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バファリンエルフイータースレイヤー 2

 かつて少年だった青年は、今はただ一人歩んでいた。
 目的地はかつてオーガの篤志家、バッファロー・ピルが殺された町の南門。亜人種の正統4種の中にあって、新参のドワーフによりその座を危うくしつつも、誰も文句のつけられない救恤により種族のイメージ向上に資するゴブリンの指導者的存在、ファリン神父。彼が自ら街頭に立ち、募金を募るのだ。
 権威と慈悲と、実利と戦略、理解と尊敬。15年。ゴブリンの寿命からすれば実に3分の1に渡る事業を続けてこられたのは、それらの要素を獲得し、維持する鋼のような精神力とカリスマ、そして何よりも『優しさ』があったからに他ならない。それを。
 青年はフードを直す仕草の中に、悲憤の表情を隠した。
 バファリンエルフイータースレイヤー。
 奴は必ず来るだろう。かつてバファリンエルフを喰い、膨大な『優しさ』を手に入れたゴブリン、ファリン神父を殺す為に。


「私達はかつて正統亜人3族と呼ばれていました」
 街の中央広場に設えられた壇上にて、黒衣に身を包んだ矮躯の男がよく通る声を発している。短い身体を、更に短い杖で支え、皴深い肌は干した果物のようでもある。だがその痩身から発される生命力の厚みは、取り巻く群衆の尊敬の熱気や好奇心、嫉妬や不理解、そのすべてと拮抗して尚余りある説得力を持っていた。
「ただ、源流に近しいというそれだけの理由で。現在学校に行っている年頃の子の、親や祖父母世代から話を聞いたことのある子もいるのではないでしょうか? あるいは子や孫に話した親もいるでしょう。私達は特別なのだと。そして彼らは劣っているのだと」
 悲しげに目を伏せると、誰もが思い出す。壇上で語る、ほんのトロールの子供ほどの老人の小ささを。しかしその肩には世界の全ての憂いが載っているかのようだった。
「ほんの15年ほど前の出来事です。地底世界アガルタとの『邂逅』により、私達の意識は揺らぎました。そう。ゴブリン、オーガ、そしてトロール、そのどの種族より『優しさ』に優れた第4の正統亜人・ドワーフと、その共生魔人族・エルフによって…」
「ファリン!!」
突然の大声により、演説は中断を余儀なくされた。同時、壇上に数人の男が殺到する。ゴブリンより大きく、オーガより小さい亜人族。トロールの一群だ。
ゴブリンの中でも小柄の部類であるファリン神父が囲まれると、周りから彼を確認する事はほとんど出来ない。
男達の半分は壇の下で周囲に刃を向け、近づく衛兵と、数人の血気に逸る市民を牽制している。
先に展開した男達の間を縫って、更に1人のトロールが姿を見せた。纏っていた簡易な旅装を投げ捨てると、細い金属鎖で繋ぎ全身に巻き付けた板金が露わになった。──コートオブプレート。
手に持っていた籠から無造作に、偽装用の詰め物に使われていた果物を零しながら頭部鎧と、更にその中から自動装弾式のボウガン取り出す。短い髪に慣れた手つきで頭部鎧を着装すると、もはや彼女が女性だと示す何物もなくなる。その声は憎悪に満ち、女性の声帯を使って怨霊が語るかのようだった。
「我々は! 『捨てられた子』の一団である! 他種族と同意なく交わり、子を成す害悪。ゴブリンの殲滅を使命とする共同体である」
「……はい」
「さりとて、貴様らは繁殖力が得手の種族。最後の番いまでの殲滅は現実的ではない。ならば政治的な決着をこそ殲滅の最終的手段とせねばならぬ」
「……」
「正統亜人4族からの脱退を宣言しろ。今、ここでだ」
「私に、決定権はありませんよ」
「だが貴様が動けば、元々追放や脱退に意欲的な者共が動く。消極派は声を弱める。反故にされるだけの約束などいらない。ただ宣言の事実のみがあればよい」
トロール族。最も源流に近しいと言われ、亜人族の中で唯一、身体的なアドバンテージを多く持たず、しかしただ『政治』の概念を持つだけで世界を表から裏からコントロールする種族である。
彼女の言こそは合法性のない妄言であり、望む言葉をくれてやっても問題ないようであるが、この襲撃を成功させた力量と、それが前提するであろう組織力、予想される拡散や扇動、裏工作によって、元々社会的立場の弱いゴブリンの立場を決定的に悪化させうる可能性は。
(五分五分、といった所ですか…)
ゴブリンの中でも際立って高い知性を持つファリン神父にはそう予測出来た。
絶対崩れるとも言えぬ。絶対に崩れぬとも言えぬ。不確実性。故に、電撃的な作戦に対するファリンの動揺から来る一時凌ぎで、成立する余地がある。
「その気にならぬのなら」
鎧が僅かに首を傾げた。壇の下で、最東と最西に配されていた男が同時に、丸腰の市民に掴みかかった。
更に同時、静止にかかるだろうファリン神父を抑えるべく繰り出される、刃のない半月を供える刺又。迫るそれを、小さなゴブリンは絶望の表情で迎え──。
「……何だッ! 貴様ッ!」
市民に手を伸ばす無法を払い、剣を抜く勇士が1人。苛立ちの声は、彼に妨害された『捨てられた子供』の手勢が吐き捨てたものだった。
ゴブリンの表情に満ちた苦渋が洗い流され、漂白される。目が細まる。繰り出される刺又の柄を掴み、引き込みながら跳ぶ。肩に手を置き、首を蹴り、もう1人の、哀れな市民に手を伸ばす悪漢の方へ自らを射出した。
飛来する勢いのまま、手にした杖──硬鞭で手首を粉砕し、絶叫せんとした喉を貫手突き、胸を蹴り着地。三角跳びを逆回しにしたような光景であったが、ゴブリンの動きはそれで止まらない。影のように走る。
硬鞭。それはしならず、硬く、竹のような節を持ち、武器としての「杖」の運用を半ば放棄する代わり、点の破砕力を高めた打撃武器である。
隣を受け持っていた男が剣を振り上げ、そして膝を砕かれる。苦痛の音をすり抜け、その後ろの男が突き出す槍を硬鞭の側面で擦り上げ、その直線状の脛を行きがけに突く。速度を落とすどころか加速しつつ、一手ないし二手で次々と無力化していく。
だが、その短い間でも時は進み、死合は往々にして数秒で趨勢が決まる。まさに一秒以下でそのゴブリンとの決闘に結果が出るように。
事態に介入した勇士は残酷にも悪漢に押し負け、目を遣った時には次の一手で斬られる寸前であり、しかも目端で首魁の女がボウガンを自分の行く先を捉えているのが見えた。
(いい腕、いい目です)
歴戦のゴブリンであっても、認める他ない技量だった。ファリン神父の行動原理を熟知していた。ここで転身して彼女を狙うべきか。しかしそうすればかの勇士は死ぬ。
(避けるわけにはいかない。市民に当たる。しかし最高速に乗っても彼の元までは届かない──)
ファリン神父は、少し、ほんの少し歩幅を小さく、速力に変換されるべき足力を土を固める為に用いた。有体に言えば速度を緩めた。
偏差で放たれたボウガンの導線を、ゴブリンの動体視力は捉えている。左から放たれたそれは右手の夫人、その眼窩下に侵入り、後頭部の脳幹を破砕しながら首後ろから飛び出る。だが。
(そうはならない)その悲劇を辿らんとする線上に、硬鞭を振るう。
節と節の間の「棒」部分が鏃を捉え、その運動エネルギーの行方をズラす。弾かれた力を、新たに加えられた力で補い、その矢は瞬時に今まさに勇士に一撃を加えんとする男の首に突入した。気道を裂き、左側面の大動脈を内側から破りつつ、喉笛から変形した鏃を突き出した。揺れる矢柄。
「──」
ファリン神父は、半秒ほど、面相を歪め、己の行為の行く末を、殺生を目に焼き付けた。そして再度目を細め、首魁の方へ向き直る。
流石に予想外だったか──あるいは目前の絶技が己が現実の許容を超えていたか、同じ時間をただ硬直していた女が、ゴブリンの闘気に当てられ、意識を戻す。
女の二射目はしかし、目前の敵を避けるように横合いの市民の方へ振られた。腕の振りに追いつく速度、飛来する矢を撃ち落とす技量があるのなら、市民の犠牲を無視はしないだろう──合理的にその行為を解釈するならそういう理屈になる。その間に時と隙を稼ぎ、確実に矢を打ち込む機を待つ算段だ。
だが遅すぎた。
二射目が放たれたのは、一息に距離を詰めたファリン神父がボウガンを硬鞭でかち上げた後だった。女の戦術は確かにファリン神父の行動原理を捉えていた。しかしただ一つの誤算は、そのゴブリンが、腕を振るのはおろか、指を曲げる速度より迅速に、自分、つまり射手自身への距離を詰め得た事だった。


「1人の犠牲が出てしまいましたね……」
項垂れるファリン神父に、歯噛みする青年。それは先程市民を暴虐の手から守らんとした勇士であった。
「すみません、僕が余計な事をしなければ…」
「いえ、いいえ、とんでもない」
 ファリン神父が口にした『犠牲』とは、弾いた矢で絶命した『捨てられた子供』の一員の事なのだった。他の無力化された成員を含めて、市民の犠牲は皆無であったにも関わらず、誰一人殺したくなどなかったのだと、そう言っているのだ。
「けれど、僕が力もないのに介入さえしなければ、誰も……」
「それは違います。それは……私の咎なのです」
 青年のどうして?と問う視線に、僅かに目線を落としつつ答える。
「二人の市民が手を掛けられた時、私には……どちらかを助けようとすれば、片方を見捨てる事になる事が分かりました。ちょうど……あなたへの支援が水際のものであったように、それは分の悪い賭けになったでしょう」
「……僕は、何も考えてなんかいなかった。ただ、近くの人を助けようとしただけです」
「だからこそ、なのです。私が動けたのは、あなたが一つを選んでくれたからなんですよ」
お互いまだまだ未熟ですね、と、ゴブリンの指導者は、頼りない冒険者と小さく笑い合った。

 その光景を、襤褸の下から見つめる一人。


街の治安に関わす一大事に、市長は青い顔赤い顔で平身低頭であったが、よほど泰然とした当人の、不問としたい、彼らの処遇と治療を任せて頂き、このまま今日の寄付を続けさせていただけるなら、との言を最終的には受け容れ、当初の予定通り、ファリン神父自ら立つ寄付会は催される事となった。
 一部『捨てられた子供』に同情する声もあったものの、市民を盾に取ろうとした過激派に大っぴらに同調する者は決して多くなく、大半の市民感情はかつての将軍級ゴブリンであったファリン神父の大立ち回りと、噂通りの懐深い裁きに心酔する者多であり、彼が持つ箱には絶えず列が続き、銅貨銀貨だけでなく、金貨までも放り込まれる事となった。
まさにこの資金こそは、『捨てられた子供』が主張したような、かつてのゴブリンの所業に対する補償を賄う為、常に逼迫する財政を補うものであり、種族の闇と光の面が合わさり、毀誉褒貶は毎度の事の業浅からぬ行事であったが、結果的には十二分の成果を上げていた。
 正午を少し回り始まったそれは、夕暮れを、終わりを迎えつつあった。
 最後の一人は、ほとんど襤褸と言っていいローブを纏っていた。横合いから射す夕陽が影を作り、顔立ちは伺えない。
身をかがめて箱の口に銅貨がさし出される。その手指を見ていた。
(滑らかな指……)
 夕陽を反射しているのを差し引いても、あまりにも純白に近い手指。ささくれひとつない美しく細い指とまるい爪が、手垢で黒ずんだ銅貨をつまんでいるのはひどく背徳的にさえ思われる光景だった。
 ふと、光が垂直に落ちた。知らず目線を下げていた矮躯のゴブリンは、驚いてその顔を見上げる。厚い影のヴェールの向こうでうつくしい人が、泣いていた。
エルフ。強い衝撃──純粋に精神的なもの、ではない。
 闘争に長く生きていた身体は、一秒ほどの自失を措いて立ち直った。
振り返りつつ意識を自らの傷に向ける。左側の背に矢。素早く引き抜く。失血よりも毒が怖い。腕をわずかにひねり動きを確かめる。動く。左半身の血がすべて棘に変じたような痛み。肩甲骨が砕かれたか。
 その激痛をして「動く」と評するのは、偏に彼が鋼の精神力と、動かねば死ぬだけの闘争というものを骨の髄まで識っているからに他ならない。並みの──訓練を積んだ者であろうと、自らに自らの敵への抵抗を諦めさせる理由になりうる重傷であった。
 視線の先──警備の者達が並ぶ輪が、ぽっかりと途切れた場所に、黒い、鳥のクチバシじみたマスクをつけた男。襤褸を纏い、その手には自動装填式のボウガン。
 容赦ない二射目。硬貨が詰まった箱で受ける。重い箱を、片腕のみで矢の動線に合わせる。作りの雑な木箱ではないが、それでも一撃で半ば破裂し中身を零した。手の内に残るのは銀貨。金銀銅の中で最も硬い硬貨。一射は受けられる。避ける事も容易い。そして。
(あと二射も受けないでしょう)
 土煙を上げて吶喊、彼を注視する者、彼に駆け寄ろうとする者、いずれの周囲にも煙の中に融け去ったようにしか見えぬ速度。凝縮した時の中で次の矢──最後の一矢が放たれるのを捉えた。その軌跡も、行く先も。喉を裂き、脊髄を砕く致死の一撃。無為な想定だ。
その行き先は自分ではなかったのだから。
(馬鹿なっ!?)
 その線は背後の女人の喉を目指して放たれていた。これを無視すれば、その白い喉は想定した通りの結末を引き受け、地に倒れる。それまでに自分はあの狼藉者を無力化できているだろう。
「カッ!」
 自らの読みを、あるいは僅かな迷いを引き裂くように一喝、飛び上がり銀貨で矢を弾いた。人差し指の先端が冷たくなる。切れ飛んだのだろう。
自己放棄に近しい自己犠牲だった。だが完全なる無謀ではない。三射の間隔で、次弾の装填までの時間は完全に読み切った。滞空の間に矢は来ない──男は撃ち終えたボウガンを放すと、それがまだ空中にある内に、襤褸の内に吊るしていた装填済みのそれを左右の手にそれぞれ構えた。
「……ッ!」
 なんという早業。前提として、自動機構で矢が補充され弓が張られる時間よりも、その動作が素早くなければ意味を為さぬ強襲。
跳躍が描く放物線はもはや半ばを過ぎた。避ける術の無さを悟る。ここが瀬戸際。弾かれた右手は要を為さない。銀貨を手放す。左手を突き出して心臓を庇う。もう一射は深く右の太腿を穿った。
 圧縮された時の中で、濃縮される苦痛を甘受する。勝利への確信と共に。
左手を強く握る。砕けた肩、砕けた手の骨が軋み、視界が白く飛ぶ。
ホワイトアウトする世界の中で、ただ己の身体にのみ意識を集中する。手の甲を返し、鏃を敵の方へ。矢で射られていない脚を前へ。爪先が地を掴む。突撃。
己の肉体が強く肉体を押す感触。深く埋もれる腕。自らの勝利を目にすべく、意識にかかった白い緞帳が上がっていく。
自らの腕が貫く男の腹から、血が溢れた。ファリン神父はそう見た。速度は想定以上の威力を発揮していたらしい。殺さずにいられなかったのか。彼の胸にある最も大きな感情はそれだった。
だがしかし、ひとまずは切り抜けたと──。
「二人の犠牲から一人を、選べないと言ったな。故に動けないと」
 頭上から降る、声。
「お前はどうでもよかったんだ。どちらも。それは、それがお前の『優しさ』ではない証左だ」
 肩口からずるりと反対の脇腹へと重い物が抜ける感触。……無限に思える一瞬が、一瞬で終わり、ずるずると来た道を帰っていく。噴き出す赤を、金色を、他人事のように眺めている。
 膝が折れる。地面に落ちた3つのボウガン。そして見慣れた己の腕。いや、見慣れない矢が刺さってはいるが。
末期の時間、ファリン神父は、黒いマスクで顔を覆い、自らの血がべっとりついた剣を血払いする男に語り掛けた。知り合いであるかのように。
「あなたも……『捨てられた子供』だったのですか……?」
昼間の窮地にあって、二つの危機から一つを優先できなかったと。その弱さを漏らしたのは、その後の警備を買って出てくれた、勇敢で、まだまだ未熟な若者一人しかいなかったのだから。
「僕は、捨てられた子供じゃない。捨てた者だ」
「そうですか……」
 身体が熱く、身体が寒い。金色の粒子が、ただ全てへの慈しみでその全てを包み、閉じていく。次の息を吐き切った時、自分は死ぬだろう。ちっぽけなゴブリンはそう確信した。口にする言葉を選ぼうとして、そして諦めた。どうでもよかった。そうなのかもしれない。それだけが、ひどく悲しかった。
「あなたと、あなたの大切な人に、救いがありますよう。バファリンエルフ、イーター、スレイヤー……」
バファリンエルフイータースレイヤー。

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