見出し画像

バファリンエルフイータースレイヤー 3【前編】

 エルフ芋を適当にスライスして電気せいろで蒸す。目の均一な布で裏ごしし、エルフにんじんとエルフパセリを使ったエルフコンソメを煮詰めたものを投入し混ぜる。どうせ潰すのにどうして切ったり蒸したりするの、とライトがぼやいている。全部煮込んで潰せばいいでしょ。
 この子は頭の回転は速いが、物事に回り道が必要な事を中々呑み込まない。切る事によって逆に蒸し時間が短縮される事。茹でと蒸しの食感の違い。そもそも湯で芋を煮ると崩れてうまく纏まらない事。色々と理屈はあるが、説明が面倒なので黙ってやれ、と告げ、酒を取ってしまう。
 その後も、なぜこの型に入れなければいけないのか。なぜ揚げる前に乾燥させなければならないのか。揚げたて食べたい。などの疑問要望を背に受けつつ、一通りの仕事を終え、どっかりと地面に腰を下ろすと、ドワーフは種族の異なる子供に、弾いておいた焦げや色味が悪く商品にならないものを、雑にコップに入れて寄越した。
「じいちゃんは優しくなさすぎる」ぽりぽりと齧りながら、自らの養父をジト目で見る。
「道場では師範と呼べと言ったはずだ」自らは同じコップに酒をどぷどぷと注ぎ、度の強いエルフ芋焼酎を一息で干す。
「道場ったって、台所で、副業中でしょ」
壁も天井も、そして床も、土を焼き固めた煉瓦で構成され、壁には等間隔で電気ランタンが並び、天井には換気ダクトの口が要所要所に備えられている。ドワーフの暮らす地下空間では、場所と場所を隔てるのは、間取りと床の煉瓦の色味、そして重々しく、それ故にほとんど開け放たれている鉄扉だけである。
道場と呼ばれた広間は、交換の容易な代わりに、強く踏むと足型がつくほどに脆い柔煉瓦が敷き詰められている。それらは大部分が真新しく、手入れが行き届いているか、さもなくばほとんど使用されていない事を伺わせた。そして、その原因はどうやら後者らしい事を示すように、ライトと呼ばれた子供と同じ種族特徴、しかし10ほど年上の青年が1人、単純な反復運動をしていた。あるいは誰もいないよりも言い訳の効かない閑散である。
「なんで揚げたて食べられないんだよー」
「食いもん作る時に食い気満々で作ってどうする。俺らはこれを売らにゃならんのだぞ」
「終わりましたか、アルコーさん、ライトくん」
厨房から出て来た二人を、青年が汗を拭き拭き出迎える。
「おお、ハンガーさん。今道場に並べて冷ましちまいますんで……」
 ドワーフは、見た目に倍、そして実年齢に4倍以上の差がある青年にも比較的低姿勢で応じた。ドワーフは亜人種の中でも寿命が長く、およそトロールの倍にもなり、その半生以上を肉体的には壮年期として過ごす。
「私も手伝いますよ」
「客人にそこまで……」
「居候でもあります。それに師範でもね」
 ウィンクしてみせたトロールの青年は、いい匂いですね、と言いながら厨房に入っていく。
少年は「ハンガーさんは優しいなぁ~」と語尾を上げながら養父を見上げたのだった。

 トロール達、正統亜人と呼ばれる人種とドワーフの交流は、他の亜人族と同じく限定的なものだ。
 約1,000年前、『異世界からの色彩』と呼ばれる現象が生命あるものに作用し、一説によれば性向、あるいは器質、あるいは欲望、願望──など、不明ながら明らかに当人の意志が関与する何らかの法則によって、須らくその姿を変じていった。
 その姿はエルフやドワーフなど、概ね人類の『ファンタジー』のものに準じ、その身体能力は物理法則のみでは説明がつかない固有の恒常性と身体能力や、長寿を手にした種族もあった。
だが当然というべきか、いい事ばかりではなかった。どころか問題だらけであった。
スキュラやトレント、果てはドラゴンなどの異形の姿を得た者もいたし、ヒト以外の動物もまた、より世界を謳歌すべく変異した。そして何よりも『他種』となった者との交配が著しく困難になったのだ。
これらの要因により、人が人により人の為に築き上げた共同体の一切が原形を保ったまま利用する事は不可能となり、破綻。そして……新しい『歴史』の半分ほどをかけ、例の全てを変じた異彩より数えて正歴500年、発足した『正統国』を中心とし、侵略や略奪に熱心な種族を誅し、各地の同族間のコミュニティを安定させるに至る(この区切りのいい500という暦を発布し『歴史』を始める為に、当時でさえいささかならず学術的な正当性が軽視された事は、歴史学者達の名誉の為に述べておく)。
 その『歴史』の中で、主流の座を掴んでいたのはトロール族であった。彼らこそは『怠惰』願望から作られたのだというのは自虐の定番であるが、命じられた事を漠然とこなし続け、説明さえされれば便利の為の労苦や目前の不便を惜しまないというような種族的な精神性を持っていた。
つまるところ、自己の在り方以外への願望を萎えさせた根っからの『労働種』であったのだ、という解釈が学術的にも広く共有されている空気である。そして彼らには更に、常に少数ながら、知に優れ、決断力を持つ『統率種』が生まれるという特性があった。
 大局と現場を一種族で掴み、インフラを整える事で淘汰圧を生き延び、生活圏が重なるオーガやゴブリンに直接闘争力に欠く『格下』として扱われつつも、彼らを持ち上げつつ体よく利用し、何が共に大地で生きられる隣人であるかそうでないかを規定していった。
 そしてついには究極の『権力』、何が権力かを定める権力を手にし、宣言した。
始まりの時から500年。今こそ宣言しよう。我らこそ最も『源流』に近い種族なのだ、と。
 身体面としては最も力に優れ、精神面としては『支配欲』とそして『個体保存欲求』に長じたオーガ。
 身体面としては最も速度に優れ、精神面としては『繁殖欲』『種族保存欲求』に長じたゴブリン。
 身体面としては持久力と耐病性にそこそこ優れ、精神面としては『労働者』と『統率者』の分業に慣れたトロール。
 亜人の正統3族として、トロールは突出した特質を持たずして天敵を廃し、隔離し、あるいは商業的に体よく搾取を行い、自らの生存圏水準をナーロッパレベルまで引き上げ、支配体制の地盤として『歴史』を、宗教的に政治的に解釈してさえみせたのだった。
 閑話休題。ドワーフ達の話である。
 以上の正統3族、すなわち正統亜人を頂点として、亜人・亜獣・魔獣と下る枠組みの中で、ドワーフは「都市に入場する審査を受ける権利がある」亜人に分類されている。
 ドワーフ族は、始まりの時に地下を生活圏にせんと目論む者達と衝突しつつも、占拠した地下施設を足掛かりに地下世界を開拓し、理念的にはひどく古典的、実際的には先鋭的な生活をしている。
地下施設に必要な高度なインフラを整え、出土する鉱石を利用した鉱業・精鉄・化学、根茎や植物性亜獣との共生などによる独自の農業を発達させていた。
がしかし、精神的に『隠棲』や『職人器質』を起源とする彼らは、ほとんどその地下から出なかった。
『ファンタジー』の知識は今や百科事典に等しい。様々の種族の『特徴』が網羅されている、故にそれのみを情報ソースと捉えると他の側面がある事を見落とす事になる。隠棲的な交流っぷりから、これまでドワーフは主に鍛冶技術のみが地上に取引する価値があると見做される特産物であったのだった(地下暮らしで地上の価値に疎い事も、特殊な生活による価値観の違いも、正統亜人達を大いに利した)。
だがある時、彼らの食生活は極端に根菜に頼るにも関わらず、栄養に優れる青果はおろか、医薬品すらほとんど輸入しない事に気付いた者がいた。
 地下空間の特質か、独自の体質か、根菜の滋養か。いずれにせよ調査し、買えるものや売れるものを見つけなければならない。500年の安定と人口の増加、産業の拡大は、新たな『開拓』を必要としていた。そうした目的で、正統亜人の首都から『統率種』のトロールの青年、ハンガーが派遣されて来たのだった。
(実際、ここに来てからは驚かされっぱなしだ)
 木枠で床から距離を離して張られた布に、アルコーとライト少年が作った保存食を並べながら一人ごちる。
 この布一枚とってもそうだ。ある種の植物の茎や根を、機械式のハンマーで叩いて繊維を取り出し、あるいは植物性の膠のようなものへと加工し、半自動化された織機であっという間に『布』を織りあげ、あるいは『紙』に当たるものを製造してしまう。ドワーフ達は見た目の素朴さに反して、一部では地上に勝るとも劣らない技術力を持っているのだった。
 だが何よりも驚くべきは、彼らドワーフと共生関係にある不世出の亜獣(これは亜人認定・魔獣認定ともに受けていない境界種の事を指し、未解明種もここに含まれる)・エルフである。
 彼女達は地面に埋もれて目を閉じる美女の形態を取り、意志や反応を示す事はほとんどない。そしてその真価は、手指の先や髪に当たる部位から伸びる葉脈であり、それが接触する植物は時間をかけ、毒性を旨みや栄養分へと分解・合成してしまうのだった。エルフ農業。素晴らしい。
 今すぐに引き抜いて国へ帰りたい衝動を抑えながら(その衝動に個人的な『美』への欲求が関与している、大いに関与している事は認めなければならないだろう)現地の有力者に好意的に取り入った。
組織にとって必要なのは個体ではなく、継続的な流通であり、無論最終目標は栽培法の習得である。
(ですが……)
 エルフ農業を営みつつ、日がな道場でその加工、副業に勤しむ引退衛兵。それがアルコーである。こちらに来て20日ほどになるが、ひねもす酒を呑み、剣を振る所も見たことがない。
ドワーフは皆、トロールの基準からすれば考えられないほど親切で好意的である。無論同族たるアルコーが例外であるはずもないが、アルコー自身は同族からの好意に対して冷淡に見えた。しかし横柄というわけでもなく、エルフ農業への造型も深い。
請われれば面倒そうに教えもする。気難しい、不愛想であるといった個性だと片づけるのは簡単だが、地上と地下、つまりドワーフ種と外部との折衝という大役は、『気難しい』彼が望んで担っているようであり、その上、自分のような余所者に気遣いをするだけの社会性がある。なんだか掴み所のない男であった。
(それに、あの少年……)
 ドワーフのコミュニティに、少なくとも自分が目にした中でただ一人、自分と同じトロールであろう少年。
 トロールとドワーフの間に子を為した例は寡聞にして知らないし、かといってこんな地下に捨て子というのも、地上に出ないドワーフが拾ってきたというのも違和感がある。
(まぁ、こちらはどうでもいいのだが)
 そう、彼の感覚はまだドワーフという種に隠された金脈の存在を告げていた。高い技術、高い栄養価と恒常性によって病に対する必要がない。それはいい。実の所、トロールもたいがいの病気に強く、耐病性に優れた作物には、冠詞として『トロール』をつける慣習さえあるのだ。
 だが彼らとて、外傷と無縁な生活を送っているわけではなかろう。医療に関してはトロールを下回る水準しか持たない彼らに、前任者が売り込んだ『麻酔』はほとんど顧みられず、かといって嗜好品・つまり麻薬として流通する事すらなかった。
(何かがあるのだ。まだ)
 少年との他愛ないやりとりに向ける笑顔の中に、トロールの『統率種』はその野心を溶かして流した。


『狭苦しさを感じない天井の高さ』は、地面を歩く種族における経験則でおよそ平均身長の5/3というのが建築業界の常識、というか目安である。
 トロールより頭一つ低いドワーフの住居は地下空間であるが、空間が閉鎖的になりがちであるだけに解放感への要求はむしろ他の種族より高く、強度保持の施工など様々の困難さにも関わらず、人の行き交う大路はドワーフの平均身長の4~5倍、個人の住居に繋がるような最も狭い路地でも2倍はある。これはたとえば、ドワーフよりも大きな種族、その中でも巨体に属する者にとっては実に都合のいい幸運であったろう。


 股間・胸・肩・頭にそれぞれ金属鎧をつけたドワーフは、いましがたの会話の尾を引く笑いを浮かべながら詰め所を出て、その空気感のまま、入り口の方から堂々と歩いてくる『それ』に挨拶をしそうになった。だが『それ』を先導するはずの彼の兄弟の姿は見えない。土煉瓦の上を何がが擦れて蠢いている。
(……蛇か?)
考え難い。だが両の手から垂れ、その片方は洞窟の入り口近くまで続いているそれは、黒い表面に電気ランタンの明かりを艶めかしく散らしている。蛇を握る男。
 何よりもその巨体。搬入を考えてドワーフの身長の3倍の高さがある天井に、手を伸ばせば届くに違いなかった。規格外の体長にライティングは追いつかず、照明はむしろ『それ』の顔を逆光の中に隠している。
「誰かッ!」
 衛兵としての職業論理に則り、槍を、ドワーフ謹製の鋭い穂先を向け誰何する。
 張り詰める空気の中、背後の小部屋から「どうしたぁ」と温度差のある声。幸運であった。交代直前の詰め所には計5人の同僚が集まっていた。門を守るはずの2人の姿が見えないのは不安だが、残る人員の中には奥に危機を伝える伝令役もいる。最悪の最悪、ここが破れようとも、時を稼げば如何ともなる──蛇の口付け。
 彼の脳組織が最期に伝達したのはそれだった。
 歯が砕け、舌を押しのけ、頸椎を粉砕し、骨肉を伝播する威力が頭蓋の後ろ半分と脳の四半分ほどを炸裂させた。
 高々所から果実を落としたような水音が洞窟の奥へと反響し消えていく。
 先端に行くほど細る黒鉄の鎖。それは歪んだ円を描き、血飛沫を壁面に吹き散らしながら主の手元へと、音も静かに戻っていく。そして手元で小さく一回し。二回し。
「おい、どうしたって」
 詰め所から顔を覗かせかけた衛兵の腹が不自然に凹む。槍の間合いよりもはるか遠くから放たれた横薙ぎにより、血を吹きながら巣穴に叩き返されたドワーフ、その後を追うように波うち、鎖が、送り込まれていく次々と。淡々と歩を進めながら、そうしている。
 慌ただしく同輩を心配する声。武装する音。なんだこれは、と室内を這い回る黒鉄を警戒する声。それらを耳と指先で聞きながら、腕を緩く振り上げる。ピンと伸ばすと天井を叩いてしまうからだった。
 詰め所の前に立つと、戦意を露わにした屈強な衛兵たちが向かってくるのが見えた。彼らの総意が侵入者と見定めた者は、ただ円を描くように腕を振り下ろした。廻す。廻す。廻す廻す廻す。
 おそろしい暴風が、狭い部屋の中を荒れ狂った。鎖の太い部分が力任せにそこあった物を吹き飛ばすと、それによって音速を越える先端は新たな変数を受けて跳ね回り、テーブルを弾き飛ばし、床・壁・天井の区別なく打ち据え、器物を砕いた。あるいは皮膚を肉ごと弾き飛ばし、骨を打ち据え、指や耳目を砕いた。
 猛獣にくれる鞭の如く、力強く円を描くだけで無慈悲な破壊をもたらしていく。侵入者──オーガは嗤っていた。
 その惨劇の背後を、幾つもの小さな影が駆け抜けていく。オーガはそれに気付くと、不快下に手元に残った鎖を回し、それらを遮ろうとした。
 だがそれらはあまりに容易く、鉄の円をすり抜けていく。疾い。
「すみません」
 もはや絶叫も絶え絶えな小部屋から、荒れ狂う暴風を解き放とうとした時、前から──背後を向いた今、むしろ後ろからと言うべきだが──声がした。
「あなた方の突入に乗じさせていただきました。ま、目をつけていたのはこちらが先なのでお互い様と行きましょう」
 ジロリと前を──そして下を睨んだ。一匹のゴブリンがそこにいた。
「貴様、俺の部下はどうした」
 オーガは殺意も露わに、門前に立つはずの部下の安否を問うた。鎖はいつでも正面から背後から、右から左から目前の矮躯を狙えるよう動きを変えていた。威圧的な眼光と圧倒的な体格差を目前に、侏儒は肩を竦めてみせた。
「『ご苦労さん、首領さんから聞いてると思いますが、私達が第二波として露払いをします』と。まだ皆さん待機してらっしゃいますよ」
「あのバカども」
 オーガは吐き捨てた。まだ鎖の動きをいささかも緩めてはいないが、血の匂い──同胞の血の匂いがしないのも確かなのである。目前の矮躯から目を離さぬまま突入の号令をかけると、ゴブリンの小波の末尾を追う大波のように、十人以上のオーガがぞろぞろ侵入する。
「繰り返しますが、ここは私らが先に目をつけていまして」
「『獲物』次第だな」
 大鬼はその威容と殺意をそのままに、冷静そのものの表情を見せた。交渉のテーブルに置く賭け金としての狂気と暴力の価値を知っている者の言動に、ゴブリンもまた容易く笑みを返す。
「バファリンエルフ。まぁ、亜獣ですね」
「俺達は武装だな。通商を襲うのも手間になってきてな」
 オーガは鎖を引き、ゴブリンは袖口を捲り、仕込みボウガンを示してみせた。フン、と鼻を鳴らす大鬼。
 ゴブリンの主武装なら知っている。矢と共に木材から容易かつ安価に量産する事が出来る『連弩』と呼ばれる機構であり、両手で保持し単動作で発射・装填する連射弓である。
訓練したゴブリンなら、トロールの全速力程度の走力を維持しつつ、そこそこの精度で鎧の隙間を射抜く射撃を5秒で10発、さらにそこに氏族ごとの秘伝の毒を塗り、数に任せて圧倒するという生物災害攻勢だ。
 だが射程がそれほどでもなく、肉体的な強度が低い関係上、戦場におけるオーガとゴブリンの戦力比は状況によりけりだが1:10程度。1:5を切る事はほぼない。しかし。
 目前のゴブリンが見せたそれは連弩ではない。矢は中空の金属製であり、一発しか撃てない仕様になっている。あらかじめ滑車などを使って張られたのだろう銀色の弦は、それが秘める寒々しい程の威力を思わせた。
「裏切り者の右耳と左耳を『開通』する、『処刑人』にして将軍級……ゴブリンスレイヤーゴブリン、などと呼ばれていたか」
「ファリンと申します」
 オーガが苛立ちを覚える寸前の間を置いてから、ゴブリンは『首領級』にして『賞金首』のオーガの名を先刻承知である事を簡便に示してみせた。
「バッファロー・ピルさん」

身体面としては最も力に優れ、精神面としては『支配欲』とそして『個体保存欲求』に長じたオーガ。
 身体面としては最も速度に優れ、精神面としては『繁殖欲』『種族保存欲求』に長じたゴブリン。
 身体面としては持久力と耐病性にそこそこ優れ、精神面としては『労働者』と『統率者』の分業に慣れたトロール。
 亜人の正統3族の事実上の長として、トロールは全てを差配する立場にある
 だが彼ら、トロールの支配も絶対ではない。正統3族の中でさえ。
 根源に刻まれた種族的欲望。その追及を押し通す武力。更には権力の欺瞞を見抜くだけの知性を備える無法者達。
 権力は彼らを賞金首と呼んだ。


 エルフ芋を使ったドワーフの保存食。じゃが芋を原種とし、アルコーが考案した事から『じゃがるこ』と名付けられている。中々癖になる味と食感であるからして、ハンガー青年は今回はこれを買い付ける事と、新商品開発を中間目標にしている。
そのまま齧っても美味いが、器に入れて湯を注ぎ、すりこぎ棒でマッシュするのも中々乙なものである。朝から仕込んでいた分は、味付けをもう少し調整する事で、後者の食べ方に適した商品を作る、という取り組みであった。
商品名は『じゃがゆるこ』となる予定である。
「エルフパセリをもっと入れた方が地上好みですかね。それから匙の大きさから考えて……長さを半分…いや3分の2にしましょう」
 ふむふむ、と素直に改善点を書きつけていたアルコーは、じゃあとりあえずエルフパセリを摘んでみて試してみやしょうか。オーブンに入れればすぐ乾燥させられますから、と言い出し、3人で畑の方へと向かっている途中、道行くドワーフの一人(無論ハンガーにドワーフの見分けはつかない)がアルコーに話かけた。
「おや、アルコーさん、お客人も」
「ああ……」
「皆さんお昼はまだですか? 良ければ焼き饅頭はいかがです?」
 親切なドワーフは籠から包みを取り出してみせる。エルフ蕎麦の粉で作った薄い皮に野菜を包んで焼く料理だ。ただ、昼食にするにはひとつひとつが小さすぎるように見えた。
「……お前さん、そりゃ子供の分じゃねぇのか?」
「ええ、まだ小さいので、お腹が減ったとわめきながら、あれじゃないと食べないとわがまま言うもんで」
半歩下がって成り行きを眺めていたトロールの青年は、このやりとりになにか焦れるような感覚を覚えていた。しかし、うまく言葉にならない。
「……そりゃ、早く子供に食わしてやんねぇと」
「それはそうですが。また買いに行けばいいんで」
 ぞわ、と肌が泡立つ感覚。過剰な親切心。それが種族由来のものだとするなら納得できなくもない。我が子より他人を優先する。見上げた道徳心だ。都合よくすらある。
 だがアルコーの無表情の中に(人心掌握に長けたトロールの統率種ならばこそ見出せる)苦いものが混じっているのを見てしまうと、目前の牧歌的なやりとりが、詐欺グループの耳障りいいお題目を頭から信じ込んでいる『善意』の手先を見ているような気分になってしまう。
「……いい。俺らは」
 声をかけて来たドワーフは気にした様子もなく、そうですか、と別れのやりとりを1つ2つ行った後で、愛想よく離れていった。
「貰っておけばよかったのに」
 少年が気軽に呟いた。
「……阿呆。タダほど高いものは無い、って知らねぇのか」
「それ、地上の諺でしょ?」
 トロールの青年は、アルコーが地上との折衝を取り持っている理由が少し分かったような気がした。人情と商売心は乖離するものだ、という常識……地上での常識は、きっとここではまだ通用しないのだ。親切心のままに搾取されていってしまうのだろう。
 だがそれは決して、搾取する側としても喜ばしい事ではない。ハンガーという青年はそう読む。
(望まれるままを与え、そしてついには限界に達し、外部との通商自体を打ち切ってしまうだろう。断絶、それが許されるならばまだいい。安価で良質な鉄鋼業を地上が手放すとは思えない。行き着く先は亜人認定の剥奪からの亜獣扱い……奴隷化だ)
 その未来を回避する為に、いささか冷たい心根を、あるいは自身にそう強いているドワーフの個体が窓口を務めているのだ。そこまで考えての事かは知らないが、少なくともそうした役目を負っている。
(やれやれ、手強いな)
苦悩の言葉と共にしかし、人心地ついたような息を吐く。先の過剰な親切心よりもよほど理解できる。まったく、私は所詮、骨の髄までトロールだ。
「…………入口の方が騒がしいな?」
 アルコーは急にそう言うと、耳に手を添えて音を拾おうとする。
 少年と青年も、つい揃って同じ姿勢を取った。
「……ほんとだ。荷車がひっくり返ったとか?」
 ライト少年が呟く、と同時、アルコーが叫んだ。
「全員手近の部屋に入って扉を閉めろ!鍵もだ!」
 その一喝にこそ怯えたように、ドタバタと慌て横穴に散るドワーフ達。鉄扉が樋に従ってスライドし、中から閂がかかる。
ほんの十数秒で人っ子一人いなくなった通り、並ぶ鉄扉。
青年は、自分が突如として予定にない避難訓練に放り込まれたような気分になっていた。
(私はどうしてここにいるんだろう)
そんな空とぼけた感想が行動に現れる前に、強く肩を掴んで態勢を崩された。
 頭の横を風切り音が通過した。視界の端で、少年もまた振り回すように位置を変えさせられていた。
 何が起きてる。ドワーフが床の土塊をぼこりと剥がし、投げた。──着弾地点から、何かが飛び上がった──ゴブリン。
 その顔を太い腕太い指が掴み、鈍い音。鉄扉に叩きつけているドワーフ。アルコーだ。
 荒事に慣れていないトロールの青年は目前の光景を、バラバラの理解を繋げておっつけ理解していった。アルコーは二人を無理矢理動かしてゴブリンが撃ってきた矢を躱させ、その足元を狙って煉瓦を投擲。同時に飛び出し、跳ねて躱したゴブリンを掴んで決着。
鮮やかなものだ。仮初とはいえ『師範』の手際に少しく男子らしく目を輝かせながら少年を振り返ると、彼は一目散に奥の方へ走り去っていく所だった。
「ライト君!? どこへ!」
 ハンガーの疑問には、手早くゴブリンから武装を取り上げたアルコーが答えた。
「あのバカ……畑だ。俺らも行きましょう。あそこまで行かなきゃ、もう扉はないんでね」
「道場に戻れば……」
「そっちに戻ってる時間はねぇですよ。それに、畑の用具入れには武器が隠してある」
 アルコーは酒を一口流し込むと、何かを噛み潰すような顔で続けた。
「以前……ゴブリンが侵入した時以来の対策なんだ」
 青年の予定にない避難訓練に放り込まれた気分はいよいよ強まっていた。侵攻?ドワーフへの?違う、これは何かの手違いで、自分は違うんだ。ここにいるべきじゃないんだ、という声の圧力が、漠然と内側で高まっていく。首を振りながら大きく息を吐き、見苦しいパニックを振り払おうとする。
 相手がゴブリンなら、いつまでも腑抜けていては死ぬ。
 死ぬ。言葉にしてはみたが、未だ実感がなかった。トロールは強い種族ではない。故に、暴力の対象にならないように、その行使が行使者にとって不利益になるように取り計らってきた。ここはドワーフの居住だ。その原則は通用しない。
歩き出す前に、ふと見上げた高く、届かぬ土の天井が、煉瓦の凹凸の隙間に潜む電気ランタンの影が、いまや異なる意味を持って迫るような気がした。


「はっ、はっ、はっ、はっ」
 ゴブリンの姿を見た瞬間、ライト少年は駆けだしていた。
 通りから繋がる扉と、その前の納屋(アルコーが言う武装はそこに詰め込まれていた)の前を素通りし、左側、壁際の通路に走り込んでいく。
通路の右手には、延々遠くまで並ぶ畝と、等間隔で並ぶポール。地を這う葉は、与えられる白色灯の明かりに対して、地上の植物を知らない者には十全に見える色艶に仕上がっている。大きな柱がアーチ状に天井を支え、所々で土を被ったエルフが泰然と寝転んでいた。
 野蛮で、どこか粗雑で、牧歌的。異種族が抱く印象も、およそそんな所であったろう。
 そのまま少し走り込むと、よくよく慣れた者にしか分からない、エルフの位置から読み解ける位置、そこでしゃがみこむと、通路の床材を横に滑らせ、生じた空間──さらなる地下へと繋がる階段へと身を躍らせる。仕込まれた滑車と綱の力で、それは音もなく閉じていった。
暗闇の中、行き先のフロアから漏れる光を頼りに降りていく。
気が急き、狭い壁に身体をぶつけ、半ば転がり落ち、その部屋に辿り着いた時には尻もちをついていた。
「痛ぁ……」
 揺れる金糸が目に入る。顔を上げると、薄く、でも確実に心配する目と目が合う。
 狭い部屋に詰め込まれた調度品は平均的なドワーフのそれよりも簡便であるが、上品で精錬された雰囲気にまとまっており、ここを整えた者が、そこで一人暮らす人の為に砕いた心配りを思わせた。少年の鼻孔をくすぐる紅茶の匂いと、あえかな体温の匂い。
「母さん」
 バファリンエルフ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?