負け続けた3年間。最後のチャンスで生まれた「カミナシ」というプロダクト
カミナシの諸岡です。ノンデスクワーカー(ブルーカラー)向けの業務効率化アプリを開発しています。
2016年に起業して3年半。明日、ゼロから作り直したこのサービスを正式にローンチします。良い機会なので、これまで辿ってきたことや失敗を綴ってみます。
9割は失敗ばかりで、相変わらず不確実性も高いけど、読んでみて「すごく共感した」と思ってくれたら、ぜひ連絡ください。カミナシで一緒に働きましょう!
そして、「分からない」と思ってもらっても問題ありません。心のどこかで、そっと応援してくれたら嬉しいです。
1.「カミナシ」というサービス
日々、さまざまな人と話す中で「カミナシはどんなサービスなの?」と聞かれることがよくある。シンプルに話す場合は「現場の大量の紙をなくす、ペーパーレスサービスです」と伝える。
でも正直いうと、これは自分自身を安売りしている感覚になる。「そうじゃないだろ!」と心の中の自分が訴えている。
そして、記者からは「現場の品質管理SaaSですね?」と聞かれる。これは悪くない。でも、品質管理SaaSってなんだろう?企業の中の1%程度の品質管理部門の課題を解決しているのか?これも否だ。自分たちはもっと大きなものと戦っている気分がある。
そして僕たちが行き着いた答えは「現場管理アプリ」だった。
現場で働いているノンデスクワーカーすべての人たちが使え、さらに働き方を変える。そんなサービスだ。
2.ブルーカラーの領域を選んで起業した理由
そもそも、自分がスタートアップを始めたのは、32歳で起業すると決めていたからだ。これは100%父の影響だ。彼も今から約30年前、当時32歳で自分の会社を創った。0から創った会社が成長していくのは、まるで立志伝や冒険譚のようだった。毎晩、食卓の話題は会社の経営のことばかり。うまくいったことや、ピンチに陥ったことなどを聞いて育った。
そして、大学を卒業する頃には自分も32歳までに会社を興すということを決めていた。
次に、この領域でサービスを作ろうと思った理由についても触れておきたい。
その理由は、2つある。1つは、そんな父の事業がブルーカラー領域だったからだ。従業員の97.5%が現場の作業者という比率で、自分自身もオフィスワークしながら、現場のオペレーションを回していた。
以前、食品工場向けSaaS(ソフトウェア)をやっていたことから、自分を食品工場出身とブランディングしてきたが、実は正確じゃない。機内食工場以外にも、空港のチェックイン、貨物搭載、リムジンバスのポーター、ホテルの客室清掃・・・といった仕事を経験してきた。そこで見たり、感じた、アナログで非効率な光景が創業の原点であることは間違いない。
2つ目は、自分が逆張り思考の人間ということ。はっきり言って、皆がやっていることはやりたくない人間だ。相当な天の邪鬼気質。自信がないことの裏返しでもあるのだけど、極力競争したくない。
「人がやりたがらない仕事こそが、一番美味しい商売」
これは起業家である父から教わった、とても大事な商売成功の秘訣だと思っている。僕がいた機内食業界で一番利益率の高い仕事は、食器洗浄業務だった。これは、人が食べた食器を洗い、残渣を捨て、清潔な状態にする仕事だ。正直、夏場は暑いし、臭いで鼻が曲がりそうだし、めちゃくちゃ辛い。
しかし、創業以来30年間、一度もチャーンすることなく、LTVは数百億円に至っている。日本でもオペレーションできる会社が数社しかおらず、そもそも、そんな仕事があることすら誰も知らない。競争は起こり得なかった。
僕の一番身近な成功例として「外から見ると分かりにくいものに取り組み、競争を回避してLTVを高める」ということは、考え方の根底にある。
この2つが相まって、競争が多いホワイトカラー向けの領域は捨てた。勝つために、より勝率の高いブルーカラー領域を目指した。
3.泥臭いなんてものではない
うちのメンバーにも逆張りの人間が多い。人と同じことやりたくないとか、ブルーカラー向けのサービスを最高の技術で作るのカッコいいとか、そんな人間が集まってきている。
でも、ブルーカラー領域でのサービス作りは言うほど楽じゃない。エンジニアはヒアリングするために県を跨いで現場に入らないと、直接観察は出来ないし、決してITに対する感度が高くないので、フィードバックをもらうのも工夫が必要だったりする。CSもセールスも、Wi-Fiやタブレットがない状態からスタートして戦っている。
まあ、一言で言うと大変だ。
そう、分かりにくいだけじゃなくて、大変なのだ。ポール・グレアムはオフィスから出て顧客と話せと言ったが、楽じゃない。Facebook Messengerでフィードバックくれるお客さんなんていない。
ホワイトカラーの業務であれば、実際にやっていたか、一度は関わったことがあるはず。ドックフーディングだって可能だろう。でも、現場の仕事はアウトサイダーが知ろうとしたら、物理的に足を運ぶ必要がある。僕自身、この3年間で300以上の現場を見てきた。1,000人以上の話を聞いた。もう二度とごめんだ、と思えるくらいにはやってきた。
結果、あらゆる情報やプロダクトのイメージ、具体的な現場のシーンは僕自身の頭の中に収まった。しかし、自分ひとりでは何も出来ない。メンバーは自分と同じ景色を見て、同じ話を聞いて、共通の前提に立って議論するということをやり続けてきた。
4.三年間の戦いとカミナシローンチまで
サービスを作る過程を一切話していないので、具体的な話をしておこう。僕が起業したのは2016年12月、最初に選んだのは食品工場のバーティカルSaaS(ある業界に特化した専門的なソフトウェア)だった。これは約3年間追い続けたが、失敗した。
下の図は、
・横軸:課題の難易度
・縦軸:それに対する値段
4象限に分けたものだ。
自分たちの失敗談を共有しておく。食品製造業という市場を選んだ時から、失敗する確率が高い方法でエントリーしてしまったのだ。
上記の図で言えば、3象限(課題が難しく、単価も高い)からエントリーしてしまい失敗した。最初から狙っていれば問題はない。最近は、大型調達して骨太なDXに取り組むスタートアップも増えている。自分たちの場合は、3でしか生きていけない状態に追い込まれた格好だった。
(初期のスタートアップは1,2からエントリーするべきだと思う)
まず、市場規模を見てみよう。
食品製造業は日本に4万事業所存在する。そこから、シェアを計算する。セールスフォースは20年間やってシェア20%弱。ここから、カミナシが10年で取れる市場は10%程度=4,000事業所と想定したが、これが間違っていた。
自分たちのプロダクトを月10万円で買ってくれた会社で、一番小さな会社が20億円の売上規模だった。
20億円以上の規模の事業所数を見て、冷や汗が出た。たったの4,000事業所しかなかった。4,000事業所の中で10%のシェアを取るとしたら、400事業所。
これで目標としているARR(年間定額収益)20億円を目指すならば、1社あたり500万円。月に換算すると40万円だ。日本でARPU(顧客平均単価)40万円のSaaSってどれほど存在するだろうか?間違いなく高単価の部類に入る。これだけの金額を得ようとすると、難易度の高い課題を解決する必要がある。
具体的には、相手企業の基幹システムと完璧に連携、カミナシ自身が生産管理システムを提供するという、およそスタートアップでは考えられないハードモードなプロダクトが必要になる。たった4名のシードスタートアップには作れない。
初手で打つ手ではなかった。
この3年間、ずっと市場規模のサイズ感に恐怖を覚えていた。目の前の顧客が日本で20工場展開するような大企業の場合、それを逃すと頭の中で、
400ー20=残380
これを無意識にやっていた。意思決定も目の前の事象に左右され、メンバーも大変だったと思う(当時のCPOはずっとここを心配していた。三宅くん、ごめんよ)
5.最初の創業メンバーとの別れ
1周目はそんな形で挑戦は終わった(この間に2つのプロダクトをローンチ)。
幸いなことに、資金はプレシリーズAで調達した残高が残っていたし、株主も見守ってくれていた。CoralのJamesは「絶対成功する」と盛り上げてくれたし、BEENEXTの前田ヒロさんはことあるごとに、「いいと思います!」と肯定してくれた。
一番つらかったのは、この時期に創業から一緒にやってきたCPOの三宅と別々の道を行くことになったこと。
※2人きりでやっていた時代に最初のオフィスを決めたときの写真
次にやる事業を延々と会議室で議論する日々。三宅が提案してきたアイデアは、「ホワイトカラー向けのチェックリスト」というプランだった。事務仕事のプロセスを管理するもので、現場でチェックリストを作ってきた自分たちであれば、知見を活かせると思った。海外でも一定成功を収めている、魅力的なもので、自分も含め社内の意見も次第に傾いていった。
でも、最後の最後に、自分がひっくり返した。皆が賛同してくれる方に決めてしまえば楽になれる・・・一度は「やりたい」と言った。でも、ブルーカラーの領域で生きてきた自分にとって、現場で使われるサービス以外を作ることは、この会社を続ける理由を放棄することと一緒だった。そこで、これは自分個人のワガママだけど、自分は品質管理SaaS(当時は品質管理に絞ってた)がやりたいと言って、議論を重ね最後は袂を分かつことになった。
(三宅は現在「メンド」というサービスの開発責任者としてジョインし、スタートアップ業界で戦っています)
その数時間後に、久しぶりに二人だけで飲みに行って、言われた大切な言葉がある。
「やはり、会社は創業者のものだと思います。諸岡さんがやりたいことを、やりたいようにやればいいんです。失敗しても、社会は何も変わりません。メンバーがどう思うかとか関係なく、やりたいことをやって下さい」
サービスの可能性が消え、役員が退任というタイミングで、この言葉は僕自身を救ってくれた。
正直、毎朝起きるたびに、三宅の退任したことを思い出して、弱気になった。寝てる間は忘れられるが、起きた瞬間に現実に引き戻される。これからは、自分ひとりで事業に向き合わなければならない。この時期、強がっていたが精神的にはつらい時期だった。
辞める人間も出るだろうな。
そう思って臨んだ1on1の面談で、今後の方向性について話をしていった。「これまでは開発とビジネスそれぞれ独立していた。うまくコミュニケーション取れていなかった。これからは、自分がどちらも関わるので、むしろ良くなる!」みたいな、根拠もないことを空元気で伝えていった。
予想を裏切り、メンバーは「残ります」「もう1年だけ戦いましょう」「社長がやりたいことに付いていきます」と言ってくれた。全てが振り出しになったタイミングで、皆が会社に残る決断をしてくれたのは唯一の希望だった。よく皆残ってくれたなと思う。本当にありがたい。
しかし、余裕はなかった。
可能性の潰えたサービス、7名のメンバーの賃金やオフィスのコスト。
2019年末時点では、ランウェイ(残資金で運営できる期間)は10ヶ月もなかった。もう一度やり直しは利かない、最後の挑戦になる。
チームの空中崩壊や、市場選定を見誤れば、ゲーム終了。そんな状況でのリスタートだった。
※「カミナシ」ローンチ。残り資金10ヶ月からの反撃開始。に続きます。
※もし、僕らに興味を持ってくれたら是非、下記よりご連絡ください。どちらからご連絡いただいても大丈夫です!
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