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20230508 これから先の世界には哲学が重要になる#SensibleDiverseGoals

仕事って要するに

作ったものとか獲ってきたものを売って利益を出す仕事(生産従事者)と
サービスや満足を提供して利益を出す仕事(サービス従事者)のどちらかしかなくて

生産従事者と言っても本当に自分で物を作ったり、獲って来る人って案外少ないんじゃないだろうか
経営者とか管理者とか、事務作業とかは物を作る手伝いをしているだけだから、物は作ってないわけだから、その数を除いて考えればもっと少ないだろう

そうなると圧倒的にサービス従事者のほうが多いのだが
少ない生産従事者が作ったり獲ったりしたものを
多くのサービス従事者と分け合って暮らしているんだから
ほとんどが生産人口だった大昔に比べたら、それだけ生産・収量効率が高くなってるってことだ
仮にもっと機械化されて効率化すれば生産量は同じで、物を作ったり獲ったりする人はもっと減ることになる

そうなったら余った生産人口はどうしたらいいのか
生産に従事する仕事につかなくてもこれまで以上に効率化されてものは作られてくるのだから、余った人は仕事もしないで暮らせるようになるんだろうか
いやそういう人は福祉関係の仕事に回ればいい
※もちろん給与格差をなくしての話

まあいずれにしても労働(人が働くこと)によって付加価値が生まれ
その付加価値が利益になる

その人が生み出す付加価値は何で決まるのだろう
物を作った量なのか
摂ってきた量なのか
満足感を与えた量なのか
はたまた希少性なのか

人間に必要な価値とは

人間という生物が生きていく中で
人間が得る価値のあるものとは
衣食住に関連するもの以外は
全部精神性の満足するものでしかない

となると
すべての人に衣食住が無制限に安定供給されるなら
どうなるのだろう

変な資本家の資産形成のための生産構造を全部やめてしまえば
今の世の中ものは余るはずで
エネルギーも食料も科学や医療や教育や
そして人材も

誰も奪い合わず
誰一人取り残さず
誰かだけを優遇せず
自然を守っていけば
SDGsなんて意味がなくなる

精神性を満たすために

衣食住に不安がなくなれば自ずと精神性は満たされる
そしてその時には
人間の英知としての哲学が大切なファクターとなるわけだ


※ChatGPTの回答

資源が共有される社会が実現したときに哲学はどういう意味を成すか?

 資源が共有される社会が実現した場合、哲学はより重要な役割を果たすことができます。共有経済社会においては、個人の利益だけでなく、社会全体の福祉を追求することが求められます。このような社会においては、哲学が人々の共通の価値観を形成するのに役立ち、より持続可能な社会の実現に貢献することができます。
 具体的には、共有経済社会においては、資源の配分や所有権の問題などに関する哲学的な考察が必要になるでしょう。例えば、共有された資源の配分については、どのような原則が適用されるべきか、誰がどの程度の資源を得るべきかといった問題について、倫理学的な観点から考える必要があるかもしれません。また、所有権の問題についても、共有経済社会においては、個人の所有権よりも社会全体の利益を優先することが求められるため、哲学的な論考が必要になるでしょう。
 さらに、共有経済社会においては、個人が社会的責任を果たすことが重要になるため、倫理的な問題に対する哲学的な考察も必要となるかもしれません。例えば、個人が社会的責任を果たすために、どのような行動をとるべきか、社会的責任を果たさない場合の責任はどのように評価されるべきか、といった問題について、哲学的な考察が必要になるでしょう。
 以上のように、資源が共有される社会においては、哲学がより重要な役割を果たすことができます。哲学的な考察を通じて、より持続可能で公正な社会の実現に向けた指針を得ることができます。

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