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伝えたい気持ちは伝わらない

先日、路線バスに乗っているとバス停に車椅子の方とお連れさんが待っていた。
ちょうど乗り場が見える所に座っていたので、運転手さんどうやって乗せるんだろうかと。一部始終をくまなく見るつもりでいたけど、ずっと見られるのは運転手さんも車椅子の方もお連れさんもいい気分ではないだろうと思ってガン見せず、静観していた。

バスは何度かバックと前進を繰り返し、歩道に寄せて乗せやすい場所に停車。
バスから降りて乗車する段からスロープを引っ張り出す。(そこにあったんだ感。ノンステップだとどこにあるんだろう)
そのバスの停車位置同様、スロープもなかなかガチッと決まらず何度かガチャガチャして、しっかり固定された。
(引き出したスロープの端を段の上に乗せることで固定されるようで、その為にガチャガチャやってた)

いよいよ車椅子の方がお連れの方に寄って押されて乗車。
歩道から段の上、そこをスロープだと結構大変そうだった。
思ったより大変なんだなと静観していたが、スロープから車内への繋ぎ目の所に少し膨らみがあり、そもそもスロープだけでも大変なのでそのほんの少しの膨らみを越えられず、お連れの方も少し戻しては勢いを付けて乗り越えようとしていた。

それを見かねた前方に座っていた年輩の男性が立ち上がり手を差し伸べたのを見て、私も即座に立ち上がり、車椅子の手すりを掴み引き寄せ、乗車に成功。
お連れの方から「ありがとうございます」と言ってもらえたので「いえいえ」と軽く挨拶だけしてその後は運転手さんが車椅子を固定してスロープを片付け出発をした。

車椅子を固定する為のスペースには元々、椅子があり、ヘッドホンを付けた若者が座っていたのだけど、運転手さんにお願いされて別の席に移っていた。

バスが次のバス停に着くと高齢の方が乗車してきた。
私は乗車口より後ろの段差を登った席におり、その方は段上を見渡し、まだ空きはあったと思うけど段を上るのが億劫だったのだろうか、そのまま立っていた。(相席すれば階段上がらなくても座れる状況だった)
そうすると先ほど、車椅子固定スペースに座っていたヘッドホンの若者がスッと立ち上がった。

あ、席を譲るんだな。良い心がけだなー。と思っていただが若者はその方に一言も声を掛けず、立ったまま、バスは走りだした。

次のバス停で私は降りたのだが、その若者は降りる事なく立ったままだった。

なぜ立った?

立てば高齢者が座ると思ったのだろうか。

そう思っていたのであれば、一言足りない気がした。

伝えたい気持ちは言葉にしないと伝わらないんだよなーと思った。

ひるがえって、車椅子の乗車への補助について思った。
バスには運転手さん以外は全て乗客で車椅子への補助は全て運転手さんお一人でやられていた。
安全運行を保ちながら、そういった補助もしなければいけない。
車椅子への補助だけじゃなく、他にも色んなことがあるだろうと思う。私には思いも及ばないイレギュラーな対応をしながら、安全かつなるべく時間通りの運行を心掛けているんだろう。

当時、車内には大学生らしき若者たちが何名か乗車していた。(ヘッドホンの若者含む)
私も含めてだけど、きっと心の中で「何か手伝えないかな」と思っていたんじゃないかと考える。でもそれを声に出せなかったのも事実。(私も含む)

そしてもしかしたら運転手さんだって手伝って欲しいと思ったかもしれないし、一人じゃ大変だと思ったんじゃないかと想像する。
車椅子の方もお連れの方もそう思っていたかもしれない。

もちろん、運転手さんは業務だし、スロープの出し入れだって責任ある作業だし、素人には任せられない。
車椅子を押したり引いたりすることだってむやみにやって良いことではないだろう。

そう思って何も言えなかった私。
椅子を譲るだったかどうか分からないけど席から立ったヘッドホンの若者を私は「一言足りない」と書いたけど、それは私も同じだったかもな。っとこれを書きながら思った。

私から見た世界は思った以上に愛に溢れていて、でもそれを声に出さない人が多い世界だなと思った。

伝えたい気持ちは伝わらない。
声にだしたって伝わらないんだもんな。
でもそこに愛はあるんだと思う。


車椅子の方を始め、何かしらにハードルがある方々がもっとスムーズにバスに乗れたら良いのにな。と思ったし、いや、それ以外にも世の中には色々あるなぁと思った。

ただそれだけの話。

今後の活動の為にサポートいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。