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バファリンエルフイータースレイヤー 4 【前編】


 現在(あるいは始まりから20年後) - 深夜。
「ヒマだな」
「ああ……」
 城内夜警の仕事を始めてもう3年になる。同じルート。同じ顔触れ。特に有事もない数百年は、十重二十重の警備網を十層ほどまで縮退させ、人員は今や一層あたり4人、うち2人は詰め所で『有事に備え英気を養う』という始末だった。
 一応、勤務中の私語や規定外の嗜好品の摂取、もちろん酒なども許されない。見つかれば最低でも2勤務分の減給となる。
 とはいえ見つからなければいいんだろうと、いつもどこかでは密かな酒盛りが行われていた。半分は酒浸り、半分は町で昼の仕事を掛け持ちとくれば、決まりきったルーティンでは魔獣ゾンビの如く鈍り切った頭で歩き回る羽目になる。
 もっとも、酒については最近内部告発があり、市井にも証拠が貼り出されて握り潰すことも出来なくなり、哀れな夜警達はここ数日一滴も飲めず、それ故の離職を考える者すら出ている始末だった。
 暗闇の中の僅かな愉しみと慰めの為に、彼らの話題は必然、他人の醜聞方面へと偏っていく。身近で、それでいて遠くの話。
 この城の主、亜人王ハンガーその人や、出入りする貴族達の醜聞である。
「なぁ、知ってるか。明日の会食の話」
「また亜人肉食家だとか何か言うのかよ……」
「んだよ、あの時はお前も楽しそうだったろ」
「亜人を食い殺した魔獣を食い返して弔おう、って話が何をどうしたらああなったんだよ」
 軽薄に悪趣味な話題を振って来た同僚は、その返しに可笑しみを覚えたらしく、マスク越しに咳き込んでいる。
病気はないが痰が絡みやすい体質だとかで、布製の覆いで常に口元を覆っている。その下の素顔は見た事がない。もはやこういう顔だと認識されている。
「まぁ聞けって。明日から警備が厚くなって俺らも一層外側の担当になるだろ。近衛が出張ってくる。四天王が集結するって話だ」
「四天王って……正統亜人から一人ずつ選出したっていうアレか? それぞれの種族の最強級が集まるっていう近衛長直属の……」
 現亜人王の方針により、城の内側を固めるのはトロールの『支配者』と決まっていた。実際に外敵に辺り、対応するのは戦闘に長けた他の正統亜人──オーガ、ゴブリン、それにドワーフといった戦闘に長けた種族であるからして、差別や区別というよりは、トロールに重要なポジションを与え面目を保つ為、というのが実態である。
 しかし近衛隊ともなれば話は別であり、忠義に厚く、経歴が信頼でき、個人の武の絶対量に長じる精鋭が種族関係なく集まり、平時は城下町に道場を置き、切磋琢磨している。
「そうさ! 同時に奴らは、国王ハンガーの私兵でもある。変だろ? 明日はただの立食会だっていうのに、『何か』を警戒してるんだぜ」
 交代まで人が来ないと知っているからか、この国の最高権力の近侍を『奴ら』呼ばわりである。鼻息も荒くマスクの夜警が続ける。
「噂によるとな。明日はバファリンエルフの血が饗されるんじゃないか、って話だ」
「……だからどこ由来の話だよ。うちの王様が幻の亜獣を囲ってるなんて話、聞いたことが……なくはないが。お前から聞いたんだっけな」
 呆れてはいるが話を打ち切る気はないようで、むしろもっと信憑性を寄越せ、とほんの少しずつ前のめりになっていく。
「これは俺独自の見解だがな。ドワーフは酒乱の種族としても知られているだろう。酔うと無体を働き、ひどくがめつくなると。まぁそれでもトロールの『支配者』連中とどっこいって所だろうが」
「ハッ」
「でだ。あいつらはエルフ農業のパイオニアだろう。『じゃがるこの半分は優しさで出来ています』ってな。特に地下で取れる作物でエルフの『優しさ』の手が入っていない作物はねぇ」
 そこでだ。と二人の夜警の額が近付き、声のトーンは落とされる。内緒話の体で、この話は危ないのだというスタンスで、与太話の説得力を補うように。
「俺が思うに、酒にはエルフの持つ『優しさ』を打ち消す──たぶん一時的だけどな──んじゃないかと思う」
 斜に構えていた男も、生返事を返す事なく、真剣な面持ちで唾を呑み込んでみせた。
「明日はただの貴族の社交界──ただし、幼い子を持つ親子で参加するやつだ。大人だけが集まる会と子供がいる会では何が違う?」
「おいおいまさか……」
「子供には果汁が出る──酒精が入っていない果汁がな」
「そこに……なんだっけ。バッファリーエルフだからの血を垂らせば」
「お優しい子供の出来上がりってわけだ」
「で……バファリーエルフが喰われるとくれば」
「奴が来る」
「バファリンエルフイーターを殺す『呪い』……バファリンエルフイータースレイヤーが。王はそれを恐れている」
 なるほどな……と、マスクを突っ張らす鼻の辺りを感心したかのように眺める。
「よくそんな話が思いつくもんだな…………ただの『お子様の警備に本気見せます』ってポーズから」
「だろ!?」
 笑い。3年の月日で弁えた、別の警備区画や、詰め所まで響き渡らない限度の大きさだ。
 面白くない話を盛り上げるのは、真剣に聞き入っているというポーズを作る事からだ。しかつめらしい仮面を作っておいて、まじめくさった体で話をし、もっともらしく頷いた後、ひっくり返す。
 こうした呼吸がなくては、何もない夜の城勤めなど続けられはしない。真面目な人間ほど、神経を擦り減らして倒れたり、こんな暇な時間には耐えられない、私にはすべきことがある、と去っていき、切実に・かつ安全に金が欲しい者か、あるいはトロールの『労働者』のような怠惰な性情の者が残っていく。
 長く続けばどんな環境でも腐敗し、そこを温床とする者が住まう。
 今日もその生温い一日として終わるだろう。終わるはずだった。
「伝令!!」
 二人は音も鳴らさず踵を合わせ、顎を上げる。あたかも今までそのポーズでここを守っていました、という顔つきだ。
 声は城外の方から来た。一層外側を守る担当の夜警員だ。
「鳥型のマスクを着けた賊だ! 正門から入った! 担当兵の安否は不明! お前たちは近衛長にお知らせしろ!」
「承知しました!」
 すぐさま身を翻し、城の奥へと駆け去ろうとする夜警2人。
 だが、マスクの男が途中で振り返って、現場に戻ろうとしていた伝令の夜警に問うた。
「賊は、何人でありますか!」
 伝令は、痺れたように足を止め、軋む音を立てそうな動作で振り返った。その表には、苦虫を噛み潰したような面相が浮かんでいる。
「1人だ!」


20年前(あるいは始まり) - 日の出

 手の中から矢が落ちる。皮膚を貫き、肉を裂き、骨に当たって曲がりも折れもしないそれは、途中で行為を止めさせてはくれなかった。
一度も。ただの一度も、抵抗はなかった。その事について、彼は考えられる精神状態にない。
 母の分体だというエルフは、華奢な体つきで土を被り、地面に座り込んだままだった。胸がささくれ立つ。
「お前のせいじゃないのか……」
 自分はこの少女を守ったわけではない。ただ許せなかっただけだ。その行為をした事も、させた者も、この場にいる生きている者、いない者。地下で生きている者、いない者、襲撃してきたオークとゴブリン、襲撃を止められなかった者、襲撃していないから自分は無罪だと思っている者全部全部全てが許せなかった。
 明滅する。全てが許せないのなら、今すぐ自分を殺し、この世界を閉じればいい。全てがどうでもいいのなら、すべてがどうでもよく、生きている理由も死ぬ理由もない。
 無か、死か。
 静かに、自分の首を絞めてみた。ぐにりとしていて、筋と筋が擦れ合い、ごりと鳴る。視界の端が滲み、長い沈黙に放り込まれた時の、無音の響きが鳴り渡る。
「お、前の……」
 気付くと、地面に這いつくばって咳き込んでいた。肺がじんわりと熱くなってくる。心臓の鼓動が穏やかになり、目からは後悔の涙が──地面に落ち土に塗れた布を掴み、口に押し当てた。
 荒く息をする。薄い酸素故にか、心臓はたちまち早鐘を撃ち始め、無か死かの世界に新たに加わったものを自覚させる。罪。罪。誰の? 頭を上げ、睨みつける。
 少女は泣いていた。だがその視線の先にあるのは少年ではない。這う姿勢のまま、首の動きだけで視線を辿っていくと、そこには折れ砕けて遺された、母の爪先があった。
 誰の──?
 仮に少女の罪だとすれば、それはバファリンエルフが存在する事の罪。それは、母の罪でもある。
 許容しない。
 子種としての父親──10年前母を凌辱したというゴブリンの罪。ドワーフ達が哀れだと繰り返し繰り返し事あるごとに繰り返し同情してくれた罪業。──それでも、ただの一度もアルコーが触れなかった罪。背中に触れ、涙を流す事を許してくれた手。
 許されなければ、為らない者。なんの事はない。僕は、僕が罪の化身だったのだ。
「泣くな」
 座り込んだ少女を見下ろす。その目に一片の同情もなく、一筋の涙もなく、少年は立っていた。
「僕が憎いか」
 少女へと問いかける。それでも目線は少年へと向かない。言葉が理解できないのか、何とも思っていないのか、目を合わせたくもないのか。どれとも判じかねた。
「僕は憎い」
 母の部屋から、替えの衣類──バファリンエルフは己の肉体表面での新陳代謝はほとんどしなかったが──から、武骨で頑丈そうな貫頭衣を引っ張り出し、少女の頭から乱暴に被せた。
「罪が。弱さが。『優しさ』が」
 その時、目と目が合う。
「お前を許す。お前の罪、お前の弱さ、お前の『優しさ』を」
 だから僕は、罰に、強さに、無慈悲になろう。
「お前は、僕を許すな」


15年前(あるいは5年後) - 朝。

 町外れの荒れ野に、青年が戻ってくる。少女を引き連れて。
 身にまとう襤褸と似たり寄ったりの材で組み上げた、否、積み上げた、風雨を辛うじて防ぐ──のも難しい幕屋。
 中には御座と、クズ紙やクズ布、市場で拾い集めた雑多なクズ野菜がいくつか入ったバスケットがふたつ。ひとつはとても人の食用に適するとは思えない。傷がある虫食いがあるは当然、黒ずんでいたり芽が吹いていたり、とても人の食用に適するとは思えない。もう片方はそれよりはいくらかマシだ。
 寝床らしい廃棄品の絨毯。木の枝や僅かな着火剤などの生活用品。水を貯める為の大小色とりどりの酒瓶が、人心荒むような殺風景な空間に僅か、くすんだ彩りを添えている。
 それらをかき分けた奥から頭陀袋を引きずり出し、ゴブリンから略奪した物々、連弩や盗品の貴金属などをまとめて押し込む。クズ布を取って、剣帯から小振りな──青年にも既に少し丈足らずな──バスタードソードの刀身についた脂を改めて拭い始めた。
 少女が茫洋と立っているのを見て、座れよ、と一声かけると、一拍置いてすとん、と落ちるように座る。その膝に色味のより悪いクズ野菜を載せた籠を載せる。その脇に酒瓶を5.6本まとめて置く。
 エルフは土に埋まってさえいれば地中で栄養を採るはずだ。だが彼女らが根付くのには数日単位の時間がかかったし、一度根付いた場所から動かすのは相応の負担がかかる。
 つまりは、機会を逃さず移動できるようにする為には、通常の亜人のように経口で食料を採る必要がある。とはいえ肉を出しても(いつもの無表情に困惑したようなニュアンスが混じり)手を付けないし、咀嚼する力もないので野菜をすりおろしたものに限定されるのだが。
(負担を考えるなら、分解する毒の量も少ないに越したことはないんだろうけどな……)
 バスケットの持ち手を握った手指の先から出た葉脈が、数分かけて野菜まで辿り着き、とりわけ悪そうな所に錐で開けておいた穴から侵入し、定着する。
もう片方の手も同様のプロセスを経て、酒瓶の水を浄化しつつ、その身に吸い上げる。半分も残るまい。
 水の方は町に行く度に採取している。飲用は少量なら可能で、石と砂や布、炭の粉を層にした濾過装置に通してはいるが、まぁ安全策も兼ねている。水で腹を壊すのは避けたい。
 あのまま半日もすれば、バスケットひとつ分は可食出来るものになるし、1日分の飲用水は濾過出来る。
 そもそも地面を離れてバファリンエルフが生きている保証すらない考えなしのまま彼女を連れだしたのだったが、結果的には平気だった。
 始めの頃は背負って移動していた。だが、それでは駄目とだと、後ろ手に両手を繋ぐ形で歩行を習得させた。今では、歩く分には自分とそう変わらない。
また、経口の方が土中環境より養分の吸収量が良いのか、それなりに身体の方も成長している。手足に少し肉がついてきた。
 刀身を湿らせた布で拭き、それも終えると、固く乾いた布で柄まで水気を拭き取る。
 隙間から漏れる光に当てると、ぎらつく刃。そのまま僅かに手首を動かし刀身上で光を転がす。師範が使っていた時はもっと、なんというか真っ直ぐに光が走ったような気がする。
 しかし刃筋を立ててもそれらしい曲がりなどは見られないのだ。実際に人を斬って、あるいは下手に当てて、見えない歪みが蓄積しているのかもしれなかった。
 関係ない。俺は──思いかけ、ふと、少女が涙を流しているのに気付いた。
 何よりも早く、青年は先の湿らせた布を丸め、腰に結えつけた鳥に似たマスクを取り、そのクチバシ部に突っ込み、着装する。
 バスタードソードを左腰の剣帯に収め、重要物の入った頭陀袋を引きずり出しておく。
 つけられていたのだろう。
少女は、母の欠片を知覚し涙を流す。──消化され、根付いていても。本来は、誰かが喰われ、それを見て涙を流す事で完成する生存戦略なのだろうな、と少年は考えていた。
 涙と血はほとんど同じ成分なのだと、どこかで聞いたことがあった。
 涙から溢れる金色の粒子は、アルコーを狂わせ、そして死の実感が来るその時まで、手足を鈍らせる『毒』だ。
 絨毯を捲り、すのこを除けると、人を寝かせて埋葬できる程の大きさの穴が現れる。人が1人、無理に詰め込めば2人はなんとか入れる。
青年はそこに、頭陀袋を放り込んだ。
「…………」
 少女が涙を流しながら、無表情でこちらの目を見てくる。青年はそれを真っ直ぐ──マスクのレンズ越しに──見返しながら言う。
「俺はここに隠れて奇襲をかける。お前はそのままここで奴らを迎えろ。葉脈も切るな。火をかけられたら外に出ていい」
 バファリンエルフの涙は武器なのだ。地面に隠れていては、それが有効に働かない。
 探し、見つけ、殺す。探され、見つかったなら、殺す。
 何も変わらない。何も。


10年前(あるいは10年後) - 昼。

 バッファロー・ピルの首が落ち、配下のオーガが大量に、一斉に掛かってくる。
 いや。冷静に見ろ。数の把握なくして包囲の突破はない。3人組が3つ、4人組が1つ。武装はなし。ソロが2人、鎖持ち。やる。15人。
 血溢れる鍋の縁を跨ぎ越すように跳び出す。着地の衝撃が全身に散り、あちこちで弾けた。手足を突っ張っていたとは言え、鉄鍋に這入ったまま天地を何回転かしたのだ。まず重症と言っていい打撲を受けている。
 腰ほどまである鍋を腕ずくで引き倒し、血をぶちまける。鍋の内側を剣でひとつ叩く。空洞に響く音。威嚇にもならない。
 もっとも早く殺到した3人組が、粒子が舞うバッファロー・ピルの血を踏み、水音を立てる。止まらない。強い死の恐怖の前に『優しさ』は醒める。頭が痛む。
 剣を真っ直ぐ立て、先頭の3人組、その右の方へ突撃する。
 こいつらはベテランだ。狙われた1人が腕に巻き付けた己の衣服で迎え撃つ覚悟を固め、それ以外の中央が足を緩め側面から、左のやつはそのまま走り込んで背後へ回る。
 刀身の側腹で衣服を叩き、そのまま滑らすように走り抜ける。オーガは斬りつけられた所を絡め捕ろうと腕を素早く回したが、噛みこんでいなければ効果はない。脇を走り抜ける。
 だが総体としてはより追い込まれた事になる。囲みのド真ん中だ。だからこそこいつらは左の方へ散開したのだ。
 1歩。2歩踏み込んで浅く跳ぶ。足元の地面が爆ぜた。振りぬかれた鎖が視界の端に映った。そして当然、一拍遅らせて放たれた水平撃が迫る。鎖持ち2人による連携攻撃だ。
 これを予見した浅い跳躍、故に伸ばした爪先は地面に着いたが、無意味だ。鎖の方が早い。
まだだ。爪先──指の付け根が地面を捕らえた時、剣で地面を突くように抉り込む。重心の位置が変わり、膝が曲がり全身を運ぶ。結果的に、這うように突きを放つ姿勢、極低空で着地した形になる。背の上を通過する鎖の輪のひとつが、その角が擦れて衣服を裂いていった。
 全身が伸び切った姿勢から身を起こすまでの数瞬で、鎖持ち以外の徒手空拳のオーガによる包囲網は既に完成しかけていた。
 背に最初に突破した3人組の気配を感じながら走る。方向は最初4人組で駆けて来た方。
 動き出すのが遅れていた。今も距離が若干遠い。若い。つまり実戦経験がなく、咄嗟の死地で身体が動かない。
 剣を担ぐように構え、吶喊する。
 案の定、隣の奴の顔を見、見られた奴がまた隣の顔を見て、という具合だった。
 それに気付いた鎖使いが、若造の前面に、上空から叩きつける軌道で曲射を放つ。よく見ろ。軌道を見極め、ギリギリで回避する。跳ねた土くれと石が身体側面を強かに打ち、一瞬視界が白く染まる。
 だがこれで背後のやつは2手遅れる。4人組に向かって剣を構え直し────そのまま何もせずに脇を駆け抜けた。
 居着いた、というやつだ。「剣に対応しなければならない」という意識だけが肥大化した結果「ただ逃げる」というような意想外への事象の対応リソースを喪失してしまう。
「追えよ、ボサッとするな!」
 その声でようやく逃がした、という自覚が出たのだろう。また明確な命令を得て弾かれたように駆けだす4人組。だがもうその手が届く事はなく、野次馬の中に踊り込めば、巨体を持て余すオーガはそれ以上追えなくなった。
「なんてヤツだ……」
 
「大丈夫ですか?」
 オーガがバッファロー・ピル殺害犯を追って町中に散り、また街の警邏と連携を取ろうとしている間、広場に転がる鍋に話しかけるトロールらしい男がいた。
 血に金の髪を、粗末な衣服をべったり濡らして、バファリンエルフが横倒しになった鍋の中に腰かけていた。
 男はナイフを煌めかせる。
手早く血のへばりつく髪を切り離し、市井にありふれたローブを纏わせ、その間で靴を履き替えさせる。脱がせた靴はローブを入れていた袋に仕舞うと、唖然とする市民に「彼女を警邏の詰め所へ送って行きます。誰か一緒に行きますか?」とナイフを手にしたままにこやかに声をかけ、首を横に振らせると、2人はその場を離れ、荷物を回収し、街を離れた。


5年前(あるいは15年後) - 夜

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」
 マスクを着けたままでは上手く呼吸が出来ない。しかし今外すわけにはいかない。もう意味はないかも知れない。これで終わりだと思っていた。だから顔を見せての策だった。
 あれだけの衆人環境の下で殺ったのだ。警邏や親衛隊が武器と悲嘆と怒り、義を手に、波頭のように押し寄せてくる。
現実感のない怒号の中で、浮かび始めた月の下に立つ彼女をふと一目見ると、静かに首を巡らせ、涙を流していた。
 まだいる。
 冷えた指先に血が巡り、正中線に火が入る。まだいるのだ、この世界にバファリンエルフを喰った者が。
 歩む足を速め、駆け出し、走り出す。
凄まじい勢いで入った最後のゴブリンの突きの威力が、身体の深部を巡り吐き気を催させる。視界がちらつく。内臓が傷ついている、事はないと思いたい。
「──────!!」
 口から、否、臓から吐き出された音が、苦悶と怨嗟の音が、立ち向かう屈強な義を一歩退かせた。剣を人のいない路地裏の方へと投げつけて手放し、更に加速する。
 驚くほど身が軽い。鍛錬をしている時は、いつでも帯剣しつつ走り込むようにしていたからだ。水の入った瓶2本ほどの重さ。だが独特の重心が加わる事による身のこなしは難しい。封じられていた、自分自身すら知らないこの身体の速度。
 酸素不足と闘争の高揚のまま、暮れゆく闇の中を走った。憎悪する目を、引き裂かんとする手を、逃げようとする背を、全て置き去りにして。

 着替え、後ろでまとめていた髪を解き、目元に薄く炭を塗り、靴底に皮を貼り底上げする。背を変えるというより、歩き方を変えるのが目的だ。無意識に行われる身のこなしというものは、案外と意識下に残り、個人を特定する。
 配られていた松明を手に路地裏へ入り、髪の先端を炙って縮れさせる。獣の死骸を焼くのに似た、鼻に残る厭な匂い。それが出る事は分かっていたが、マスクは剣帯などと共に荷物袋の中だ。もっとも、被るわけにもいかないが。
 暗い夜道を、街の親衛隊と警邏の混成部隊をメインに、少し歩いてはこちらを探すから、と言い置いて他へ合流する、という手法で、少しずつ現場へ戻った。街の有志団には可能な限り近付かない。誰がどのくらい顔を覚えているか、判断がつかないからだ。曖昧な記憶だからこそ、曖昧な根拠で「似ている」と声をあげられる危険性もある。疑われればアウトだ。
 混成部隊なら、見知った顔でも「もう一方のグループの知り合いか?」と考えられ、深くは詮索されない。慣れているからこそ、自分は騙されないという自負もあるだろう。充分な隙だ。
 そうして歩いていると、耳に入る話題の半分以上はファリン神父を惜しむ声とその『呪い』、バファリンエルフイータースレイヤーの事となる。
 中にはエルフ芋焼酎を飲み過ぎたやつが惨殺された事件は今も犯人が捕まっておらず、アイツの仕業なんじゃないかとか、奴はやはりゴブリン排斥団体『捨てられた子供』の秘密兵器だったのだとか、当人からすれば失笑ものの与太話も混じっていた。
「まったく、何だってこんな事をしやがるんだろうなぁ」
 警邏の1人が染み入るような声音で呟いた。
 ここで誰かが「バファリンエルフを喰ったから、って話だろうよ」と応え、ファリンの親衛隊が「だからといって殺されてもいいとでも言うのか」と喰ってかかる。
 何度も繰り返された流れだったか、その老年の警邏に安易な相槌を入れるものはいなかった。尊敬されているのだな、とぼんやりと直感した。
「バファリンエルフが『優しさ』を与え、それを喰った奴が後悔して罪滅ぼしをする……そりゃあ身内が喰われたのなら許せないだろうよ。死んだ者は戻っちゃ来ねぇ。でも……バファリンエルフの源流は『慈悲』だったって言うじゃねぇか」
 彼は黙って聞いている。誰も気付かなかったが、嫌味にならない程度に入れていた相槌を、少し前から打たなくなっている。
「罪滅ぼしする者を殺して……殺して……『優しさ』は、どこに行っちまうんだろうな」
 追い回して……捕まえて……殺して……ただ、消えちまうんだろうか。
 


 時間は掛かったが、なんとか戻ってこられた。現場近くに建てられた警邏の詰め所で、彼女は保護されていた。
 静かに椅子に座っていた金髪の麗人は、彼の顔を見るとすっと立ち上がり、話しかけていたらしい少しだらしない顔つきをした警邏を驚かせた。
「ごめんなさい。彼女は僕の連れです。……こんな所にいたのか。帰ろう」
「んだよ、あんたのもんかよ。へへ、全然喋らなかったぜ。こっちが遅れてんのか? 肉付きの方は成長してるみたいだけどな」
 てくてくと歩いてくる、女の形。
 ここ数年ほどから、奪ってから何年も寝かせておいたゴブリンやオーガの盗品を少しずつ捌くようになり、バファリンエルフとしての『毒抜き』に頼らない食品を口にするようになると、あたかも成長期のごとくすくすくと身体が育ち始めた。背も抜かされている。毒素分解に割いていたのだろうリソースが体内に蓄えられているのだろう、『涙』の効果も上がっているような気がする。
 しかし以前より少し……かなり周囲の目を引くようになり、身体能力の多少の向上を考え併せても、やはり良し悪しだった。マイナス面の方が大きいようにも思う。
「お世話になりました」
 不快に感じたので早くこの場を去りたい、という態度でおざなりな礼をし──紛う事なき本音だが、努めて抑えた、という意味だが──素早く外へ出た。
 先程の巡回で見つけておいた警備の穴を縫うようにして、街の外へ繋がる門──は閉鎖されている。
 この街に入り込む為に掘った横穴の方へと向かう。かつて中で寝泊りしつつ2年を費やして掘り進め、棒や板で補強を入れた専用路だ。荷の大半はそこに置いてある。
(荷物、か)
 これで終わりだと思っていた。自分は殺し、死ぬのだと思っていた。
 それでも荷物はそのまま置いて来ていたし、彼女のその後を真剣に考える事もしなかった。
 考えないようにしていた。未来を。将来を。『次の目標』はあっても『未来』はない。
 だから、ほんの少し安心したのだ。あの時、涙を流す彼女を見て、まだいるのだと。
 ──まだ生きられるのだと。
 空き家に挟まれた中庭に放置された木箱の蓋を開け、中の石を隣の箱に移し替える。
 空になった箱を持ち上げると、箱自体がそのまま地面に埋まった木材に対して蝶番で繋がり、扉になっている。あまり大きくは開かず、ほとんど膝立ちから座るような姿勢で降りていかねばならないが、手を離せば勝手に閉まり、隠匿性が高い。
 こうした空き家はもちろん探索されているだろうが、家の方にはまったく手を付けていない。見つかる要素は皆無だ。箱扉を保持し、彼女を先に行かせる──前に土を掴み、振り返り様に投げつけた。
「ッ!?」
 襲撃者は完璧なタイミングを計ったつもりなのだろう。だが早かった。例えば、手を離せば箱と地面で彼女が挟まる──そういうタイミングを狙って判断を鈍らせる。あるいはそれを狙っていたが、逸ったのかも知れない。
 覚悟も足りない。目に砂が入った程度で動きを止めるとは、備えも、気構えも、何もかもが足りない。不意打ちの前に声を張り上げなかった点だけは評価出来るが。
 問題は、そんな素人──しかもただ1人で行動している──に、ここが見つかっていたという事だ。若い。トロール種の、15歳前後だろう。
 あるいはコイツは囮か捨て駒かと周囲を見渡しても、追撃の矢音ひとつない。
 顔を知られ、追跡けられていた? 一体?
 蹴りを入れて牽制する。手にしているのはドワーフ流の剣。
(あれは、僕の剣か!?)
 妙だと思っていた。剣が警邏に回収されたのなら、もっともっと色めき立っていたはずだ。あるいは捜索人達に下手人はドワーフ種、あるいはドワーフ流剣術を修めているだろうという情報として伝えられてもおかしくない。
 だが誰かがそれを警邏達に先んじて回収し、そして回収地点でそれを探しに来る者を待ち構えていたとするなら。
 失策。捨てたものを回収出来るかもなどと、虫が良すぎたか。
 こちらは徒手。あちらは帯剣。敵の技量は大した事はないが、少しは様になっている。あるいはドワーフ流剣術を齧っているか。攻め寄りの基本型だ。防御型ではない。こちらを過剰に恐れているのだ。付け入る隙はある。人を呼ばれる前に、やるしかない──「おい?」
 変な声が出た。だが遅かった。ペチン、と間抜けな音が響く。対面の男が、思わずそちらを振り返ってしまう。
 月夜で輝く金糸の髪の麗人が、木の枝を持っていた。男の二の腕あたりを叩いた姿勢で固まり、無表情のまま静止している。ここからどうしていいかわからない、という感じだ。
 正気に戻り、彼女を突き飛ばそうと半身を捻るその肩を取り、足を思い切り払う。剣が持ち手の下になる様引き込みつつ、髪の毛を掴んで強引に地面に引き倒した。
 暴れる男をなんとか片腕と背中で体重かけ抑えつつ、転がった道具袋を引き寄せ漁る。中から目当の物を取り出し、顔面に押し当てた。
 それからしばらく抵抗していたが、やがて静かになる。その後もたっぷり数分は押さえつけ、やがて起き上がると、靴底で躙るように剣をもぎ離した。
 マスクの内側に詰めた布。それがマスキングし保持する金色の粒子は、一度に高濃度で吸引すれば鎮静化し、それはやがて眠気となる。
 バスタードソードを拾い上げ、まだ拾った枝を握って固まっている彼女に目を向けた。
 荒い呼吸。静まっていく。
 彼女は、真っ直ぐ見つめ返して来た。その目に映る小さな月は、自分自身の目に映る月と同じものなのだと、何故だかそんな事を思った。

 バファリンエルフイータースレイヤー。

 ──そして現在。

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