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prompt αU: 月は見えているか

あと5年もすればもはやこの時代の感覚は想像できなくなるかもしれない。近未来に起こるとされる不確かな予言だった「シンギュラリティ」という言葉が、あまりに加速度的な技術の進歩によってにわかに現実味を帯びた時代、それが今だ。

ドッグイヤーと呼ばれるIT分野の中ですら未経験の速度で世界が変わっていくことに対する不安と期待が入り混じっている。そんな激動の時代の前夜にエンターテイメントの未来を垣間見よう、『prompt αU(アルファユー)』だ。

ちょっとした前提

KAMITSUBAKI STUDIO(以下、神椿)についているファン、いわゆる観測者から見ると『prompt αU』は神椿がその表現方法や新しい可能性を模索した技術的PoC(概念実証)の展示、というイメージだろうし、それは正しい。

だが、promptは実のところ一枚岩ではなく、色々な文脈の展示が混ざっている。ざっくり言えば三種類に分類できるだろう。

  1. 神椿がやっている、あるいは高い確度で予定している既定路線の紹介

  2. αU researchとのコラボレーション・αU本体へ繋ぐプロモが軸である展示

  3. 純粋に新技術のPoCやプロダクトへの落とし方を探った実験

まず前提としてαUというのはKDDI社のメタバースやNFTに関するプロジェクトであり(αUはつまりそういうダブルミーニングだ)、それと神椿がコラボして展開するのが『prompt αU』というプロジェクトだ。

これがどれくらい本格的な協業なのかはわからない(展示だけ見ると興行としては割に合わないし広報にしては導線が薄い)。しかし、とりあえずこの文脈だけは補助線として頭に入れておく方が展示や方針の意味を理解しやすい。

例えば、展示の中でもMETAVERSE WATCHの紹介はいくらか唐突だと感じるだろう。これもKDDIが中長期計画としてSociety 5.0的なもの(例えばデジタルツインのような)を構想している、という文脈を踏まえれば何故このデバイスが具体的なサービスやコンテンツの構想に先駆けて出て来るのかがわかると思う。

今回はそんな話を前提としつつ、各展示や直近の神椿がやろうとしていることに対する私的な感想をメモ程度に書いていく。取り留めのない文章になるが容赦してほしい。

イマーシブライブ

今回の展示におけるメインの一つだったコンテンツであり、『不可解弐Q1』『IMAGINARY WORLD』ライブを360度カメラで、ユーザー自身が操作して鑑賞できるというもの。ちなみに気づかなかった人もいるかもしれないが実はピンチ操作でズームできる。

感想の前に少し文脈を説明するとαUのサービスとして稼働していくバーチャル3Dライブサービス『αU live』の神椿版だ。たぶんいつかは実際にαU liveへ神椿メンバーが参戦するのだろう。VR世界での音楽ライブは企業がやりたがっているメタバースのコンテンツとしては比較的有望なものの一つだ。

まず、この展示単体について言うと、今までの神椿ライブを代替はしない。はっきり言って見劣りするだろう。

XRライブにおける「カメラワーク」はライブという作品の非常に重要な要素だ。ここ1年くらいで神椿スタジオのXRライブは更に進化してきたが、miniライブ〜不可解・想あたりで特に目を引いたのがVRライブにおけるカメラワークの躍進で、よりダイナミックに、より効果的に画面を創り出している。

一気にカメラを引いて舞台の全体像を映す、バンドメンバーにカメラを振る、アーティストの顔にフォーカスする。明確な意図と卓越した技術に支えられたカメラワークで撮影された映像はそれだけで最高だ。カメラの操作を自分で出来るというのは、それが素人の拙い仕事に変わるということだ。

臨場感や没入感という観点から評価するにしてもカメラ操作がプラスになるのか正直わからない。そもそも、臨場感や没入感というのは360度とか自由視点であることから発生するものなのか? 直近のKAMITSUBAKI Fesでいえば大半の現地組はアーティストの姿なんて頭が見え隠れする程度にしか見えなかったが、アーティストや舞台が存分に見える配信の方が"臨場感がある"と表現できるだろうか。
(念のために言っておくと、見えない以外は最高だったしV.W.Pライブで最も現地入りする意義のあるライブだった)

だが、今までの神椿ライブとは切り離して考えれば面白さや発展性がある。例えばライブ形態のオプションとしても、逆にカメラワークの制作作業が不要になると考えればライブ運営が低コストで行える魅力があるわけだ。今までの神椿ライブなら例えmini liveだろうと長大な制作時間と費用を必要としていただろうが、こうしたプラットフォーム上でならもっと定期配信のような気軽さでVRライブをすることもできるかもしれない。代替はしないが追加の選択肢としては興味深い。

そもそも、360度で自由に見れることを前提としたライブ作りをしていくなら今までにない表現が登場するだろう。あるいは、今回の展示は一人のアーティストだけだったが、複数人のアーティストによる舞台など「映されるべきものがたくさんある」のなら自由視点であることにもっと必然性が生まれる。

否定から入ってしまったが、可能性の拡張としては素晴らしい展示だ。技術的PoC全般に言えることだが、見るべきものは月だ。人が月を指差しているとき、近くにある指を見ても意味がない。それが指し示す先こそ見るべきものだ。

例えばこの展示で使われている技術について補足すると、通常のXRライブはモーションや背景映像、エフェクトなどの入力を元に用意したコンピューターでレンダリング(映像に変換)して、その出力である映像を配信システムに流すが、ここでは手元ではなくGCP(クラウド)上でレンダリングして配信しているらしい。

そうすることで何が嬉しいかというと、再生するスマホの処理能力に依存せずに済むので古いスマホを使っていようと高負荷なレンダリングだろうと通信環境がまともならストレスなく鑑賞ができる。(ただ個人ごとにインスタンスを走らせると1-2時間の閲覧でインフラコストが百円くらいかかりそうな気がするが)

こうした発想はゲームの方面では先んじてクラウドゲーミングという形で研究が進んでいるし、VRライブに限らず幅広い分野に応用が効く。例えばαUが展開しようとしているαU placeのような仮想店舗の表示にも使えるし、メタバースを3D空間というレイヤーで目指すなら重要な技術になる。

もう一つ、個人的に「なるほど」と思ったのは「過去に行われたライブは基本的にモーションデータなど生データを含めて記録されていて再構築できる可能性がある」という点だ。

例えば過去に配信されたライブについて、アーティストのモデリングや衣装、ステージなどを自由に選んで再演してもらう、なんてことも技術的には可能となる。

イマーシブライブの楽しみ方としては「カメラマンになったつもりで〜」という説明もあった。これもフリックとスワイプでカメラを動かすだけなら疑問かもしれないが、例えば本格的なタイムラインとパラメータが操作できるようになって、それを熱心にいじったファンが「これが俺の考えた最強のカメラワークや!」と共有できたら楽しいかもしれない。個人ごとにカスタマイズ可能なライブという概念は未来のライブ・鑑賞形態の可能性を拡張するだろう。

何はともあれ言いたいのは、目の前にある「現時点で試しに作ってみた実物」ではなくそれを通して「その展示がいったい何を可能にして、どんな発展があり得るのか?」という少し先の未来を夢想するとより楽しい、という話だ。

バーチャルヒューマン

先に個人の感想だけ書くと、これに関しては消化酵素がないので全く楽しめなかった。te’resaのように最初からバーチャルヒューマンとして登場したタレントは何も違和感なく楽しめるので、VH自体に対する、いわゆる「不気味の谷」的な嫌悪感を抱くわけではない。おそらく「もともと2D的・アニメ的であるものが人間(に近いもの)になる変化」がアレルゲンらしい。正直にいうとコミケの時に登用されたV.W.Pのコスプレをした売り子も同じように感じていた。

個人的な生理反応はそんな調子ではあるものの、花譜のように既に人気を獲得しているVシンガーをバーチャルヒューマンとしてリモデルするのは非常に有望な戦略の一つだと思う。中華圏などを中心にVHは既にある程度受け入れられていて、時期を振り返ってみてもte’resaというフォトリアル系タレントは素晴らしい試みだった。

またバーチャルであることを身体・可能性の拡張として捉える思想からすれば今までとは世界観が異なる新しいモデルを開拓していくというのは自然な方針だ。今までのイメージとは別の、フォトリアルなアバターがあればより活躍の幅が広がり、マスにアプローチできるようになる。かつ花譜のように既に認知度やファンがついているタレントであれば活躍の機会も最初から期待できる。

数少ないデメリットとして自分のように消化酵素を持たない保守的なファンの一部が適応できない可能性もあるが、仮にそれが原因で脱落したとしても期待できる新規のファンが上回る。ちょっとしたコラテラル・ダメージであり新陳代謝だ。

αU本体のほうでもバーチャルxファッション分野はこれからどんどん開拓されていくだろう。次世代におけるフォトリアルなVモデルという分野においても神椿には第一線を走ってほしい。

そのような訳で、個人的な感覚では嫌悪感があるが方針としては肯定的だ。その感覚にせよ、時間をかけて慣らしていけば消化酵素を獲得できるかもしれない。こうした「バーチャルから人間へ遷移することへの不快感」というのも考えてみれば興味深い心理現象だが、キリがないのでここでは掘り下げない。

お金とかビジネスとか効率とか

バーチャルヒューマン化で活躍の場が増えるというのは副次的に良いことがある。マネタイズの選択肢が広がることだ。モデルやIP提供なら演者に負担を掛けずに済むし、マスを対象にできるならコアなファン層の負担も軽減されつつコンテンツ制作により多くの資源を割けるようになる。

そもそも神椿のマネタイズはちょっとした構造的な問題を抱えていて、メインのファン層がハイティーンから20代前半のような若年層で可処分所得が低いのにコアな少数のファンからXRという通常以上に費用が嵩む活動資金を応援してもらわないといけない。好きで曲を聞いているファンが数十万人いても購買までするのは5%いれば多い方だ。ファンと客は意外に同義ではない。

運営もこの負担を軽減する施策は考えてはいるが、実際にはライブやイベントの間隔は年々狭まっており、律儀にグッズを買い込む若年層の財布は厳しい。外野から見てるだけでも悩ましい話だ。

負担を軽減しなければならないのはアーティストに関しても同じ…とはいえ、こちら側は当初からきっちり運営が守っている。例えば「コアな少数のファン」という構図は投げ銭のようなものを主軸にするようなマネタイズと結びつきやすくVTuberの世界でも支配的になりつつあるが、神椿はPIEDPIPER氏をはじめとする運営陣がそうした手段を基本的に忌避している。(もっとも、それらはブランディング等ではなくアーティスト保護が目的であり、原理原則でもないので最近では部分採用されつつある)

余談だが「運営がやらないこと」というのは見えにくい意思決定なのであまり注目されないものの、自分が神椿の運営に対して好感と信頼を持つ大きな理由の一つはそういった部分にある。長期留学を応援したりメンバーの生活やキャリアをきっちり守ろうとするのはアーティストの幸福を願うファンとして嬉しい。仮に資源や能力の限界で行き届かないところがいくらかあったとしても運営はアーティストとファンのことを大事にしていると信じている。

マネタイズについては別の考え方としてYoutubeなどのような特定のプラットフォームにそれを依存してしまうと彼らの報酬システムに活動内容が大きく左右されるという問題もある。彼らが利益の分配法を弄るたびに右往左往して注力するコンテンツを変える羽目になり、おまけに一度プラットフォームが市場を支配すれば必ず暴君に変わる。自分たちでコントロールできるマネタイズ手段は重要な手札だ。特にアーティストとファンの両方が負担を軽減できるような手段なら。

キャラクターへの継承可能性

しれっと報告されたte'resaのリブート&オリジンの分離だが、ファンにはおおむね好意的に受け入れられており興味深い。オリジンとアバターがどう扱われるべきかは最初期のVTuberキズナアイの分裂騒動を振り返れば分かる通り非常にセンシティブな問題だ。

他の、いわゆるVTuber事務所であれば「引退後にアセットを全て失った状態で非明示的に再活動」という流れを踏むことになっていただろうことを考えると、非バーチャル系のアーティストも包括しているからこそ出来る、みんなが損をしないピボットだったと言える。

しかし、平穏無事に進んだおかげで見過ごされがちだが、これはかなりバーチャルの世界において破天荒な決断だ。注目すべきことは二つある。まず一つ、バーチャルの存在が直接的な顔出しがないとは言えアバターを脱いで明示的に本人名義で活動し始めたこと。もう一つが、バーチャルタレントがAI(合成音声)の活用によってオリジン消失後も活動を継続するということ。

実際、これが今後どのくらい上手く行くかということは見守られるものとしても、バーチャルタレント界隈の今後を垣間見る画期的な試みである。しかし、最初からAIを自称していたキズナアイが分裂で炎上したことを考えると、人間から本当にAIへとバトンタッチさせるte'resaが肯定的に受け取られたというのは様々な事情の差があるとは言えどこか皮肉なものだ。なぜそうした違いが生まれたのか、なぜte'resaの移行は上手く行ったのかについては深く言及したくないので避ける。

またこれと似た試みとして、Fesでは留学中だった理芽のポジションを同位体であるAI裏命で替える、ということをしている。もちろん、これもファンには取り立てて問題のない、ちょっとした機転やサプライズのような感覚で受け入れられている。

しかし、こうした試みは「オリジンを失ったあと、そのアバターや曲などのIPやファンの地盤をキャラクターとして引き継ぐことは出来るのか?」という、大きな観測気球にもなり得る。前に書いたnoteでも触れたが、アーティストは永遠に活動するわけではない。

例えば5年後にはKAMITSUBAKI VERSEが一定の成功を得つつも、そこには既にオリジンの姿はなく同位体であるV.I.Pだけが残っている、なんてこともあり得ないわけじゃない。現時点の個人的な感覚ではなんだかSF的グロテスクさのようなものを感じるが。

引退がなかったとしても「神椿市」が成功・大規模化してIPの価値が上がるほどオリジンへの属人化問題は経営視点だと危険なチョークポイントとして見られるようになるだろう。いくら神椿が商業的な面を重視しない気風だとはいえ組織がそれなりに大きくなってしまえば持続可能性の問題には向き合う羽目になる。V.W.Pの数名が自由意志で違う道を選んだだけで事業部ごと吹き飛ぶ、なんて状態は避けたいのだ(逆にいえばアーティスト自身もそうなることで真に進退の自由を得る)。もっとも、現時点で解決を急ぐべき属人化の問題があるのはアーティストではなくあまりに多くの部門を兼務しているPIEDPIPER氏の方かも知れないが。

歌はともかくとして、人格という面は引き継ぎ可能か、という視点を語ると部分的になら可能だろう。要は二次創作だ。そもそもキャラクター性とは言ってみれば「そのキャラクターならどんな行動や発言をするか予想できる」ということである。例えば「ONE PIECEのルフィが街中で旨そうな食べ物を見た。この時、彼はどんなことを言って何をしようとするか?」という問いに大多数が同じような答えをするならルフィのキャラクター性は存在する。もっとも、市井の二次創作がそうであるように恣意的に歪められていくことも考えられるが。

そうした未来は現在からみるといくらかグロテスクにも思えるが、多くの可能性の中に存在している未来の一つではある。もちろんそれは神椿とファンによってどんな選択が行われるか次第だ、未来はこれから作られるものなのだから。

その他の展示

MR

HMDによるMRは、どうだろう。かつて見たことがあるMR技術よりも確かに進歩しているのを感じたが、ファン層のHMD所持率やコンテンツ制作のコストを考えるとデバイス側にブレイクスルーがない限りイベント会場でのコンテンツになりそうだ。回転率を考えると今回みたいに広い会場と長い開催期間が必要で登用できる場が限られる気もする。

現実的にはYoutubeの180/360度VR動画のように普通のスマホでも利用できてHMDに依存しない漸進的なプロダクトのほうが先に実現しそうである。V.W.Pの360度MVなどは見てみたいものだ、ぜひ『魔女(真)』の円陣で囲って欲しい。

横道に逸れると、使われていたHMD、Meta Quest Proだったと思うが、これが値段の高さ相応によかった。比較対象としてPSVR旧とQuest2くらいしか持ってないがProは眼鏡が邪魔にならないだけで体験が良い、重量はむしろ上がっているはずだが細かい装着感全体は向上している。ディスプレイ解像度自体はQuest2と差がないらしいものの、不思議と画質もProの方がよく見えた(レンズやピクセル密度だけで違うのだろうか)。

ARアート

ARアートも技術的に目新しいものではないが、逆に言えば既に普及していて今回使われたHoloModelsのようなプラットフォームも整備されており、デバイスもスマホなので気軽にコンテンツ制作できると考えれば、よくグッズとして売っているトレカと組み合わせたり近い未来での応用ができそうだ。これらに関しては技術的な進歩というより表現の追求が今後楽しみである。

そういえばイラストのレイヤー表現という話だと、割と近いことを前にPALOW.氏がSSSの展示で印刷とカッティングを活用して物理的に作っていたのを思い出す。

METAVERSE WATCH

デザイン先行で具体的に出来ることなどが示されていないので、特にコメントする部分はない。強いて言えば「VH花譜をこういう風に活躍させていきたい」という構想はわかった。KDDIはバーチャル渋谷も参加していて、αU metaverseもいわゆる都市連動型メタバースのようだが、神椿市建設中の方もそうした方向を構想しているのだろうか。


ところで花譜展あたりで「パラメトリック・スピーカーがこういう展示のとき使えたらな〜」などと適当に言っていたが、今回の展示ではなんと実際に投入されていた。実地で聞くとなるほど音質面はまだ改善の余地があるものの、周辺への音漏れがほとんどなく機能としては十分な性能だった。ヘッドホンのようにアルコールティッシュで拭いて、というオペレーションがなくなって劇的に体験が改善されている。目立たないかもしれないが、これも未来だ。

深化 / Web3.0関連

胡蝶蘭の代わりにこんなイケ好かないnoteを書くのはどうかと思うが、他に機会もないので少し言及しておきたい。書きたいことは多々あるが、ここでは二つの感想に絞る。
(以降、『神椿市建設中。』や深化の事業などを総称して単に「神椿市」と呼ぶ)

単純に自分向きではない

身も蓋もない話だが、自分は「神椿市」の想定顧客ではない。どういうことか?

まず、神椿市が直近でやろうとしていることはいくつかの方針に分解できる。「コミュニティの創造」「クリエイター・アーティストへの還元」「IP構築」「ファンとの相互作用・共創」「グローバル化」などだ。

それぞれについて思うことはあるが、ここで言及したいのは「コミュニティの創造」と「ファンとの相互作用・共創」の部分だ。神椿市はその軸に「コミュニティ」を置いており、その内部でメンバー同士が相互作用を持ちながら遊ぶ、というのが基本的なコンセプトである。これはメタバース構想とも調和した素敵な方針で、そして自分向きではない。

自分は「作られたコミュニティの中に入って協力し合う」みたいなものに楽しさを感じる受容体が少ない。もっと言えば、ファン・コミュニティ自体にあまり関心がない。

神椿が想定する主なペルソナはおそらく今でも『不可解弐Q2/Q1:RE』のショートドラマの高校生たちだ。教室の中には溶け込めないが、好きなものが共通している人同士で繋がることで救われるーーというのが、運営がファンに投影している一つの物語であり、神椿市建設中のテーマもそうしたファン像の発露なのかもしれない。

このテーマに対する実装として今までTRPGや謎解きなどの形式が提示されてきたが、これらのジャンルにもあまり興味がない。こうした企画は「TRPGや謎解きが好きな人種」と「神椿のIPが好きな人種」の和集合が見込めるように思えるが、実際にはその両方が好きな積集合になりがちだ。

本質的にコミュニティはそれ自体が強力なコンテンツであり、仲間がいれば例えコンビニの前で屯っているだけでも楽しい。メタバースにしてもコミュニティの形成は成否を分ける重要なポイントとなる。だからコミュニティの重視は運営の方針としては妥当だ。

ただそれを正しい正しいと頷く一方で、例えば花譜展3でグッズのオマケとして特に説明なく渡された謎解きカードとファン同士の楽しげな集団を見ている時には、ふと杞憂を感じることもある。ファンコミュニティに属しない人間に果たして今後も楽しむための席が用意され続けるだろうか、と。

見えない月

どこで読んだ話かは忘れたが、PIEDPIPER氏がVERSE Projectの困難さについて「花譜の武道館ライブだって活動初期には途方もない目標で誰も信じられなかった」と喩えていた記憶がある。確かに武道館ライブにしても目標としては前人未到のムーンショットだったのは間違いない。

ただ、自分の感覚ではこの二つは異なる。武道館ライブという月は"見える"からだ。花譜が武道館でワンマンライブをする、確かに困難には違いないし、そこまでの道のりを具体的に想像するのは難しかっただろう。だが、そのゴールは具体的だ。距離が途方もなく手が届きそうにないだけで夜空には厳然と輝いて見える。

一方で「神椿市をメタバース化する」といった構想はどういうゴールなのか、どういう進路なのかがあまりに多義的な言葉なのでわからない。武道館は「どうやって行くのか」がわからなかっただけだ、「どこに行こうとしているのか」がわかっていないのとはまた違う。

それに現状ではDAOにせよGenesisにせよ、ファンに対して相当な額の、本質的には何の保証もない手形を切っている今の構図は不誠実とまでは言わないが、いくらか不健全なことは否めない。

とはいえ、先日にはNARRATIVEが2年ぶりに新規コンテンツとして提供され、それとは別に「神椿市の具体的な設定はこうで、コンセプトアートがこんな感じで…」という情報公開が始まってきたのを見ると、今後はプラットフォームの展開にコンテンツが追従していくことも期待できる。まだよく見えていないが、これから朧月が見えてくるだろう。


色々とネガティブなことや杞憂も書いてきたが、自分も神椿がいずれ指し示してきた月まで行ってくれることは信じている。そして、花譜の武道館ライブがそうであるように、どんなに遠く見えた目標ですら到達してしまえばさらに先の未来が待っている。

アーサー・C・クラークもこう言っている。
「月は、星へと続く道の最初のマイルストーンだ」