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バファリンエルフイータースレイヤー 4 【後編】〈完〉

現在(あるいは20年後) - 夜明け前。

 2人の夜警が走る。1人は布製のマスクをつけ、1人はこれといった特徴もない。両人共が増援ではなく伝令を言い渡されたのは、剣の腕が未熟だと評価されているからである。
「なぁ……」
「なんだよ」
 マスクの男が後ろを走る方に声をかけた。
「俺の言った事、正しかったろ?」
 鼻で笑い合うと、2人はまず詰め所に向かった。中の2人はそこそこ使える。が、同時に酒豪でもあった。下戸と上戸、下手と上手で分けられた組み分けだったが、足手まといを抱えた2組より、役割分担が明瞭な1組と1組の方がマシだ、という差配である。
 酒がなくて逆に頭痛がするような2人だが、久方ぶりの有事とあっては目の色を変えた。
「俺らが行く。お前らは奥に伝令を頼む!」
 2人は走る。そこでも同じ事を言われ、さらに走る事になる。
 そうして最終防衛ラインから更に下り、近衛長の部屋へと向かう途中。マスクの男が少しずつ歩調を落とし、やがて立ち止まってしまった。
 近衛長の、そして王の部屋へ向かう長い廊下。聖堂の如く多数の柱が並び、同じ程の数並ぶ高窓が、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
「おい……どうした?」
「ここが都合がいいだろ。これ以上進めば……目的に辿り着いちまう」
「都合?」
「勘違いならいいんだ。殺しはしない。動かないでくれ」
 マスクの男が抜き打つ剣の風鳴りと、バックステップで回避した男の靴音が響いた。月の光を反射して鋭く光る刀身。鞘から抜き払い突くまでを一手で行う、練り上げられた動き。
「はは……なんの真似だよ?」
「…………やっぱり、か」
 音は響く。しかし誰もそれを聞くものはいない。彼らの他には。
「俺はお前をずっと追ってた。バッファロー・ピルが殺された日から。バファリンエルフについても、調べた」
 沈黙。
「お前が誰かを殺す時、金髪の美人が目撃されるよな。必ずじゃないが、それなりの頻度で。バファリンエルフの『優しさ』は血に宿る……らしいな。手首でも切らせてたのか?」
 沈黙。
「お前が使っていた鳥っぽいマスク、ゴブリンの『処刑人』のマスクだってな? 本来香辛料や麻薬を含ませた詰め物を入れて陶酔させ、同族を殺すのに抵抗感をなくす為のものだって」
「……それは」
 特徴のない男の口元が緩んだ。
「……知らなかったな。ただ、いつの間にか奪って、都合がいいから使っていた」
「ハハッ やっぱりな」
 マスクの男は肩を震わせて笑った。剣先のみひたり、と下段で静止している。
「お前は何も知らないまま、やらかして来たんだな」
「…………」
「お前が殺したやつがどんなやつか、考えなかったのか? 救われた人間がいるかもなんて、考えもしなかったか? どうでもよかったか? 罰を与える事しか、考えなかったのか」
 特徴のない男は、剣に手をかけるでもなく、ただ立っている。抵抗を諦めたようにも見える。
「……いま正門に来てるのは囮か? 協力者がいたのかよ、それとも──おおッ!?」
 撃剣。
 間合いの外から、片足を踏み出す勢いのまま剣を抜きつつ跳躍。最短最速で斬りつける剣技。
 翻った夜警のマントの下から、紐で結え付けた鳥型のマスクが踊る。
 眼は遠くを見る様に無慈悲。ボンクラを演じ、下戸を演じ、馬鹿話に興じた落ちこぼれ2人という虚像は切って落とされた。
 そして最短の強襲を防いだ者の技量も、また並ではありえない。マスクの男──ヒルコが猛る。
「バッファロー・ピルの仇! お前を! お前を斬る!」


 およそ20年前から始まったゴブリンの償い。
 その大多数が堕胎か、生まれたその時に処分される、他種族との間に生まれたゴブリンの赤子を(制度の始まりにおいては代理人としてのオーガが)迎えに行き、補償金を渡して引き取り、専用の集落で育てる。
 その活動はまだ社会にも、ゴブリン自身にさえ浸透しておらず。あまりに未熟で、結果だけ見れば「ただ住処と食を与えていればよい」という方針となっていた。
 その住処も、はっきり最低限度を下回っており、被扶養者であるはずの孤児の中で気の利いた者が設備の維持・補修をし、赤子を世話して何とか回っている有様であったし、食も、ただ個々の裁量や我慢といった制度的ならざる努力によってかろうじて行き渡っていた。
 それでもゴブリンの幼年期は短く、立ち上がるまでに早ければ2ヶ月しか必要としない上、無為に泣き喚いて手をかけさせたりもしない。繁殖を旨とする種族故の早熟であったが、そのような常識から繰り出される施策が他種族に適用できようはずもない。
 ヒルコ。
 トロールの母とゴブリンの間に稀に生まれる、トロール。
 彼の産みの親は困惑したが、しかしその父親を知っているのは誰でもない自分自身だ。手放すのに否応もない。そしてゴブリン達には、断片的ながらそういったイレギュラーへの知識──どれだけ誤っていようとも──があった。
 ヒルコとは、ごく稀に産まれる、生涯を赤子として過ごす穀潰し。そう信じられていた。それはあるいは種の業への復讐者なのだと信じられ、産まれた時に潰すのが習わしとなっていた。
 実際にはゴブリンの常識と照らして三倍以上も続く、トロールの幼年期間がその原因であったが、その『習わし』ゆえ知られる事もなく、歴史の闇の、語られざる暗黒の、その更に奥に消えて、気付かれる事とてない。そういう存在だった。
 それでも彼が育てられたのは、ゴブリンに蔓延し始めた『優しさ』が「皆への優しさ」だったからだ、と言える。
 しかし、いくら親世代が慈愛に満ちた行動をしようと、誰もがその『優しさ』を、特に実際に世話役を買って出ているゴブリンの子供達が栄養に優れ、また『優しさ』の補給源ともなるエルフ作物を口にできたわけでもない。
 姿形の異なる者は同じ屋根の下で暮らすゴブリンにも受け容れられず、また絶対数の少なさから識別の必要もなく、つまるところ名すら与えられる事なく、ただヒルコとだけ呼ばれた。
 それでも7年。ゴブリンでいう成人の歳までは、逃げる事も許されず、内に外に虐げられ続けた。環境に、生まれに、周囲の愚劣に憎しみを抱けたならそれでもよかったのかもしれない。向けられる悪意に意味はなく、湧き上がる苦しみに価値はなく、世界は不条理なのだと諦められれば、あるいは救いになりえたのかもしれない。
しかし世界に法則性と『理』を求めるトロールの『支配者』としての頭脳は、「自分が罰を受けるのは、自分が罪な存在であるからだ」と、幼く繊細な観念を組み上げていった。
世界の全てを構成するものに意味がないと考えるよりは、筋の通った法則がある事を望んだ。それはあるいは、知性が自らに課す重税。
 自意識。世界公正。あるいは単に「罪」。
 同時期に取り上げられたゴブリン達が成人として祝いを受け、あいつはどこそこの氏族に振り分けよう、あいつはウチに欲しい、いやウチが、と湧く門出の日。彼は誰に受け入れられる事も、誰に押し付けられる事すらなく、誰もが自分以外の誰かが世話をするべきだろうと目を逸らし、口を閉ざした。実の所、その後ろめたさもない。責める者もなく、それで『誰もが』幸せになれるからだ。『全員』が。
 祝いの席だというのに、終始空だった酒杯を見下ろして過ごし、やがて雨が降り、夜になった。器の中では、欠けた月が泡立っている。周囲には最早、誰もいなくなっていた。
 それからどう生きていたのか、ヒルコには記憶がない。トロールの街での浮浪者としての生活。良くも悪くも何もかもが新しく、刺激にも事欠かなかったろうに、それらから生まれる感想はただ一言「やっぱりな」という所感であった。
 トロールの『支配者』という生まれながらのエリートの、それも子供が浮浪者をやっているというのは珍しい。何か事情があるのかもしれない。貴族達の政争に親が破れて晒しものになっているとか。自分以外の誰も手を貸さないのがその証左かもしれないじゃないか、大体見ろ、あの目を。あの怒りも不満も悲壮も何もない、淀んだ目を。
 彼にはわかっていた。罰を受けるのは、罪な存在であるからだ。
 その真実を一つ抱えて生きていた。


 彼が10の頃。いつもの通り、街で炊き出しが行われていた。週2回、身体の大きなオーガ達が雁首揃えて声を張り上げ、粥を配る。
 少年は彼らをある意味では同類だと思っていた。慈善事業は、つまり罪滅ぼしだ。彼の中ではそれ以外の解釈はなかった。年に1度、自らの『罪』とやらを戒めとして話す一際でかいオーガの話もそれを補強した。
 彼らは存在を許される為にこうしているのだ。そうしなければ許されないのだ。
「グワハハハハハ! 聞くがいい! 貧弱なる者共!」
 その日、少年が頭にかぶれそうなオタマで鍋を叩きながら、一際でかいオーガが、一際張り切っていた。
「これより! 粥の炊き出しを行う! それもゴブリン米やトロール米ではない! エルフ米だ!」
 何やら高価いものらしい。少年はそれで量が減ったりしていないかだけが心配だった。味なんか分からないし、意味がない。そんなものと引き換えに空腹を紛らわせられなくなっては困る。
 少年はいつも通り、列の最後尾についた。上手く理由はつけられなかったが、自分より大きい奴ら──しばしば突き飛ばし、横入りしてくる──のように、無くなる前に自分だけはあるつこうと群がるように集まるのは嫌だった。そのせいで何度か粥に辿り着けない事すらあり、意味のない悪癖だと自省していたが、どうにも改まらなかった。
 今回はどうやら足りたらしい。長く並び、足が棒のようだ。流れ作業で器を渡された時、『いつものやつ』を感じる。大鬼の、なんと言えばいいのか、物理的にだけでなく、かといって侮蔑もなく、見下ろす視線。それが憐憫というものなのだと、少年にはわからない。ただ苛立つだけだ。
 器が取り上げられるのを、襤褸の下から睨み上げる。
 大鬼はそれを見下ろして、なんだか面白そうに笑った。
 何かが湧いてきて、ひったくるように器を取り、逃げるように走り出す。けれど、脚はもつれ、腕は反射的に器を放り投げた。その時脳裏にあった言葉も、やはり「やっぱりな」だった。
 罰を受け続けるのだ。俺は。
 だが腰の辺りに力が入ったかと思うと、身体が宙に浮いた。
 零れゆく白い流れを嘘みたいに受け止めて、ほんの数歩ほどの距離を飛んだ。魔法は速やかに終わり、ゆっくりと。ゆっくりと地上に降ろされる。呆然と見上げると、大鬼が太い指で頭をつついた。
「ウム! 矮小にして貧弱なる小僧よ!」
 攻撃? 思わず目に力が宿る。その憎悪の片鱗とでもいう感情を、大鬼は真正面から捉えてみせた。
「施しを恥辱とするその誇り高さ、見どころのある奴よ!」
 誇り。
 自分のこれは、そんな名前だったのだろうか。
「だが今のお前にはどうにも出来ぬ! せいぜいたくさん食べてその誇りに見合う身体を手に入れるのだな!」
 どうにも出来ない。どうにもならない。知らず、目線が下がっていく。しかし、地面に注がれるはずだった視線は、手中の器へで止まった。
 まだ。これからどうにかなると言うのだろうか。『皆』ではない──ゴブリンではないこの身体は、まだ大きくなって、この誇りに、湧き上がる心に見合うほど、大きくなれるだろうか。
 少年は顔を上げ、その目を見る。今度は憎悪ではなく、恭順ではなく。感謝と覚悟を籠めて。
「…………ありがとう」
「ウヌ! 当然よ! 感謝するがいいわ!」
 大きな声。大きな指。彼ほど大きくなれなくとも、少しずつでもそれに近づきたいと思った。大きくなっていいのだろうか。大きくなりたい。彼のように。
「だが覚えておくがいいぞ。その感謝心こそが、貴様らの親切心を引き出す! そうして今度は貴様らが親切を行い、それが感謝を生み、そしてようやく世界はほんの少しだけ優しくなるのだ!」
 その日、少年は初めて、食べ物をうまいと思い涙した。


 その日、バッファロー・ピルは死んだ。首を斬られて死んだ。
 包囲をものともせず消え去った刺客を呆然と見送り、ふらふらと広場に、鍋に近づく。地面に落ちた、大きな、大きな頭。
 ふと、視界の端に金色の粒子が見えた。少年は、自分が夢を見ているのだと思った。横倒しになった鍋の中から、あのバッファロー・ピルの慈悲が人のカタチを取ったかのような美しい女が、こちらを覗いていたからだった。
それは、大鬼の切り離された頭をじっと、ただ見ていた。美しく、そして不吉。綺麗な髪が、流れを止めた血にべったりと浸っている。
 何に触れる事も出来ず、話しかける事も、目覚める事もなく、ただ立ち尽くしていると、やがて男がやってきて連れて行ってしまった。まるで雑草の根を払うように、女の髪を刈って。
 少年が残された髪を手に取った時、それは枯れ果てた植物の毛細根のようだった。血を吸い上げて朱く、端から萎れて縮れて、ぼそぼそと崩れていった。

 少年はそれから、オーガ達に頭を下げ、強くなりたいのだと言った。彼の、バッファロー・ピルの仇を討ちたいと。意外にも、オーガ達は及び腰だった。今なら分かる。首領を討ち取られ、あれほど見事に逃亡されたのだ。尻込みもしよう。それに、バッファロー・ピルは、普段から死を意識し、仮に自分が討たれても深追いするな、と言い含めていたようだった。
 加えて、力に優れるオーガやゴブリンが、束になって10年──ヒルコたる自分が生まれた年から追い続けて、未だ影すら捉えられぬ怪物である。ゴブリンとしては特別。だが、その実はただのトロールの少年。出来る事は何もない。
 どうにも出来ない。何もできない。今は、まだ。
 彼は手を見た。小さな手。自分の意志と比べて余りにも小さなそれを。
大きくなる。そして強くなる。
 炊き出しの折、ずっと少年を見守り続けていたオーガ達は、その目に、少年の中に見る事のなかった強い『火』を見た。オーガ達は、ならばと王都の道場へと少年を紹介する。ドワーフの一部に伝わる技術を、バッファロー・ピルその人も交えて編纂したドワーフ流剣術を学べる場所へ。
 自分たちは力に秀でているが、駄目だった。奴を、仕留めきれなかった。だが、バッファロー・ピルが認め、惜しみ、復活させた『技術』ならあるいは。
 
 
 復讐へと生き急ぐ彼に、ドワーフの師は苦い顔をしたが、結局は命を守る術を授ける事が彼の為と信じ、さもなくば諦めよと剣技を叩き込み、少年が青年となる5年後、まだまだ未熟だが貪欲に打ち込んだ甲斐もあり、中伝──奥義には未だ遠く、道半ばなれども・道は半ばまで来たり──を認められた。
 元々はこの世界の支配種の血。ドワーフ流剣術に打ち込む傍ら、バファリンエルフイータースレイヤーの動向が分かる情報を買い漁り、それを読み解き、因縁の街にてファリン神父を狙い、かつ宵の口に仕掛けるだろうとまで予測した。
街の警邏組織や親衛隊を裏切り、奴の剣を──経験を積んだ彼には分かる。それはドワーフ流のバスタードソードだ。トロールにはいささか短い──隠し、そして疑似餌として使い、1対1の状況に持ち込んだ。
 しかし。
 美しい人がいた。バッファロー・ピルの慈悲が人の姿を取ったような、夢の人が。
 立ち合いの最中、夢と現実の境を失い、気付いた時には、否、目を覚ました時には、無様に地面に転がされていた。

「こ」
 夜空に手を伸ばす。月もない、最も暗い時間。
夜明け前。
「殺されも、しなかったのか」
 何もない空を、何も持たない手が無為に掻いた。この何もない世界を、罪しかない俺が、まだ生きなければならないのか。


また何の記憶もなく、気付けば王都の道場へと戻っていた。
 貪欲に修行に打ち込んでいた彼しか知らぬ道場の連中は、皆目を丸くして彼に声をかけた。どのようだったのだろう。彼に、彼自身の姿を知らせてくれるほど親しい者はいない。
 道場では兵士に就職するのに有利な免状を得る為、あるいは憧れ、あるいは趣味、否、あえてはっきり言えばファッションとして剣術として学んでいる門下生がほとんどであり、実戦形にこだわる彼は野蛮と厭われ、距離を取られていた。
しかし、皆どこかで、渋々ながら、ほんの少しだけ──彼を尊敬していた部分があった。しかし今の彼には、何もなかった。
 やがて、ヒルコは師範の導きで城の夜警に就職した。
 あんな所に行けば剣も、人としても錆びつくのは目に見えていた。けれど、彼には師の想像以上に『復讐』以外に何もなかった。
──水は低きに流れ、人は安きに流れる。復讐の対象ではなく、復讐それ自体にじくじくと執着する生を送らせるくらいならば、錆びても安き人として生きている方がいい、との判断だった。
どこまでも平時、どこまでも平和、どこまでもドワーフ的な考え方であった。


 だが夜警に入った彼は、目を疑う事となる。バファリンエルフイータースレイヤーが──もちろんあの特徴的な鳥形のマスクはしていない。それによって隠され、それによって誰も知らぬ素顔を堂々と晒して、そこにいた。
 ヒルコは牙を隠し、顔を隠し、その目的を探り始めた。単にその使命を終え、第二の生を送ろうとしているのか? 大切な人はいるのか? 家族はいるのか? 恩人はどうだ。
 内では腸を煮えくり返しながら、外では努めて静かに、そしてトロールとしての性質をこれ以上なく発揮しながら、そう、友好的にと言っていい態度で取り入り、探り始めた。
 だが、ひとりだ。
 あの非現実的な美人とも、接触している所は一度もない。
 しかし、城内の稽古では、僕は弱いから、と余人から離れ、そのくせ驚くほど厳しい想定の型稽古を行っているのが確認できた。致命傷を入れる為に腕の一本も捨てる想定だ。周囲にそれを目撃されても、理解できる者などいない。あるいは、もっとドワーフ流剣術として『実戦的』な型をやれ、と叱られる始末。
 けれどもそのような的外れな指摘にも、かっこいいでしょ、ああいう事が出来たら、とおどけ、自らを嘲ってさえみせていた。隠している。牙を。
 自らは城内では基礎訓練のみに費やし、速攻に対応する身体を作りつつ、考課の評価を考えながら立ち回り、半年ほどで同じ配置につく事が出来た。自分自身は「噂好き」として、あちこちから情報を仕入れながら、奴に情報をぶつけて反応を見た。
 ほとんどはそれらしい反応がなかった。当初は反応すら面倒そうに相槌を打つだけだったが、いつだったか、お前は酒を呑まないのかと訊ねてきた。呑めないんだと答えると、どこか安心したような空気を出し、僕もだよと、初めて自分の事を話し出した。
 3年。ただそうして話続けた。夜警の給料をつぎ込んでの情報収集は、バファリンエルフイータースレイヤーの背景まで手を広げた。バッファロー・ピルとファリン神父、その配下の罪。バファリンエルフの生態。20年前に死んだひとりのドワーフの偉人アルコーの死。奴の目撃証言。奴の所業。恐らくは奴が知らない事まで。
 時には不自然でない程度に、その話題をかすめる話を打ち込んでみた。何の反応もない。ただ一度、亜人肉食家が城に来るらしい、という、馬鹿らしい噂話に過剰に反応した他には。
 結局その噂は噂に過ぎなかった。古傷に触れたから反応しただけだろうか? 否。ヒルコは確信している。奴が放つ殺気を、他でもないこの俺が間違えるはずがない。
 何かあるのだ。何かが。
 そして事態は動き始めた。道場を通じて四天王の動きを察知し、当日の城の予定を探り、仮説を立てた。その裏で、同じ事を調べている人間の影も見え隠れした。間違いない。
 こいつは、亜人王を殺す気なのだ。
 だが、何故? 言ってはなんだが、今代の王はまったくお優しくない。
 奴隷にするよりも大きな搾取が見込めるからという理由で奴隷認定を廃したかと思えば、またその逆が利益となると見れば躊躇なく亜獣認定を下し、またその『実績』をちらつかせて『交渉』を行う。
 報酬の名目で首輪を賜わし、人質の体で監視を置き、信頼の名目で沈黙あるいは追従を強制した。建前と本音、実益と面子、裏と表を使い分け、『異世界からの色彩』到来始まって以来、亜人暦を数えても指折りの辣腕王として知られていた。
 強いて言えば、種族特性として『美』を持ち、富貴なれども借りを作っても返した試しのないダークエルフへの、甲斐の無い恭順的態度が目立つ以外にそれらしい瑕疵もない、トロールの『支配者』だ。
とてもバファリンエルフをどうこうした、とは思えない。
 だが。ならば。
 あるいはあれ以来見る事がなかった美しい人……否、バファリンエルフが捕らえられた、とか?
 胸がざわつく。
 俺は王を守りたいわけではない。ただ、罰に、理不尽な罰に、それ自身の罪を見せてやりたいだけだ。復讐をして、そして、終わりたいだけだ。
 彼の生の呪縛は解けつつあった。そしてどれだけ解けかけても、絶対に解けない事も分かっていた。
 バファリンエルフイータースレイヤー。
 奴が生きている限り。



現在 - 夜明け前。

 ふたりの剣鬼の戦いは、一見して互角だった。
 瞬発力と虚を衝く技で一撃必殺を狙うバファリンエルフイータースレイヤー・ライトと、防御を固め、手数で傷を与える布マスクの男・ヒルコ。
 しかし、見る者が見れば一方が圧倒的に優勢であると判断できただろう。片や10年に渡り道場で木剣を振り続けた男。片や20年に渡る実戦の中で自らの戦型を完成させた男。
「シッ」
 呼吸と攻め気で誘い出し、躱しつつ短く当てる技。ライトはそれに構わず強引に捻り上げ、対手の剣を叩く。そのまま脚を蹴り──賺される。腕だけで押し当てるように細かく繰り出す刃先が、夜警の制服を浅く切り裂いた。
 動きは止まらない。剣を抱え込むかのように身を縮めたかと思うと、柱を蹴り、常識はずれの軌道と速度で急襲をかける。
 対するヒルコは反撃を放棄、構えを解いて側面に移動し、そのまま三合、打ち合いに流れる。
 離れ際、互いの間合いギリギリの距離からようやく逆襲をかけると、マントの一部がそれより前に受けた傷と合流し、切れ飛んだ。
 ライトの制服やマントには、今やそうした手傷がいくつも付いており、さらにそのいくつかからは血が滲んでいる。攻め気で誘い、相手の誘いには乗らず、押さば引き、引けば押し、着実に『点』を──傷を稼ぎ続ける。彼が、ヒルコが師に請うた『実戦的』剣法とは即ち、一本狙いではなく細かく戦闘力を削ぐ立ち回り。
 相手の一撃決殺の可能性を潰して傷を与え、相手が逆転や一撃を狙って繰り出す剣を躱してまた傷を与える。
 夜警の任につき、牙を抜かれた演技を続けながら道場に戻ってからは、わかりやすい『勝ち』を捨て、困難な『優勢勝ち』──から、自らのタイミングで逆転の一本を『取らせて』試合を『負け』で終わらせる──戦型を徹底して習得した。今や師範以外には、対手や審判にすら見破れぬほどに深化させた「消極的な攻め」。
 今までの自分は逸っていた。その癖、想定外の事態で容易く崩れた。真っすぐ行って叩き切る。それが通用する相手ではないと、オーガ達から聞かされていたというのに。
 待ちを学ばなければならない。逸ってはならない。しかし遅れてはならない。後悔と屈辱を噛みながら出した答えだったが、これこそが。
 他の門下生からあの頃のお前はどこへ行った、城勤めなどしてやはり腐ったななどと侮りを受けても泰然としつつ昼行灯を自称する彼の意を汲み、あえて周囲にそれと知らせはしなかったが、師は彼に内々に奥伝──奥義相伝を認めていた。
 護身を為し、敵の逸りを突く。生き残り、そして決して負けない。ドワーフ流剣術の理念、基本にして奥義とはそれなのだから。
『決まれば勝ち』という強気な手を連発する相手は、むしろ実力差のある窮鼠の一つ覚えとさえ言える。
 剣技はライトの不利。しかしどちらも逃がさず、逃げない。時間がどちらにとって有利に働くのかは不明。──どの道、両者が目的を果たす為には、今、ここしかないとしても。
 あるいは夜警や近衛が音を聞きつけて集まってくるかもしれない。あるいは正門から堂々やってきたという『鳥型のマスクを着けた賊』の存在。
(余裕はない、しかし切迫も)
 ない。制服のあちこちから血を滲ませ、重いが今一つキレの無い、あるいは鋭いが重さの足りない剣戟を繰り出す仇に、要らぬ情動、要らぬ言葉が湧いてくるのを止める事は出来なかった。


「あの時、殺しておくべきだったな」
 自身が思ったよりも苦々しい声が出て、剣が止まる。斜めに射す月明かりが白かった。
「何故、俺を殺さなかった」
「……理由がない」
 呼吸を整える。マスクをしている分回復が遅いが、実力はこちらが上回っている。回復効率から言えばこちらを優勢にするはずだ。そんな言い訳ばかりが頭を巡り、聞きたい事はひとつも言葉にならない。
「ハッ、理由!? お前はママを喰った連中を1人残さず、今何をしているのかも関係なく斬り殺すマザコン復讐鬼だろうが!」
「…………」
 声が荒くなる。鼓動が乱れる。駄目だ。喋るな。喋らせるんだ。
「始めが間違いだったら、今どうなっていても殺すってか。だったらお前だって俺と同じ、生まれたことが間違いのクソ野郎だろうが!」
「……お前の事情は知らないが」
 苛立つ。なんだってこんなに冷静なんだ、コイツは。終わりなんだぞ。お前のやってきた全部がここで途絶えるんだ。
「バッファロー・ピルの仇、か。……奴の『優しさ』は、あいつの物じゃない」
「誰のものだったとしても! 誰かに向けられるかぎり、それは『優しさ』なんじゃないのか!」
「上手い事を言うな」
 クックッと、笑ってさえみせる。ここで打ち込むか。だがこれが誘いだったならどうだ。ここまで俺から仕掛ける事はなかった。未知の反撃が来るかもしれない。聞く時だ。今は……。
「……長い道だった。そういう思索に耽る事もあった……誰かに向いてさえいえれば、か。それはやはり、『慈悲』としては半分なんだ」
 口に上す単語に反し、殺気が、叩きつけられる。
「『優しさ』とは、余裕だ。いや──余裕から生じたものでないそれは、その人間に手放してはいけないものを手放させ、破滅させる、毒に他ならない──『慈悲』もまた毒だよ。万人に与え、万人を中毒する、あってはならぬ毒だ」
「……お前は」
 多量にかいた汗が、急速に冷えた。
「お前が、バファリンエルフを否定する気なのか」
 ──足音がした。握り締めた剣の柄、その堅さを感じながらそちらを睨みつける。妨げるなら、みな斬り捨ててやる。コイツは俺が──。
 鳥型のマスクをつけ、襤褸を纏った者が、奴の背後に立っていた。正門の方からやってきたそいつには、傷ひとつない。
「お前は……?」
 背は高く、マスクの目の部分はレンズの類は嵌まっておらず、ただその奥の瞳が暗中、月の光を照り返して煌めいた──? 違う、これは──これはバファリンエルフの粒子!
 俺の目線の先を追い、奴が振り返り、叫んだ。
「ルナ! こっちに来るな!」
 ──そうか。
 これが奴の、時間に対する勝算。奴が動き回ったのは俺の呼吸を乱し、マスクを外させる為。しかしそれは為せなかった。そして奴はマスクをしていない。つまりバファリンエルフの血を利用しての奇襲はない。
 集中。来る。踏み込みながらの単純な両手袈裟斬り。
 ここだ。奴の目を見る。想定外の事態に動かされた破れかぶれの一撃に見せつつも、その目は変わらない。
 ここまでの打ち合い。実力差すら計算に入れ、型に嵌める方法を練り上げていたはずだ。そう直感する。これが最後の一合。
 素早く息を吸い──止める。
 叩きつけるように、刃に対して垂直に交差。火花、つんざく音、剣を震わせ肩まで伝わる衝撃。そういったものへと形を変え、運動エネルギーは散逸しつつ、限りなくゼロに近づいていく。だが、決してゼロにはならない。そこから始まるのだ。
 これまでのやり取りで互いの膂力は知れている。そしてここからは、技量と読み合いの領域。生死の狭間。
 バインド。
 息を細く、細く吐き始める。
 肩に力を込めるように押し込むと、対手はあっさりと引く。
 一歩、踏み出しながらまとわりつかすように抑える。手と手を重ねるとはこんな感じかと、ふとそんな事を想った。──吹き消す。奴が柄から左手を放し、右手だけで操剣する。支点が変わり、力の流れは乱れ──ない。
 踏み出した足が着地すると同時、刃と刃は離れている。それは奴の無防備な右上腕を突くようにコンパクトに斬る軌道。奴の剣が腹を狙うが、撃剣で勢いが減じた上、片腕である。『斬る』為には押し付けて、かつ引く動作が要る。二手上回った。勝ちだ。勝利────ここ!
 柄を握る親指一本を離し、強く鍔の右側を押し込む。
 剣が表裏を反転させようとする勢いのまま手首を返し、力の行き先を変える。直線の軌道は手元から広がる円錐の軌道を描き、奴の左腕、その手首を叩き──そこから放たれる銀閃を逸らした。
 予測は可能だった。奴のトレードマークとも言うべきゴブリンの『処刑人』のマスク。それを持っているというのなら。『処刑人』が使った、一射のみしか撃てない代わり、完全に袖に収まり、石壁にも突き立つという威力のボウガンをも回収している事は。
 初めて。そう初めて、奴の目が驚愕に見開かれる。肉に挟み込まれる刃の重みを手中に感じながら、引く。
 スライス。白い骨が見えるまでに深く切り裂き、動脈の断面が血を吹き出す──までの間で、奴の右肩を掠めるように抉る。肩と腕を繋ぐ腱が千切れる音が空気を震わせた。
 奴は膝を着き、自分の手元を睨みつけていた。まだ残る手札は何かと逡巡するかのように。
──ふと腹部に熱さを感じる。
 見えなかった。あるいは集中、あるいは刹那の安堵が、一撃目と二撃目での間隙に反撃を許したのか。だが確かめない。
 もし目を逸らしたのなら、それで奴は文字通り噛みついてくるだろう。
 もしそれが自身の血だったのなら、それで手を濡らし操剣が上手くいかなくなるだろう。
次の手が何であれ、たといそんなものが無かったとしても、試みさせる気はない。油断なきよう構えながら、奴の血が流れるのを見ていた。
(油断はない)
 そんな無駄な言葉を意識するほどの、僅かな油断。
 だから。
 鳥を模したマスクが歩み寄るのを、気付きもしなかった。
 背後に回られたのなら気付いただろう。
 足音高く、あるいは足音を殺して吶喊されたのなら対応できただろう。
 矢音にすら遅れを取るつもりはない。ただ、ただ。
 なんという事もない、戦いの閾値をはるか下回る速度でただ歩き、ただ近づかれただけ。気付けば──────撃剣の間合い。
 バファリンエルフ。
「バファリンエルフ!!」
 中段の構えから剣を下げつつ半歩退がる。今度は先の逆。親指を柄にかけ、落ちる剣の軌道を掬うように、巻き上げながら斬り上げる。一手にして攻防一体の剣技。
 だがそれは、想定していた武具との衝突もなく、仮面の側面を掠める軌道で飛び去った。
 まずい。
 まずい、わからない。次の一手が読めない。
 ここまで彼女が、バファリンエルフが『何か』をしたという情報はない。運動性能は低いと思っていた。暗器の扱いもないと思っていた。だが、ここ数年でそれを補う方策を見つけていたとするなら? あるいは全てが今この瞬間の為の布石だったとするなら?
 生涯を通して感じたことのなかった怖気が脊髄をなぞり、奥歯を微かに鳴らした。
「お、」
 やめろ。冷静を欠くな。護身を欠くな。わからない。足元が抜ける感覚。すべて。全部無駄になるのか。嫌だ。冷静さを欠くな、それが奴の手かも
「おおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 何の工夫も乗っていない、ただ上から下への振り下ろし。恐怖を紛らすだけの咆哮と共に放たれる力任せの攻勢。
 これこそがドワーフ流剣術が戒める最悪手────対手にとる最善の好機。

 果たして素早く腕が迫り────
────それを割った。
 
 人差し指と中指の間を通り、掌と手首を諸共に砕き、弦を引きちぎり、二の腕の肉を裂き、尺骨を割り削り、肘の骨で、止まる。
 彼女の肩越しに、奴が、バファリンエルフイータースレイヤーが、未だ動く左腕を突き出し、剣を受け止めていた。
(よく見ると)
 ぼんやりとその光景を見ていた。
(彼は、彼女より背が低いんだな)
 真っ二つに裂けた腕の断端から、吹き出すというより、器から一度に零れるように。血が、露わになった彼女の横顔を濡らした。彼女は両手を広げて立っていた。ただ、庇うように。
 斬り上げられていた鳥型のマスクが落ちて、乾いた音を立てた。


 彼は赤黒い水溜まりから人が浮かぶが如く、その顔貌だけが月明かりに照らされていた。
 彼女はゆっくりと──本当にゆっくりと膝を折り、そっと、赤い水の溢れる所を抑えた。
「……バファリンエルフを否定するのか、と言ったな」
 男は、ぽつりと声を漏らした。どうして己の右手で出血を抑えないんだろう──ああ、俺が肩の腱を切ったのだった。
「あるいは、な」
 静寂が、厳粛な回廊を満たす。韜晦は流れ出て、広がり、薄まって消えるようだった。
「……どうして彼女たちが独りで育てられるか、知ってるか」
 俺は首を振る。彼にも見えるように、はっきりと。
「バファリンエルフの源流……『慈悲』には、常にそれを向けられる明確な対象があってはならないからだ。あるいは……引き離して募らせる、その為だけに誰かを愛させるのはいいとしても」
 彼はそこで一度、迷う様に言葉を切った。
「本当かどうかは知らない。──アルコーの手記にあった、遠い昔の実験記録だ」
 曰く。本来エルフは全て、バファリンエルフとなるはずだった。だが、株分けした子と親が一緒にいると、親はその『優しさ』を子に与えるだけでなく、子の方が親に『優しさ』を返してしまう。
 双方を循環する『優しさ』は、漏出する事なく、つまりは土を肥えさせない。
 だから引き離さなければならない。
 与えられた分しか与える事が出来ないエルフと、見返りがないままに与える事しか許されないバファリンエルフ。『慈悲』はそうして維持される。
「つまりは、それが僕のやりたかった事だ」
「……話が見えないんだが」
「おいおい……お前が言ったんだろ」
 軽薄に、長い夜警仕事の合間にそうしたように、笑い飛ばして見せる。その力強さは雲泥の差なれど。
「ハンガーは、バファリンエルフの赤子を持ってる」
「…………!」
「いつ『使う』気かまでは知らない……けど、予想は出来る。……ダークエルフだ」
「…………ダークエルフ?」
 当代の亜人王はその冷酷そのものの合理主義と辣腕で知られる。
 その王の唯一の人がましい欠点として知られるのが、『美しさ』を源流とし、万人に「嫌いながら、嫌いきれない」「嘘でも求められれば、捧げてしまう」女神の如き収奪者として振舞うダークエルフへの恭順的な態度だ。
 一方的に奪い取った技術。秘密。財宝。加えて四大亜人それぞれに劣らぬ身体能力と思考能力。
 その選民意識と排他性、また繁殖能力の難が故に、全大陸的に世を修めるのはトロール達だ。だが、馬鹿げた長命でも知られる彼らは、ただひっそりと有象無象の種族が滅ぶのを待っているのだと言われる。
 自分達こそ世界の主人であるという傲慢。だがその不条理さ、強引さまでもが、高貴さの紅暈を纏い、その不義理は勇者の悲劇心を満足させた。
 今代の王もまた、そうしたどうしようもない『美』に魅入られた類なのだろうと、誰もが噂した。
 だが。
「亜人王ハンガーは……恭順を装い……ダークエルフにバファリンエルフを食わせる気でいる……!?」
 そうなれば。トロールという種はこの世界の真の『支配者』となるだろう。そしてその契機となった亜人王をどのような高みに押し上げるのか、想像すら出来ない。仮にダークエルフを現状のトロールやゴブリンのレベルで動かせたのなら、全大陸の武力統一すら視野に入ってくるだろう。けれど。
「ダークエルフなんかどうだっていい……」
 けれど、彼は心底どうでも良さそうに呟いた。
「明日の貴族の子供会も……わからない。全ては杞憂なのかもしれない。アイツが隠そうと思ったのなら、知る事はまず無理だ」
 だがただ一つ。
「ただ一つ重要なのは、ハンガーがバファリンエルフを所有している、って事だ」
「……だが、それこそどうしようが」
「言っただろ」
 バファリンエルフの親と子を一緒に置けば、外部にその『優しさ』が漏れる事はない。
「奴から奪い取って……それで、どこか遠く、見つからない所に埋める。二人とも」
「…………それは」
 復讐じゃ、なかったのか。
 いや、復讐の先が、あったのか。
「元々エルフは植物だ……地面の中に隠されているのが、正しい在り方だ。この旅路は」
 そこから少しずつ、話の脈絡を失っていく。目の中に宿った光が、少しずつ揺らいでいく。
「随分無茶をさせた……植物だぜ。筋繊維として使うのは無理がある。歩いたり、物を持ったり……おかげで僕より大きく、なっちゃったね」
 終わるのだ。一つの命が。それが為してきた物が。
「それが、僕のしたかった事だ。──誰にも、奪わせる事なく──」
 血の流出はかなり遅くなっていた。彼女の手当てが功を奏したから、ではない事は、見ていればよく分かる。
 力なき腕を、白い肌を、細い指を、更に血の気の失せるほど握り締めて。
 まるで己の血を絞り出しているかのようで。
 俺は彼の傍で膝を折り、彼女の顔を見た。真っすぐに見た。彼を見下ろすその表情は、やはり無だった。
 そこには一滴の涙もなく、だけど、動かぬ顔貌のその向こうに、ただ、悲しみだけが。

「泣くな、ルナ」

それが、最後の言葉だった。





 足音も騒々しく、兵士たちが現れ、三人を──今や二人を、取り囲んだ。血に沈む死体から少し離れて、鳥型のマスクが転がっている。
「これは? 報告せよ!」
「ライトがバファリンエルフイータースレイヤーでした! 彼が、そこの彼女を引き入れ、この城で何事かをするつもりだったと思われます!」
 ヒルコは堂々と答えた。
 死体の傍らに死人と同じほど蒼白の、不釣り合いもいい所の襤褸を着た美女が傅いている──その場にいる兵士たちの何割かが警戒を露わにした。正門からふらりと現れた、襤褸を纏う鳥型マスクの不審者。その目が煌めいたかと思うと、その歩みを止める気を失ってしまう、という怪奇なる経験をしたからだった。
 背格好は一致する。血に濡れており、ただ事ではない。
「よかろう──私が報告に行こう」
 いくつか形式的なやり取りと事実確認をすると、近衛長がそう切り出した。
 誰に、とは言わない。防衛に努める兵の中の最精鋭である近衛、その更に長が報告をすべき相手など、一人しかいない。
「はい」
「よくやったな。……しかし、一人に破れるとは、噂の怪物も、所詮は噂だけだったという事か」
「彼女を押し留めていた『皆』のおかげです。そもそも不意打ちでしたが」
「まぁ、功績には違いない。王には私から名を伝え──」
「出来れば」
 その場を光の粒子が横切った。ヒルコはまだ、布製のマスクをつけている。
「彼女を伴い、王に対面する栄誉をいただければと思います」
「うん? それは…………それは、まぁいいだろう。ひとまず彼女を着替えさせてからだな。身体が冷える。夜明け前だからな。当然だが、妙な事はするなよ?」
「はい」
 答え、礼を取った後、膝を折り、地面に落ちた二つ目の鳥を模したマスクに触れた。
 そのレンズに反射する月の光を、見つめ返す。
「おっと、それから……」
「なんでしょう?」
 彼は顔を伏せたまま答える。
「済まんな。近衛長として恥ずかしい話だが、少し頭がぼうっとして……君、名前はなんと言ったかな」
 立ち上がるその手には。
「俺は─────────────────」






バファリンエルフイータースレイヤー  完

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