ヰ世界情緒3周年:十二番目の魔女はいるか
よどみに浮かぶ泡沫はかつ消えてかつ結びて……人の営みはいずれ終わりまた始まる。どんな舞台にもいずれ幕が引かれ灯りの消える時が来るだろう。個人的な感覚だが、ヰ世界情緒の言葉から時おりそうした「終わりがあることの意識」の匂いがする。
さて、三周年という節目に対して公式企画に参加して盛り上げるだとか、素直に祝福を贈ることもせず、遅れて何か書いたと思えばこんな不吉な書き出しなので眉を顰める読み手もいるだろう。まるで『眠り姫』で祝宴の最中に王女の死を予言しに来た十三番目の魔女のようなタチの悪いファンだ。しかし別に陰鬱な話をするつもりはない。
人との関係性は実社会の関係だろうがアーティストとファンの関係だろうが、いずれ離れるし、いずれ終わる。それを踏まえた上で考えてみよう、全てが終わったあとにも残るものはなんだ?
アーティスト、あるいはエンターテイナー
ヰ世界情緒は『Anima』前後から明確に「ファンを笑顔にしたい」という目標を話すようになり、言い換えるならエンターテイナーとしての方向性を強めて来た。
エンターテイメントの本義は「慰み」であり、もっとも重要なのは一時のあいだ観客を楽しませること、生きる力を与えること、笑顔にすることだ。それは刹那的で、エンタメはだからこそ軽んじられ、だからこそ愛される。
個人的に、これまでの活動の中で大きくヰ世界情緒に対する印象が変わったのはこの部分だ。アーティストとエンターテイナーの両者は真逆の思考をする、例えるならアーティストは自分の好きを表現し、エンターテイナーは他人の好きを探る。自分にフォーカスするか、他人にフォーカスするか。
ヰ世界情緒はアーティストであるということを軸としながらも、意外なほどエンターテイナーとして「どうしたら楽しんでもらえるか」を考えファンとの関係を重視するようになった。彼女のこうした面は当初イメージにない。自身で語ったように活動の中での変化なのだろう。
率直にいえば初めてこの意気込みを聞いた時は「少しちぐはぐしている」とさえ思った。その印象は今でもあまり変わらない。ただ、その後の活動を眺めている中で、それが上っ面の言葉ではなく実直な思いだということもわかってきた。
ヰ世界情緒が持つユニークな部分の一つだが、彼女は表面的な整合性だの一貫性だのを無理に保とうとしないように見える。ともすれば、傍目にはただ無秩序に映ることさえあるだろうが、ちぐはぐなものをそのままに紡いだパッチワークは彼女なりの意図によって切れ目なく連続している。手探りで自問自答を繰り返して切り開かれた道はうねり分岐し、綺麗な一本の直線にはならないが絶えず繋がっているのだ。
一時、あるいは永遠
「笑顔にしたい」、これに「影響を与えその中に何かを残したい」を加えた二つが新しい車の両輪だろうか。作品や活動を通じてファンに良い何かを残す。その「何か」がどういうものかは彼女自身も知らない。というよりも、人それぞれで異なる。
自分ならその一つは前のnoteで火に喩えたような創作に対する熱量。他にもいくつかあるが、もう一つ挙げるなら「作り手のことを考える楽しさ」を初めて理解したのもヰ世界情緒や彼女を含むV.W.Pがきっかけだ。
自分はコンテンツが好きだが、その背後にいる作家に対してはほぼ無関心だ。どころか避けてさえいる。絵を買い付けるときでも作家が在廊しない時間帯にわざわざ出向く。今まで好きになった音楽グループは百人以上いるだろうがメンバーの顔や名前を覚えているのはごく一部に過ぎない。
「好きな人が作ったものだから良いものだ」「気に入らない奴が作ったものだから作品もダメだ」、人間である以上はそうした感覚から逃げることは難しい。自分はこの作品が大好きだが、まだ知らない作家の方は好きになるだろうか? 人間としての彼はとても尊敬しているがまだ見ぬその作品の方はどうだろうか? わからない、おそらく知ることで幻滅することの方が多いだろう。作家について知った途端にその作品まで色褪せてしまうのなら、いっそ何も知らない方がいい。
作り手と作品の両方を好きでいられるとき、どれほど楽しく過ごせるのかを知ったのは偶然出会ったヰ世界情緒たちがその作品だけでなく背負うストーリーや人物にも強い魅力を持っていたお陰だ。
一方でこうしてアーティストに対して距離を縮めることの危うさも未だ感じている。良い関係性は双方に素晴らしい贈り物を残す。実社会で絶えず行われているように、たとえ交換されるものが言葉や慈しみといった些細なものであっても、それらが交換された途端に光り輝き始めるのである。
だが受け取り方を間違えてしまうとこの魔法はたちまち力を失う。手の中にあったはずの宝石は光を失い、代わりにただ喪失感だけが残る。受け取って来たものが何なのか、そして前向きなものかを実際に決めるのは受け手自身だ。繰り返そう、全てが終わったあとにも残るものはなんだ?
『眠り姫』では十二番目の魔女が予言の死を打ち消して眠りに変えた。ハッピーエンドを導く十二番目の魔女はこのお伽噺にもいるだろうか?
蛇足だが最後にもうひとつ、ヰ世界情緒は以前「活動する中で受け取ったものに対して何が返せるだろうか」と話していたが、ファンからすれば見解が異なる。それは全然違う。
「笑顔でいてほしい」「受け取ったものを少しでも返したい」「自分のすることで少しでも良い何かが残り続けてほしい」、それはファンこそがヰ世界情緒に対して抱いている切実な願いであり、明け暮れ祈っていることだからだ。まだ何も返せてはいない。返し尽くせる日が来るまで、できれば気長に待っていて欲しいものだ。