見出し画像

バファリンエルフイータースレイヤー 1

「グワハハハハハ! 聞くがいい! 貧弱なる者共!」
 全身を岩のような筋肉で形作り、紅い皮膚で覆った大鬼──オーガが、巨大な鉄器を打ち合わせた。
「これより! 粥の炊き出しを行う! それもゴブリン米やトロール米ではない! エルフ米だ!」
 成人トロールに倍する体長の彼の左右には十人程の手下が並び、左では貧窮者に器を手際よく渡し、右では匙を渡す。鍋の背後では首領級オーガ、バッファロー・ピルが、手ずから巨大なオタマで粥を椀に注ぎ「熱いから気を付けるのだぞ!」と言い添えている。
 百人以上が並ぶ炊き出しの列、その最後に少し遅れてやってきた子供が、言葉もなく器を取り、掲げた。ビルは黙ってそれを取ると、たっぷり施しを入れて返したが、その子は感謝の言葉もなく振り返って走り出そうとした。
 だが、こんな炊き出しに来る子供に、まともな栄養から来る運動機能は求められない。ほんの二、三歩でつまづくと、粥がたっぷり入った器をひっくり返した──ひっくり返そうとした。
 一歩。
 バッファロー・ピルが鍋をまたぐように進み出て、毛躓いた小さな身体の腰と背を優しく抱え、放物線を描いて離れ行こうとする粥の軌跡を、水面に映す様な導線で、手の中の器に子供ごと掬い上げてみせた。
「ウム! 矮小にして貧弱なる小僧よ!」
 お姫様を降ろすように柔らかく少年を大地に立たせると、オーガはその頭を太い指でつついた。
「施しを恥辱とするその誇り高さ、見どころのある奴よ! だが今のお前にはどうにも出来ぬ! せいぜいたくさん食べてその誇りに見合う身体を手に入れるのだな! グワハハハハハ!」
 少年はしばし後悔するように俯くと、やがて大鬼の目を真っすぐ見上げて「ありがとう」と言った。
「ウヌ! 当然よ! 感謝するがいいわ!」
 そうしてふと顔を上げると、既に粥を受け取った者達が、尊敬と期待の目で自身を見ているのに気が付き、オーガの種族特性による紅い顔をわずかに濃くした後、大きな声で言い添えた。
「だが覚えておくがいいぞ。その感謝心こそが、貴様らの親切心を引き出す! そうして今度は貴様らが親切を行い、それが感謝を生み、そしてようやく世界はほんの少しだけ優しくなるのだ!」
 そうして部下が差し出す器を受け取り、一人ずつに次いでやる。その場にいた施しを必要とする全員に行き渡ると、最後に自分の分を椀に注ぎ入れた。
「それでは貴様ら! 分かっているだろうな!? 例の言葉だ!」
 手を合わせて!
 静寂。
いただきます!
 祝詞の残響渡る中、口に入れた米粒を、ゆっくり舌で転がし潰す。
 耐病害性と滋養に優れたエルフ米は、彼らの舌に、命がその喜びとする「栄養」という旨みを伝えて、ほろほろと崩れていく。芯も残らず、さりとて糊のごとくに融けきってもいない。上等の粥であった。
 素朴な喜びが満ちるその場所に、人通りから離れて、襤褸を纏った二人組が向かっていた。背の高い方と、低い方。二人の身長差は成人トロール男性の頭一つほどもある。
 バッファロー・ピルは目端でいち早く彼らを見つけると、朗らかに声をかけた。
「見すぼらしい奴らめ! 飯の匂いを嗅ぎつけたのか? 粥はまだ少し鍋の底にこびりついておるぞ! 少し湯を足し、温め直すゆえしばし待つがいい!」
 そうして椀を置き、鍋を掴み──全速で振るった。
 背の低い方がよろめく。一瞬前まで一歩後ろを歩いていた相方を十歩分も引き離しての急襲を防がれ、たたらを踏んだ所を頭上から鉄器が襲う。
 襲撃者もまた熟練の速度で身を引いたものの、オーガの巨体が立ち上がる勢いを利用しての攻撃、しかも武器としては異形であるオタマの抉るような間合いを見誤ったか、襤褸が派手に引き裂かれた。その下からは、黒いクチバシのようなマスクを着けた男の顔。
だがその目の不吉は。
「貴様……まさか貴様が」
 オタマの背で槌の間合いの一撃。今度は躱される。首領級オーガ、バッファロー・ピルはその歴戦から、男の戦闘者としての技量を測った。速度・威力共に一流賞金稼ぎの中から下のクラス。一度見た武器の間合いはまともに喰わないだろう。無駄に距離を離さないのはカウンターによる一撃必殺狙いか。
 だが殺せる。オーガはゆっくり鍋とオタマを天地に構えた。囲む部下に一瞥を投げると、彼らは意を受け取り、炊き出しに集まった者達を避難させに走った。
襲撃者は、ただ自らの身の丈の倍近くある恐ろしき大鬼の目を凝視しつつ、辛うじてひっかかった襤褸とその影に得物を隠し、じりじりと左回りに位置を変えながら、機を伺っている。
(あの布切れの丈で隠れるサイズは重めの片手剣から、短めのバスタードソードまで。先の感触はナイフのそれではない)
 地に鍋、天にオタマ。中に人を五人から立たせられるほどの幅を持ち、襲撃者の体調に近しい大鍋は、その重量も相まってもはや環境障害物、柱の類に近いが、オーガの巨躯から繰り出す腕は鍋を越え、一方的に攻撃を浴びせる事が出来る。
(故に)
 小男は態勢を低く、正面から肉薄する。大きく迂回を強いられたオタマがいささか遅れる間に距離を詰め切る為に。鍋を盾に見立て突き出す攻撃の範囲は流石に見切っているだろう。こちらの選択肢を削ぎ、型に嵌めるつもりなのだ。だが。
「浅いわッ!」
 オーガは鍋を蹴り放つ。高速で縦回転する鉄塊を追い、直撃しなければ、上に跳ぶか左右に散るだろう小男を確実に追滅せんと、そのまま手中でオタマを回しながら踏み込む。
(……何ッ!?)
 ふと視界に入った転がり進む鉄弾の先。背の高い女。細い指、細い腕が襤褸を引き下ろし、金の髪長い耳豊かな乳房が一息に晒される。「豊穣」の一語を連想するその出で立ちの神秘に相応しく、憂いを帯びて閉じられた目。
そこから、一筋の涙が地面に落ちたのが見えた気がした。
「ウ、ウォオオオオオオ!!」
 考えるよりも素早く、そして砲弾より迅く駆けた。
 弾くわけにはいかない。周囲の避難も済んでおらず、かといって自ら造り出したあの速度と質量を停止するのは生半な威力では不可能。
 オタマを手放し、両の手を突き出した。
「グゥウウウウウウン!!」
うまく縁を掴んだ手は、擦過で皮膚が焼き切れ、取っ手に滑り込んだ2本の太い指は、急停止の負荷をまともに受けて捻れた。脂汗伝う苦痛。しかし守れた。安堵が胸を覆う。
麗人を見ると、その苦痛も和らいだ。無表情にこちらを見つめている。感情の色のない瞳はしかし、優しい。陽だまりのような優しさ──喉に違和感。下を向けない。
 止まっていた思考は「そういえば」と言い訳しながら素早く動き出す。先ほど止めた質量は、元々の鍋のみの重みに比べ余りにも重すぎた。小男は蹴りつけられた鍋の中に跳び込み、大鬼がその丸い窓から姿を見せるのを待っていた。なんという身軽さ、判断力。
 溢れ出す赤い血。立ち昇る金色の湯気。
 10年も前、一級賞金首にその命を狙われ、その全てを返り討ちにしていた修羅の時代。首領級オーガ、バッファロー・ピルは、他の多くの者をそうしたように、ただの食糧、いやさ珍しい食餌として、エルフを喰らった。
 それはただのエルフではなかった。いわゆる「優しさ」を高濃度に宿したバファリンエルフ。爾来その事を悔い、慈善事業に専心するようになった。
 その「優しさ」は文字通り血に溶け、体外に出ると揮発する。血から離れて舞う金色の粒子こそがそれだった。
バッファロー・ピル本人までもが自らの血に潜んでいたそれを吸い、苦痛の中、自らが救った麗人を喜び、襲撃者を憂いた。──これほど大量の「優しさ」を吸っては、自らの行為を深く悔い、自死を選ぶやも知れぬ。
 剣──短めのバスタードソード──を引き抜かれ、顎ががくり、と下がる。そして見た。鬼が吹き出す血を浴びる、円形の血の池地獄に立つ小男の目を。全き不吉。一片の慈悲もそこにはない。
(その為のマスク)
 ふと、視界がふたつを同時に捉えた。小地獄を挟んで向こうに立つ麗人が手にする襤褸。小男が血で汚しゆく襤褸。それは同じ。
(最初から──?)
 救いを求めて、麗人の貌を見る。自らが10年前に喰らったエルフと同じ美しさを持つ貌を。
 そこには感情の無があり、そしてそれにも関わらず、流れた涙の跡が、ただ優しかった。
(そうか、お前がバファリンエルフ)
 首筋に当てられる刃。
(そしてお前が、)
末期の一瞬、血を零しながら、その忌み名を呼ぶ。
「バファリンエルフ……イーター、スレイヤー」
 バファリンエルフイータースレイヤー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?