重度VR中毒患者のリハビリ日記 #2

鉛色の空、そして雨。幾分肌寒い一日。保護課のアシスタントは私を散歩に連れまわして、いつものように尋ねる。
「この風景を見て何か思い出すことは」
私もいつものように答える。
「急にそんなこと言われても…こんなの年中見る風景ですよね」と。
私の答えに納得がいかないのだろう、彼女の不服そうな表情が見えたので私はあわてて付け加える。
「雨って外にいる時に降られるとうんざりするけど、屋内にいる時はそうでもない。むしろ雨音は自然音の中でも好きな部類だったし、一日中人工的な雨音をBGMにして作業をしていた時期もあったかな」
「そうそう、その調子。他にももっとあるんじゃない」


そうだな……いつだったか私は屋外プールの監視員のバイトをしていた時期があった。雨が降ると、客足が鈍り、ほとんどの場合はゼロになる。そうすると仕事をする必要がなくなるので、バイトのみんなで雨乞いのお祈りなんかしてたっけ……
いやちょっと待て……これはそもそも私が本当に経験したことなのだろうか。重度のVR中毒患者である私は、実際の世界で経験したことと、VRの各種のアクティビティ体験プログラムでの経験を混同しがちである。そしてより悪いことに、実際の世界とVR、いずれにおいても経験したことのない出来事を、あたかも実際に経験したように認識してしまう、「記憶の捏造」の症状が私には見られる。私が保護観察の身にあるのもそういった理由からなのだ。


脳内からラジオのノイズ音のようなものが聞こえる。視界が歪む。先ほどまで曇天の空だったのに、今は一転して雲一つない青空。そうかと思うと足下には先ほどまでなかった雪が。あれ、さっきまで隣にいた保護課のアシスタントはどこだ、どこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだ、ここは一体どこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだ……


「大丈夫、あなたは実際にプールの監視員の仕事をしていた。旅先でお金がなくなって、やむを得ずその仕事に飛びついた。そこでの仕事はあなたの性に合っていたから、翌年もその仕事をするためにわざわざ現地に行った、そうよね」
私の目の前には、鬼気迫る表情の彼女と相変わらずの鉛色の空。彼女の声に救われて私はまた現実に戻ってこれた。
服がびっしょり濡れている。恐らく、雨のせいではないだろう。


「今日はこのぐらいにしておこう。大丈夫、フラッシュバックするのはリハビリの初期には珍しくないし、保護課の職員はいつでもあなたを現実に連れ戻す」
彼女に促され、私は施設へと続く道を歩き出す。
私の手に力が入っていないことに気付いたのだろう。彼女は私の手から傘を取り上げ、それを開く。相合傘……そう言えば昔学校でそんな言葉が、文化があったような気がする。


ある冬の朝、教室の黒板にでかでかと描かれた相合傘。傘の下には少年と少女の名前。一緒に登校していた少年少女は、一緒に教室に入り、一緒にその相合傘を見た。少し困惑したような少女の表情、それに対して少年は……
それまで手を繋いでいた彼女の手を勢いよく振り払い、黒板の傘を必死になって消した。
そこから少年少女の交流は途絶え、やがて少女は親の都合で転校した。

強がりなのか、かっこつけなのかは知らないが。
有象無象のクラスメートに、さして重要でもない連中にばっかりかっこつけてるから。
お前は、いや私は、いつまでたってもこうなんだぞ。

今は冬、山あいが白く染まる頃、私はそれを思い出す。

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