっという間に広がる。お前らの振舞いが他の日系転生人のクリスードでの生活に直結してくるんだ。だから必要以上に気を使え。お前らは全将兵の模範になれ。ヤマトダマシイを見せろ』
もっともだと、タカシたちは思った。
442部隊の隊規は『全将兵の模範たれ』となった。
自分達が武勲を上げ、評判を上げていけば、収容所にいる仲間たちが救われることにつながってくる。
しかしダメな振舞い、評判を下げるようなことをしていけば、やっぱり日系転生人はろくなやつがいないと、あっという間に噂が広がるだろう。
その言葉はタカシたちの心に深く響いた。
だからメーヴ隊長の言葉通り、何事にも気合を入れてあたった。
他部隊と合同に行う訓練があれば、全力で取り組んだ。それだけではなく、掃除や下働きといった人が嫌がる仕事も率先して取り組んでいった。そういう仕事は、あまり働きの良くない部隊がやるというのが、暗黙の了解ではあったが、実績を上げた442部隊が率先してやっている事実は、周囲の嫉妬ややっかみを抑えていた。
つまりは日本人らしい勤勉な行動が、442部隊の評判をさらに良くしていた。
442部隊は他の部隊とは何かが違う。
この駐屯地では評判の部隊だった。
もう一つの精鋭部隊であるナックの部隊とは犬猿の仲だったが。
レオは駐屯地名物、麦がゆ(夕食)の入った容器を持って、慎重に歩いていた。
(アリシアの手料理には及ばないが、この場所では貴重な食事には違いない)
農村にいたころはアリシアの手料理を食べていたので、落差が激しい。
だがもし落としたとしたら、味とかそういう問題ではなく、レオの夕飯はナシとなってしまう。慎重にならざるおえない。
すると前から、同じように麦がゆを持った三人が大声で笑いながら歩いてきた。
このまま進んだら、ぶつかってしまうくらいに道いっぱいに広がって歩いている。
レオは三人にぶつからないように、道を譲り、端を歩いた。
(え?!)
道を譲ったはずのレオの足に何かが当たった。そう思った瞬間、レオは地面に倒れこむ。持っていた麦がゆが、地面にぶちまけられた。
「おい! 気をつけろよ! てめぇ」
(足をかけられた?)
レオは自分の予想の正しさを、ほぼ確信していた。大きく距離をおいてすれ違ったのだ。普通にしていれば、ぶつかることはない。
苛立ちを込めながら顔を上げると、にやけながら、避けて通ったはずの三人がこちらを見下ろしていた。三人とも軍服以外に赤い小物をつけているのが目に入った。
「あぁ、すまない」
レオはなんとか怒りを抑えながら、愛想よく笑って立ち上がった。
こんな嫌がらせを受けるのは初めてだ。
442部隊には、他の部隊は気を使われることが多い。ここまで敵意を向けられることは過去なかった。
ただレオはこの仕打ちにある意味、納得がいった。
足をかけてきたのは、ナックの部隊に所属をしている兵士たちだったからだ。
ナックの部隊の兵士達は、軍服以外に赤い小物を身につけている。
何かと442部隊につっかかってくるナックの部隊なら、この嫌がらせをするのに納得がいく。
レオはそのまま、夕ご飯を地面に食わせて、空の食器を拾って、その場を離れようとする。
夕食抜きは正直キツイが、自分が原因で442部隊とナックの部隊とで、諍いをおこすわけにはいかない。
そう思い、足早にその場を離れようとするが。
「待てよ。すまないだけで済ますつもりか」
ナックの兵士たちはレオを呼びとめた。
レオは聞こえないように舌打ちをした。
何故つっかかってくるのが、わかった。
(最近、俺らがコンペティターになっていることが気に食わないんだな)
ナックの部隊は、442部隊が来る前は、ここの駐屯地で最精鋭の部隊と言われていた。実際それは間違いではない。規模、練度ともに他の部隊より頭一つ抜けている。
しかし謙虚な姿勢と真面目さ、さらには日系転生人という物珍しさから、ここ最近は442部隊が注目を集め、ナックの部隊の影は薄くなっている。
奴らにはそれが面白くない。レオに対して、足をかけてきたのは、442部隊をやっかんでの嫌がらせだろう。
(子供か。こいつらは)
「目の前で派手に転んで、悪かったな」
「ちげーよ」
いつの間にか、レオはその三人に囲まれていた。もはや逃げ出せない。
さすがに精兵たち。音もなく、レオには不利に、自分達が有利な状況にしていた。
「てめぇの汚ねぇメシが、俺のズボンにかかったんだけど、どうしてくれんだ?」
チラリと見ると、ほんの少しのしぶきのようなものがズボンについていた。
「悪かったよ」
「悪かった? そう思うなら、行動で示せや」
ナックの兵の、麦がゆがズボンにかかったと言う兵士はニヤリと笑うと。
「舐めてキレイにしろや」
そう脅してきた。レオの顔から愛想笑いが消えた。
さすがにレオとしても、そこまでしてやる義理はない。
(しかしどうする? 442部隊の一員として、ナックの兵士たちとやり合うのはよくないだろう。余計なリソースを使わせて、メーヴ隊長に迷惑がかかる)
軽く交わして、逃げようとするが、そうはいかなかった。
「さっさと舐めろや! 裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》?」
その兵士は業を煮やして、レオの襟首を掴んで、捻りあげてきた。
もういっそのこと、殴られて終わろうかとレオは思った。しかし、そうはならなかった。何故なら、タカシがそいつに飛び蹴りをかますからである。
レオの後ろ姿が、タカシの視界に入った。
自分と同じく、もう見るのもうんざりする夕飯を貰ったのだろう。さっさとその場を離れようとした。
「あ……」
しかしその視界に入ったその内容に、タカシの体が固まる。
何故ならレオが、ガラの悪い三人に囲まれていて、地面にはレオの麦がゆが、無残にもぶちまけられていたから。
天性のいじめられっ子気質から、レオの状況をタカシはなんとなく把握した。
かつて日本にいたころ、自分もよく陽キャに絡まれた。レオはそれと同じ状況にいる。自分のことでもないのに、タカシの足が震えてきた。
日本にいた時を思い出す。自分が学校に通えなくなるくらい恐ろしかったイジメのことを。
タカシはある運動系の部活に所属していた。その部活はまぁまぁ熱心な部活で、下級生は色々と雑用に駆り出された。最初のうちは参加できていたが、祖母の介護をするようになってから、部活にあまり顔を出せなくなっていった。
部活に出ないことの事情を説明し、顧問の許可は得ていたが、タカシの分の雑用は確実に周りの一年生部員に振り分けられる。最初はしょうがないと代わりにやってくれていた仲間も、次第にタカシのことを疎ましく思っていったのであろう。
タカシが祖母から解放される日があり、久しぶりに部活に出ると、部活にタカシの居場所は無くなっていた。話しかけても誰も返事をしてくれない。その影響が普段の学校生活まで波及するのに、そんな時間はかからなかった。
無視されるだけならよかった。次第に無視だけでなく、暴力に変わっていった。
羽交い締めにされ、集団で順番ごとに殴られる。いつ終わるともわからずに殴られる怖さ。あれに勝る恐怖は初陣を乗り越えても、なかなかない。
そんなイジメが原因で、部活だけでなく学校にすら行かなくなった。
表向きには認知症の祖母の介護があるからと学校へ行けないという理由。自分は家族の世話をしている。だから学校に行かなくてもいい。学業よりも家族の世話で頑張っているたから、むしろ自分は偉いのだ。そう自分に言い訳をして、不登校となった。祖母の世話は大変だったが、殴られる恐怖はなかった。
いくら初陣を乗り越えたからといって、荒事になれたわけではない。イジメの記憶は忘れることが出来ない。見た目が怖い人に大きな声を出されれば怖いし、殴られれば痛い。
思わず目を逸らして、仲間であるレオを見捨てて、足早にこの場所から逃げようとする。まだレオに気がつかれていない。逃げるなら今のうちだ。
(待て)
タカシはこれから自分がしようとしたことにふと気づく。それはつまり。
(あの時と同じようなことをしようとしたのか。俺は)
タカシがイジメを受けている姿を、一緒に部活を頑張っていたはずなのに、見て見ぬふりをし、それどころか加害者になってきた友達たちの姿を思い出した。
タカシがされて絶望したことを、今度は自分がやろうとしている。
そんなことをしてはいけないと、タカシにだってわかる。タカシの動きが止まる。
怖い。怖いけど、仲間を見捨てるのか。もしここで逃げたら、あの時の自分になんて言えるのか。かつての自分と同じ思いに、レオをさせるのか。
(それはダメだ)
そう思った瞬間、自分でも不思議なくらい体が動いていた。
タカシは集団めがけて、思いっきり走っていった。
レオは気が付き、ぎょっとしたように、こちらを見る。
レオに詰め寄っていた相手は、レオが驚く姿に何かを察した。即座に手を離し、後ろを振り返ったが、すでに遅い。
タカシはそのままの勢いで、思いっきり飛び蹴りをかます。
相手は油断していたせいか、タカシの飛び蹴りをまともに食らって、そのまま前のめりに倒れた。
レオは、蹴られた勢いで自分に向かって倒れてくる相手を避ける。
残りの二人とレオがタカシを睨みつけるように見てきた。
タカシはその視線に、腰を引かせながらもしっかりと睨み返し、
「お、俺の仲間にぃ! な、なにしてんだぁ!」
タカシは啖呵をきった。
残念なことに、恐怖と後悔でカミカミだったが。
蹴り飛ばされていない二人はタカシの飛び蹴りとカミカミ啖呵にはまったく気にせず、一人はタカシへ、一人はレオへ向かって、無言で殴りかかってくる。
さすがはナックの部下たち。タカシの奇襲にまったく動ずることなく、即座に戦いが始まったと対応してくる。
迅速な対応のはずだ。しかしタカシには相手の動きが、緩慢に感じた。
(そういや、レオのチートがあったなぁ)
タカシは難なく、相手の拳を躱しつつ、相手の足を引っかけて、地面に倒す。その後、思いっきり相手の背中を踏みつけた。
ぐえっという、カエルのうめき声みたいな声が聞こえる。
「レオ大丈夫か!?」
踏みつけたまま、タカシはレオに話しかける。
「バカか! お前」
レオは右に、左と、相手の攻撃を避けながら、タカシに怒鳴りつけた。
「ナックの部隊の連中と騒ぎ起こしたら、面倒くさいことになるだろうが! お前は殴りかかるんじゃなくて、メーヴ隊長を呼ぶのがお前のタスクだろ!」
「助けてあげたのに、その言い草はないだろ!」
レオのあんまりなビジネス横文字に、タカシの足につい力が入ってしまった。また足元でグエッという声が聞こえる。
(勇気を出して、助けたのに)
絡んできた相手よりも、レオの塩対応の方が癪に障る。
「余裕こいてんじゃねぇ!」
蚊帳の外に置かれたと、レオに殴りかかっている男は激昂した。
だがさすがは精鋭の兵士。
怒りの感情に任せた動きではなく、タカシとの口論に集中して出来たレオの隙をつくように、足を取ろうとタックルをしかけてくる。
「チッ!」
避けきれない。
そう判断したであろうレオは、タイミングを合わせて、足を取ろうとした相手に、膝蹴りでカウンターを喰らわす。
鋭い膝蹴りは、見事に相手のあごに吸い込まれた。
レオの加護のチートは本人には及ばない。身体能力としては、普通の人間だ。しかしレオとて、メーヴ隊長の下で日々訓練をしている。
訓練の密度では、全将兵の模範を目指す442部隊は駐屯地一だ。チートは効かないとはいえ、レオの格闘術の腕は確実に上がっていた。
レオの膝に撃ち抜かれた顎が、大丈夫かと思うくらい上方向を向いたあと、その男は仰向けに倒れていった。
レオに絡んできたナックの部隊三人は、あっという間に地面に伏して動かなくなってしまった。
気がついたら、周りの兵士たちも遠巻きにじっと見ていた。
ナック隊の兵士が、タカシ達に簡単にあしらわれた。
「すげぇ」「ナックの部隊をあっという間に」「さすが442」
賞賛の声も聞こえる。
ナックの兵士たちは、強さを背景にこれまで他の兵士にもやりたい放題だったため、はっきり言って、他の兵士からは嫌われている。
だから、タカシ達が返り討ちにしたことが爽快だったようだ。パラパラと拍手すら聞こえてくる。
タカシも褒められてちょっと嬉しいが、こんな騒ぎで注目を集めているのはマズい。下手すれば、憲兵が来かねない。
「どうしよう」
レオは頭を抱えていた。
ナックの部隊とトラブルを抱えてしまった。レオはそのことに悩んでいると、タカシにもわかった。
「とりあえず、こいつら医療用のテントに運ぼうぜ」
「……そうだな」
ギャラリーの何人かにも応援を頼んで、絡んできた三人を医療用テントに放り込んだ。
憲兵に騒ぎをかぎつけられずに済んだのは、不幸中の幸いだった。
「腹減ったな」
「そうだな」
騒ぎが収まったあと、タカシは辛そうにつぶやいた。レオも疲れたように、同調する。
トラブルは切り抜けた。しかし代償として、タカシとレオは夕飯を食べ損ねた。
タカシの麦がゆも、騒ぎのせいで、地面にぶちまけられていた。
いくらうんざりするくらい食べた料理とはいえ、育ち盛りの二人には、何も食べられない方が辛い。
結果的には、二人とも余計なカロリーを使って、かつ夕飯が抜き。そんな現実に直面する。
「まぁ、とりあえずテントに戻ろうや」
ただ嘆いても、どうしようもない。タカシはそう言うと背筋を伸ばして、自分たちが普段寝泊まりしている、テントに戻ろうとする。
腹が減る結末に終わったが、タカシは後悔をしていなかった。
だってレオを助けただけでなく、かつての自分を救うことが出来たのだ。
誰にも見向きもされず、ただ自分で問題を抱えるしかなかったあの時の自分を。それだけで、タカシは満足だった。
「あー、えぇと、なぁ、タカシ」
レオの呼びかけに、タカシは振り返った。
「ま、まぁ、なんだ。巻き込んだのはオレだし、メシくらいは奢ってやる」
レオはタカシに視線を合わせずに、そっぽを向きながら、ぶっきらぼうに誘う。
「本当か?! っていうことは屋台か?」
駐屯地近くに、兵士向けに料理を売っている屋台がある。
金はかかるが、食えなくなった麦がゆよりよっぽど美味い。それをレオの奢りで食えるのだ。
「それって、最高じゃん!」
タカシは喜色満面に、まるで踊りださんばかりにヒデオに笑顔を向ける。
「タカシは遠慮しないからなぁ」
百八十度、態度が変化したタカシ。その変わり身の早さにレオは苦笑いを浮かべる。
ただうまいメシが食えるということで、レオが苦笑いしていることも、タカシは気にならなかった。
「この間の初陣の時もそうだったけど、性格が合わないと思いきや、意外にタカシとシナジー作れるな」
「シナジー? またわけわからないビジネス横文字を……。まぁ、今度は俺がレオに奢ってやっからさ。今回は頼むよ」
「ゼッタイだからな!」
「はっはっは。任せろよ」
タカシはレオと並んで、屋台まで歩きだす。お互い無言で歩く。
背中を預けて戦った二人だが、すぐ話が弾むほど、二人は仲がいいわけではない。
『ありがとな』
タカシは不意に、そんな声が聞こえた気がした。
「あれ、レオ、なんか言ったか?」
「何も言ってねーよバーカ」
その日、迂闊なことを言ったと、レオが後悔するほどタカシは屋台の飯を食べまくった。
その後も、442部隊は少人数部隊が故の小回りの良さで、補給線を叩き、敵に対して着実に損害を与えていた。
大量の補給物質を奪ってきて、他の部隊に景気よく振る舞ったりもした。振る舞った補給物質は酒などの嗜好品もあり、本当に貰っていいのか? と聞かれる始末であった。
その行動に、さらに442部隊の勇名が広がる。
ナックの部隊の嫌がらせも、軽くあしらったということも、442部隊の好感度を上げていた。
こんなことがあった。タカシがボーっと、歩いていると、いきなり若い見知らぬ兵士から剣礼をされた。
急にやられると、かなりビビる。
同じ年頃のはずなのに、タカシは若い兵士には羨望の眼差しで見られることもあった。喋りかけると敬語とかを使われる。
麦がゆを貰おうと並んでいると、先にどうぞと、いきなり列の最前列に回されることもある。
『442のタカシだ……』
と、後ろからザワつかれることもよくあった。
(いや、俺はメーヴ隊長とかレオの後ろにひっついているだけなんだけどなぁ)
タカシは日に日に良くなってくる評判と、その噂と自分のギャップに、罪悪感すら抱いていた。芸能人扱いである。変な噂すら、浸透している。
(俺の陰毛を持っていれば、厳しい戦場でも生き残れるとか何だその噂……)
普通に考えれば、頭おかしいで片付けられるその行動。
しかし兵隊は験を担ぐもの。この駐屯地では、タカシの陰毛なる代物が高い価格でやり取りされていて、ヤマトダマシイという名前で基地に流通していた。
ただタカシからすれば、自分の陰毛が高値で、しかも大和魂が間違った言葉の使われ方をしながら、やり取りされている様子は複雑すぎた。
「タカシ。剃刀もってきたぜ。 ヤマトダマシイを陰毛畑から収穫して、新商品としてローンチしよう!」
「ぶっ殺すぞ。レオ」
レオはニヤニヤしながら、その噂でタカシをからかって遊んでいた。
タカシがそんな悩みを抱えている中、442部隊がいるこの駐屯地に第一王位継承権を持つアレクシウス王子が閲兵に来るということになった。
クリスードでの日系転生人との戦いは、非常に苦しいものだった。
兵力では圧倒的にクリスードの方が勝っている。しかし日系転生人の持つ能力や魔法の力は、簡単にその兵力差をひっくり返すほど強力だった。
しかしこのコウコの町付近の戦況は、クリスードの中では唯一といっていいほど、日系転生人に対して有利に戦闘を進めることが出来ている地域だ。なので、王子直々に激励の閲兵に来るらしい。
それはメーヴ隊長率いる、442部隊のおかげではあったが。
王族が来る閲兵は、指揮官殿にとってはかなりの栄誉なことらしい。
実戦では使っていない、着ているだけの鎧を、ピカピカに部下に磨かせていた。
その話を聞いたときはたかが王子に会えるだけと、タカシは思った。
ただどうやらそうではないらしい。
直接会って、もし王子様に気に入られれば、すぐに要職に抜擢したり、お願い事を聞いてくれたりするらしく、実際に褒美を与えられて悠々自適の暮らしをしている者もいる。
その事実は、タカシたちを興奮させた。
日系転生人たちの生活向上について、格好の直訴の機会だからだ。
もしかしたら、収容所にいる他の日系転生人たちの生活を向上させてくれるかもしれない。むしろ収容所への収監を辞めてくれるかもしれない。
タカシは農村に戻してもらって、ラバおじいちゃんとリアおばあちゃんと暮らすことを許してくれるかもしれない。
レオは村に戻って、アリシアと仲良く暮らすことを許してくれるかもしれない。
ヒデオは宮廷魔法士に取り立ててもらって、思う存分魔法の研究をさせてくれるかもしれない。
そんな都合がいいことはあるはずはないと、現実を見ろというヤツにはこう言える。
「ここで一番、武勲をあげている部隊はどこだ?」
誰が何と言おうと、それは442部隊なのだ。それはここにいる連中なら誰もが認めている。根拠がある。
だからタカシたちには、その話題が最近のトレンドだった。
「なぁ、王子さまからどんな褒美が欲しい?」
タカシは浮かれたように、レオとヒデオに話題を振った。
「お前、最近そればっかりだな」
ヒデオは苦笑をしながら、タカシのフリに答える。
「いいじゃんかよ。夢はなるべく大きくじゃないか?」
ヒデオのツッコミにも、タカシの気持ちは折れない。振った話題を続けようとする。
「まぁ、他の日系転生人の生活向上はマストだよなぁ」
レオが顎に手をあてながら、答えた。
相変わらずの横文字な意識高い系な言葉にタカシはイラッとしていたが、苛立ちを抑えて話題を続ける。
「それは当然。俺らはそのためにも戦っているからな。後はそれぞれの生活に戻るっていうのもそうだけど、もっとちょっとした、そう。例えるなら何々が欲しいっていうやつだよ」
全将兵の模範たれ。
442部隊の隊規だが、言うは易く行うは難しで、これを守るのはなかなか大変だった。
タカシたちがこの誓いを守るということは、イコール禁欲的な生活を送らざるおえないのだ。
タカシたちにも給料が支払われる。兵士はその給料で日ごろのストレスを解消する。
兵士の娯楽といえば、主に三つ。
一つは賭け事。 娯楽が少ない戦場では、賭け事は兵士にとって、数少ない娯楽の一つだ。しかし3人の琴線には触れなかった。もう一つは酒。しかしこれも違う。ヒデオは飲むが、タカシとレオは飲んだことすらない。
最後に娼婦である。
ここの駐屯地に、娼婦たちが普段の職場を離れて、出稼ぎに来ていた。
娼婦の利用は禁止されてはなかったが、メーヴ隊長を思うと、どことなく気が引ける。
なぜならメーヴ隊長は娼婦達の境遇に、特別な思いを感じているのがわかったからだ。
メーヴ隊長は、定期的に娼婦の代表に、自分の給料を渡していたりしていた。ただ馬鹿にするなと受け取られないこともあった。
受け取られなかったお金を持ったまま、彼女はポロりとこぼした。
『私の母親は娼婦だったんだ』
それを聞いてしまったら、なんとなく娼婦を利用することに気が引けた。タカシとヒデオはギリギリまで迷っていた。
ちなみにレオは、利用を考えもしなかった。
なんで? とタカシが聞いたら。
『 アリシアが(以下略)』とのこと。
うっせ、とだけ、タカシは言った。
この世界、やむにやまれぬ事情があって娼婦をする女性がほとんどであろう。
生きていくために、娼婦となる女性がほとんどだ。ホストに貢ぐために、バニラトラックを見て来たという奴はいない。
正直興味はあったが、そんな女性の弱味につけ込んでいるという、後ろめたさがタカシにあった。
それに自分達がそういうお店に行ったら、メーヴ隊長は複雑だろうなと思うと、なかなか行く気にはならない。葛藤である。
ではタカシはどうしたか。
基本的にタカシの給料はメーヴ隊長に預かってもらっている。
いずれ村に帰るときに、ラバじいちゃんとリアばあちゃんに渡すためである。
だからなんでそうなったかは、タカシ自身よくわからなかったが、その中にいた一人の娼婦に何も言わず、メーヴ隊長に預けている以外のお金、小遣い程度ではあったが、なけなしのお金を渡した。
メーヴ隊長と同じことをしようと思ったからかもしれない。
きっと戦災孤児なのだろう。お金を受け取ったその子は、タカシよりもさらに幼い少女だった。
そんな年端もいかない子がそういう仕事をしていることが、タカシには悲しかった。
気の利いたことは言えない。「んっ」と言いながら、お金を渡しただけだった。
少女は頭の上にでっかい ハテナマークを浮かべながら、とりあえずお金を受け取ったが、あとでいっぱい手作りのお菓子をくれたのは嬉しかった。
話が逸れたが、正式な形で褒美を受け取れたら、442部隊でもそれは変に遠慮することなく、受け取ることが出来る。
正式な褒美だったら、全将兵の模範だって、受け取ったって問題ない。
そうしたら、みんなハッピーなはずだ。そうタカシは思ったのだ。
「そうだな。それなら、俺はうまい酒とうまい肴がいいな。ここにいるとそれすらもありつけないからな」
ヒデオがのってきた。ここにいる間、麦がゆばかり食わされている。正直もう飽きているのは、タカシにもよくわかる。
「魔法で作れないの?」
「タカシ。凄く頭の悪い質問だからな? それ」
ヒデオは嫌そうに、タカシの質問に答える。
「どういうこと?」
「一瞬なら似たものは作れないでもない。魔法っていうのは、人間の中にある魔力を呪文とか、魔法陣とか何かしらの媒体を使って、この世の中に表現するってものだ。だから厳密にいえば作れなくはない」
そこでヒデオは一拍置いた。
「でもな。呪文というか声なんて一瞬で聞こえなくなるし、魔法陣は呪文と比べて媒体としては効率が悪い。だから必然と、料理を魔法で作ろうとすると、呪文で作ることになるが、一瞬だけ存在させてそれで終了だ。労力に見合わん。そして何より! 料理を作るのと、魔法で料理を作り上げるのを比べたら、圧倒的に料理はちゃんと作った方がうまい! 以上!」
タカシの質問は魔法士にしてはいけないヤツだったようだ。北海道出身のやつに花畑農場が流行ってるねとい言うのと、同じような空気を感じた。
ヒデオの変なスイッチを入れてしまったことをタカシは後悔した。
「んー、オレは休みだな。アリシアに会いに行きたい」
ヒデオに詰められているタカシとしては、レオの話題チェンジが有難かった。
ヒデオはタカシへの追及を止めるが、レオの質問も気に食わなかったらしい。
「それは普通にわかるから。レオの答えらしすぎるから。意外性がゼロだから。つまんないから。俺が魔法の研究したいっていうのと、同じよ? だから何か他のものを言えレオ」
「そうだぞ意識高い系。いつも通りビジネス横文字でなんか言っとけ。なんだ? FIREか?」
「なんで異世界転生してきて、FIREしなければなんねーんだよ。違和感えげつないな。うーん。じゃあ、スイーツ?」
レオも食べたいものをひねり出していた。この世界では砂糖などまだまだ高級品。甘いものと言えば、せいぜい果物くらいだ。
タカシはまた横文字使ってんじゃねぇよと思いながらも、我が意をいたりと、膝を打った。
「やっぱり食い物だよなぁ。レオ、ヒデオ、俺は肉って言う。油滴るやつが久々に食いたくないか? あぁ、ウインナーとか食いたいな」
「いいな。噛んだ瞬間、ぱきっとか言うの」
レオの、ぱきっという言葉に、みんなごクリと生唾をのむ。
そんな楽しい、楽しい捕らぬ狸の皮算用三人はしていた。
でもその皮算用はほぼ決まったこと。そんな風に三人は考えていた。
「我々は周辺で警備をすることになった」
メーヴ隊長はいつもと変わらない様子で、閲兵の日の任務の内容を告げた。
「「「え?」」」
レオは耳を疑った。
アリシア何しているかな? という幸せな想像をしていたが、一瞬に吹き飛ぶ。
タカシが言っていたように、自分たちが表彰をされると思っていた。それなのに警備をするとメーヴ隊長は言う。
普段ならば、なにも言わずに全力で警備に当たっただろう。しかしこの時は状況が違う。なにしろアレクシウス王子が閲兵に来る日なのだ。武功一番の442部隊は閲兵される立場のはずだ。それが何故周辺で警備をするのだろうか?
「全将兵の模範たれ。それが他の日系転生人の為になる。我々はそう決めただろう? だったら警備することにも全力をつくすのが我々だ。それは王子が閲兵するときだろうが、普段だろうが、当たり前にこなす。それが全将兵の模範だろ?」
そう言われてしまったら、三人は何も言えなかった。
例え地味な警備の仕事だろうが、とにかく全力をつくす。最後には王子が声をかけるのだろうと。
だって一番頑張っている部隊は442部隊なのだ。閲兵に来ているのに、一番頑張っている部隊を褒めないはずがない。
レオはそう思っていた。
しかし閲兵が終わったとしても、王子は警備をする日系転生人部隊に声をかけることはなかった。
閲兵が終わる。
メーヴ隊長からのねぎらいの声を聞いて、その場は解散した。
他の部隊は食い物を貰ったり、酒樽を貰ったり、休暇をもらったりしたらしい。
特にナックの部隊は褒美だけでなく、勲章も授与されたそうだ。さらなる働きをすれば貴族として取り立てる。そう言われたらしい。
これは異例のことだった。貴族でないものが、貴族になるなど、ほとんど前例がない。
その話題が駐屯地ではトレンド。
日系転生人部隊には何もなかった。ただ一日警備をして終わった。
三人が普段寝泊まりしている狭いテントの空気が重苦しい。主に仏頂面をしているタカシのせいであったが。
「なんでだよ」
タカシがぽつりと呟いた。
「なんで俺らにはなんの褒美もないんだよ」
レオもヒデオも、タカシの問いに何も答えない。
「俺らの武勲はここいらで一番のものだろ。ナックの部隊より俺らの方がよっぽど活躍してる」
ナックとタカシは以前、ひと悶着あった。
憎い相手が一方的に評価されているのに、442部隊はまったく評価されない。
どう考えてもおかしいと、タカシは納得がいっていない様子だった。
「それなのに何で……」
「あのな。タカシ」
タカシの問いに、ヒデオは非常に言いづらそうに口を開いた。
レオには、ヒデオが理由を言いたくないのがなんとなくわかった。それがわかったとしても、どうしようもないことだったから。
「どうやらアレクシウス王子は、大の日系転生人嫌いらしい」
「え?」
ヒデオは、タカシの目をしっかり見て喋る。
「アレクシウス王子は、この戦争を引き起こした日系転生人が嫌いなんだとさ」
そしてヒデオはうっすら笑った。
「だから、いくら武勲があろうとも、日系転生人は日系転生人。この状況を引き起こした人間たち。だから会う必要なし。多分そんな理由じゃないか?」
ヒデオはそう言い放つと、床に転がり、タカシとは逆の方向に横になった。
「けどさ! 日系転生人だけ十把一絡げでくくるなんて、おかしいだろ! 日系転生人の中にはクリスードが好きなやつだっている。現に俺らはクリスードを守るために戦っている! だったらそれは間違っているだろ!」
納得いかないとばかりに、ヒデオに反論するタカシ。語気も強くなっていた。
「そうだな。その通りだ。タカシが言っていることはもっともだよ。正しいことだ」
ヒデオもそれはわかっていると、認めながらも。
「けどよ。そんなもんじゃなーの」
タカシを見ることなく、諦めたように呟いていた。
「そんな……」
それじゃあ、いくら頑張ったって無駄じゃないか。
武勲をたてれば、例え日系転生人だって報われる。だからこそ、これまで頑張ってこれた。その前提が崩れたら、自分は何を信じればいいのか。
タカシがそう思っているということが、442部隊では一緒に過ごしてきた時間が長いレオには自分のことのようにわかった。
「タカシ」
何も言わないタカシを、レオは痛ましげに見て、声をかけた。普段なら思いもしないが、慰めてやりたくなった。
そう思ってしまうくらい、タカシの顔は沈んでいた。
「あの、な。タカシ、その、なんだ。お菓子とか薔薇水でも買って、ミヌールにでも行くか? 恩賞をもらえなかったとしても、楽しいことはある。話をしに行くだけで楽しいじゃないか」
ミヌールとは、娼婦たちがやっているお店の名前だ。駐屯地近くにテントを張って仕事をしている。
タカシが以前お金を上げて、そのお返しにお菓子を作ってくれた女の子がそこで働いている。傍目で見ると、まるで年の離れた兄妹みたいとよく言われた。
タカシはその少女と子供のように遊ぶことが好きだった。そうやって遊べば、嫌なことを忘れられるはずだ。
しかし、タカシは静かに返答をした。
「なぁ、その王子さまは今日一日ここにいるんだよな?」
「ん? あぁ、たしか指揮官殿の接待を受けているはずだよ」
レオがその問いに答える。
タカシは頷いたあとに、
「一言、そのバカ王子に文句を言ってやらなければ気が済まない」
そう言って、タカシは立ち上がろうとした。
その呟きを聞いた瞬間、さっきまでそっぽ向いて寝ていたはずのヒデオが飛びついて、タカシを敷布が敷いてある地面に押し付けた。
「お前、冗談じゃなくて本当にやるだろ!」
ヒデオは全力で止めていた。じゃれあっているわけではない。訓練で学んだ技術を総動員して、関節技を仕掛けんばかりに、タカシを押し倒していた。
タカシは、ふざけて言っているわけではない。
仕事終わりの会社員が居酒屋でそうするように、文句を言って、悪態をついて、愚痴を言って、憂さを晴らすだけならいい。
(違う。タカシは本気だ)
レオは悟った。隆は本気で王子が接待を受けているところに乗り込んで、胸倉をつかんだ後に、正座させながら、説教をするつもりなのだろう。
だからこそヒデオはそれを察して、タカシを強引に止めたのだ。
「タカシ、ここは日本じゃねーからな! 人権なんて甘っちょろい言葉がまだ存在してない、バリバリに封建的な場所だ! 下手すりゃお前、その場で首切られて死ぬからな!」
そう言って、ヒデオはタカシの頭を床に押し付けた。
ヒデオが必死になる理由はレオにもわかった。実際に同じようなことがあったからである。
ミヌールでタカシが仲良くしている少女が、顔に青あざをつけていることがあった。
タカシが心配して誰にやられた? と聞いてみると、駐屯している部隊の中でも一番強い部隊の隊長、つまりナックの名を言った。
この間のナックの兵士たちに絡まれたこともある。だから時期も悪いし、喧嘩を売る相手としては、ハッキリ言ってよろしくない。
だがタカシはお構いなしだった。
普段の臆病なタカシは、どこに行ったのかと思うくらいだった。
レオが絡まれているときに加勢したの同じように、誰にも相談することなく、たった一人で日中大胆にナックがいるテントまで乗り込み、
「あ、アイツを殴ったのはお前か?」
と、取り巻きどもが何十人といるなか、怖がりながらも、真正面からナックに問いただしたのだ。後日、怖がるくらいなら殴り込みなどやるなと、レオにつっこまれることとなる。
「これはこれは。今をときめく、442のタカシさまではないでしょうか? この間は俺の部下が随分とお世話になったようですな」
無精ひげを生やした、頬の刀傷が目に付く30歳くらいの男がそこにいた。
タカシはナックと面と向かって話したのは、この時が初めだった。
ナックは精兵集団を率いる隊長なだけあって、眼光鋭く、ガッチリとした男だ。
怒りの表情を浮かべながら、睨みつけるタカシにたいして、ナックはあからさまな嘲笑を浮かべて、タカシを睨み返した。
「で? そのうざってぇ黒髪を振り回して、このようなむさくるしい豚小屋に何の御用ですかな?」
「娼婦の小さい女の子を殴ったのは、ナック。お前か?」
自分達の隊長を呼び捨てにされたことから、取り巻きどもが目の色を変える。腰の剣に手を伸ばしているやつもいる。
「その通りだが? アイツ、娼婦の分際で俺の服に水をかけやがった。当然だろ。裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》?」
と言って、ナックは賭け事で使っていたサイコロをタカシに投げつけた。
サイコロがタカシの顔にぶちまけられる。
「そうか」
とタカシは言うと、そのままナックに飛び掛かった。
怒号が響き渡ったらしい。
そのまま殴り合いの喧嘩になったのだが、レオと一緒に戦っていない、チートがないタカシは弱い。すぐボコボコのタコ殴りになった。
そこをメーヴ隊長が飛び込んで行って、ことを収めたという顛末だった。
いくら最大勢力のナックの部隊とはいえ、飛ぶ鳥を落とす勢いのメーヴ隊長が率いる442部隊と争うのはマズイ。そこでタカシがボコボコにされたということで、手打ちになった。
そんな話があった。
短い付き合いながらも痛感したが、タカシはなりふり構わなくなる時がある。自分が絡まれた時もそうだった。
作戦時には震えまくっている、どうしようもない臆病者なくせに、こうと決めたら、タカシは超がつくほど、頑固になる。猪突猛進する。
誰でも思い浮かぶ、当たり前の計算が出来なくなるくらいに。
レオにも、ヒデオにもわかった。
だからヒデオはここで止めなければマズイと、タカシを必死に抑え込みに図ったのだ。きっとタカシはナックへの殴り込みの時と同じことをする。
ヒデオはタカシを押さえつけながらも、レオを見つめた。
「!」
ヒデオもレオの視線の意図を理解して、走ってテントの外へ出ていった。
この間は同じくらいの立場の人間だからこそ、お互いに妥協点を探れたのだ。
しかし今度ばかりは勝手が違う。
相手はこの国の王子様なのだ。ナックのような一部隊の隊長ではない。
メーヴ隊長が出張っていったって、下手すれば全員処刑である。自分達の力だけで、どうにかなる問題ではない。
「落ち着けタカシ! 喧嘩を売る相手を見誤るな!」
メーヴ隊長がいるテントを目指して走るレオにも、ヒデオのタカシを止めようとする大声が聞こえてくる。
必死に止めているのだろう。レオは頭を抱えたい思いだった。
「メーヴ隊長、一緒に来てください!」
レオは声かけもせずに、上司のテントの中に入ると同時に叫んだ。
メーヴはそれに対して何も咎めることなく、何も言わずにレオについて走り、タカシたちのテントへたどりついた。
「どうやら楽しいことをしているようだな」
その言葉を聞いた瞬間、タカシの抵抗がピタリと止まった。
「メーヴ隊長」
メーヴ隊長がテントの入り口に立って、くんづほずれつのタカシとヒデオは冷静に見下ろしていた。
「二人とも立て」
さっきまでのレスリングがあっという間に終わり、二人とも黙って直立不動の態勢となる。
「事情を説明しろ」
タカシが何も言わないので、レオが全て説明する。
「なるほど。わかった」
メーヴは一瞬間を開けると。
「タカシ。お前は何もするな」
「何でですか!」
それに対して、タカシは真っ向から吠えて反論した。
「レオはアリシアちゃんと仲良く暮らしていけるはずなのに、こんな棺桶に片足つっこんでいる生活を送っている。村のみんなからも頼りにされて穏やかに生きるべきヤツなのに、こんなところにいる!」
「タカシ……」
レオはそう言うと、タカシを見つめた。
「ヒデオは大好きな魔法の研究が出来ない! ヒデオの頭の良さをこんなところでボケっと突っ立っている仕事をさせるなんて、無駄でしかない! もっと人の生活に役に立てるような魔法の開発とか、そういった仕事をさせるべきだ! ヒデオだってその方が嬉しい!」
ヒデオもタカシを見る。
「メーヴ隊長だってそうだ。本当は俺らの世話なんかじゃなく、偉い指揮官とか将軍になるべきだ。いつもちゃんと考え、情報を収集して、作戦を立てる。メーヴ隊長が指揮をすれば、もっとたくさんの連中が戦場から生きて帰ってこれる……」
タカシは悲しそうに、日系転生人だから、ダークエルフだからという理由で、差別を受けている自分達を嘆いた。
「俺らは一番結果を出している! クリスードの中で一番武勲を上げている! それなのにクソ暑い中警備に出され、何も結果を出していない、ただ規模がでかいだけのナックのクソ野郎がいる部隊が美味いものを食って、なんで俺らはあの麦がゆを食わなければならないんだ!」
メーヴも何も言わない。
「俺らは裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》なんかじゃないのに……」
一転、タカシは声のトーンが悲壮なものに変わった。
正しいことが認められない。
実力があるのに、日系転生人だからという理由で、望まぬ道を強制させられている。
王子の評価などどうでもいい。ましてや褒美などどうでもいい。
ただ日ごろから感じていた矛盾に、ついに耐えられなくなった、
そんな印象をレオはタカシを見て感じた。
タカシの思いに、レオは身につまされる。だってレオもそう思っているから。
しかし、こうも思う。
(しょうがない)
おかしいとは思う。ただしょうがないと思って、現状を受け入れる。
そんな我慢に慣れてしまった。戦場に出ているのも元を正せば我慢しているからだ。
ただ、なんでだよという思いはレオの胸をくすぶっている。
それを間違いとして、ちゃんと指摘できるタカシがレオには羨ましかった。
「タカシ。迷ったときは原点に戻れ」
「え?」
メーヴ隊長はそんなタカシの叫びに、そう返答をした。
「貴様は何故、この戦いに参加した? 貴様はレオとヒデオとは違い、特に日系転生人特有のチートはない。本当は収容所に入る予定だった。それを必死に食らいついて、戦わせてください、と言ったそうだな。それは何故だ?」
「……ラバじいちゃんとリアばあちゃんの生活を守るためです」
優しくしてくれた人たちを守る。そしてまた一緒に暮らすために、戦場で武勲を積み上げて、認めさせる。そのために特別な力などないのに、戦おうと決めた。
「だったら、迷ったらそれを考えろ。タカシが守りたい人たちを第一に考えた際に、今やろうとすることはそれに見合ったことなのか。考えろ」
「タカシが私たちの為に怒ってくれるのはとても嬉しい。だがな。引きづられるのはやめろ。お前が王子相手に怒鳴り込んでスカッとはするだろう。でも状況ははるかに悪くなるだろう。日系転生人は野蛮だ。そんな印象が、影響力のあるアレクシウス王子に残ってしまうだろう」
「理不尽に対して怒るのはいい。それは頑張ろうという力につながる。でもそれで、力を制御ができなくて、目的を見失っては本末転倒というやつだ」
「……」
「それにな。物事はシンプルだ。今度はひねくれた王子が、ぎゃふんとなる武勲をあげればいいじゃないか。この間の指揮官殿のときのように、悔しがりながら我々を褒めるような武勲をまたあげればいいじゃないか。私たちは裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》なんかじゃない。そう証明すればいい。今は出来なくても出来るようになればいい。我々には出来る。タカシのような、目標に向かって決して諦めない思いがあればきっと大丈夫だ」
メーヴ隊長は笑って付け加える。
「だからな。きっと大丈夫だ。いつかきっと報われる。私が保証する」
「……はい」
タカシは半分泣きそうになりながら、というか涙声でメーヴ隊長に返事を返す。
レオはこの出来事は自分の大きな指針になるだろうと直感していた。
迷ったら原点に返る。
アリシアともう一度穏やかにくらすために、この戦いを乗り越える。
そうすれば、いつかきっと、実現するはずだ。
(諦めているわけではない……!)
そのために力を尽くそうと思えた。
翌日、アレクシウス王子が王都に帰るということもあり、駐屯地にいる全部隊で見送りをするということとなった。
王子たちが通っていく道の両脇をタカシたち兵士がそれを固めて、壮大に送り出すのが、指揮官殿の媚び売り算段のようだ。
タカシは何で俺が、という思いを抑え、『全将兵の模範たれ』という442部隊の隊規を守る為に、真剣に任務にあたる。
レオやヒデオも腹の内はどうかはしらないが、見送るのも任務だ。例え指揮官殿の点数稼ぎとはいえ、442部隊一行は表向きには真面目に仕事をしていた。
だったらタカシだけ、不貞腐れるわけにはいかない。
待たされること、体感時間で数十分。遠くから馬の歩く音が聞こえてきた。
馬に跨った、華美な鎧を着た集団が、じれったくなるくらいにゆっくりと、見せつけるように練り歩いてくる。
(うざ。花魁道中か)
そんな見せつけんで歩いても、興味ないわ。帰るなら早く帰れと、タカシは心の中で、悪態をついた。
列の中ごろに差し掛かると、明らかに一番華美な、色とりどりの石を散りばめた鎧を着こんだ、白馬に乗った若い二枚目の男が通る。
(あれがアレクシウス王子か)
クリスードでタカシたち、日系転生人を嫌う急先鋒。
日系転生人を収容所に入れろと国中に指示したのも、あのクソ王子の思いつきかもしれない。
タカシはじっと王子を見ていた。
すると、自分に向けられる視線に気がついたのか、アレクシウス王子もこちらを見た。
目線が合う。
アレクシウス王子はタカシを見ると、目を細めた。
その後、すぐに目線を外して、前を向いて進みだす。
そこから数分、アレクシウス王子の一団はゆっくりと練り歩くと、駐屯地の出口までたどり着いた。いったんそこで部隊は立ち止まった。
そこで我らが指揮官殿はゴマをすりつつ、出口に近づいていく。
最後の挨拶をするのだろうか。
するとアレクシウス王子は堂々たる声で。
「敵がいるな」
そう言い放ち、アレクシウス王子はタカシたち、442部隊を睨みつけていた。
帽子などを被っていない為、タカシ達の黒髪は目立つ。
だから日系転生人が紛れていることが、アレクシウス王子はわかったのだろう。さっきタカシと目が合ったのはそのせいかもしれない。
「は。あれらは442部隊と言いまして、日系転生人だけで構成された部隊です」
指揮官殿は忠実な犬のように、背筋を伸ばして王子の疑問に答える。
「ほぉ。彼らは自ら、同胞に剣を向けるというのか」
アレクシウス王子は、はっきりとわかるくらいの嘲笑を浮かべていた。
日系転生人は、自分の都合のために同胞を裏切る奴らだと。やはり信用ならない存在なのだと、だからこの世界から排除するべき存在なのだと主張した自分の予想は当たっている。
そう言わんばかりに、嘲笑っていた。
「は。しかし我らのために戦っておりますので、特別に同じ戦場に立つことを許可しております」
「ふん。それなら敵ですらないな。自分の出自に誇りを持たぬ単なる裏切り者か。そのような性根は好かんな。反吐が出る」
アレクシウス王子は、他の部隊にも聞こえるように、大声で442部隊を罵倒する。
ギリっと、タカシは自分の口から奥歯を噛みしめる音が聞こえたことに気がついた。
「裏切りは結構だが、せいぜい邪魔にならないようにしておけと伝えろ」
「はッ」
指揮官は笑みを浮かべながら、同調した。
自分が気に入らないと思っている部隊が、やり込められているという状況が楽しくてしょうがないのだろう。
(死ね。媚び売り)
タカシは指揮官殿を想像の中で、キン肉バスター(©キン肉マン)を喰らわせた。
「皆の者! 見送りご苦労! 大義であった!」
その後、アレクシウス王子は尊大にそう言い放つと、その場から離れていった。
そこにいた全員が一斉に剣礼で、王子を見送った。
それは442部隊も同じことだった。
王子に剣礼を捧げて、見送る。王子の後ろ姿が見えなくなるまで、剣礼を続ける。
「んんっ」
すると、レオが変な声を出した。
真面目に剣礼をしているはずなのに、なんで変な声をだすのか。
それもそのはず。レオはタカシの様子をちらりと見たからである。タカシを心配しての行動だったが、それは杞憂だった。
何故ならタカシは剣礼をしながらも、顔は顎を突き出し、アントニオ猪木のモノマネをしていたからである。
元気があれば、何でも出来ると言いたげだ。
ヒデオも変な声を出して、急にうつむいたレオを見て、どうしたんだろうと? レオに釣られてタカシを見て、
「ブッ!」
と噴き出し、顔を下へ背けた。
年末の笑ってはいけないお笑い番組のようだ。
ヒデオ、レオ、タイキック。
タカシはアレクシウス王子に飛び掛かり、説教はしなかったが、
(剣礼で見送る? ふざけんな)
と思っていたので、そういった部分では、まったく敬意を表さず、変顔にて、それも顎を突き出し、「こいコノヤロー」という表情で見送った。
タカシは自分のしでかしたことに、怒られるのではないかと、ちょっと気になって、メーヴ隊長をちらりと見ると、メーヴ隊長は呆れた顔しているだけだった。
ナックたちも、ニヤニヤとこちらを見ていた。
指揮官殿は卒倒しそうな顔をしていた。もし後ろを振り返られたらと、思っているのだろう。
(ナックども。お前らは笑ってんじゃねぇ。どっかいけ)
タカシはそう思いながら、剣礼を終えて、442部隊の今日の予定である訓練場所に向かって行った。
目の前に立っているのは美人だ。それは間違いない。
だがタカシとレオが、逆立ちしても敵わない美人なのは、間違いと思いたい。
タカシは持っている木剣を正眼に構えた。
レオのチートのおかげか、タカシの体に力はみなぎっている。しかしタカシは目の前の美人に、一太刀も浴びせることが出来ないでいる。
442部隊の訓練は半端じゃない。
それがここ、コウコの駐屯地では常識である。
アレクシウス王子を送り出した後、午前中に基礎体力の訓練をきっちり(吐くくらい)行ったあと、午後それぞれの課題に対しての訓練を行う。
ヒデオは魔法の訓練。それも最近は高難易度の、狙った場所一帯爆発させる魔法の習得に勤しんでいる。初陣のときに使えなかったのがヒデオには悔しかったらしく、新しい魔法の習得に燃えていた。
レオは部隊長としての指揮訓練。レオの周りの兵士の能力を向上させるチートを最大限に生かすためである。いざという時には、メーヴ隊長に代わって、442部隊を指揮することも視野に入れているらしい。
タカシは剣術の訓練。自らにはチートが効かないレオの背中を守るために、タカシは剣の腕を磨く。
毎回それぞれきっちり課題を見つけられ、徹底的に搾り上げられる。
訓練を三人同時につけたとしても、メーヴ隊長は、涼しい顔をして効率よく、三人をメタメタに打ちのめした。それも理論的、体力的の両軸でボコボコにしてくる。
そして一日の終わりに、その日の訓練を実戦形式で試すという意図で、レオと二人がかりでメーヴ隊長と戦ったりする訓練もしていた。
タカシはその訓練の真っただ中にいる。
「うぉぉぉぉ!」
このままにらみ合いをしても、しょうがない。
タカシは気合を入れて木剣をメーヴ隊長に向かって振るう。
メーヴ隊長は持った木剣で、タカシの木剣を難なく受け止める。
エルフの動体視力はかなりのものである。しかも、メーヴ隊長はただ真っ向から受け止めるわけではない。
受け止めるだけなら、レオのチートで力が漲るタカシの剣が押し勝っただろう。
だから、メーヴ隊長はタカシの剣を滑らすようにいなした。スピアアローワーの投げ槍を躱したときと同じである。タカシの態勢が崩れる。
そしてタカシの崩れた体に、メーヴ隊長は体ごとぶつかっていった。
「ぐっ」
体ごとぶつかっていった体当たりで、さすがにタカシもバランスを崩す。そして追い打ちをかけるように、メーヴ隊長の木剣が振り下ろされる。
ゴンという鈍い音。
木剣で打ち据えられたタカシの頭。
タカシ役柄上、死亡。
タカシは痛みに悶えながら、頭上を見上げると、メーヴ隊長が静かにレオを見据えていた。
その後は特に語るほどでもなく、レオは簡単にメーヴ隊長に倒されてしまった。
訓練が終わる。
負けて地面にへたれこむ二人を、メーヴ隊長は冷たく見据えた。
「お前ら、本当に進歩ないな」
呆れたように呟くメーヴ隊長に、二人は何も言えない。
「アリシアちゃんとやらも、男を見る目がないな」
レオの表情が、かなり曇った。
「タカシは何も考えてないな」
タカシの心にもその一言が、グサリと刺さる。
その日の訓練はそこで終わった。
心身ともにズタズタにしてくる訓練が終わった後、442部隊のテントに、三匹の冷凍マグロが転がっていた。
タカシはレオと一緒に、それ以前にもメーヴ隊長に挑んでいたが、まったく歯が立たなかった。
レオのチートを使ったとしても、メーヴ隊長はタカシの攻撃をことごとくかわし、いなし、木剣で怪我にならない程度に手加減をしつつ、タカシを打ち据えてくる。
手加減されつつ、ボコボコにやられる。この時点で実力差は開きまくっていることがわかる。
そしてタカシがやられた後に、レオも秒で叩きのめされる。
(どんなオタサーの姫なんだよ)
毎日自分を崇めるオタサーメンバーを、ボコボコにしてくる姫など聞いたことがない。短い付き合いだが、メーヴ隊長は生真面目である。だから忖度なしで、真面目にボコボコにしてくる。
ボコられ疲れではあるが、とにかく疲れた。ただそんな疲れが心地良くもある。余計なことを考えずにすむ。
そんなことを思い浮かべながらも、タカシは強烈な睡魔に馬乗り殴打されつつあった。
「タカシ」
するとマグロ状態のまま、レオがタカシに話しかけてきた。
秒でうつらうつらしていたタカシだったが、そこで目が覚める。
訓練以外、タカシはからかわれる以外、あまりレオと話したことはない。話しかけられた珍しさから、意識がはっきりと覚醒した。
「どうした?」
横にながらタカシも返事をする。意識ははっきりしたが、起き上がる気力すら出てこない。
レオの顔を見て驚いた。
「作戦をたてよう」
真剣な表情で、レオが思い詰めたように言ってきたからだ。
「いくらメーヴ隊長とはいえ、ここまでボコボコにされて黙っているわけにはいかない。俺とタカシでシナジーを作りだし、あのクソ真面目脳筋に一矢報いる!」
(さすがイケメン。442部隊一の意識高い系)
なんとなくこの現状を受け入れてしまっているタカシとは違い、レオはなんとかこの状況を打開しようとしている。
(そこが自分とは違うところなんだろうなぁ)
認めたくはないが、ここがレオの尊敬できるところだ。
正直、タカシはメーヴ隊長に勝てなくてもしょうがないと思っていた。
だからこそメーヴ隊長に、何も考えていないと言われたのだろう。
だがレオは違う。常に前向きで、目標に対して頑張ろうという気持ちが強い。そこが状況に流されがちなタカシとは一線を画すところだと思う。
そして、いくら意識高くなく、何も考えていないタカシとて、一緒に戦っている相手がやる気を出しているのに、自分だけボンヤリしていられない。
「わかった。どうしようか」
タカシ、レオの提案に乗る。
レオとタカシ。442部隊で、お互い認め合う部分を見つけてきた。出会った時にくらべ、打ち解けてもきたが、仲良しこよしというわけではない。日常会話はするが、積極的に馬鹿話をする間柄ではない。
しかしこの時、共通の目標に意識を合わせ、ヒデオ、レオはお互いを頼もしく思っているようだった。
力強くお互い見つめあう。
冷凍マグロのままで。
「お前らシナジーはいいけど、起き上がって話し合いしろよ」
ヒデオが呆れたように茶々を入れる。
その言葉に、それもそうだと、タカシとレオはお互い胡坐をかいて、向かい合った。
「絶対、見返してやるぞ」
レオが燃えていた。
「そうだよな。明日は見返してやろう」
タカシもその熱気にあてられて、普段はとても言わないことを口に出してしまう。
「おう。クソッ、アリシアを馬鹿にされて、終われるか」
「そっち?」
実はレオの向上心が凄いわけではなかった。
「いつも同じ負けパターンだよな」
これまでは、タカシが前面にでて、レオがやや後ろに立ち、レオが隙を伺うという戦法でメーヴ隊長に立ち向かっていた。
「タカシが戦っている間、オレが隙を伺う」
「特に決めたわけじゃないけど、自然とそうなっていたよな」
それまで二人は何も打ち合わせをせずに、なんとなくそんな戦法をとっていた。
二人の人間関係が、そこまで打ち解けていなかったのが原因だった。
「基本的にはそれでいいと思うんだが、問題はレオのチート使っても、オレの実力だとオタサーの姫に簡単にあしらわれるんだよなぁ」
「基礎能力が高くても、タカシとメーヴ隊長には技術の差がありすぎるから、しょうがないよ」
「よし。頑張ってなんとかしよう」
「いやでもすぐには無理でしょ」
タカシのやる気のある言葉に、レオがつっこみを入れる。
せっかくやる気を出したのにと、タカシがちょっとムッとする。
それに気が付いたレオ。レオも悪いと思ってか、ばつが悪そうに黙り込む。
いきなりお互いに言葉が詰まる。早々に議論が暗礁に乗り上げた。
「まず目標はなんだ?」
ヒデオが見かねて、助け舟を出してきた。
マグロ状態のままではあったが。
「え? メーヴ隊長に勝つこと?」
思ったまま、タカシは答える。
「そうだろうけど。実際問題、いきなり勝つのは難しくないか? スピアアローワーの槍にさえ対抗できる人なんだぞ。あの人は」
「……そうだな。もしかしたら、この駐屯地最強かもしれない」
レオがヒデオの意見に、しみじみと呟く。
魔法を使えてかつ一流の戦士なんて存在、クリスード広しとはいえ、そうそうお目にかかれない。メーヴ隊長は、442部隊のような小規模部隊の隊長をしているのが不思議なくらい有能な人材だ。
「そもそもメーヴ隊長に勝つのは、かなり無理な目標なんだよ。だからな。最初はそんな大それた目標じゃなくて、小さな目標を立てるんだ。そうすりゃ達成できるだろ? それを積み重ねて、大きな目標にたどり着くんだよ」
「なるほど。さすがヒデオパイセン。どんな自己啓発本ですか?」
「茶化すなタカシ。……そうだな。とりあえず二人で頑張って、メーヴ隊長に一太刀浴びせるって、どうだ?」
「それなら、なんとかなるかもしれないですね。ヒデオさん」
レオの声のトーンが上がる。
「正しい目標設定が大事だからな」
確かに勝てなくても、一撃を食らわすだけなら、タカシとしても、なんとか出来そうな気がした。
「じゃあ、その一太刀をいれるにどうする? タカシ」
「オレが隙を作って、レオがその隙をつく」
「それは無理だったんだろ? タカシはメーヴ隊長の隙はつけない。もしくは難しいのがわかっている」
「うん」
そこでヒデオはそっぽを向いた。後は二人で考えろと、言いたげだ。
ちょっとタカシは沈黙した後、
「なぁ、オレだけじゃなくて、最初から二人で挑むのはどうだ?」
「なるほどな」
タカシとしては、自分だけ本気モードなメーヴ隊長とぶつかりたくないという不純な思いでの提案だったが、意外とこの案はレオの琴線に触れたらしい。
「それいいな」
「オレだけじゃ、隙なんて作れないからな」
タカシ、明るく自虐。
「そうだな」
レオ、間髪入れずに同意。
(ちょっとは否定しろよ)
タカシとしては、そこは気づかいが欲しかった。
「挑むのはいいとして、正面から二人で挑むか?」
「いやそれはやりづらい」
タカシはレオのチートを使って、周りを気にせず、大太刀回りでメーヴ隊長に挑みたかった。
隣にレオがいての即席コンビネーションで戦うということは、協調性のない元引きこもりとしては、とても出来そうもない。
結果的にさらに勝率が悪くなりそうな気がしてならなかった。
「オレが後ろから、奇襲するというのはどうだ?」
もしかしたら、楽をできるかもというタカシの提案だったが。
「オレにはチートが利かないし、正面からメーヴ隊長を抑えるなんて出来ないぞ」
(ダメだったか……)
タカシの目論見は不発に終わる。
「でもメーヴ隊長の、後ろから? 仕掛けるってのはいいと思う」
「ん?」
レオはつっかえ、つっかえ、考えをまとめながら、自分の考えを話し出した。
「オレらに出来て、メーヴ隊長に出来ないことは、そう。分業だ。そうだ。そこで勝負をするというのはいいはずだ」
自分自身の思考をまとめるように、つっかえ、つっかえ、レオは言葉を出す。
ちゃんとした言葉ではないが、レオの言うことはなんとなく、タカシにも理解できた。
「となると……。オレがメーヴ隊長の注意をそらして、レオが後ろからしかけるといったところか」
「……うん。悪くない。というか、いけるんじゃないか?」
レオの表情が目に見えて明るくなった。
希望が見えてきた。
「スキームはそれで行こう。で、細かいことについてだが……」
そこからレオとタカシ、主に集団での戦法をメーヴ隊長から学んでいるレオが主体となって、話し合いを続ける。
レオの立て板に水に出てくるアイデアに、タカシが随時質問をして、検証していく流れが出来ていた。
少しだけだが、お互いに冗談を言い合う余裕も出てくる。
「これうまくいったら、アリシアちゃんのおっぱい見せて。昔、そんな映画あったよな」
「……」
「冗談。冗談だって! 冗談だから、睨んでんじゃないよ!」
『レオにアリシアネタ』という、442部隊ことわざの誕生の瞬間である。
「あ。それとよくシナジー、シナジーとか言うけど、意味が分からないんだけど」
これを機に日ごろからの疑問をレオにぶつけるタカシ。
「シナジーの意味? スティ∸ブンコビーの、7つの習慣って知ってるか?」
「?」
タカシはわかりやすく首をかしげる。
「わかった。そうだな……。お互いに作用し合い、効果や機能を高めることってところかな」
「なるほど……」
実は全然わかっていないが、とりあえず納得するタカシ。
「要は二人で頑張れば、一人で頑張るより良いよって話だよ」
見かねたレオは、小学生でもわかるようなアドバイスをした。
「ふぅーん」
さすがに理解出来たのだが、それでもタカシはなんか腑に落ちなかった。疑問はなんとなく解決したが、雰囲気は悪くなった。
「なぁ、タカシ」
レオがしかめっ面で、タカシに話しかける。
「なんすか?」
「確かにタカシには、頑張っても何も楽しみがない。シナジーとか言っても、やっぱりそういうのは大事だ」
「んー、そんなことないけどなぁ」
タカシとしても、メーヴ隊長に勝てたら嬉しい。
「だからな。オレも譲歩しよう」
レオはそう言うと、本当に苦し気な表情を浮かべながら。
「もしメーヴ隊長に一太刀浴びさせられたら、俺が描いたタカシ憧れのアリシアの絵をプレゼントしてやろう」
「いや、いらないし。憧れてないし」
そんな溜めて、喋ることではない。
いくらアリシアちゃんの絵とはいえ、グラビア写真でもないし、レオが描いた絵などいるわけがない。
「そうか」
レオはまた黙る。
「じゃあ、あれだ。メーヴ隊長との仲をサポートしてやろう」
「え?」
タカシは驚きに、レオを見る。その発想はなかったわ。といった感じである。
「タカシ、お前、メーヴ隊長のこと好きだろ?」
「す、すす、好きじゃねーし!」
「正直になれ。胸ガン見しすぎだから」
「み、見てねーし!(ばれてーら)」
「まぁ、ともかく目標達成したら、俺がオポチュニティを掴んでやっからさ」
「だから! ちげーって!」
昭和の修学旅行の夜みたいな話し合いは、ヒデオが「明日もあるし、血尿でそうなくらい疲れているから、頼むから寝てくれ」と言うまで、侃々諤々と続いた。
タカシは剣を握ったまま、動かない。
メーヴ隊長はそれに対して何も言わず、部下が何を仕掛けてくるのか、興味深く見守っていた。
身内が相手とはいえ、これから叩きのめされるかもしれないから怖い。レオに打ち明けたら、タカシは何でも怖いんだなと言われた。
(それにしても、余裕こいているな)
メーヴ隊長は、先手はとらせてやると言わんばかりに、剣先をゆらゆらと動かしている。
タカシは動く。ゆっくりと最上段に剣を構え、そして動きを止めた。
メーヴ隊長はタカシのその動きを見て、不敵に笑う。構えも変えない。
(だからこそ、そこにつけこませて貰う)
メーヴ隊長はタカシの狙いを知りつつ、それでもその一撃を受けると決めたのであろう。
タカシの意図は明白である。
最上段からの打ち下ろし。
これまで通り、小手先の一撃ではなく、レオのチートを生かした、タカシ最強の一撃を放とうとしている。
それが今回の作戦であると、メーヴ隊長は感じとったのだろう。
静寂。そして。
(俺の全力の一撃、受けてみろ!)
タカシは勢いよく右足を踏み込んだ。
最上段からの一撃。
その一撃は、『二の太刀要らず』という、ある剣術の流派の言葉を、行動で表現したかのような、威力をもった一撃だった。
木剣と木剣が交差する。
受け止めた側の木剣が折られるかと思うくらいの勢い。
だがそんなレオのチートを活かした規格外な一撃すらも、メーヴ隊長は軽やかに受け流す。
タカシの会心の一撃すら、これまで通り難なくかわされ、後先を考えない全力の一撃を放ったがゆえに、タカシの態勢が崩れた。
「いい一撃だったぞ」
賞賛と共に、メーヴ隊長はいつもと同じように体当たりをしかけようとする。
そしてタカシが態勢を崩したところ、仕留めればいつもと同じ。
しかしタカシがにやりと笑ったことに、メーヴ隊長は表情を変えた。
「後ろか!?」
タカシの後ろにいたはずの、レオがいない。
レオがメーヴ隊長の後ろに回っていた。
ヒデオからもう寝ろよ、と苦情が出るまで、打ち合わせした内容はこうだった。
とりあえず、タカシが、また馬鹿の一つ覚えをやろうとするように、見せかける。
しかし少し工夫をして、タカシは自身の最強の一撃で勝負するように見せつける。タカシの最強の一撃でメーヴ隊長を倒すのが今回の作戦だと、メーヴ隊長に思い込ませる。
そしてその通りに動く。その時、メーヴ隊長はタカシの全力の一撃を捌くために、意識が集中するだろう。
チートを最大限に生かした一撃。いくらメーヴ隊長とはいえ、一瞬だけでもその一撃を受け流すために集中するはず。つまり隙ができるはずだ。
その隙を持って、レオはメーヴ隊長の後ろに回りこみ、斬りかかる。
これがタカシたちの導き出した答え、奇襲である。
奇襲であれば、真っ向から勝負しない分、ある程度、実力差を埋めることができる。タイミングが合えばこちらのものだ。
であれば、レオとタカシがその戦法を選ぶのは当然のことでもあった。
(二の太刀はレオだ!)
レオは体ごとぶつかる勢いで、突きを放っているはずだ。
突きは乱戦には向いていない。もし躱された場合、続く一撃が出しづらいからだ。
しかし相手が一人の場合、続く一撃など考える必要などない。
そして突きの一撃は、点での攻撃のため、繰り出されるスピードも相まって、剣で捌くことは非常に難しい。
「やる!」
だがメーヴ隊長はかわしづらい突きすらも、軽やかに躱してみせる。
タカシに対する体当たりを止め、右斜め前、タカシからすると左斜め前へ飛んだのだ。
「なっ!?」
無理にその場でレオに対応しようとしたなら、もしかしたら、レオの突きに貫かれていたかもしれない。
しかし一転、メーヴ隊長は逃げに転じたのだった。
突きの先には、態勢を崩していたタカシがいる。
タカシも悟る。このままではレオの突きで、自分がやられてしまう。
(やっぱりダメか)
また負ける。昨日お互い知恵を絞って、考えあった努力が水の泡になる。
「オラぁ!」
もう駄目だという思いで、頭がいっぱいになっていたタカシを𠮟りつけるが如く、レオが起死回生の一手を放った。
レオは持っていた木剣を、メーヴに投げつけたのである。
なんとかひねり出した、苦し紛れの一撃だが、これが成功すれば一太刀は浴びせられる。
しかしメーヴ隊長は地面に足をつけると、その足を軸足に、体を回転させて投げつけられた木剣を難なくはじき返した。
苦し紛れの攻撃は、メーヴ隊長には通用しなかった。
だがここでタカシの気持ちに変化があった。
レオの何とかして勝とうという行動を見せられて、もはや諦めかけていたタカシは再度奮い立たせられた。
予想外の出来事が起こっても諦めないレオの姿。同じ目標に向かって、必死にあがいているのに、自分だけ諦めてはいられない。
現状、タカシは上段からの打ち下ろしという全力の攻撃を放った後、体当たりをくらって、絶賛態勢崩れ中。
だから、すぐに態勢は整えられない。
華麗にメーヴ隊長への追い打ちなどできようはずがない。
「うわぁぁ!」
ただ、無様な相打ちを仕掛けることなら出来る。
もはやタカシも、作戦もへったくれもなく、態勢を崩しながらも、無理やりメーヴ隊長に向かって飛ぶ……いや、転がり込んだ。
だがただ転がり込んだではない。
レオと同じように、自身もろともメーヴ隊長に体当たりをしようとしていた。
いつぞやの敵の動きをヒントにした戦法。
体当たりをした後は、地面に引き倒して、泥沼な格闘戦に持ち込む。それならばまだ自分たちに勝機はあるかもしれない。
メーヴ隊長はレオの剣を捌いたあとだが、すぐにタカシの方へ体の向きを変え、その体当たりを剣で斬りつけようとする。
ただメーヴ隊長よりも、レオのチートが普段よりも強く力を発揮している。このままいけばタカシの方が早い。
(レオ、続けよ!)
自分の方が早い。まだ戦えると、タカシは確信を持った。
しかし。
「よくやった‼」
メーヴ隊長の賞賛が聞こえたとともに、とてつもない衝撃がタカシの体を打ち据えた。
メーヴ隊長にぶつかった衝撃ではない。まるでメーヴ隊長との間に壁があり、そこにぶつかったかのようだ。
(なんで?)
自分は何にぶつかったのか?
疑問は解消されずに、逆再生するが如く、受けた衝撃で元の位置にはじき返されていくタカシ。近づいてくるレオの体。
そして勢いよく、二人の体はぶつかった。
「「グオッ!」」
衝撃後、そのまま地面に落ちた。
タカシは自分に何が起こったか、まったく理解できないし、そして何より体中が痛かった。何が起こったよりも、体の痛みのほうに意識がいってしまっていた。
起き上がれない。しばらくそのまま転がっていた。
「レオ、タカシ。大丈夫か?」
メーヴ隊長が上機嫌な口調で、問いかけてきた。
「だいじょうぶです」
「痛いです……」
レオもタカシもようやくといった様子で返事をする。
「お前ら、今日はとてもよかったぞ! 明日もその調子でな!」
そんなメーヴ隊長の上機嫌な声が聞こえた後、足音が遠ざかっていった。
(何でこうなったのか、さっぱりわからん)
起死回生の体当たりをしかけようとしたら、何故か弾き飛ばされて、レオとぶつかって、地面に転がっている。
タカシは疑問を抱きながらも、体を動かして、横向きになっていた自分の体を仰向けに動かした。
「レオ、タカシ。大丈夫か?」
いつの間に来たのだろうか、ヒデオが声をかけてくれた。
「だ、大丈夫ゥ」
タカシはそう言うだけで精一杯だった。
「くっそー。また負けたよ。ヒデオさん」
レオは本当に悔しそうに呟いた。
あー、と呻きながらレオはゴロゴロと転がる。
レオの気持ちは痛いほどわかる。あれだけ頑張って、作戦を考えたし、作戦想定外の事態にも二人とも精一杯対応した。
しかしそれでも目標には届かなかった。
一太刀浴びせるという目標にすら届かなかった。
(悔しいなぁ)
タカシは痛みに顔をしかめながら、上体を起こす。
あと少しだった。あそこまで肉薄できたのだ。だからこそ悔しかった。
「くっそー。バケモンかあの人は」
「本当だよ。最後何されたんだよいったい」
レオもぼやきながら、タカシと同じように上半身を起こす。
右手で頭を抱えていて、とても困った様子だ。
「いや、でも二人とも今日は目標を達成したぞ」
「どこかだよパイセン」
「適当なこと言うのはやめてくださいよ。ヒデオさん」
立ったままこちらを見下ろすヒデオに、気休めを言うなと、二人は声を揃える。
気分が悪かったので、八つ当たり気味でもあった。
ヒデオは不機嫌そうな二人の抗議もなんのその。
「最後、メーヴ隊長、魔法を使ってたぞ」
そう言って、にやりと笑った。
「「え?」」
レオとタカシの声が揃う。
「タカシが最後に体当たりを仕掛けたとき、避けきれないって、判断したんだろうな。魔力そのものを単純なエネルギーとして放出して、タカシをはじき返してた。だからあんな結果になったんだよ」
二人とも黙る。
「メーヴ隊長は魔法を使った。というか魔法を使わなければ、お前らはメーヴ隊長に一太刀浴びせてたんだ。いや、一太刀どころか、あのまま寝技に持ち込めばむしろ勝てたかもしれない。魔法を使わないっていう約束ではなかったが、でもあのメーヴ隊長に魔法を使わせたんだぞ?」
なんとなくヒデオが言いたいことが、二人にもわかってきた。
「つまり、お前らのシナジー? ってやつは、一太刀を浴びせさすことは出来なかったが、それくらいのことをやり遂げたようなもんだよ」
ヒデオはそう言って、嬉しそうに笑う。
段々と、タカシは自分が成し遂げたことを理解しだす。
(あのメーヴ隊長を追い詰めたんだ)
喜びが沸々と湧いてくる。
視線を感じて、横に振り向くとレオがこっちを見ていた。
レオの顔は笑みを浮かべつつ、興奮のせいか、少し赤くなっていた。
そして何も言わず、レオは右こぶしを突き出してきた。
求められていることがわかった。
タカシも何も言わずに、自分の右こぶしをそれに合わせた。
コツンと、拳同士があたった。
(うわっ。オレ、陽キャみたいなことしている)
普段、自分が嫌悪している行動をしてしまったことを後悔したが、それを上回る達成感が沸き上がってきた。
「やったー!」
レオはそう叫ぶと、また上半身を地面に預け、仰向けになった。
タカシもレオと同じように、地面に寝っ転がる。
なんでもない夕方が、目標を達成した充実感からか、とても綺麗に見える。
「よかったな」
ヒデオも喜びを含んだ声をかけてくれた。
タカシは喜びで、居ても立っても居られなくなっていた。
「なぁ! レオ?! 飯を食いに行こう」
「ん?」
「今回はオレが奢るからさ。行こうぜ!」
自分からレオを飯に誘うなんて、普段のタカシなら抵抗があったが、今回に限っては自然と口から出ていた。
「マジか!? よし行こう! 俺とタカシのシナジー完成記念日だ! めっちゃ食うから覚悟しろよ」
「ヒデオパイセンも行こうよ」
ヒデオは笑って、
「いや今回はお前ら二人で行って来いよ。次からは参加するからさ」
「んー、わかった」
その後、麦がゆを速攻で平らげた後、二人は屋台に繰り出した。
楽しそうに、喋りながら、これは美味い、これは癖があるとか言いながら、色々な料理をひたすら食べた。
年頃の友達に接するようにできたと思う。
タカシは、屈託なく、レオと二人で過ごすことが出来たのが、嬉しかった。
「明日一日休み?」
タカシは信じられないと言いたげに、おうむ返ししてきた。
これまで休日などなかったからか、疑わし気にヒデオを見てくる。
「おう。メーヴ隊長がそう言ってたんだ」
ヒデオは疑うタカシを信用させるために、真面目な顔をして伝える。
訓練がここ最近毎日続いていたので、休みと言われたら、ありがたいと思うだろう。
「ふーん。ありがたいなぁ。よし! じゃあ、もう寝よう」
タカシはさっさとテントに戻ろうとした。さすがは子供部屋おじさんの才能あふれると言われるだけ、自分の寝床を愛していた。
「まぁ、待て」
その手をガシっと、ヒデオが握る。
「コウコの町の酒場に行こう」
「え?」
ヒデオも爆発の魔法の習得に疲れている。タカシとレオも疲れているのはわかる。しかしせっかくの休みだ。その前日くらいは、羽目を外してみんなで楽しくワイワイ騒ぎたい。
コウコの町近くに駐屯していることもあり、たまに他の部隊の連中が町に繰り出している場面を見たことがある。
他の部隊の連中はそこで、駐屯地ではとても出てこないような酒や料理を食べて、英気を養う。極めつけは、大きな娼館もあるとのこと。
「でも俺、金がないし。あと『真面目脳筋』メーヴ隊長の訓練でマジ疲れたし」
日系転生人だとはいえ、給料は出る。しかしタカシの給料は、村の恩人に仕送りをするために貯めているとヒデオも知っていた。
ちなみに『真面目脳筋』とはここ最近、三人がつけたメーヴ隊長のあだ名である。
「心配すんな。メーヴ隊長が奢ってくれるってよ」
「メーヴ隊長も来るの?」
たまに一緒に食事はすることがあっても、そういうイベント事にメーヴ隊長は出てこない。
「おう。もしかしたら、メーヴ隊長の私服とか見れるかもしれないぞ」
「シ、シフ、私服、私服」
タカシは、壊れたキャラものの目覚まし時計みたいになっていた。
ヒデオは実家に仕舞われている、ドラえもんの目覚まし時計を思い出した。
「タカシ、顔が赤いな」
「うるせぇな! 童貞なめんじゃないよ」
可憐なメーヴ隊長を想像してしまったのだろう。タカシの顔は赤くなっていた。
「いいだろタカシ? 寝るなんてつまらないこと言わないでさ。部隊の結束を深めるためだ。みんなでメシを食おう。それに明日は休みだ。いくらでも夜更かししたって、大丈夫じゃないか」
「……それもそうだな」
部隊の結束を深めるため。そう言えばタカシは無下には断らないだろうとヒデオは予想していたが、ばっちりその通りになった。
「わかった行こう」
その後レオにも同じようなことを言って、一緒にコウコの町に向かった。
コウコの町で合流した4人。そのまま適当な食べ物屋さんに入っていった。
メーヴ隊長はいつもと変わらない軍服姿だった。
軍服姿のメーヴ隊長に、ヒデオから見ても、明らかにタカシのテンションが下がっていることがヒデオにもわかる。
「なんだ。私が居たら嫌か」
メーヴ隊長はタカシのリアクションに、ふてくされたように表情を歪めていた。
「違うんですよ隊長。タカシは隊長の私服姿を見れることを期待していたんですよ。だから軍服なのがガッカリみたいです」
初っ端から変な誤解をされては困ると、ヒデオもフォローをする。
「着ている服なんて、どれも一緒だろ?」
「いや違いますよ。メーヴ隊長も意中の男と出かけるときは気をつけたほうがいいですよ」
「そういうものか」
レオも酒と適当な料理を手早く注文を済ますと、会話に加わり出す。
「うーん、でも、メーヴ隊長が言うとおりかも。だってアリシアが着ていれば、俺はどんな服でもいいよ」
「お前は黙ってろ」
ヒデオは冷たく、レオの発言を切って捨てた。例外にアドバイスされると、メーヴ隊長にとってよろしくない。
そうこうしているうちに、テーブルに4つのジョッキと様々な料理が並ぶ。
「うわぁ、うまそう」
タカシが目の前の料理たちに目を輝かせていた。
そう口に出す気持ちは、ヒデオにもわかる。
目の前にあるのは軍隊で出される、いつもの麦がゆではない。かと言ってごちそうでもない。
基本的にテーブルに並んでいるのはシンプルな料理だ。
適当な盛り付けのサラダだったり、塩で焼いて、切っただけな感じの肉。ただ軍隊の食事とは違い、ちゃんと美味しく食べれるように調理されている。それだけでもタカシの目が輝くのはわかる。
そしてタカシのテンションが、ある料理を見て、もう一段上がった。
「腸詰めさまじゃ! ウインナーさまがある!」
元の世界でも大好きだった料理がそこにあった。焼き肉に行っても、カルビとかと一緒につい注文してしまうアレである。
「あぁ、これ美味いよな。私も好きだよ」
目を輝かせるタカシに、メーヴ隊長は嬉しそうに同意をした。
「へぇ、異世界のウインナーって、どんな味がすんだろ?」
レオもタカシと似たようなものだった。屋台のメシとは違う、少し手間がとられた料理に、目を輝かせている。
4人はジョッキを持つ。
「何に乾杯しましょうか?」
ヒデオはメーヴに問いかける。
「そう言われると、難しいな」
ジョッキを持ったまま、考え始めるメーヴ。
しばらく待っても悩んでいる。
三人のジョッキを持つ右手が、疲れてくるくらい悩んでいる。
「いや、そんな乾杯の音頭に真面目にならんでも。適当に442部隊の活躍とかそんなのでいいんじゃないですか?」
見かねて、ヒデオが助言をした。
「そうだな。さすがヒデオだ。えーと、では我々442部隊のさらなるの活躍を願って。乾杯」
「「「かんぱーい」」」
メーヴ隊長とヒデオは、いきおいよくジョッキを傾けて、喉に酒を流し込んだ。
タカシとレオは恐る恐るといった感じで、ジョッキに口をつける。
「あぁぁー!」
ヒデオは久しぶりの上質なアルコールの味に、目をつむって、思わず呻くように、感動を表現した。
(しみる……)
日本にいた頃に飲んでたものとは違い、エグ味や雑味とかも感じられるが、それでも久しぶりのちゃんとしたアルコール。体に染み入る。
感動しているヒデオを尻目に、タカシとレオはそれ程アルコールが口に合わなかったようだ。一口飲んだ後は、すぐにジョッキをテーブルに置くと、まっさきに腸詰めにフォークを刺し、口の中に入れていた。
腸詰めを噛むときの、ぱきっという音が、ヒデオにも聞こえる。
「うま!」
タカシはそう言って、しばらくフォークを握ったまま微動だにしない。
「オレも食う」
レオもタカシにつられて、フォークを伸ばして、口の中に入れる。タカシはまた動き出すと、二本目の腸詰めに自分のフォークを突き刺した。
二人とも何度も頷きながら、ウインナーを食べていた。
タカシとレオはそのまま、腸詰め以外にもテーブルに並んでいる料理を競うように食いだす。
「お前ら、料理ばっか食ってないで、酒と一緒につまみとして食えよ」
欠食児童が如く、料理を喰らうタカシとレオ。ヒデオが嫌そうにその様子を見る。
「いや、別に追加で料理頼んでいいぞ」
メーヴは楽しそうに、タカシとレオが料理を食っている様子を見ていた。
「メーヴ隊長。酒飲むときって、そういう風にするべきじゃないと、自分は思うのです。酒と肴をバランスよく味わうのが正解だと思うのです」
そう言いながらも、レオとタカシのために、ヒデオは酒場の娘さんに、さっきと同じくらいの量の料理を注文していた。
「うーん。まぁいいじゃないか。金の心配ならするな。私は酒もそんな飲まないし、賭け事もしない。娼館にもいかないから、割と給料が余るんだよ」
「あー。確かに」
ヒデオが納得とばかりに、頷いている。
確かに兵隊の給料はそれなりに貰える。だから使わなければそれなりに貯まるはずだと、そう思った。
「これくらいは隊長の甲斐性だな。好きなだけ食って、飲んでくれ」
そう言って、メーヴは楽しそうに笑った。
「「ゴチになりまーす」」
レオとタカシはそう口を揃えると、またテーブルに並べられる料理を食いまくる。ジョッキの中身はまったく減っていない。
コンビで動くことが多い二人は、息もぴったりに、料理を口の中に放り込んでいく。ヒデオは日本にいるときに見ていた、ドラゴンボールでの食事シーンを思い出した。
「俺は、飲んでいいですか?」
「遠慮するな。私も飲むぞ」
すいませーんと、再度娘さんを呼ぶ。
追加のジョッキが来て、ヒデオとメーヴは美味そうにジョッキを傾けた。
しばらくはタカシとレオは無心で料理を食っていた。だが次第に食欲が満たされはじめたようで、段々と食べることよりも会話が多くなってきた。
「今日はいい天気でしたね」
みたいな、そんな当たり障りのない会話を続けていると、
「メーヴ隊長は彼氏はいるんですか?」
レオは何のためらいもない切込んだ。
(こいつやりおった)
ヒデオに戦慄が走る。
タカシはその発言を聞いて、ジョッキを持ったまま固まっていた。
こんな影響力のある話題を、何も計算なくぶち込むとは。さすがは442部隊一で唯一のチャラパリピ彼女持ち。
と、ヒデオはテーブルの下でこぶしを握り締めた。
そして同時に、恋愛要素が入った話題になった途端に固まるタカシが目に入る。
(両極端なコンビだよな)
「彼氏? どういう意味だ」
メーヴ隊長は、言葉の意味がわかっていない。
クリスードでは彼氏という言い方をしないのだろう。
ここで引くのも勇気。そう思ったヒデオだが、レオはぐいぐいと相手との距離を詰める。
「えーと、恋人とか将来を誓い合った相手とかはいないんですか? ってことです」
だが陽キャチャラパリピウェイ系には、そんな障害はものともしなかった。
「うーん。いないぞ」
「言いよられたことは?」
「上官に愛人にならないかと言われたことはあったが、それとは違うよな?」
それはただの悪質なセクハラである。レオは顔を横に振って、否定した。
「メーヴ隊長は、アリシアには劣りますが、とても美人じゃないですか」
「アリシアうんぬんはいらないぞ。レオ」
ヒデオはとりあえず、ツッコミを入れる。
レオはそれが聞こえていないのか、特に何も反応することなく、メーヴ隊長に絡み続ける。
もしかしたら、酔っているか?
そう思うくらいに、レオはガンガンとメーヴ隊長に質問してくる。
「美人か。それは私も思う」
(認めるのかぁ)
ヒデオはこれがナチュラルボーンで美人ということかと、戦慄を覚える。
「しかし、それは私がエルフだからだ。ダークエルフとはいえ、エルフならばそれなりに見目が整っているのは当然だろう」
メーヴ隊長はだからどうした? といった反応だった。
(確かに日本にいた頃、カワイイ娘にカワイイねって、褒めても特に反応なかったな)
本当に美人やカワイイ娘は、子供の頃から当たり前のように容姿については褒められまくっているせいか、容姿について褒めてもあまり効果が薄かったことを、ヒデオは思い出す。
「なのに口説かれないって、おかしいなぁ」
「それはそうじゃないか?」
メーヴ隊長は、むしろヒデオとレオの方がおかしいことを言っているとばかりに、言葉を返してきた。
「だって付き合うってことは、ほぼ結婚を申し込むと同様のことだろ? そう易々と自分の結婚相手を決めることは、男だって馬鹿じゃないんだからしないだろ」
レオとヒデオの時間が止まる。
タカシだけはメモメモとばかりに、メーヴ隊長が言った恋愛観を、心に深く刻んでいる様子。
「メーヴ隊長の中で、付き合う=結婚なのですか?」
ヒデオは恐る恐るといった感じで、メーヴ隊長に質問する。
「それはそうだろう。付き合うというのは、お互いの体を許すということだろう? それなのに結婚をしないなんて、お互いによろしくないぞ」
(こんなところも真面目だよなぁ)
ヒデオはメーヴ隊長の意外な一面を、今日は沢山知れそうだと、ちょっと楽しみになってきていた。
タカシだけは、その発言に大きく頷いて同意をしていた。
「お前、頷きすぎ。登場人物が全員処女なことが多い、エロゲーのやりすぎだぞ」
レオはタカシにツッコミを入れる。
「やってたけど、それは関係ねーだろ!」
タカシはどこまでも純粋だった。
「じゃあ、メーヴ隊長は今までお付き合いされた方は?」
「いないぞ。最低でも私より強いことが条件だな」
この魔法の達人かつ、スピアアローワーの投げ槍をも防ぐ武術の達人より強い男など、どこにいるのだろうか。
ヒデオはタカシをちらりと見てみた。
拳を握り締めて、意欲に燃えていた。
(いや、無理だろ)
ヒデオは100%無理と判断を下していた。レオのチートが無い限り、タカシには一生無理な気がする。
「うーん。でも色々な人とお付き合いしてわかることもあると思いますよ」
レオは相変わらず切り込んでくれるから、助かるとヒデオは思う。
「そ、そうか?」
「別に最初から体だけを狙っているわけではない……、狙っている人もいるのは確かですが、色々な人とお付き合いすると、色々な考え方を知ることが出来ますからね。それは結構楽しいことですよ?」
「なるほど。そういう考え方もあるか」
クリスード、特に農村の方ではどちらかというと、現代日本に近い考え方、自由恋愛が奨励されているような気がヒデオはしている。
あぶれたものはどうしても出てしまうが、それでも他の村の人間と会ってみたりと、意外に恋愛面ではそれなりにバックアップがあるという印象だった。
そんな状況なのに、メーヴの恋愛偏差値の低さに、ヒデオはちょっと意外に思った。
「ですので、その気になったら、試しにお付き合いするというのもアリですよ」
「なるほどな。一理ある」
「ちなみにタカシなんて、どうですか?」
レオはまた爆弾を放り込む。
ヒデオは口をあんぐりと開けながら、三人の様子をそれぞれ見る。
レオは何の気負いなく、リラックスしていた。
メーヴ隊長は、冗談と疑うことなく、真面目に腕を組んで考えていた。
タカシは顔を真っ赤にして、固まっていた。カッチカチである。水分が抜けきった枯れ木みたいになってる。多分火をつけたらよく燃える。
「こう見えてタカシはN高生ですよ?」
レオのよくわからないアピール。
しかし場の雰囲気もよくわからないせいか、誰もツッコミを入れることはなかった。
「そうだなぁ。うーん。じゃあm今よりもっと強くなったら考えんでもない」
メーヴ隊長は少し悩んだあと、そう答えた。
「よかったなタカシ。頑張って強くなろうな」
レオは嬉しそうに、タカシの肩をバシバシ叩いた。
「お、ぉおおおぉおおおォ、うううううううゥウ!」
タカシの顔がまた赤くなる。明らかに酒だけのせいじゃない。
この時点でのタカシの顔の赤さは、たとえブラック企業に勤めていたとしても、残業せずに家に帰れと言われるくらいに赤いと、ヒデオは思った。
「タカシお前、いくら何でも童貞臭が凄いぞ」
そんなタカシのわかりやすさに、ついヒデオの本音が出る。
「うるさい! ヒデオに陰キャチー牛の気持ちがわかってたまるか!」
タカシは顔を真っ赤にしたまま、反論する。
「ちなみにヒデオ、お前は恋人はいるのか?」
「いませんよ」
メーヴ隊長にいきなり何だと、ヒデオは返す。
そこでメーヴ隊長はにやりと笑う。
「それでか。出会いがないから、ヒデオはこの町の娼館に通っているのか?」
ヒデオの表情が変わった。
「な、なんで知ってるんですか」
「部下の私生活が充実しているかどうか、ちょっと気になってな」
事実だった。ヒデオはちょいちょい駐屯地を抜け出して、コウコの町の娼館に通っていた。
周りに気が付かれずに、コウコの町に行くくらいヒデオには楽勝だったが、メーヴ隊長の目は誤魔化せなかったらしい。
レオとタカシはにやりと笑って、ヒデオに追撃をかける。
「ヒデオパイセン。俺らがシナジー作って頑張ってた時に、コウコまで足伸ばして、エッチなお店に行ってたんすか。酷くねぇ? なぁ、タカシ」
「それな。ヒデオパイセン。行ってる娼館って、コウコの町のヤツですよね。酷いっすよ。行くならミヌールにしてくださいよ」
メーヴ隊長との訓練で身に着けた、シナジーとやらで、タカシとレオはヒデオに確実にダメージを与えてきた。
ニヤニヤ。いいようにイじられている。
ヒデオは顔を両手で覆った後、
「俺の金なんだから、俺の好きにさせてくれよ!」
そう気持ちをぶちまけた。
町まで一人でコソコソと、娼館に行っていることがバレた。どんだけ性欲強いんだよと思われていると想像してしまうと、物凄く恥ずかしかった。
ようやく習得した、あたり一帯爆発させる魔法で吹き飛ばしたくなる。
何もかも忘れたい。
「あー、それと、レオとタカシ。私の母親が娼婦だからと言ったから、娼館に行くのを躊躇っているかもしれないが、そんな無用な気遣いするなよ? 付き合う云々の話もあったが、民間人相手に暴行するより、娼館に行ってもらったほうがよっぽどマシだからな」
レオとタカシは黙り込んだ。
戦場ではあらゆる無法がまかり通る。しかし日本に生きていたニ人には、それは非常に嫌な現実なのだろう。
「俺はアリシア以外、抱きませんよ」
「俺だって」
「それはどういうことだ。タカシは俺からアリシアをNTRするということか?」
「ウザイ! またレオにアリシアネタだよ! いつもそうだけど、いちいち説明しなければならないほど、アリシア関係で深刻になるんじゃないよ! レオ!」
「そうか。じゃあ、これを機にこれからヒデオに連れて行ってもらったらどうだ?」
メーヴ隊長はニヤニヤと笑いながら提案する。
「マジすかヒデオパイセン! でもオレはアリシアに悪いからいいっす。ごちっす!」
「素人童貞パイセン! ごちっす!」
「おい待て。どっち言った? どさくさに紛れて何言ってる。俺は素人童貞じゃねぇ!」
ヒデオが犯人であるタカシの脇腹を、フォークの柄の部分でぐりぐりし始めた。
「痛い痛い。あばらの隙間にささっている。とっても痛いやつだよォ」
「ちきしょう。調子に乗りやがってタカシ。言っとくけど、おまえ、隊長の胸ばっか見すぎだから」
「みみ、見てねーよォ……」
見てないと言うわりに、タカシは動揺していた。つまり見ていたとみんな推測してしまう。
ヒデオは途中からタカシの様子を観察していたが、この飲み会だけでも、かなりチラッてた。
「隊長いいんですか。童貞にねっとり視姦されるの気持ちよくはないでしょ?」
「別にかまわん。カワイイ部下だ。大目にみよう」
「み、見てねーっすよ」
「もういいだろ。認めろよタカシ。まだ尻派ではないんだろ?」
レオはタカシに自白をさせようとする。さらに、どさくさに紛れて、尻派の方が大人的なマウンティング。ヒデオから見ても、レオは明らかに面白がっていた。
「まだ若いし、大目に見よう。しかしこれだけは言わせろ。普段はかまわん。だがな……」
そこでメーヴ隊長はジョッキをグイっと傾けた後、
「戦闘中は辞めろキサマ! 真面目に戦え! いつ殺されるかわからない戦場にいるのに、よくワタシの胸ばかり見られるな! あと戦って疲れているのに、なんで股間を膨らませられるんだキサマは!」
真面目が故の、マジ苦情を発した。
酒が入り、いつもの冷静さがなくなるメーヴ隊長。
『疲れているのに、それを上回るくらい性欲強いとかマジ恐怖』という思いを込め、ジョッキをテーブルに叩きつける。本気の注意である。
それを聞いて、うわっ…タカシの性欲、強すぎ…? と、ドン引きするレオ。爆笑するヒデオ。そして顔が真っ赤になるタカシ。
兵士は下ネタが好き。
下品な話題だったが、戦場で生きるものとしては定番の話題。
しかし下ネタだけではなく、それから四人の話題は尽きなかった。
閉店時間だと店を追い出され、帰り道を四人で歩く。
パイセン、娼館に行かなくていいの? といったイジりもあったが、結局四人は揃って駐屯地まで帰ることにした。
夜も深くなり、涼しい空気が心地よかった。クリスードは日本みたいに熱帯夜ということにはならない。
虫の音が聞こえる。
レオとタカシは肩を組んで、なんだかよくわからない歌を歌いながら歩いている。最近シナジーが過ぎる。
「いざゆけー。無敵のー、442部隊ー♪」
どこかで聞いたことがある歌だった。
メーヴ隊長とヒデオはそれを微笑ましく眺めながら、その後ろを歩いていた。
唐突に振り返るタカシ。肩を組んでいるから、レオも一緒に振り返る。
「はい‼ 隊長も一緒に‼」
果たして歌うのかなと、ヒデオはメーヴ隊長を見ると。
「いざゆけー。無敵のー、442部隊ー♪」
「真面目だな隊長…」
苦笑を浮かべるヒデオ。
「素人童貞も歌えよー」
「てめぇ、だから違うって言ってるだろ‼」
タカシとヒデオは、しばらくわちゃわちゃする。レオとメーヴ隊長は、それを楽しそうに見守る。
「みんなありがとう!」
わちゃわちゃし終えると、唐突にタカシは叫んだ。
「どうした急に?」
「俺、最近楽しいんだ!」
タカシの発言にみんなちょっと考える。
こんな訓練と殺し合いに満ちた日々が楽しいのかと。
「いや、やっていることは戦争だし! そんな良いことではないっていうのはわかっている。人を殺すのは辛いし、羨ましがられる要素なんて、皆無だってこともわかっている。でもさ! 実際俺楽しいんだ!」
そこでタカシはレオと肩を組みながら、本当に嬉しそうに、顔がくしゃくしゃになるくらいに笑った。
「だってさ。この生活ってさ! みんなして泥だらけになりながらも、目標に向かって邁進してさ! こうやって同じ釜の飯を食ったり、馬鹿話をしたりさ! それがシナジーというか、青春モノというか、部活みたいで、楽しくてしょうがないんだよ。俺が中学のころは、イジメられてこんな体験出来なかったから! だからみんなありがとう!」
「タカシ……」
レオがタカシと肩を組みながら、意外そうに見つめた。
「言ってて恥ずかしいけど、俺はおっさんになってからきっと思うはずだ。これが俺の青春だったって!」
三人は黙って、タカシを見つめた。
恥ずかしい言葉だとタカシとしてもわかっているだろう。
それでも感謝の言葉を発したタカシの気持ち。ヒデオはグッと、感情を動かされた。
「お前、ほんと……! そっか! じゃあ、その発言後悔するくらい! しごいてやってくださいよ! メーヴ隊長!」
ヒデオには珍しく、タカシと同じように表情をくしゃくしゃにさせ、笑った。
「そうだな。言った言葉には責任を持てよタカシ」
メーヴ隊長も笑っている。
「青春モノなら、帰り道走って競争しますか? 隊長」
レオは意地悪く笑った。
「待て待てレオ。ベタすぎる。違う今じゃない。余計なこと言うな。この状態で走ったら、間違いなくさっき食ったもん吐き出してしまう」
この中では体力には自信がないヒデオが止めに入るが、時すでに遅し。
ここ最近の訓練で、『真面目脳筋』と、三人に謳わられるメーヴ隊長のスイッチが入る。
「よし、では。緊急特別訓練。駐屯地まで走る。1位以外のやつは明日の朝飯抜きだ」
「え! ちょっと待ってください!」
「はじめ!」
タカシとレオは何も言わずに走り出した。ヒデオも悪態をつきながら、走り始める。
結果ではあるが、何事にも真面目なメーヴ隊長がぶっちぎりに、一番でゴールまでたどり着いた。
(真面目脳筋め)
三人は吐きそうになりながらも、そう思ったという。
四人はただ楽しかった。
こんな他愛のない、なんの意味もないやり取りすら愛おしかった。この時間が永遠に続くと思っていた。
だから、これから起きる戦いと、その結果について、何も想像が出来なかった。
【第三章】
「これから作戦を説明する」
メーヴ隊長は三人を座らせて、静かに呟いた。
夜遅く、タカシたち三人が寝ているところを叩き起こされ集めさせられたので、一体何が起こったのかと思ったが、メーヴ隊長の様子を見ているとかなり深刻な事態のようだ。
周りの部隊も慌ただしく動いている。駐屯地全体が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっている。
「今回の作戦の目的は、敵包囲網にいる味方を救出することだ。この味方は何が何でも救出しなければならない。指揮官殿曰く、我々が全滅してでも、お救いしろということだ」
メーヴ隊長は衝撃的な内容を淡々と説明した。タカシたちの表情が変わる。
「それが例えピクニック気分で戦場見物をしていたからという、駐屯地の麦がゆを腹いっぱい食わしたあとに、おもいっきり走らせて殺したくなる理由だとしても、絶対に救出しなければならない。何故ならその味方はこの国の王子さまだからだ」
どうやら救出対象はこの国の王子、先日この部隊に閲兵にきたアレクシウス王子。
「万が一、この王子様が囚われの捕虜になった場合、叛徒どもの独立を認めるための交渉材料になり得てしまう。それは何があっても避けなければならない」
「状況としては、現在王子は50名ほどの護衛に守られ立てこもっている。立てこもっている場所は、ここから少し北にある見張り塔だ。多少の城壁があり、守っている連中が曲がりなりにも王族を守る精鋭部隊のため、なんとか持ちこたえているようだ」
「だが敵はチャンスとばかりにここの地域にいる戦力を集中している。見張り塔を完全に包囲しているらしい」
「敵に魔法士がいないことが救いだったな。魔法を使えるやつがいたら、あっという間に城壁をぶっ壊されて、王子は囚われていただろう」
「ただ同じことを当然、敵は考える。だから敵に時間の猶予を与えてはならない。すぐにここにいる全部隊は見張り塔まで向かう。そして王子を救出し次第、敵部隊を足止めする。完全に逃げ切ったことを確認したのちに、我々も適時撤退する。これが全体の作戦だ」
メーヴはそこで話を終わらせた。
「それって、ジャストアイデアで、作戦も何もなく、敵の包囲網に突撃するだけってことですか?」
レオがたまらずといった様子で質問をする。
レオはメーヴ隊長から、指揮官としての戦場での戦い方を叩きこまれている。つまり今回の作戦が、ろくに筋道が立てられていない、犠牲が大きいものだと気がついていた。
「そうだ。我らが指揮官殿はそういった方針を立てられた。あの我々に何も報いなかった王子様を救うために、捨て駒になれと仰せだ」
メーヴ隊長は肩をすくめて、タカシたちにとって、苛立つ内容を伝えてくる。
「それじゃあ、被害が大きすぎる。敵がどれくらいの数なのかはわかりませんが、下手をすれば包囲網を突破することも出来ずに、我々は全滅ですよ」
「そうだな。ちなみに敵兵はほぼ我々と同数らしい。不利な条件は承知だ。だがそれでもこの作戦は成功させなければならないものなんだ」
レオは難しい顔をして、黙り込んだ。
成功するかどうか怪しいが、やるしかない作戦。そうメーヴ隊長が言っているのはタカシにもわかった。
(やるしかないんだよな)
例え不利な状況の戦場でも、メーヴ隊長が言うなら、やってもいい。タカシはそう思っていた。
「でもあれでしょ? メーヴ隊長のことだから、何か考えがあるんでしょ?」
ヒデオが少し顔を引き攣らせながらも、メーヴ隊長に確認する。そうであってくれと顔に書いてあるようだ。
「ヒデオには無いと言いたいが、実はそれなりにある」
メーヴはそこで初めて、にやりと笑った。
タカシはそんな無謀な作戦を、唯々諾々と受け入れる上司ではないと確信していたからこそ、メーヴ隊長のいうことを聞くと決めていた。
そして表情を真剣なものに戻し、レオを見つめた。
「レオの能力を最大限に使う。一時的にだが、レオにナック隊の隊長になってもらう」
三人は目を見張った。
ナック隊とは、先日タカシが隊長をぶん殴った部隊のことである。この駐屯地最大の兵力を誇りかつ、練度もある一番の兵士たちだ。
タカシは渋面を作った。
ナックは小さい女の子を殴るようなヤツだ。だからぶん殴った。そしてその後あえなく袋叩きにされた。そういった事情もあり、あまり関わり合いたくない。
「よくナックが承諾しましたね」
ヒデオが三人の疑問を、メーヴ隊長に問いかける。
ナックの立場だったら、自分の部隊の兵を、他所の部隊のヤツに率いさせるなんて、いきなり自分のサイフを相手に預けて、自由に使えと言っているようなものである。そんなことを了承するほど、ナックは懐が深い人間には思えない。
「なに。ヤツにはタカシが突っかかった時の借りがある。それを返してもらうだけの話だ」
またもや三人に疑問が生じる。殴りかかったのはタカシである。むしろこちらに借りがある話のはずなのに、この可憐なオタサーの姫兼真面目脳筋はむしろ相手に借りを作ったという。どんな離れ業かと思ってしまう。
「ナックの部隊をレオのチートで底上げする。そして勢いに任せて、包囲網をぶち破る。そして王子様を救い出す。そんな流れだ。ナックはクズだが、多少の計算は出来る奴だ。自分達の部隊が王子様救出に一役買ったになれば、ヤツにも旨味がある。とりあえずは協力してくれるはずだ」
タカシとヒデオの表情が明るくなる。
確かにそれだったら、なんとかなるかもしれない。
ヨワヨワな生まれたての動物みたいに震える臆病者タカシが、レオの能力のおかげで凄く強くなるのは、ここにいる三人が知っている。その力が元々精兵であるナックの兵士たちに適用されるなら、希望は見えてくる。
「だが問題はレオの能力がどれくらい続くかだ。ナックの部隊の全ての連中に加護を授けるのとタカシ一人に能力を授けるのとでは、勝手が違いすぎる」
「すいませんメーヴ隊長。申し訳ないですけど、自分の能力は無尽蔵ではないです。あれほどの大人数を加護するなら、十分でショートです」
レオは申し訳なさそうに、呟いた。
「いやそんな長い時間維持していなくていい。最初に包囲網を破るときだけチートを発揮してもらえればいい。その後はナックが指揮をとる」
「それなら、大丈夫です!」
沈んだレオの声が明るくなる。短い期間であれば、全力を発揮できる。
なんとなくこの作戦がうまくいくような気がしてきた。
「……多分、アイツが出てきますよね」
タカシがふと気がついた。
「あいつって?」
レオには誰だか思いつかなかった。
「スピアアローワー」
ヒデオとレオが苦し気に唸る。
相手にとってはチャンスな局面。当然出張ってくるだろう。あのとんでもない投げ槍を、救出作戦中に何度も投げつけられたら、王子様を助けるどころではない。
「そうだ。それが問題だ。スピアアローワーは確実に現れる」
メーヴは腕組みをして頷く。
「そこで、ヒデオ。お前の出番だ」
「俺ですか?」
後方支援が多かった自分が? という思いから、ヒデオは眉を下げ、意外そうな表情となる。
「そう。お前は直前まで温存する。タカシとレオとは別行動だ。ヤツの投げ槍は、いったん私が引き受けよう。私がヤツの槍を弾き返し続ける。その間、スピアアローワーが槍を投げている位置を探れ。大まかな位置がわかったら、スピアアローワーなどお前の敵ではない」
ヒデオの顔を見つめながら、メーヴ隊長は頷いた。
「お得意の魔法を、何度も何度もぶちまけろ。攻撃範囲が広いお前の魔法なら出来る。ヒデオが頑張って習得した、新しい魔法の出番だ。お前がスピアアローワーの首を上げる一番の武勲を上げてしまえ!」
「……!」
確かに位置さえわかれば、ヒデオならかなりの範囲を魔法で焼け野原にすることが可能だ。スピアアローワーがどこに隠れていようとも関係ない。
「逆に言うと、ヒデオにしか出来ん。頼んだぞ」
「了解しました」
これまでとは違う、作戦の成否を握る役割を与えられたせいか、ヒデオは不安げに見えた。くちびるを噛み締めている。
「それとタカシ。お前がいなければこの作戦は完成しない」
タカシの顔が引き締まる。どんな役割を与えられるか、黙って待つ。
「と言っても、いつもと同じだ。レオの一番近くにいて、レオの背中を守れ。レオがやられたら非常にこの作戦は厳しくなる。包囲網を突き破った後でも、レオの力を頼りにすることがあるかもしれない。レオを守ることが、我々の背中を守ることにもつながる。死ぬ気で守れ」
「ハィ」
返事をしたはいいが、戦ってもいないのにタカシの手が震えてきていた。
(臆病な自分が本当に嫌になる)
レオもヒデオも、なんだかんだで腹をくくっている。それなのに自分はなんなのか。戦場を何度も経験しても、性根はまったく変わらない。そんな自分が本当に嫌だ。
ただ救われたのは、正直誰かを倒せという命令より、仲間を守れと言われたことだ。そのほうが、タカシとしては全力を出せそうだ。
「その後は誰でもいい。バカ王子を無事、お家まで届ければそれで終わりだ。もし他に日系転生人の能力者が出てきた場合は、レオとタカシ。お前らが対応をしろ。バカ王子はナックが張り切って、送り届けてくれるだろう」
話はそれで終わりと、メーヴ隊長はそこから去ろうとする。
そのままいなくなるかと思いきや、一度立ち止まると、メーヴ隊長はタカシたちを見た。
「それと王子様が無能でよかったな」
「え?」
よかった? やっかいごとに巻き込まれただけではないか? タカシはそう思った。恐らく三人とも思っていることだろう。
「これであのバカ王子は日系転生人を、442部隊を認めることになるんだからな」
にやりと笑って、メーヴ隊長はそれだけを言って、部屋を去っていった。
しばらくの沈黙の後、三人はお互いを見合い、メーヴ隊長の言葉を反芻する。
「メーヴ隊長は人を乗せるのがうまいなぁ」
呑気にタカシは呟いた。
「ピンチをチャンスにってことか」
ヒデオは苦笑いを浮かべながら呟いた。
バカ王子もこの状況で助け出されれば、タカシたち、日系転生人の力を認めざるおえないだろう。
こんな絶望的な状況なのに戦うことに希望を持たせるとは、食えない人だなぁと言いたげだった。
「でもこの作戦、ドライブをかける価値はある」
レオは真剣な表情で呟いた。
これから挑む戦いは、これまでの戦いの中で最も危険な作戦だった。
だがうまくいけば、今度こそ本当に日系転生人が認められるかもしれない。
ハイリスクハイリターン。三人の表情が引き締まった。
「みんな。今回割と死ぬ可能性高いから、俺は逃げても責めないぞ」
タカシの思いもよらない言葉。言っていることは男らしい。
しかしその表情はその反対。
タカシの顔面は蒼白だった。既に恐ろしくて震えている。正直、これからの戦いが恐ろしい。どんなに勇ましいことを言っていても、作戦前のタカシはいつもこうだった。
ヒデオとレオはお互い顔を見合う。
「お前、いつもそれだな。なぁ、タカシ。最後かもしれないから言うけど、お前凄いよ」
そしてレオは笑って、そのままタカシを褒める。
「自分が武勲を立てれば、日系転生人全体の地位も向上する。もしかしたら、監獄送りもなくなるかもしれない。確かにスジが通ってる。行動に値するべきことだよ。けれどもそれが出来るかどうかは別の話だ」
呆気にとられるタカシ。こんな真っ向から褒められるなんて、普段ならありえない。
驚くタカシを後目に、レオはそのまま続けた。
「大抵のヤツはそのまま収容所で暮らしている。命を賭けられるって、なかなか出来ることじゃない。タカシのこと、ひきこもりカスで、いざとなれば逃げだすヤツかと最初は思っていたが、謝るよ。タカシの凄いところは行動力だ。口だけじゃない」
タカシの顔が赤くなっていく。
「そうだな。お前イジメられて、この世界に来たんだろ? 今、元の世界に戻ったらイジメてやつボコボコにできるくらい、精神的にも、肉体的にも成長したよお前」
ヒデオも便乗して、褒める。
「やめろヒデオ、レオ、気持ちわりーな。レオはいいのか? 正直レオが一番死ぬ確率高いぞ。アリシアちゃん未亡人になっちまうぞ?」
「大丈夫だ。俺の尊敬するヤツが背中守ってくれるからな。この戦いが終わったら、俺、アリシアと結婚するんだ」
「わかりやすい死亡フラグ立ててんじゃないよ。陽キャ」
「タカシ。お前はどうする? 逃げても別にいいぞ」
レオとヒデオの言葉を聞いて、タカシは踏ん切りがついた。
「みんな、戦うんだろ? それだけでオレにとっては戦う理由になるよ」
いつも迷ってばかりのタカシだが、これなら命を懸けられそうだった。
「助かるよ。正直、怖かった。でもお前がいつも通り、背中を守ってくれんならコミットは当然だ」
「はっ。気持ち悪いこと言うなよ。当たり前だろう。オレとオマエのコンビは、あのメーヴ隊長に魔法を使わせたんだ」
「おい。俺もいるからな。俺も戦ってるから」
ヒデオのオチに大爆笑する三人。
それほど面白くないオチなのに、とにかく三人はこのやり取りが楽しかった。
メーヴは部屋の入口で黙って、三人の話を聞いていた。
(この部隊を預かってよかった)
日系転生人だけの部隊を率いろ。
そう言われたとき、自分は厄介払いされたなと思ったものだ。
エルフの魔力、剣技、戦術能力と色々と自分なりに努力し、軍で結果を出してきたのにコレだと。そう冷たく思った。
しかし三人と接しているうちに、目標に向かって頑張っているヤツらの背中を見せられた。
五日間の距離を二日で走破したり、初陣を誰一人欠けることなく戦いきったり、全将兵の模範になれという、古参の兵士には鼻で笑われる目標を真面目に取り組んでいる三人。
この世界は心が折れてしまう理不尽に溢れている。
頑張ったって、必ずしも報われるような世界でもない。だったら頑張ったって意味がない。
そんな思ってしまったとしても、無理はないだろう。
でもそれでも。
それでも目標のために、打ちのめされ、報われないと知っていながら、頑張るやつらの背中を見れた。
ダークエルフとは種族の名前ではない。
エルフと人間の混血児のことだった。
エルフと人間の間の子供は、耳や容姿はエルフと同じだが、肌の色が薄黒い。
ダークエルフとは、種族の名前ではなく、混血児を忌み嫌ったエルフからの蔑称にすぎないのだ。
エルフの世界では邪悪と忌み嫌われ、人間の世界ではエルフと人間のハーフと、色眼鏡で見られていた自分が身を立てるには、娼婦になるか、魔法の力を活かして女だてらに軍人になるかしかなかった。
幸いにして魔法の才能はあり、かつ物覚えがいい方であったから、すぐに結果を出すことが出来た。
自分が有能であるということを、結果で証明し続けた。
モラハラ、セクハラ、パワハラの三重苦にも武功というわかりやすい結果を出すことで、対抗することができた。
だがいくら頑張っても、結果を出したとしても、メーヴという個性が、軍隊で認められることはなかった。
ダークエルフであること。女であること。
それだけで人間社会、しかも男社会である軍隊では認められなかった。
自分の出自が原因で認められない。
そんな現実にメーヴは、腐っている日々を送っていた。
だからこそ、部下となった日系転生人三人の境遇が、他人事には思えなかった。
能力はあるのに、日系転生人であるということを理由に、あからさまに差別をされている。
誰よりも純粋に目標に向かっている彼らは、敵と同じ出身地というだけで、その純粋な思いが汚されている。
自分と同じではないか。
そんな三人が理不尽に屈することなく、チャンスになるかどうかもわからないことに、自分達の命を賭けている。
収容所で苦しい思いをしている同胞や、自分を救ってくれた人達のために、少ない勝機に全力を尽くそうとしている。
その姿は、メーヴにはとても眩しいものだった。
そして、その眩しさは、かつての自分の気持ちを思い起こすのに充分であった。
出自など関係ない。自分という存在を認めてもらおうと、思い描いていたあの頃。
(負けられないな)
メーヴは手のひらをグッと握りしめると、盛り上がっている彼らを後にして、自分のテントへと帰っていった。もう一度作戦のシミュレーションをして、少しでもこれからの戦いを有利にするために。
戦いは敵側からすれば、唐突に始まった。
きっかけはメーヴ隊長の魔法。朝の静寂を壊す火球が敵の陣地に炸裂し、爆発の勢いに敵兵が宙を舞う。
敵にとって手痛い目覚ましとなっただろう。少なくともタカシがあんな起こされ方されたら死ぬ。
奇襲を受けた敵は、自分達の状況を把握するために、怒鳴り声でやり取りをしている。混乱状態にいることは明らかだ。
攻めてきた側としては、このまま敵が落ち着くのを黙って待つつもりはない。
「俺に続け!」
まだ魔法の火が消えない中、レオはそう叫ぶと、炎に顧みず先陣を切る。
剣を振るい、敵襲を告げる見張りの兵を切り捨てた。
切り捨てた後も止まらない。
目的は敵の包囲網に穴を開け、アレクシウス王子が逃げられるよう血路を開くことだ。それを成し遂げるために突破しなければいけない包囲網は、タカシのやる気がでなくなるほど厚い。
だから必死にならなければいけないのはわかる。それは至極当たり前のことだ。けど。
(情けないけど、やっぱり怖い)
ただそれでもタカシは勇気を振り絞り、猪突猛進するレオを抑えつつ、震える自分の体が盾になるようにして、レオへの危険を少しでものぞこうとする。
レオの周りで戦う兵は、ナックと精鋭ぞろいといわれる兵士たち。
日系転生人を嫌っていて、いけ好かない連中だが精兵であることは間違いない。さらにその精兵たちが、レオの力でかなり強化されて、厚い包囲網をものともしないような勢いで敵兵を斬り捨てている。
このままいけば、この包囲網を突破することが出来るはずだ。
しかしそれはあくまで、レオの能力があってこそだ。
レオが死んだり、怪我をしてこの場から退場するようなことがあれば、あっという間に勢いを維持できなくなり、逆に飲み込まれてしまうだろう。楽観的ではいられない。
だからタカシとしては、レオに危険が少ない後方に下がって欲しかったが、レオはそんな気はさらさら無いようだ。
タカシはレオをどう説得しようと迷っていると、レオへ一人の敵兵士が襲い掛かるのが見えた。
タカシの背筋が凍る。レオがもし倒れたら。
先陣を駆けているのだ。敵の標的にならない方がおかしい。
レオは敵の一撃を見事に受け止める。だがその代償に、レオは態勢を大きく崩れさせた。
それもそのはず。
(お前の能力は、お前自身に能力は発動しないの知ってるよな!)
レオのチートはあくまで周りの人間の能力を底上げするだけであって、レオ自身の力はまったく変わらない。普通の人間だ。
態勢を崩したレオに、止めを刺そうと敵は剣を振り上げた。
タカシはレオが危険な姿を見たとき、気がつくと、レオに振り下ろされそうだった剣を、握られた敵の腕ごと切っていた。
タカシはそんなことが出来た自分自身信じられなかったが、どうやら一足飛びで、レオのところまで飛び込んで、敵の両腕を斬り飛ばしていたようだ。さらに返す刃で、敵の体を袈裟懸けに切り裂いた。
倒れる敵。レオは崩れかけた態勢をなんとか元の態勢に戻す。
「すまん。助かった」
「れ、礼を言うなら、もうこれ以上前に出るなよ。もしお前に何かあったら作戦を続けられないのわかるだろぉ」
タカシは先ほどの血の気が引いたことを思い出しながら、懇願交じりに、レオに注意をする。
「でも、まだメーヴ隊長の露払いが終わってない」
レオは苦し気に表情を変えた。タカシも似たような表情となる。
レオが言っていることは正論だ。
敵の包囲網に穴を開けることが、レオとタカシの役割だ。
空いた包囲網にメーヴ隊長を進ませ、そのままアレクシウス王子のもとまで行き救出した後に、戦場を離脱する。
ナックたちも必死に包囲網を切り裂こうとするが、思ったよりも敵の動きが速い。こちらの意図を防ぐためだろう。この場所に敵が集中しつつある。
最悪このまま敵が集まってきたら、包囲網を突破できず作戦が破綻するかもしれない。
レオはタカシの目を見て、話をする。
「ここが踏ん張りどころなんだタカシ。俺の力を最大限に利用するには、俺が最前線に出た方がいい。そうすれば敵と一番戦う最前線の兵士の力はかなり上がる。勢いが出る。勢いのまま包囲網を打ち破ることが出来る!」
力が込もった言葉。
このままの状態が続けば、敵が集まってきて、状況は悪くなる一方だ。
だったら、リスクを背負っても前に進むしかない。それはわかっている。わかっているのだが。
だが、ここにいたっても、タカシはまだ戦場が怖かった。
あれだけ青春モノの誓いみたいなカッコいいことをしても、いざ戦場に立ったら、心のどこかで、レオがそんなに前線に出なければと、思ってしまっていた。
みんなで頑張ろうと心を通じ合わせたはずなのに、タカシはそれでも自分の身が大切と、自然と利己的になってしまっていたのだ。
(そんな自分が死ぬほど……、死ぬほど嫌だ!)
タカシは、自分が間違っていることを認めると同時に、恐怖を無理矢理振り払い、誓いを果たそうと手のひらを強く握る。
442部隊の一員になって、これまで何もしてこなかったわけではない。バザアンからコウコまで夜通しで歩きとおした。小便を漏らしながら初陣を乗り越えた。メーヴ隊長の逃げ出したくなるような訓練だって乗り越えてきた。そして、いくつかの戦場を乗り越えた。
経験だけじゃない、精神だって鍛えられていた。不良みたいなナックの部隊にも立ち向かうことが出来たじゃないか。
レオには存分に危険にまみれてもらう。つまりは自分も死に近づく。それは恐ろしい。震えがぶり返してくる。
それでも、その行動で勝利に近づくというのなら、やるべきことだ。
メーヴ隊長とヒデオは今か今かと牙を研いでいるはずだ。
自分たちがやり遂げるのを、待ちわびている。そして二人はタカシとレオを信じている。
最初の一撃を敵に喰らわすのは、自分達の役目だ。レオはそれを理解している。だから役目をやり遂げようと、命を賭けているのだ。
最前線にいれば、レオの身に危険が及ぶ。当然リスクは高い。
(だから……)
リスク? そんなものはない。
何故なら。
(俺がレオに降りかかる火の粉を全て斬って捨てればいいだけの話だ!)
自分が死ぬ気でレオを守れば、この作戦はなんとかなる。そして二人でならとの思いもある。レオの言うシナジーとやらで、二人でだったら、メーヴ隊長にすら立ち向かえる。
「行け! レオ!」
タカシは叫び、レオが咆哮で応える。
そして敵の集団を切り込んで行った。
レオの咆哮に感化されたのか、ナックたちの目の色も変わる。
指揮官が命がけで戦う姿を見て、奮い立たない兵士はここにはいない。
レオの気迫は、あっという間に周りに伝染する。
気迫が伝染した兵士たちは、例えるなら自分の死も顧みぬ、伝説の狂戦士のようだった。
その勇猛な、恐れを感じない気迫は敵を恐れさせ、動きを鈍くさせていった。
面白いように包囲網が斬り裂かれていく。そして集まってくる敵も減っていく。
ここを何が何でも突破する。
そんなレオの気迫が、敵を恐れさせ、敵の包囲網を斬り裂き続けた結果、ついには穴が開いた。
わずかな隙間。だが包囲されている砦が、タカシとレオの視界に入る。
「レオ! でかした!」
その瞬間、後ろにいたであろう、メーヴ隊長は叫んだ。
細い隙間を縫うように、そしてあっという間に、グンと勢いを増して砦へ向かって走り出す。
包囲網を突破できたのだ。
敵は茫然とその光景を見送った。この短い時間で厚い包囲網があっという間に突破されたことが信じられないようだ。
メーヴ隊長を止められるものはいなかった。
これでメーヴ隊長とアレクシウス王子は接触できるはず。あとは再度包囲網をぶち破って逃げるだけだ。
砦に入っていったメーヴ隊長が出てくるのを待つために、レオたちはその場に留まる。
敵はレオたちを遠巻きに包囲して、ただ見ているだけ。
周りを見渡したところ、ナック隊の連中はまだまだ戦える者ばかりだ。あれだけの包囲網を突破したとは思えない怪我人の少なさ。
(これなら……!)
敵は死に物狂いになって、タカシたちからアレクシウス王子を奪おうとするだろう。だがこちらの損耗は思ったより少ない。敵が死にものぐるいになったとしても、守り抜いて脱出できるはずだ。
メーヴ隊長が砦から出てくる。
傍らにいるのは、豪勢な鎧をつけた男。アレクシウス王子で間違いない。
「「うぉぉぉー‼」」
王子の無事な姿を見て、周りの兵士たちの士気も上がる。
(あとはこのまま帰るだけだ)
安堵感がタカシの心のなかで広がっていく。
しかし、まだ幕は閉じなかった。
喜びに舞うタカシたちに水を刺すように、メーヴ隊長の魔法でも出せないような爆発音が響き渡る。
土埃が舞い、タカシが一瞬目を瞑ってしまうくらいの衝撃だった。
開いた目に見えてきたもの。
晴れてきた視界には、地面に深々と突き刺さった1本の槍が目に映る。そんな威力の槍を打ち込めるのは、敵味方あわせてただ一人。
「スピアアローワーだ!」
誰かの悲鳴なような声が響いた。
ここまではうまくいった。
だが最後の最後まで安心は出来ないらしい。行きはよいよい、帰りは怖い。
「出てきたな……!」
タカシは奥歯を噛みしめながら、呟いた。
あとはアレクシウス王子を守りながら、逃げるだけ。
そう思っていたタカシたちの考えに、その槍は冷や水を浴びせてきた。そううまいこと、この作戦は進まないようだった。
こうなったからには、誰かがこの槍に立ち向かわなければならない。
スピアアローワーの投げ槍を躱しながら、この包囲網を突破するのは至難の技だ。
誰かがこの投げ槍のおとりにならなければ、アレクシウス王子はこの場から逃げることは出来ないだろう。そしておとりがいなければ、ヒデオもスピアアローワーの位置が探れず、魔法も放てない。
メーヴ隊長はタカシとレオを交互に見て、アイコンタクトを取った。そして小さく頷く。
(やっぱりメーヴ隊長がおとりになるつもりか)
作戦通りならそうだ。
この場で一番腕の立つものが残れば、少しでも長い時間スピアアローワーの注意を引きつけられる。注意を引きつければ引きつけるほど、ヒデオの魔法が炸裂する成功率が上がる。当初の予定通りでもある。
それは、わかる。でも。
タカシは、メーヴ隊長よりも先に一歩前に出た。
スピアアローワーへの恐怖に足が凍ったかのように、誰一人としてその場を動かない中、タカシはゆっくりと前へ歩きだした。
メーヴ隊長が考えた作戦を、無視した行動をタカシはとった。
自然と震えてくる足を叱咤しながら歩く。
抑えようとしても、ガチガチと震えている奥歯を必死で噛みしめた。
(あの槍を見ただろ? 知っているだろう? 自分も殺されかけただろう?)
作戦通りやれ。メーヴ隊長が適任のはずだ。自分の仕事はレオを守るだけで終わりだ。だから引き返せ。
自分の中でやめろと。死にに行くようなものだと、臆病な自分が足を止めようとさせる。
元々自分はイジメられて、家に引きこもって、イジメが原因の不登校を、祖母の世話の為にという免罪符で、自己正当化しているような男だ。
タカシには荷が重い。誰かに任せたほうがよい。自分がスピアアローワーに立ち向かっても、すぐに死んでしまうかもしれない。そしたら士気が下がる。自分のせいで、結果的に味方の損になるかもしれない。
(みんなが見ている前で、またションベン漏らして、腰を抜かすぞ?)
そんな自分の姿を、一瞬想像し、強烈な羞恥心に襲われる。
だがタカシの歩みは止まらなかった。
途中落ちている剣を何本か拾って、自分の腰に差す。
そうなるかもしれない。自分は情けない人間だ。みんなが頑張っているのに一人楽をしようとした。すぐに死んで士気を下げて、むしろみんなに迷惑をかけるかもしれない。
(でも、まだやれるんじゃないか?)
メーヴ隊長がおとりになる。その選択は間違っていない。
タカシは自分の与えられた仕事はきっちりやった。レオの背中を必死に守った。ここでタカシがおとりにならなくたって、誰も責めない。
しかしメーヴ隊長以外の誰かがおとりになれたなら。メーヴ隊長ほどの腕前の人が、アレクシウス王子を守るなら、さらに作戦の成功率は上がるのではないか?
これまでタカシは与えられた仕事ですら、震えて完遂することが出来なかった。
見かねたレオに代わってもらったりしていた。
敵の補給線への襲撃の時、怖気づいたタカシを見て、レオはそれに対して、文句を言うこともなく、タカシに代わって、辛い思いをした。
その時と同じように、自分が頑張れば、誰かが想定外の動きを見せて頑張れば、さらにこの作戦の成功率が上がる。
そしてその誰かはタカシだっていいのだ。幸いにして、タカシはまだ戦える。レオのように、今度は自分が、誰かの代わりをしていいのだ。
ただ未だに臆病な自分は、そんなことはやめろと、作戦通りなんだから、タカシがやらなくていいじゃないかと、言い訳を並びたてて、止めようとしてくる。
(こんな時、俺に覚醒イベントがあればな)
途端に震えが収まって、それどころか力が満ち溢れて自信もって、この場に登場してくるマンガのような展開になればいいと、思ってしまう。想像上の自分はいくらでもカッコよく出来る。
ただ実際はそんなうまくはいかない。震えが収まる気配はない。むしろ強まる一方だ。都合よく自分の性格が、百八十度変わる様子もない。
週刊連載マンガで、ヒロインがピンチの時に、カッコよくなって駆け付けたところで、次号に続くみたいな展開にはならない。
(でも……、俺は震えながらも、立ち向かっている)
この行動がみんなの為になる。
みっともなくたって、泣きながらだって、果てには小便を漏らしながらでその姿をみんなに笑われたって、ここで頑張れば、442部隊の背中を守れることにつながるのだ。
タカシは自分が震え、恐れているのを自覚しながらも、足を無理矢理さらに進める。
これから始まるのは持久戦。
誰かが無念と共に手放した剣をまた拾う。
持久戦ならば、タカシが持つ武器はなるべく多い方がいい。
折れても、折れても決して、曲がらない為に。
タカシは、全員が固まっている場所から、一人外れて前へ出た。
周りには誰もいない。スピアアローワーの投げ槍に一番狙われやすい場所に、タカシは一人立っている。
その行動、この状況では、死も等しいものだった。
そこにいる敵、味方問わず、全員タカシを見ていた。
こいつは死ぬ気か?
スピアアローワーに狙われやすいよう、あえて自分の身をさらけ出しているのだ。
呆気に取られていると言ってもいい。
誰も周りに寄せ付けず、ただ一人、戦場で突然出来た空白地帯に立っている。
タカシはゆっくりと後ろを振り返った。
レオとメーヴ隊長をまっすぐ見る。
そして、
「442部隊のシナジー、見せてやる」
怯えながらも、どもりながらも、タカシは確かに呟いた。
この選択を、ギリギリながらも取れた自分を、誇れそうだ。
メーヴ隊長はタカシを止めようとしたのか、手を泳がせる。しかしレオはタカシの決意が理解できたのだろう。説得力のないその呟き。だから、笑って返事をする。
「任せた」
あぁ、任された。
タカシにはわかった。レオは戦いを挑む戦友に対する、絶対の信頼を持ってくれている。
その瞬間、
必殺の槍がタカシに向かって放たれた。
身の程知らずな挑戦。
その思い上がりを叩きのめすべく、スピアアローワーはいくつもの武勲を上げた己が槍を投げつける。
その槍は数々の戦場でも、不敗を誇った常勝の投げ槍。
口だけの男が防げるようなものではない。
だが、タカシはしっかりと両手で握った剣で、右足を踏み込み、その常勝の投げ槍を弾き返した。
一閃。
激しい金属音が戦場に響く。
そして、それまでけっして獲物を逃がさなかったはずの槍が空を舞い、空虚な音をさせながら、地面に無様に落ちた。
戦場にいた誰もが自分の目を疑った。
狙いが外されることはあった。
受け流されることもあった。
しかしスピアアローワーの投げ槍は、指揮官殺しの投げ槍は、これまで真正面から弾き返されることは無かったはずだ。
タカシは真正面から、その投げ槍をはじき返した。
残身。
タカシは踏み込んだ右足を戻し、剣を持つ態勢を静かに正眼に戻す。
そして投げ槍が飛んできた方向に、片手で剣を持ち直すと、ゆっくりと剣先を槍が投げられた方向に向けた。
「勝負だ。スピアアローワー。お前の投げ槍、俺が全て受け切ってやる」
ここからでは、声は届かない。
だからタカシは動きで示す。
これからお前の投げる槍を全て受け、そしてその全てを斬って捨てる。
そう動きで示したのだ。
瞬間、再度投げ槍がタカシ目掛けて放たれた。
さきほど投げられた槍とは勢いが違う。
『舐めるな』と。
自信の槍を汚された。
スピアアローワーの怒りを、代弁するかのような勢いの投げ槍だった。
「シッ!」
だがタカシは、その怒りの籠った投げ槍ですら、再び斬り捨てる。
投げられた槍は、おおよそ人間が反応できるスピードではない。
しかしタカシは、真っ向からスピアアローワーの投げ槍を斬って捨てた。
その代償に、持っている剣の刀身が激しく歪んでいた。
もうこの剣では防げないだろう。
握っていた剣を放り投げて、腰に差していた誰かの剣を抜く。
そして再度、志半ばで手放した誰かの剣を、槍が投げられた方向へ、挑むように向ける。
この程度か?
瞬間、
「「「うおおオオおおおおおおおおおおおおおぉオ!!!」」」
こちらの味方が大きく歓声を上げた。
信じられなかった。
誰もがその槍から、逃げ惑うしかなかった。
その槍に、誰もが抑圧と屈辱を感じていた。
そんな屈辱を、仲間が跳ね除けた。
お前の槍は大したことないと、そう言ってやったのだ。
爽快だった。
それをやってのけたのは日系転生人だ。
髪の色が違う。目の色が違う。肌の色が違う。人種が違う。
しかし、それでも。
自分たちの仲間が、それをやり遂げた。
タカシたちを嫌っていた急先鋒であるナックの兵士たちも、タカシの快挙に喝采を上げた。
仲間の期待が声を張り上げさせた。
出自など関係ない。
この剣なら、あの槍を叩きのめせると。
無念を晴らせる……!
メーヴは自分の視界が涙で歪むのがわかった。
(認められた……!)
戦って戦って、戦い抜いて、それでもダークエルフである自分という存在は認められなかった。
人間の血が混じった薄汚い呪いの子。
忌々しいエルフの血が混じった黒猿。
そう蔑まれてきた。
日系転生人であるタカシ。日系転生人はこの世界の人間にとっては、ダークエルフと同様の存在。異質物だ。
自分達とは違う存在は認められない。
それはメーヴが、諦めと一緒に悟った事実。
だが単身死地に赴いた部下は、そんな事実をあっさりと否定した。
例えその身の出自が違くとも、この場にいる味方の信頼と羨望を受けることが出来るのだと。
メーヴはその事実に打ち震えた。
「「「やれー! タカシー!」」」
応援がタカシの背中に浴びせられる。
そして、タカシとスピアアローワーとの戦いが再度始まった。
何度も何度も投げられる投槍。
そしてそれを弾き返す剣。
剣と槍が交じり合う一瞬に発生する、激しい金属音。
最初は歓声混じりだったその戦いだったが、いつしか戦場の誰もが二人の戦いの趨勢を、黙って見守るようになった。
槍が勝つか。
剣が勝つか。
かたや槍はこれまで不敗の槍。何人もの指揮官を葬り去った死神の槍。
かたや剣は槍を弾き返すたびに刀身を歪まされ、疲れ果て、肩で息をするようになった人間が振るう剣。
もう何度も、同じやり取りを繰り返す。
その場にいる誰もが、見守る。
クリスード人、日系転生人、ダークエルフ、敵味方問わず、ただその光景に見とれた。
その様子、その場にいる全ての人間が、それを例える言葉は。
『一騎打ち』
剣と槍が彩る、武人なら誰でも夢見る、戦場の華であった。
「タカシ……!」
ヒデオは力いっぱいに拳を握りながら、タカシが命を賭ける姿を眺めていた。
戦場から離れている場所にいるヒデオから分かるくらいに、タカシは疲労困憊だった。
槍を弾き返すたびに、命が削られている。
既にタカシは剣を杖に、かろうじて立っている様子だった。
いくつもの槍を弾いた剣は、もう既に折れる寸前。傍目に見ても、死に体なのは明らかだ。
だがタカシは愚直に剣を振るい続ける。
刀身が歪めば新しい剣を持ってくればいい。
刀身が折れれば新しい剣を持ってくればいい。
諦めない気持ちを、その背中で表していた。
無謀とも思えることに、立ち向かうその姿に、ヒデオは震える。
ヒデオの魔法でスピアアローワーを倒す。
それは、ヒデオにとって、これまで与えられなかった、作戦の成否を決める役割だ。
そんな役割を与えられ、あの場では言えなかったが、実はヒデオは恐ろしかった。
これまでは自分は年長者だと、だから頑張らなければならないと、自分を奮い立たせて任務にあたってきた。
しかし今回の任務は、そんな気持ちすらおきない。奮い立たず怖気づいてしまうくらい、ヒデオには重荷だった。
任務から、逃げてしまおうかと思ってしまうくらいに。
思えば、自分はこれまで勝てる勝負しかしてこなかった。少しでも、自分の予測を上回ることには挑戦しなかった。転生前はそれが思慮深いと、周りからはもてはやされた。
正確に物事のメリットとデメリットを把握すれば、結果を確実に残すことが出来る。確率の問題だ。
実際にそう思っていた。そして結果も出してきた。
でもそれは、負けると自分が判断をした勝負はしない。そういう考え方につながっていった。
最初の訓練であるコウコに向かう行軍も、途中から、体力のない自分には無理だと、判断した。
だから、年長者なのにもかかわらず、タカシに弱音を吐いてしまった。
しかしタカシは、それでもいいと言ってくれた。
ヒデオの能力を失ってたまるかとまで、言ってくれた。
タカシ自身が訓練を脱落するリスクを負ってまで、自分を励ましてくれた。
そしてこの時も、本来自分の役割でもないはずなのに、作戦の成功の確率を1%でも上げるべく、スピアアローワーに立ち向かっている。
普通に考えれば、危険だらけだ。
タカシが、スピアアローワーの投槍に耐え切ったとしても、ヒデオが結果を出さねば死ぬ。
それでもヒデオを信じて、あれだけ臆病だったタカシが必死に戦っている。
(だったら、年長者の俺が! 無理だと怖気づいてどうする!)
ヒデオは必死に、しかしスピアアローワーに気づかれぬよう、逸る自分を律しながら、スピアアローワーに近づいていく。
もう少しだけ頑張ってくれと、タカシにエールを送りながら、ヒデオは自分のやるべきことに全力を、尽くしていた。
(あぁ、そうだ)
タカシは剣を振るいながら、思う。
(俺が振るう剣は、お前らからすれば裏切りの剣なのだろう)
投げられてくる槍にはスピアアローワーの苛立ちが感じられた。
『どうして日系転生人なのに、そちら側につく?』
そんな苛立ちを込められた槍だ。
(それは、そうだろうよ)
タカシだって、そう思う。
同じ日本人に、同郷の者へ剣を向ける。剣を向けた結果、勝利を得る。
だがそんな勝利を得たとしても、決して報われない。どんなに日系転生人が頑張ってもクリスードの人たちは認めてくれない。じゃあ、何で自分はこんな辛い思いをしながら、命を賭けているのか。
裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》と蔑まれるだけなのに。
(お前にも何かしらの理由ってものがあるんだろ? 日系転生人だけの国を作ろうと思った理由ってもんが)
それはタカシには想像も出来ないような屈辱を受けて、至ったことなのかもしれない。
愛するべきものために、守るべき者たちのために戦う。そう思ったからかもしれない。
自分達がやっていることこそ正義。
だからこそ、日系転生人の国を興そうとと思ったのかもしれない。
(けどなぁ……)
それはタカシにもよくわかった。
何故なら。
(んなもん、こっちだって同じなんだよ!!)
自分も同じ考えに至ったのだから。
助けてくれた人のために剣を振るうと、そう誓ったのだ。
成果を上げて認められなくても、それどころか助けた人から石を投げられたとしても、それでも剣を振るうと、タカシは決めたのだ。
そして同じ思いを抱きながら戦う仲間もいる。
自分は確かに臆病者だ。
戦場ではいつも腰が引けている臆病者だ。
だが臆病者が必ず逃げだすと誰が決めた。
タカシはそんな思いを込めながら、スピアアローワーに投げ槍に立ち向かっていた。
すると、それまで絶え間なく投げられてきた投げ槍が止まった。
静寂が戦場をつつむ。
終わったのかと、味方の兵士たちの気が希望的楽観に少し緩む。
しかし、タカシにはわかった。
スピアアローワーは自身の最強の一撃を喰らわせるべく、力を込めている。
終わったわけではない。
これから放たれる槍は、決して防がれることのない一撃。
この空白の時間は、例えるなら、その投槍を限界まで引き絞り、はち切れそうな弓とするための執行猶予。
『受けられるものなら、受けてみろ』
そう言わんばかりの槍。
スピアアローワー、最強の一撃。
「マズイ……」
メーヴもスピアアローワーの意図に気がついた。
スピアアローワーは、ここにきて、タカシを敵と認めた。
相対している敵は、かつて自分の槍から、小便を漏らしながら逃げ回っていた相手ではない。
自分と対等の相手と、タカシを認めたのである。
ならば自分の最強の一撃をもって、これを排除する。
そう覚悟を決めたのだ。
既に満身創痍のタカシにその槍が受け切れるとは、とても思えない。
だがそんな死をもたらす槍を前にして、悠然と剣を構え、タカシは笑った。
「こいよ。スピアアローワー」
臆病者の意地を見せてやる。
タカシがそう呟いたその瞬間、聞いたことのないような、音が戦場に響いた。
とてつもなく激しい音。
槍を投げた時に生じた音とは、誰も思うまい。
だがそれは、確かにスピアアローワーが槍を投げた時に発生した音だった。
その異常な現象を、速度に示すかのように、これまでのものとは違う何倍もの速さでタカシを貫こうとする。
もう限界だ。
受け切れない。
タカシの体は悲鳴を上げていた。
どこかしらの骨が何本も折れている。
体中が痛いので、どこが折れているかさえわからない。
しかし。
(まだ俺は、俺自身は! 折れていない!)
タカシは再度、自分を奮い立たせる。
やることはこれまでと同じだ。タイミングを合わせ、槍を斬り捨てる。
そんな難しいことではない。
五感全てを動員して、投げられてくる槍を見極めた。
槍をタカシが振るう剣で弾き返すために、タイミングをあわせるべく、右足を踏み込もうとする。
投げられた槍は、想像を遥かに超えて早い。
このままでは踏み込みのタイミングが合わない。
(壊れてもいい)
体を守るために、無意識にセーブしていた何かを無視する。
この動きをするために、体のどこかが壊れるだろう。
しかしそれでもかまわない。
踏み込みは間に合った。右足が地面に突き刺される。
槍がタカシの目前に迫っていた。
次は剣で槍を弾き返す。
剣を振るうタイミングを合わせる。それすらも至難の技。
だが、合わせてみせる。
裂ぱくの気合と共に、タカシの剣がはしる。
奇跡的に剣が槍の速さに追いついた。結果、お互いの意地がぶつかる。
剣が悲鳴のような、金属音をあげる。
しかし、弾き返すには腕力が足りない。このままでは押し負ける。
だったら、腕が壊れてもいい。
この一瞬だけ、力を振り絞れ。
腕力は持つ。だが刀身が持たない。
投げられた槍の硬度はこちらの剣を遥かに上回る。こちらの剣が折れてしまう。
瞬間。
左手を離し、腰に差していた剣を抜く。
「うわああああああああああ!!」
左手の剣を勢いよく振りぬく。
一刀で駄目ならば、二刀をもって対抗する。
二刀となって、ようやく拮抗する剣と槍。だがまだ槍の方が強い。徐々に剣が圧されていく。
足りない。それでも何かが足りない。
(うるせぇ)
足りない。
(足りないなら、何かを犠牲にしろ!)
ここで大事なのはこの槍を弾き返すこと。
それだけに集中すればいい。
442部隊の背中を守るために。
――それ以外は何もいらない!
「ああああああああああああああああああ!」
一瞬の拮抗ののち。
裂ぱくの気合で放ったタカシの二刀は、スピアアローワーの最強の一撃を弾き返した。
響き渡る、澄んだ金属音。
槍は空中に舞ったのち、敗北を告げるかのように地面に落ちていく。
そして地面に突き刺さる。
「「「うわああああああああああアアぁぁああぁ!!」」」
味方の兵の歓声が響き渡った。
高く振り上げられた剣。
地についた槍。
誰がどう見たとしても。この剣と槍の一騎打ち。
タカシの勝利。
地面に突き刺さった槍が、この戦いの結末を物語っていた。
そして。
「頼んだ」
タカシが独白を終えると、とんでもない爆発音が戦場に響き渡った。
見ると、先ほどから槍が飛んできた方向で爆発が起きている。
それも何度も何度も。
ヒデオがスピアアローワー目掛けて、魔法を大盤振る舞いで放っているのだろう。
「……ヒデオパイセン、後先考えてないな」
身近でヒデオの魔法を見てきたタカシが、そう思ってしまうほどの爆発量だ。
スピアアローワーはタカシと一騎打ちをするべく、何度も槍を放った。
つまりは自分の位置を何度も晒した。
そして何度も投げ槍を投げさせられ、体力を消耗させられた。
ヒデオはその隙をついたのだった。
おおまかな場所さえわかれば、ヒデオの魔法ならそこら一体、根こそぎ破壊できる。
スピアアローワーは牙を研いでいたヒデオの魔法からは、逃げきれないだろう。
タカシ一人では勝てなかった。ヒデオがいてくれたこそ、タカシはおとりになれたのだ。
「助かったよ。ヒデオ」
タカシは この場にいない戦友に感謝の言葉を残した。
「タカシー‼」
レオはそう叫びながら、タカシの体に抱きついてきた。
そのレオの勢いにまったく抵抗出来ず、タカシはぶっ倒れた。
「お前、すげぇよ!」
馬乗りになったレオは、タカシの体をバシバシと叩いてくる。
「わかった。わかったから、痛いって!」
それまで無理をしていたツケがきたようで、タカシは体中が痛かった。
ふざけて叩かれるだけで、激痛がはしる。
「レオ! この機を逃してはならない! 行くぞ!」
メーヴ隊長が止まっていた流れを元に戻そうとする。
スピアアローワーの脅威が無くなった今、アレクシウス王子を安全に逃がす好機であることは間違いない。お互いの無事を喜びあうのは後でも出来る。
レオはメーヴ隊長の一言で、タカシにじゃれつくのを辞めた。そして部隊先頭に立ち、敵の包囲網に再度立ち向かおうとする。
タカシもそれについて行こうするが、膝から崩れ落ちた。
少しでも体を動かそうとすると、激痛がはしる。
誰かがタカシに肩を貸してきた。
顔を見て、タカシは驚きながら相手の顔を見た。
その相手はナックだった。
442部隊を、日系転生人を認めていなかった相手が、タカシに肩を貸しているのだ。
「ありがとう」
タカシは戸惑いながら、礼を言う。
「気にすんな。あんなの見せられちまったら、燃えざるおえない」
こちらを見ずに、ナックはぶっきらぼうに呟いた。
「へへっ」
あんなに嫌われていたのに、助けてくれるなんてと、タカシは嬉し気に笑った。
その後、スピアアローワーが負けたことで、敵が及び腰になってたこともあり、タカシたちはあっという間に戦場を脱出することが出来た。
つまりは、442部隊の勝利であった。
タカシたちはアレクシウス王子連れて、無事戦場を脱出し、ヒデオと合流することも出来た。
「ヒデオ、よくやってくれた」
行軍しながら、メーヴ隊長はヒデオの肩を叩く。
ヒデオがいなければ、スピアアローワーに最後の止めを刺すことは出来なかった。
タカシの活躍が目立っていたとはいえ、ヒデオがいたからこそ、この作戦は成功したのだ。
「いや。俺はとにかく魔法をぶっ放しただけです」
ヒデオはメーヴ隊長の賞賛に、苦笑で返す。
「時間が無くてスピアアローワーの死体までは確認出来てないんですし。それに一番頑張ったのはタカシですよ。投げ槍に立ち向かう姿は正直痺れましたよ。俺はタカシの頑張りに多少貢献しただけです」
タカシのあれだけ凄い意地を見せつけられたので、ヒデオとしてもどこか遠慮してしまう。
苦笑いをしながら、メーヴ隊長の賞賛を受け流す。
「例えスピアアローワーが生きていても、追い払っただけで凄いぞ。それまで何も出来なかった相手だ。それを追い払ったんだぞ? 凄いじゃないか」
「そうですかね」
ヒデオはメーヴ隊長のダメ押しの賞賛を、いまいち信じられないようで、小さい声で返事を返す。
「もちろんヒデオだけじゃない。レオも凄かった。最初に包囲網を突破出来たのは、レオの覚悟のおかげだ。アイツが自分の身を顧みずに、突撃したからこそ、きっかけが生まれた。つまり今回の作戦の成功はタカシだけのおかげじゃない。442のみんなが頑張ったからだ。442は全員死力を尽くしたんだ。全員が精一杯やったから、シナジーってやつが作られて、この作戦は成功したんだ。誇れヒデオ。お前はこの国を救ったんだ。それだけのことをした」
メーヴ隊長はこの賞賛は慰めではないことを、しっかりと伝えてきた。ヒデオも悪い気はしなかった。
「一番目立ったのはタカシだからな。そう思うのも無理はないが」
何しろ周りが英雄扱いだからなと呟いて、メーヴ隊長は後ろを振り向いた。
タカシはあの後一人では歩けなくなり、ナックの兵士たちにオンブされていた。そんなタカシにレオは楽しそうに、話しかけていた。
その毒を含んだやり取りに、ナックの兵士たちも楽しげに、会話に参加しているようだ。
タカシがイジられて、反論するというやり取りだったが、そのやり取りはどこか明るいもので、傍から聞いていても楽しい。
日系転生人とクリスード人の、少し前のギスギスしたやり取りが嘘のようだった。
あとは前線キャンプに戻るだけ。
どことなく、部隊全員が浮かれていた。
勝ち戦の雰囲気である。
といっても、アレクシウス王子とその側近たちだけはどこか暗い顔をしていたが。
「なぁ、タカシ」
「なんだよレオ」
おぶられたタカシを見て、レオは楽しそうに、タカシの脇腹を小突いた。
「……!」
タカシの表情が歪み、声なき悲鳴を上げる。
スピアアローワーとの戦いで無理をしたせいか、恐らく、あばらの骨が折れている。そこをレオは突っいてきたのだ。痛いに決まっている。
レオはタカシが痛みに悶えるその様子を、見ていた。
タカシをおぶっているナック隊の兵士は、おぶっている相手が暴れているので嫌そうな顔していた。
その顔は、まるで子供がイタズラをした後、そのイタズラ現場を覗き込んでいるような、ニヤけた表情だった。実に楽しそうだ。
「レオお前、ふざけんなよ。治ったら覚えとけよ……」
「はっはっは。楽しみに待ってるよ」
「ぐぉぉ」
タカシの抗議に、レオはまったく反省していない様子。しかしタカシはこの状態では何もできない。ただただ悶えながら、レオを睨むことくらいしかできなかった。
「なぁ、タカシ。帰ったら、祝勝会しようぜ」
悶えるのが落ち着いたのを見計らって、レオはそう言いながら、またタカシの脇腹をつつく。
「いて、いてぇって。レオ」
「前に四人で行った店でさ。思う存分、食って飲もう。なんなら俺が奢ってもいいぞ。祝勝会だからな。アテンドしてやる。好きなだけ食えよ」
レオは自分から誘っていることが照れ臭いのか、タカシに目線も合わせずに、ちょっかいをかけながら、そんな提案をした。
「そうだな。お前のサイフ空にしてから、代わりに俺の胃から逆流する夢を入れてやるよ」
タカシもレオの気持ちに気がついているから、素知らぬふりをして、ふざけて返事をする。
「酒も飲めねぇくせに何言ってやがる」
「吐くほど食う。あとお前、アリシアちゃん連れて来いよ。披露宴だ披露宴。ついでに結婚式開こう」
「結婚かぁ。いいなぁ。確かにこのタイミングってなかなかいいよな」
やり返したつもりが、結婚という言葉が、レオにアリシアネタスイッチを押してしまったのをタカシは悟る。
これから巻き起こる惚気のウザさを予測し、さらに表情を苦しそうにした。
「いや、まぁそれはそれとして、祝勝会、すげぇ楽しみだな。早くお前傷治せよ。いつ治る? 明日には治るよな? だから明日でアジェンダ組むぞ。明日オンスケだ。リスケなんて許さねぇぞ」
「ビジネス横文字で無茶言うな」
骨が折れているだろうのに、そんな短期間で治るものか。
レオに突かれた脇腹が痛い。突っついてくるレオに腹が立つ。けど、タカシは楽しかった。
このやり取りを一生続けても良いとさえ、思った。
何故ならこのやり取りは、日本にいたころ、ケッと思いながらも、タカシが求めてやまなかったものだと思えたから。
イジメられながらもいつかはと、夢見たやり取り。気のおけない友達との他愛のないやり取り。みんなで目標に向かい一丸となって頑張ること。そして努力が報われること。
これは青春の日々だとタカシは思う。
日本では叶わなかった青春の日々を送ることを、タカシは異世界でようやく叶えられた。それは442部隊のみんながいたからこそだ。
(メーヴ隊長とヒデオ。そしてレオがいてくれてよかった。この部隊の一員になれて、よかった)
辛い出来事もあった。ふざけんな、と思うことなど日常茶飯事だった。
けど最後には報われた。
結果も出せたし、日系転生人の、日本人の意地を見せつけることが出来た。
口には出したくないが、タカシはレオをはじめとした、442部隊のみんなに心の底から感謝をしていた。
そんな思いに満たされながら、信愛を込めて、さらなるアリシアちゃんイジリでもしようかと、タカシがレオに話しかけた時だった。
「なぁ。レオ――」
トスっという、軽い音がした。
タカシは自分の目を疑った。
瞬きするような一瞬の間。わずかな瞬間に。
レオの体を細い棒のようなものが貫いた。
細い棒の正体を、瞬時にタカシは知る。
それは槍だった。
タカシが先ほどまで、弾き返し続けていた武器。
槍がレオの体を貫いていた。
冗談のように。ふざけて槍を体に飾り付けたように。
現実味がない。
レオも自分に起こったことが、わかっていないようだ。
茫然と、レオは自分に突き刺さった槍を見ると、血を吐き、ゆっくりとその場に倒れた。
「え?」
タカシからはそんな言葉しか出てこなかった。
何が起こっているか、理解が出来なかった。
もう戦いは終わったはずなのに、これはどういうことだ?
しかし、一呼吸したのち。
「メーヴ隊長!」
タカシの絶叫が響いた。
メーヴは後ろを振り向いて、その光景を見た瞬間、
「アレクシウス王子を中心に、前進!」
号令をかけた瞬間、さきほどのどこか緩んだ空気が一変する。
まだ戦いは終わっていなかった。
レオに突き刺さったのは槍。
つまりスピアアローワーはまだ生きて、こちらを狙っている。
一刻も早くこの場を脱出しなければならない。
「レオ! 大丈夫か!?」
レオに声をかけるが、まるで反応がない。
「待ってくれ! レオが!」
それを聞いて、すぐにヒデオが駆け付けて、槍を体から抜いて、応急処置をした後、レオの体をおぶり走る。
「なぁ、レオ! 冗談だろ? しっかりしろ!」
「駐屯地まであと少しだから! 頑張れ!」
タカシとヒデオの必死な呼びかけに、槍に体を貫かれたレオは何も言葉を返さない。
呼びかけは空しくその場で消えていた。
この場で治療の施しようがない。駐屯地なら治療が出来る。一刻も早く駐屯地に戻らなければならない。
一秒でも早くと、二人は駐屯地へ向かった。
「レオ! しっかりしろ!」
駐屯地にたどり着くと、レオは医療用のテントに担ぎ込まれる。
「なに怪我人みたいな顔してんだ! いつもみたいに、アリシアちゃんネタで、ビジネス横文字挟みつつ、ウザイ発言しろよ! イケメン!」
ヒデオも必死だった。
失っていくレオの意識を繋ぎとめようと、大声で声をかけ続ける。
一緒に三人、テントに入って、レオを医者に見せるが、状態を見た瞬間、医者は顔を左右に振った。
「そんな……!」
タカシは悲痛な声を出す。
せっかくここまで連れてきたのに。こんな呆気なく終わってしまうのか。
ベッドに寝かされたレオは、弱弱しく右手を上げる。
タカシはすぐに駆け寄って、その右手を両手で握った。
レオは何かを喋ろうとしていた。
タカシはレオの顔の近くに、自分の耳を寄せる。
レオが何を伝えたいのか。タカシは必死に聞き取ろうとした。
「……タカシに、俺のチートを、やる」
「なに、言って、んだ?」
それはまるで。
「俺の、代わりに、442部隊を、見、届けて、くれ」
最後の言葉みたいではないか。
そう言って、レオはタカシの手を、レオなりに力を込めて握ったようだった。
強く握ったつもりなのだろうが、その力はタカシが悲しくなるほど弱い。
「祝勝会、言いだし、っぺの、くせに、リスケできずに、ごめん、な」
レオは途切れ途切れに話しながら、青白い顔で、弱弱しく笑う。
そんなことはどうでもいい。
タカシは涙を浮かべながら、首をふる。
だから生きてくれ。また一緒に戦ってくれ。まだ俺にお前の背中を守らせてくれ。
そんな思いを込めて、タカシはレオの手を力強く握る。
しかしレオの手を握り返す力は感じられなかった。
「それと、ア、アリシアに、伝えて、くれ。愛している。新しい男を、見つけろ、と……」
それがレオの最後の言葉だった。
そう呟いたと同時に、レオの右手から力が抜けた。
誰も何も言わない。言えない。言いたくない。言えば何かが決まってしまう。
まだ助かるべき者が運び込まれていく。
テントの中も戦場だった。
人が死ぬ光景は特別なものではない。ここでは見慣れた当たり前のものだ。
だからタカシたちが特別なわけではない。
邪魔にならないよう、レオの亡骸をそのままに、三人はテントから出ていった。
(なんでレオが死ななければならないんだ)
タカシの頭の中ではその言葉だけがグルグルと回っていて、他のことは一切考えられなかった。
勝ったはずだ。442部隊はこの戦いに勝ったのに。
下を向いて、その言葉ばかり考えている。
打ちひしがれているタカシたちがテントから出てくるのを見計らってか、ぞろぞろと集団が集まってきた。
タカシがゆっくりと顔を上げると、さきほどの醜態は無かったかのように、鎧がキレイに磨かれたアレクシウス王子とその取り巻きたちがそこにいた。
タカシたちが助け出したはずの王子さまたちは、相手が命の恩人だとは思っていないような怒りの表情を浮かべていた。
「大した茶番だな」
アレクシウス王子は端正な表情を早朝に吐しゃ物でも見つけたかのように、顔を歪ませそう吐き捨てた。
「この浅ましい黒髪ども。貴様らの魂胆など見え見えよ」
ふん、と鼻をならす。
「大方、敵の日系転生人と内通して、我々を孤立無援の状態にさせ、自分たちが私に恩を売れるような状況を作り上げたのだろう?」
さらにどこからどう見ても、タカシたちを嘲っているとしか思えないような下卑た表情となる。
「そして最後の仕上げに、味方一人を殺したのであろう? 自分たちの被害があったなら疑われない、内通などなかったと。今回の騒動も同じ日系転生人であるスピアアローワーなる者と共謀して、そう言い逃れるための茶番であろう」
嘲笑を浮かべ。
「裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》。なるほど。その名の通りよな」
タカシは衝動的に、アレクシウス王子に飛び掛かっていた。
骨が折れている傷の痛みなど、どこか消えた。
一国の王子の顔を殴り飛ばしていた。
それだけではない。さらにはアレクシウス王子に飛びついて押し倒し、胸倉をつかんで、馬乗りになる。
「取り消せ……!」
鬼気迫るタカシの顔を、アレクシウス王子は見た。
「取り消せ……! 俺達は裏切り者部隊《べトレイヤーズ》なんかじゃない! クリスードの442部隊だ!」
そう言って、タカシは泣きながら、アレクシウス王子の顔を再度殴りつけた。
タカシは悲しかった。
ここまでやったのに。
自分の持ちうる全てで、恐怖に立ち向かったのに。
命までかけて、剣を振るったのに。
レオは命までも失ったのに。
自分達がやったことは、何も意味がなかったことがわかってしまったから。
三発目を喰らわせようとした瞬間、ヒデオが慌ててタカシを羽交い絞めにした。
「やめろタカシ! そんなことをしても変わらん! むしろお前の立場が悪くなるだけだ!」
タカシだって、そんなことはわかっている。
だがこの猜疑心まみれの男に、タカシはどうしても言ってやりたかった。
「てめぇが一国の王子様だろうがなんだろうがな! お前を救うために大勢死んだ! 俺の友達のレオはな! お前を救えば! クリスードの人たちは、日系転生人を、俺ら442部隊を認めてくる! そんな希望を持って戦いに挑んだんだ!」
わかっているんだ。
「レオは生きていれば! 絶対何かをやり遂げたヤツだ! それだけの男だった! そんな英雄になれたはずの男が! ここで頑張れば故郷の好きな女と大手を振って、一緒になれるかもしれない! そんな当たり前の願いを叶えるために命をかけて! そして死んだ!」
でも。
それでも喚かずにはいられない。
タカシが喚かなければ、ここで引き下がってしまったら。
「てめぇは! それを聞いてなお! そんなこと言えるのかよ! もう一回俺の目を見て言ってみろ! 言えるんだったら、俺がぶん殴って、そのねじれにねじれた性格、矯正してやる! 言えるもんなら、言えーーーーーー!!」
命を賭けたレオの思いはどうなってしまうのだ?
だがタカシの主張は誰にも認められることはなかった。
それどころか、タカシは周りの兵士たちに取り押さえられ、そのままどこかへ連れてかれる。
向かっている方向は、懲罰の対象となる者が集められるテントだった。
「レオはこんな奴らの為に死んだんじゃない! 取り消せよおぉおぉ!」
タカシは拘束されながらも、もがき、声を張り上げた。
タカシは叫ぶ。
この結末はあまりにも報われなさすぎるじゃないか。
俺たちは精一杯やったのに。俺たちが何をしたというのか。
「取り消せ! 俺たちは裏切り者部隊《ベトレイヤーズ》なんかじゃない! 誰もが死力を尽くして戦った、全将兵の模範になる部隊! 英雄レオがいた!」
「442部隊だ!!」
タカシの戦友を思う慟哭が、既に戦いが終わったはずの戦場に響き渡った。
夕日が彩る田舎の原風景をバックに、見覚えのある女の人が立っている。
「本当にバザアンまで行くの?」
見覚えのある女の人は、気軽に話しかけている。そしてタカシはその女の人が誰だか気がついた。
(アリシアちゃんだ)
レントンとの合同で行われたお祭りで見たことがある。目の前にいる女の人は、アリシアで間違いない。
しかしタカシの記憶では、アリシアから話しかけれた記憶などない。
それにタカシは王子を馬乗り殴打した罪で、牢屋に入っているはずだ。この状況はありえない。
これは夢を見ているだろうか。夢の自分は何も喋らない。
「ねぇ、レオ。なんとか言ってよ」
アリシアはレオに話しかけている。タカシではないようだ。
「行ったら戻ってこれないよ? レオはわかってないよ。あそこがどれだけ酷いところか」
アリシアは眉毛を下げ、懸命にレオに行かないでと、訴えかける。
(これはもしかして)
この夢は、レオの記憶だということが、タカシはなんとなく気がついた。
「大丈夫だよ。なんとかなるさ」
レオはアリシアに対して、笑いかけて宥めようとする。
(やっぱりそうだ。これはレオの記憶だ)
夢を見ているわけではない。何故かはわからないが、どうやらタカシがレオの記憶を追体験している。
それも442部隊に配属する前の記憶のようだ。
「大丈夫じゃないよ」
アリシアは泣きそうな顔をして、レオの言葉を否定する。
気休めを言われていると思ったようだ。
「レオみたいな優しい人があんな場所で生きていけるわけない。国中の悪い人があそこに集まっているんだよ? レオはこの世界に来た時間が短いから、怖い場所だって知らないから、大丈夫だなんてそんなこと言えるんだよ」
アリシアはレオに詰め寄り、涙ながらにレオに迫る危険を説く。
「そう? でもなんとかなるよ。今までだってそうだったじゃないか。だからそんな心配しないでよ」
レオは困った笑顔を浮かべながら、アリシアを必死に宥めていた。
アリシアは自分の思いが伝わらないもどかしさからか、さらに表情を歪めると、レオの胸元に飛び込んだ。
レオは危なげなくアリシアを受け止め、愛おし気にアリシアの肩を抱く。そしてアリシアは全幅の信頼とともに体をレオに預ける。
何も言わずに、抱きしめ合う二人の体を、夕日が彩る。
しばらく沈黙が続いたあと。
「ねぇ、逃げよう」
アリシアは小さく呟いた。
レオの笑顔が凍る。
「日系転生人の宣言聞いたよね? 二人でコウコに行けばきっと良くしてくれるよ。こんな村にいる意味ない。二人で逃げようよ。そしたら私達、きっと幸せに暮らしていける」
その時のレオの気持ちが、タカシに伝わってくる。
狂おしいほどの葛藤。
レオが求めてやまない、アリシアとの穏やかな生活が、手の届くところにある。
アリシアと一緒に逃げたい気持ちは、レオも一緒だ。
二人で生きていけたら、どれだけ幸せなのだろう。
でも。
「俺らが逃げたら、きっとアリシアのお父さんやお母さんが、バザアンに連れてかれる」
その言葉に、レオに抱き着いてきているアリシアの体が強張った。
レオ達が逃げたとしたら、きっと誰か身代わりを立てられる。アリシアの身代わりは両親しかいない。
もし逃げたら、自分たちの幸せのために、両親が、アリシアの大切な人達が犠牲となってしまう。
それは絶対に後悔することになる。
だからレオは反乱を起こした日系転生人たちのところには行かないと、決めていた。
「それでもいい! だってお父さん、お母さんはレオが日系転生人だからって理由だけで、レオのことを認めないじゃない!」
ついには泣きながら、アリシアは叫んだ。
「こんなに頑張っているのに! 村のみんなの暮らしを少しでも良くしようといつも必死で! 嫌な仕事も率先して取り組んでいるのに! 日系転生人だからって、何よ! それがどうして認められない理由になるのよ! どうして収容所に入れられなければならないの!?」
レオの胸元がアリシアの涙で濡れる。
「アリシア……」
レオはアリシアの肩を掴む。するとアリシアは不安そうにレオを見つめてきた。
「それでも、いつかきっと、認められるから」
レオはアリシアの目をしっかりと見て、思いを伝えようとする。
「確かに今の俺はキミのご両親に認められていない。頑張ってるつもりだったけど、こうやって収容所送りだ。でもね。それは俺がアリシアのご両親に嫌なことをする理由、俺が頑張らない理由にはならないよ」
「……」
「認められないことを理由に頑張らなかったとしても、結局何も変わらない。ふて腐れて、相手の嫌がらせをしても、溝は深まるばかりだ。だから俺は頑張る。今認められなくても、頑張っていればいつかは認められるはずだ。俺の頑張りが周りに伝われば、理解者も増えて一緒に頑張ってくれる奴も増えるかもしれない。可能性はゼロじゃない。そんなシナジーが作れる。日系転生人だって認められる世の中になる。アリシアとの結婚を認められる日が、いつかきっとくる」
レオはそこで笑った。とても美しい笑顔だった。
アリシアは涙ながらに、レオを見つめる。
「だから、少しだけ待ってくれ。アリシアを迎えに来るから」
アリシアがレオに抱きつく。レオも強く抱き返した。二人はきつく抱き合う。
離れてしまうのを名残惜しむように。報われることを約束するかのように。
強く抱きしめあった。
そこでタカシの目の前の風景が変わる。
そこに見えたのは、タカシがいる牢獄の空間。
レオが命を賭けて、立ち向かった結果の世界。
「うぅぅぅう」
牢獄の中で、タカシは呻き、泣く。
レオの無念を知った。
あんな立派なヤツが自分の思い半ばで果てた。
しかし、どんなに後悔しても、最早レオに何もしてやれない自分。
そんな自分が、タカシは死にたくなるほど、嫌いだった。
こんな結末あんまりではないか。
(俺がスピアアローワーにやられればよかったのに……!)
帰りを待っている人がいて、みんなの為に頑張れるようないいヤツのレオが死んで、何故臆病者で、いざという時にも足がすくんでしまうような自分がのうのうと生きていていいのか。
自己嫌悪が次から次へと溢れ出す。
タカシは牢獄の中で、ひたすら悔やんで過ごした。
【エピローグ】
「出ろ」
看守の兵士が、牢獄のカギを開けた。
十日間の牢獄生活のせいか、無精ひげにまみれたタカシが顔を上げた。
目が赤いのは、レオを記憶を見たから。
タカシは体中の痛みに耐えながらも、ゆっくりと立ち上がり、牢獄から外へ出る。
牢獄にいたときには浴びれられなかった日の光を受け、眩しさに目を細めた。
日の光に目が慣れてくると、見慣れた二人が立っていることに気がついた。
(三人じゃ、ないんだよな)
ヒデオとメーヴ隊長がタカシを出迎えてくれていた。
レオの姿はない。
その光景は、これまでの悲劇がもしかしたら夢ではないのか? という、現実逃避に近いタカシの淡い希望を、容易く打ち砕いた。
「酷い顔だな。タカシ」
「お前、ヒゲそらないと、ホームをレスした人間だな」
淡い希望は打ち砕かれた。しかしこの憎まれ口が、タカシには懐かしかった。
442部隊に帰って来れたと思えるやり取り。
「うるさいなぁ。牢屋に入れられてたんだから、しょうがないだろ」
タカシは嬉しそうに文句を返す。
久しぶりに喋ったし、こんなやり取りが出来るのが、嬉しかった。
だが、このやり取りにレオは二度と加われない。
そう思ってしまった瞬間、タカシの瞳から涙が溢れそうになる。
(ダメだ。泣いちゃダメだ)
「俺の処分はどんな感じですか?」
零れ落ちそうになる涙をなんとか堪えて、これからを聞く。
タカシとしてもさすがに自分の身は気になる。王子さまに傷を負わせたのだ。大方死刑だろうが、一応聞いておく。愉快ではないが、レオのところに謝りにいけるなら、望むところだ。
「特にない。原隊復帰だ」
メーヴ隊長は今日の食事はむぎ粥だというような口調で、タカシの疑問に答えた。
「え? 死刑じゃないんですか?」
「お前、メーヴ隊長に感謝しろよ! この十日間色々な方面に動いてくれてたんだからな! それがなかったら本当に死刑だったからな!」
「いや。正直、タカシの武勲のおかげだ。あれだけの活躍をしたヤツを軍としても殺すわけにはいかないだろ。武勲と不祥事で、いってこいってところだ。それに意外なことに、アレクシウス王子は何も介入してこなかったからな」
聞きようによっては呑気とも取れるタカシの発言に、ヒデオは心底苛立ちを隠せないようだった。それだけメーヴ隊長が骨を折ってくれたのだろう。
だがメーヴ隊長は飄々としていて、肩をすくめている。
自分の身が助かったのに、タカシは下を向いて、寂しそうに呟いた。
「そっか。じゃあ、しばらくレオのところに謝りに行けなくなったな」
「「…………」」
タカシにお咎めが無い。それはいいことかもしれない。だが、めでたしめでたしとはなれない。
442部隊はとても大切な人を失った。
タカシは、自分の身がお咎めなしとされても、レオのことを考えると浮かれた気分には成れなかった。
「タカシ。今回の件、確かに犠牲は多かった。でもな。日系転生人への見方を変えたヤツも確かにいるんだ。ナックの部隊のやつらは、お前やレオを英雄視しているのもいるくらいだぞ」
「そうですか」
タカシは自分が英雄だとはとても思えないし、むしろ迷惑に思ったが、レオが褒められるのは素直に嬉しかった。
「そうだぞ、タカシ。それにお前、レオから思いを託されたんだろ? だったらここで死ぬなんていうんじゃねぇぞ? さっき当たり前のように死刑を受け入れるようなこと言ってたけど、それじゃあ、レオがお前に託したものが無駄になるだろうが。そんなことは二度と言うな」
「……そうだな」
タカシは神妙にヒデオの言うことに、頷いた。
まだ気持ちの整理はついていない。
でもヒデオの言うことは正しいと、タカシも思った。
レオがタカシに思いを託したということは確かなのだから。
「スピアアローワーを殺してやる……!」
新たな目標も出来た。
スピアアローワーは生きていた。
タカシとの一騎打ちで消耗しているところに放たれた、ヒデオの魔法絨毯爆撃にも生き残って見せたのだ。
そして、こちらが勝ったと思った隙をついて、スピアアローワーはこれから脅威になるであろうレオを殺した。
タカシはスピアアローワーにしてやられたのだ。
レオを弔うために、このままでは終わらせない。泣いている場合ではない。レオに謝るのはそれからでもいい。
タカシは目に力を入れて、自分に誓う。レオのかたきを取ると。
「よしでは出発だ。次の任地へ行く」
「俺、牢屋から出たばっかりなんですけど。あとここから移動するなら、挨拶とかしたい人もいるんですが」
「心配するな。代わりにしといた。あと休暇の件だが、今回は特別に馬車で移動だ。その間、タカシの体を私が見てやろう。荷物運び用の馬車で尻がやられるが、休みとも言えんこともない。嬉しいか?」
「あ、はい……」
タカシは呆然としながら返事をした。色々ツッコミどころも多いし、展開が早い。
着の身着のままに、馬車に乗り込む。空間が狭いため、メーヴ隊長と近くの位置に座る。
「ち、近いぞ。タカシ」
「あ、すいません」
馬車の中なので、スペースがあまりない。なので近いのはしょうがないのだが、何故かメーヴ隊長はタカシが近づくと、少し顔を赤くしていた。
そんなやり取りをしていると、馬車はゆっくりと動き出した。
正直まだ気持ちの切り替えは出来ていない。もしかしたら、ひょっこりとレオが馬車に乗ってくるかもしれない。タカシはそんな気分でさえいる。
最後だからと馬車の中から、これまで過ごした駐屯地を見渡す。
(短かったけど、ここで過ごしたことはきっと忘れない)
初めての戦い。青春。そして別れ。
辛いことが多かったけど、楽しいこともあった。だからせめて、タカシはこの風景を目に焼き付けようとする。
すると駆け足で、駐屯地の入り口に集まってくる集団がいた。
(なんだ?)
合同での訓練でもあるのだろうかと、タカシは思ったが、兵士たちだけが集まっているわけではない。集まってくる人数は、あれよあれよと、とんでもない数になった。
「え?」
顔見知りの兵士たちや、ナックの部隊の連中、娼婦たちもいる。だから訓練ではないことはそこでわかった。そして驚いたのは、
(バカ王子!?)
顔に青あざを残しながら、アレクシウス王子とその親衛隊までもが集まっていた。
(な、なんで?)
もしかしたら、この状況から推測するに、タカシ達を見送りしてくれているのかもしれない。
いやそんなことはあり得ない。むしろ最後に石でも投げつけるために集まってきたのか。
だって、自分を馬乗り殴打してきた相手を見送るなんて、考えられないし。
これはどういうことかと混乱していると。
アレクシウス王子を中心とした一段が、足並みを揃えて、一歩前に出てきた。
「作戦を見事成功させた442部隊と、犠牲になった英雄レオに対して、この世界の住人として、敬意を表す!」
アレクシウス王子が大きな声で叫んだ。
そして
「捧げぇぇぇ、剣!」
ザッという音と、全員一斉に剣を正面に構えた。
綺麗に揃った、見事な剣礼だった。敬意を示すとまで言っていた。
バカ王子たちは、レオの死を侮辱し、タカシ達、日系転生人を嫌っていたはずなのに。
(――ッ!)
なんで? これはどういうことだ?
タカシの理解が追いつかない。
「ありがとー!」
「よくやってくれたー! 442!」
「おにーちゃん! 大人になったら結婚してー!」
なんだかやたら褒められている。
ナックやナックの部隊の兵士、タカシと遊んでいた少女や、ミヌールの女の子たちも目一杯に手を振ったり、飛び跳ねたりして、色々な感謝の声を浴びせられる。それはかなりの大音量となって、タカシたち442部隊に浴びせられた。
タカシはここに至っても、まったく状況を理解できなかった。
「な、なんで?」
状況を飲み込めないタカシ。説明を求めるように、うわ言のように呟く。
「実は王子様は、世間知らずだったんだ」
「え?」
メーヴ隊長が説明してくれている。
「だからこうなったんだ」
「……」
でも回答になっていない。まとめすぎである。
そのシュールな状況を見て、半分笑いながら、ヒデオが助け舟を出してきた。
「タカシが牢屋に入っている間にな、王子さまがメーヴ隊長を訪ねてきたんだ」
たまらず二人を見る。
ヒデオは否定せずに真剣な表情をしている。メーヴ隊長も真面目脳筋を表現するが如く、真剣な表情。
二人とも、とても嘘を言っているような顔をしていない。何故バカ王子がメーヴ隊長を訪ねるのか。
「あの王子様は、今まで自分が言ったことを否定されることはなかったらしいぞ。それが原因といえば、原因」
メーヴ隊長の説明を受けても、頭の中に説明が入ってこない。ヒデオがまた補足説明をし始める。
「だからな? それまで王子様の周りにいる人間は、王子様の言うことをなんでも聞くイエスマンばかりだったらしい。けどあの時タカシは、王子様のことを、真っ向から否定して、それも泣きながら、ぶん殴ってきただろう? それが王子さまにとっては、違う意見を言っているヤツが世の中に存在するとわかった、驚天動地の出来事だったらしい」
タカシは色々と驚く要素が押し寄せてきたことにより、口をぽかんと開けてしまっていた。しかしこの状況に至ったわけを、そんなわけないと思いながら、段々と理解し始めてきた。
「だから王子様の中でモヤモヤがあり、それを確かめるために、私を訪ねてきた」
メーヴ隊長の合いの手。
「それでな。色々と事情を聞いてきたんだ。俺ら日系転生人のことだとか、442部隊のことや、レオのことだとかな。一通り、話を聞いたあと、王子さまは難しい顔をして、メーヴ隊長に言ったそうだ」
「『私が間違っていたようだ。どうしたらいい?』ってな」
タカシの細い目がこれでもかというくらいに見開かれながら、ヒデオの顔を見た。
「タカシの言い分を伝えて、日系転生人への不当な差別を辞めてくれと伝えたら、『出来るかどうかはわからないが、善処をしよう』とも言ってたらしいぞ」
信じられない。
そんな、あまりにも都合がいい、これまでの辛い出来事が嘘のような、優しい進展があったなんて。
「話はそれで終わったんだけど、こうやって俺らを見送ってくれるとは、俺もメーヴ隊長も聞いていなかったんだけどな」
ヒデオはそう言って苦笑した。
タカシの瞳から、涙が溢れ、自然と頬をつたわった。
自分達を見送ってくれている。
日系転生人の自分達を。
あの日系転生人嫌いのアレクシウス王子ですら。
流れた涙はすぐに滂沱の涙となり、タカシは立ってすらいられなくなり、馬車の中でへたり込む。
「レオの犠牲は、無駄ではなかったな」
メーヴ隊長の言葉に、タカシは嗚咽混じりに何度も頷いた。
無駄ではなかった。
無駄ではなかったのだ。
同じ日系転生人のために、良くしてくれたこの世界の人のために、レオは命をかけた。
その命をかけた行為に、唾をかけられたと思うようなひどい仕打ちもあった。
しかし、最後の最後で、人々は考えを変えてくれて、少しずつだが、日系転生人の状況が良くなるよう、一歩前に進んだ。
それだけでタカシは救われた気持ちになった。
レオに顔向けができると。
「タカシ」
ヒデオがタカシを見る。
何を言いたいかはわかった。
(レオ。見ているか? お前のおかげだよ。お前がきっかけで出来た、シナジーってヤツが広がって、この出来事を作ったんだ)
タカシは馬車から身を乗り出して、手を振る。
「みんなーーーー!! またなーーー!!」
泣きながら、笑顔で感謝の言葉を叫ぶ。
力いっぱいに手を振るった。
骨が折れているから、全身が痛い。
でもいい。
この時だけは痛みなど忘れよう。
レオの分まで、しっかりと感謝を伝えよう。
見送ってくれるみんなの姿が見えなくなるまで、声を張り、手を振り続けよう。
青空に向かって、馬車がゆっくりと進んでいった。
終わり
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