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バファリンエルフイータースレイヤー 3.5

 あえて誰かが語る事もない話。
 宵闇の中、ドワーフが普及させた電気ランタンひとつのみに照らされた資料を眺め遣る。
 卓上に載っているのは長年、多数のゴブリンとドワーフへの聞き取りによって、その堅い口から漏れ出た断片を次ぎ合わせた報告書である。
 それは20年前の、オーガによるドワーフへの武具目的の襲撃から始まった。
 あるいは、30年前のゴブリンによるドワーフへの食糧目的の襲撃から。

 まず、オーガによるドワーフ襲撃。首領級オーガ、バッファロー・ピルが率いたそれ自体はオーガの圧勝に終わり、彼らは目的を達した。
しかし、その翌日にバッファロー・ピルが言い出したのは、どちらの立場から見ても一方的な和解交渉だった。
 それに誰より反対したのは身内のオーガ達だ。何もかも上手くいったというのに、合理的な理由なくその戦利品全てを投げ出すというのだから、紛糾しないはずがない。
 しかし、襲撃中に合流していたゴブリンの首領、ファリンと合同で仲間たちを『説得』した結果、翌々日には収まり、ゴブリン達もまた、自らの戦利品であるドワーフ族の共生亜獣・エルフを生きたまま返還している。
 そしてその『和解』──一方的に暴力に晒され、一方的に赦しを乞う──を全面的に受け入れ、赦しを与えたのがドワーフ族だった。
 特に外部との窓口であったアルコーの働きは目覚ましく、その慈愛に満ちた振る舞いは首都に(多少粉飾されつつ)報告され大いに知られる事となり、地図になかった地底世界にはアガルタという名がつけられ、正式にドワーフの領土として登録され、同年にはドワーフ族が正統亜人の列に加わる運びとなった。
 新たに加入したドワーフ族は総じて、未だ個人の暴力を貴ぶ気風のあったオーガとゴブリンとも良好な関係を築き、利用しつつ決して心を許さなかったトロール達を巻き込み、四族それぞれを歩み寄らせていく契機となった。
 当時は賞金首であったバッファロー・ピル、滅多に表舞台には出ないがゴブリンの賞金首を掌握するファリンはそれぞれ、奪い取った財産を首都に返還。持ち主定かならぬ物は公正な競売にかけ、またまつろわぬ賞金首を捕らえ、その賞金などを基金として、慈善活動を開始した。世界は、ドワーフの赦しを中心に変わり始めたのである。
 しかし、である。当時は正統亜人ですらなかったドワーフの美談がそれほど早く広まったのは、そこに想像力を刺激する要素があったから、という事実は否定できない。
 襲撃から一週間後、和解の立役者アルコーは突然の惨死を遂げた。地下の隠し部屋のその更に奥で。独りで。
 巷間、彼はそこで復讐の悪魔と契約し、引き換えに命を差し出したのではないかなどと囁かれた。
 それは、当時は未開と見做されており、かつ地上の基準からすれば度を外れたお人好しの亜人達を、自分たちの基準で推し量ろうとする卑近な与太話でもあった。
 だが、5年後。
 首領級に次ぐ棟梁級オーガが死んだ。ドワーフ襲撃に参加し、突然の和解にあたって抵抗し、ファリンの『説得』により涙ながらに反省するようになった内の1人だった。
 ほぼ同時期、氏族長級ゴブリンが死んだ。襲撃に参加し、オーガとの合同和解に尽力した者の1人だった。
 死んだ。死んだ。死んだ。
 その後の5年で実に8人の棟梁級オーガが斃れ、11人の氏族長級・参謀級ゴブリンが斃れた。そして10年目。篤志家として活動していた首領級オーガ、バッファロー・ピルが斃れた。
 その頃にはその現象……否、その復讐者には名がついていた。
 バファリンエルフイータースレイヤー。
 それを口にした者が、悉くそれを悔い、人生を改めた肉。それを喰らった者悉く滅ぼす、それは意志だった。
 彼らバファリンエルフの肉を喰った者達は、それでも慈善活動をやめようとはしなかった。自らの命、あるいは同胞の命よりも『皆』の命が大切なのだと一様に語った。
 バファリンエルフを喰った事を公言し、それが私の罪を自覚させたと公的に語る将軍級ゴブリン・ファリン……もといファリン神父も果たしてそうだった。
 彼の決定を尊重し、彼を慕う者によって親衛隊が発足され、以降5年、彼は鉄壁の守りを得ていた。
 しかし平穏は破られる。かつてバッファロー・ピルが斃れた街。周囲は不吉だと止めたが、自らの死の影に怯えて、この街の寄る辺なき人の寄る辺を失ってはならない、とファリン神父は主張した。
 かくて死の影は『偶然』を利用し彼の信用を得、しかも自ら警備を買って出までした。そして夕刻まで続く活動の中で疲労した所を強襲するという策でもって、ファリンは斃れた。
 非合法のゴブリン排斥団体『捨てられた子』がその日その時に集結していたのが本当に『偶然』だったのか、それを知る者はいない。

 そう、『捨てられた子』だ。
 ファリン神父の活動こそは彼らが主張する罪業の償いの一助となるべく組織されたものであった。
 ……この世界の前身、旧世界を壊したのは『異世界からの色彩』かもしれないが、この世界を引き裂いたのはそれではなく、生命の道理であった。即ち、異種族との交配不能性。
ゴブリンは他種族と交わり、子を為す。その源流は『生殖欲』であったが故。
 ここだ。彼はペン底を机に叩きつける。
 何故襲撃当時、ドワーフではない、トロールらしき子供がただ1人混じっていたのか。
 何故彼の母親と名乗る人物も父親を名乗る人物も、ついに現れなかったのか。
 何故優しさを以て在り、現にエルフ農業を営む内に断絶しかけていたドワーフ流剣術を、アルコーは伝え続け、武器を隠していたのか。
何を見据え、備えていたのか。

 トロール基準で見ても稀なる才知と武を合わせ持つゴブリンジェネラル・ファリン。将軍級にして処刑人という異様な役割に甘んじていた理由。それは彼が個としての有用性を殊更に示す必要があったからだ。
 彼は、極端に子供が作りにくい体質であった。
 その文化……と言っていいのか、習俗において、ゴブリンに親子という感覚は薄い。せいぜいが氏族という、『それである』というより『それ以外ではない』という程度の枠組みを持つのみだ。だが稀なる才を持つ血が特別扱いされるのは、どの種族でも変わりない。
 彼は子供が熱望されていた。それも、ゴブリンの子供が。
 女のゴブリンが産むのは例外なくゴブリンである。だが、男のゴブリンと交わった者が産むのは、二種。ゴブリンと、そして、彼らがヒルコと呼ぶ種である。
 その決定因は母体の体質に依存し、ヒルコを産む者は、ゴブリンを産む事がない。
 このヒルコの正体はこの世界のタブー領域である。学術的な興味だろうと下世話な興味であろうと、それを語ろうとする事自体が道徳心を欠く悪趣味と見做され、それゆえ怪奇小説や『異常な出生』のモチーフとして世間に認知されている。
 産婦人医による統計によって、ヒルコについては三つの事実が知られている。一つは、それがゴブリンの男と、あらゆる種の女において生じる事。一つは、トロールが相手の時、特に多く生じるという事。そしてもう一つは──事例はほとんどないが──それが成長すると『統率者』のトロールに近しい外見に育つという事。
 つまりこうだ。全ての亜人に流れる源流。その中で最も源流を色濃く次ぐと言われるトロールにおいて劣性的に生じる『先祖返り』。
 それこそが『統率者』であり、つまる所、源流そのもの──尽きぬ欲、比類ない執念、比類なき悪意ですべてを奪う、旧き支配者。即ち人間であるのだと。

 しかしこれはいわば閑話、あるいは前提に過ぎない。
 重要なのは、かつて──おそらくは30年ほど前、ファリンの氏族によるドワーフの集落への襲撃があったという事。その際に凌辱を受けたドワーフはいないという事(魅力がない、という事ではなく、彼女らは見慣れないと男のドワーフと区別がつかないのだ)。その際にバファリンエルフが発見されているという事。20年前ドワーフと接触したトロールによる「この集落にドワーフではない子供が1人いる」と報告する書類を含む物資が、ゴブリンの野党に遭っていたという事。野盗に身を窶しながら、正統亜人の共用文字を読めるゴブリンは限られているという事。
「全ては……終わった話だが」
 私にもその責任の一端があったという事か。しかし結果だ。結果だけを見れば、正統亜人をまとめ上げる立役者の位置にいる。バファリンエルフの機序について最も知悉しているのは私だろう。
 バファリンエルフの血は揮発性の『優しさ』を持つが、同時に揮発しない血それ自体にもより多量に含まれ、それは葉脈を通して他の物質と結びつく。
そして、だ。
 私は立ち上がり、私室の裏手に続く扉を潜り。趣味として、各地から買い上げたテラリウムをいくつも並べた中庭に出る。そのうち一つ。全面に被された覆いを取り去ると、磨き抜かれた硝子の箱に詰まった肥沃な土に、埋もれるように横たわる赤子の姿。
 月明かりに照らされた肌は、自ら光を放つかの如く幽玄と煌めいている。
20年前。アルコーが惨死した隠し部屋に残された爪先を回収した。
 喪われた──実際にはもう一体、隠し部屋の更に奥に隠してあったわけだ。最後まで食えない相手であった──バファリンエルフについてアルコーからいくらか聞いた私は、それを最初は弔うつもりで拾った。だがそれが時間が経つごとに断端を閉じ、根を縮退させているのに気付いた。
 まさかと思い、周囲の土と共に袋に入れ確保した。それは数週間かけて掌より一回り小さいほどの球体となり、やがて半分に切れ込みが入り、やがて四半分に切れ込みが入った。
 細胞分裂の過程だ。トロールの『支配者』としての教養によってそれが理解できた。
 爾来、それはここにある。流石は『エルフ』というべきか、その生育は極めて遅い。しかし待っている。たとえ歩けるほど成長するのが、自分の次の世代の事だとしても。
 ドワーフから託された、宝だからだ。
「ハンガー殿下、よろしいでしょうか」
 中庭と私室を繋ぐ扉から、声がかかる。この声は──近衛長か。
「何かね?」
 覆いを戻し、その場で要件を言え、と暗に伝える。
「はっ。城に賊が入り、これを誅しました」
 無言。先を促す意を汲み、近衛長が続ける。
「族は歩行する『エルフ』を連れていました……おそらくは、殿下のおっしゃるバファリンエルフではないかと」
「……ほう」
 声に感情が混じらぬよう努めた。誅した。誅した。
「……殺したわけだな」
「……はっ」
「そうか」
 無言。
「はっ、持ち場に戻ります」
 遠ざかる足音。他に誰もいない中庭で、一人立ち尽くす、その肩が震えた。
「……そうか、死んだか、ライト君」
しばし天を見上げ、沈思、黙考する。
黒い空に浮かぶ玲瓏たる月が、その円周を青く染めていた。
やがてゆっくり目を開くと、誰にともなくつぶやき始める。
「……いや、これはこれで、生育を待つべきだ。あちらをエルフの産出に利用し、こちらは変わらず、食いでのある大きさまで育てる」
 バファリンエルフの機序について最もよく知っているのはこの私なのだから。
『自動醸造症候群』と呼ばれる症状がある。ごく稀な条件が重なり、酒精を作る酵母が腸内環境に固定化し、通常の食物が分解された糖分から酒精を醸してしまう病気だ。
 バファリンエルフの肉もそれに似た作用を引き起こしている。尽きせぬ慈愛の固定化。
 それは、血に濡れた賞金首を篤志家に変える程の力。
 それは、排他主義者を協和主義者に変える程の力。
 それは、専制君主を善き為政者に変える程の力。
 それは、奪うのではなく、与えさせる力。
 私はそれを喰わない。絶対に喰わない。
『喰い物にする者』とは、必ずしも『喰う者』ではない。
 喰わせる者、である。
「そうかそうか、死んだか、ライト君」
 バファリンエルフイーター。

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